【大学経営】研究者あこがれの地に--山大工学部の戦略、開かれた“ものづくり” [05/25]at BIZPLUS
【大学経営】研究者あこがれの地に--山大工学部の戦略、開かれた“ものづくり” [05/25] - 暇つぶし2ch1:ライトスタッフ◎φ ★
09/05/25 03:04:08
■連綿と続く産学連携の伝統

山形大学工学部は大河ドラマ「天地人」人気でわく山形県米沢市にある。ここ数年、
ものづくり技術と経営、グローバル戦略との融合、有機エレクトロニクス研究の
重点化といった新たな試みを、大学院を中心に次々と打ち出している。世界的不況で
産業界が苦境にあえぐ中、将来は多くの起業成果を上げている米国スタンフォード
大学の「日本版」を目指すという。元気印の注目株、山大工学部の一端を紹介する。(本間篤)

教員1人当たりの国からの研究費は年間20万円程度。担当している学生の人数分の
補助はあるが、多くても 100万円ほどに過ぎない。しかし、実験の装置や試薬で
実際にかかる経費は 500~ 600万円に上る。その差額はどうしているのかと
いえば、企業などからの受託研究、共同研究の報酬や奨学寄付金で補っているのだと
いう。

共同研究・受託研究・奨学寄付金は年間 350件以上、研究相談・技術相談は
1000件を超える。大場好弘・工学部長は「経費を補充するという意味では本来の
望ましい姿とはいえないが、学外との共同研究や技術相談は年々増加しており、
全国でも有数の実績を示している」と胸を張る。

外部との交流、開かれた大学であることは、工学部の大きな特徴だが、それには
長年の伝統が関係している。

工学部の創立は明治43(1910)年。地元が資金を出し、2万坪(6.6ヘク
タール)の土地を寄贈し、県知事や市長が何度も請願して、米沢高等工業学校として
発足したもので「官立ではあるが、山形県民や米沢市民が主体的に自分たちの将来を
考え、県の発展と米沢のまちおこしのためにつくった」(大場学部長)。

また、起業とも深くかかわる。米沢高等工業学校の教授だった秦逸三が大正4
(1915)年、閉鎖中の製糸場を買い取って「東工業米沢人造絹糸製造所」を設立
したのが、現在の帝人(大阪市)のルーツになっている。

産学連携については昭和22年に発足した「地方産業所」が象徴的だ。戦後間もない
時期に県や自治体の寄付で、外部からのニーズを受ける組織として学内に設立された。
現在は財団法人山形大学産業研究所に改編され、理事長は学部長だが、「理事長には
これまで代々の知事が就任するなど、自分たちの組織という意識が強い。日本で最も
古い産学連携組織」と大場学部長は強調する。

同研究所は1億円の基金で、山形大学の全教員が構成員となっており、研究支援能力
は非常に高いとされる。

※まだ続きます。

◎ソース URLリンク(sankei.jp.msn.com)


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