09/02/16 13:58:07
私は“かんぽの宿”騒ぎで色々なことを考えさせられましたが、その中で、インターネットについても宗旨
替えせざるを得なくなりました。少なくとも日本では、インターネットは民主主義やジャーナリズムといった
社会の基盤の強化には全く役立っていません。マスメディアが苦境に陥ってもインターネットがあれば大丈夫
なんて理想論は忘れましょう。日本における民主主義やジャーナリズムの将来のためには、マスメディアの
再生が不可欠なのです。
◆トーマス・ジェファーソンの名言
トーマス・ジェファーソンのことを知らない人はいないでしょう。米国が欧州の植民地支配から独立するときに
アメリカ独立宣言を起草した人物であり、民主主義の歴史を語る上で欠かせない人物です。では、読者の
皆様は、そのジェファーソンが1787年に記した以下の名言をご存知でしょうか。「“新聞のない政府(a government
without newspaper)”と“政府のない新聞(newspaper without a government)”のどちらかを選べと言われたら、
私は迷わず後者を選択するであろう。」
そうです。民主主義の旗手であったトーマス・ジェファーソンは、民主主義の維持のためには政府よりも
ジャーナリズムの役割が重要であることを、18世紀末の時点で喝破していたのです。
時代は移って21世紀に入り、デジタルとインターネット(以下“ネットと略します)の普及によって、世界中の
新聞が広告収入の激減で瀕死の危機に喘いでいます。新聞ほどひどくないにしても、テレビ、特にローカル
放送も同様の苦境に直面しています。トーマス・ジェファーソンが重視した新聞のみならず、ジャーナリズムの
担い手であるマスメディア全体が崩壊の危機にあるのです。マスメディアのビジネスモデルが時代遅れに
なったことが最大の要因であり、経済危機はそれを早めただけに過ぎません。
◆インターネットに期待された役割
その一方で、マスメディアから逃げ出した広告費が流入してネットは隆盛を極めています。その中で、マス
メディアはネットを積極的に取り込み、草の根のシチズン・ジャーナリズムが勃興し、今やネットがジャーナ
リズムの担い手になるかのような勢いです。では、それは良いことなのでしょうか。
言い方を変えると、ネットの黎明期に“ネット上ではすべての個人が自らの意見を発信できるようになるから、
ネットの普及とともに民主主義が強化されるであろう”と言われていましたが、ネットが十分に普及した今、
それは正しい洞察だったと評価できるでしょうか。
私は個人的に、“かんぽの宿”騒ぎを通じてその答えが明確になったと思っています。日本のネットはゴミの
山であり、ジャーナリズムの担い手になり得ないことはもちろん、民主主義の強化に何の貢献もしていないと
確信しています。
▽執筆者
岸 博幸 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
▽ソース:DIAMOND online (2009/02/13)
URLリンク(diamond.jp)
▽前スレ
【コラム】「かんぽの宿」騒動で分かった!賛否両論なき日本のネットはゴミの山-岸 博幸(DIAMOND online)[09/02/13]
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