08/10/22 00:43:35
NECパーソナルプロダクツでパソコン事業の総指揮を執る高須英世 執行役員社長。
日経パソコンの創刊25周年に当たり、これまでの25年間を高須氏に振り返ってもらった。
また、今後のパソコンの展望についても聞いてみた。
■この25年間を振り返って、印象に残っている製品は。
最も製品開発が大変だったという点で印象に残っているのは、
Windows 3.0を動かすためにVGA対応のグラフィックアクセラレータを初めて搭載したPC-9821シリーズ(93年発売)だ。
当時、NECは独自の98アーキテクチャーを採用していた。
このため、PC AT互換機向けに作られたグラフィックスチップを、98アーキテクチャー上で利用可能にする必要があったが、これが結構大変だった。
背景には、92年の「コンパックショック」(コンパックコンピュータが最安で約13万円のパソコンを投入)によって、
低価格ながら高いグラフィックス性能を備えたパソコンと競争せざるを得ない環境になったことがある。
海外メーカーが開発したPC AT用のグラフィックスチップを使うしかない状況になり、
98アーキテクチャーにこだわり続けることに限界を感じ始めた頃だった。
当時、「価格競争が大変なのでは」とよく聞かれたが、
PC-9800の市場シェアはとても大きく、価格競争は何とかなると考えていた。
■新しいマーケットの創出という観点で、記憶に残る製品はどれか。
個人ユーザーのマルチメディア用途を拡大する狙いで、94年に投入したPC-9821 Cb(CanBe)だ。
Windowsの登場によって音楽や画像などを扱える環境が整い、個人の新しい用途を提案するには良いタイミングだと判断した。
PC-8801はホビー用途を対象にしていたが、PC-9800はそれまで企業利用が中心だった。
当時、アップルのMacintoshが国内でのシェアを伸ばしてきていたため、
「Macintoshより使いやすいマルチメディアパソコンを作ろう」と意気込んで開発をスタートした。
CanBeは、例えばFAXの受信の機能も備えていて、これは当時では珍しかった。
音楽CDの自動再生やパソコン通信などの機能も搭載していた。
企業向けパソコンでは、特定製品というより、オフィスコンピューター(オフコン)からパソコンへの移行が強烈に脳裏に焼き付いている。
「オープン」の流れに乗って、NECもパソコンをクライアントマシンとして売り込む姿勢が強まっていた。
ただ、企業システムのキモはサーバーであり、その点では従来のオフコンの技術資産を生かすことも重要なテーマだった。
カラーTFT液晶を世界で初めて搭載したノートパソコン「PC-9801NC」(91年発売、価格は59万8000円から)もエポックメイキングな製品だった。
企業でたくさん使われたように記憶している。
Windows 95が登場した95年には、個人向けにもカラーノートの利用を提唱するため、初めてLavieブランドを冠した「98NOTE Lavie」を発売した。
>>2に続く
ソース:PC online(写真あり)
URLリンク(pc.nikkeibp.co.jp)