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【岡崎久彦「重光・東郷とその時代」(PHP)単行本P.260(文庫本アリ)】
第二次近衛内閣の外交は、終始松岡洋右外相に引っかきまわされ、
引きずられたままだったと言って過言ではない。
それがもたらした結果は、大日本帝国の命運を左右するほど重大なものであった。
しかし、この松岡外交の過程をくわしく記述する価値があるかどうかは疑わしい。
なぜかといえば、松岡の行動には、歴史の必然性とは必ずしも関係のない、
松岡の個人的な動機や習癖からくるものがあまりにも多いからである。
それも深い思想や哲学からくるものではなく、自分の沽券にこだわり、
俺のいうことは間違ったことはないとか、万事俺に任せろとかいう個人的習癖であり、
理論があるとしても、長期的な戦略ではなく、強く押せば向うは引っ込むというような低次元の
戦術的計算であった。そしてその意見を押し通す手段は、相手に口を開く暇を与えず喋りまくり、
相手を辟易させるということであった。
前にも述べたが、こういう人物は、ヒラの職員としてはきわめて有能であるが、
課長となると、もう使う方が注意して、仕事を思う存分させつつも、
マイナス面をカヴァーしなければならない人物である。
そして、けっして課長以上にしてはいけない人物である。
結局は、こういう人物を外相に登用した近衛の人物鑑識眼の誤りである。