10/06/05 00:48:43
半藤 退職後に、この田母神俊雄には、私は何べんも会いました。
彼は都内に住んでいましたが、訪ねていってもどういうわけか、うちへ入れてくれないんですね。
「君、外で話そう」とか言ってスタスタ歩いていってしまう。
江戸川の堤まで行って土手に座って話していました。
保阪 家族に聞かせたくなかったのでしょうか。
半藤 たぶんそうなのでしょうねえ。なぜかいつも土手でしたよ。
お茶一杯ご馳走になったわけじゃない。だから悪口を言うわけじゃないですけれども(笑)。
話していくとこの人は必ず最後には激昂するんです。
退職後しばらくして京都大学の教授がコミンテルンの陰謀に関する本を出したのですが、
その本に田母神論文をほめている部分があったのです。
田母神はその論旨を力説していまして、なぜ俺がこんなに馬鹿にされなくてはならんのか、
ちゃんと見ている人は見ているのだっ! 君たちは分かってない! と何べんも何べんも怒られましたよ。
保阪 そこのところをコピーして晩年までずっと持ち歩いていたみたいですね。
僕はとうとう会えなかった世代ですけど、ある人からその話を聞きました。
「君のところに田母神から連絡は来なかったか」と。
どうやら近現代史の研究者のとことろには自分から電話して、そのコピーの内容を説明しにやってきたそうです。
最後の頃はその話ばかりで鬼気迫るものがあったと。