10/04/01 21:40:05
>>407 「艦隊運用の第一人者ならではの判断があったのかも。
>某参謀と大石参謀に押し切られなければ、南雲は名将になれたのかもしれない(笑)
先に紹介した夜戦猛訓練(>>238)ですが、いくつかの事故例が紹介されており、
「昭和2年8月24日、日本海美保ヶ関沖沖での聨合艦隊夜間演習中の出来事。
当夜は全くの暗夜であり、聨合艦隊基本演習中に水雷部隊の夜間戦闘発射を
実施するものであった。衝突事故は水雷戦隊の暗夜高速襲撃運動中に起った。
軽巡隊の先頭艦神通と後方から突進中の駆逐艦蕨(わらび)、軽巡隊二番艦那珂
と駆逐艦葦(あし)とが衝突し、蕨は火焔を発して船体両断して沈没、死傷104名を
生じ、葦は三番砲から後尾が切断して死傷29名を算し、神通・那珂はいずれも大
損傷を生じた」 (『戦史叢書』)
凄まじい事故現場が目に浮かびますが、当時南雲長官は砲艦宇治艦長(中佐)。
演習に参加していたかは分かりませんが、話には聞いていたでしょう。
無線が傍受されるリスクを冒しても、衝突や落伍は避けるべきと。