10/03/15 20:50:14
Q1.事前の索敵計画(七線一段索敵)は、索敵軽視ではないのか(その1)
A1.当時の日本海軍では、重視でも軽視でもなく、標準である。
(註)「当時の聨合艦隊戦策では、索敵は一段索敵とすることが定められており、二段索敵を実施することに
改められたのは、昭和18年5月のことである」 (『歴史群像(55)日米空母決戦ミッドウェー』)
Q2.事前の索敵計画は、索敵軽視ではないのか(その2)
A2.真珠湾でもインド洋でも珊瑚海でも、二段索敵は実施されていない。
そもそも、二段索敵そのものがミッドウェー海戦の戦訓から生まれたものである。
(註)二段(多段)索敵という方法自体は、開戦前から考えられていた。
「偵察が大事であるということは私自身もこれを痛感し、昭和2,3年ころ、初めて航空界に身を投じた時、
第一に選んだ研究課題が"航空機による敵情偵知"であって、各種索敵法というものを考え出した元祖が
私であったといっても過言ではないと思う」 (『聨合艦隊』草鹿龍之介/著)