10/02/14 15:00:31 TzgvNlQ1
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●昭和天皇と731
・裕仁は1926年に皇位に即位する前でさえ、化学兵器や細菌兵器に強い関心を示していた。
・裕仁は、熱心な科学の学生であった。彼の海洋生物学への情熱は、よく知られている。
批評家は彼の科学的な関心が海洋生物学をはるかに越えたところまで進んだと非難する。
彼らは天皇が、そのキャリアの初期において病気を持った菌や細菌、さまざまな培養組織の研究に興味を持つようになったと主張する。
・天皇裕仁は、明らかに、2度にわたって石井の実演を目にしている。1度目は1933年に陸軍軍医学校を視察した折、
もう1度は恒例の天皇訪問の際の、海軍の艦船上においてである。石井が濾水機の1つに放尿し、
その濾過水を飲み干すよう天皇に恭しく差し出したとされているのは、天皇が視察したそうした折のことだった。
・・・天皇はその申し出を断り、そして石井は尿を濾過したその水を見るからに嬉々として飲み干したという。
・軍医中将で元関東軍軍医部長の梶塚隆二によれば、石井は「天皇の軍令」によって1936年
に平房の実験を開始する許可を与えられたと言う。・・・・梶塚によれば、その後1939年に、
天皇は、石井の特殊部隊を再編成するようさらにもう1つ軍令を発布した。・・・・
石井が東京の高い地位のところに、ひょっとすれば最も上のところに味方を持っていたことは明らかである。
・軽く見てはならないのは、石井と若松の部隊は、裕仁の勅令によって設立された部隊であるという事実である。
他の多くの部隊は、必要とされた時に陸軍の内部で適当な司令官によって設立された。
・軍事細菌研究のさらにもう1つの拠点が長春の第100部隊(部隊長:若松有次郎)であった
。作戦任務のための資金供給は莫大かつ無制限だった。部隊は2つの経路から資金を得ていた。
すなわち、東京の陸軍省と、関東軍司令部の第2部である。(陸軍省から人件費60万円の予算が、
100万円が関東軍司令部の第 2部から攻撃的生物戦の研究のために支出された。731部隊の予算総額は1000万円、
人件費300万円、20万から30万が各支部の運営費、600万円が細菌製造、実験、研究費用である。しかも731部隊の予算は