10/03/26 12:05:25
>>645>>647
もちろん当時は軍人もそうだが、むしろそのへんの商店街の親父や
大工、工場労働者といった庶民たち国民自身が好戦的で、植民地政策が
あたりまえの弱肉強食の世界情勢ではなおさらであった
それでも、相手の実力も無視して拳を振り回せば、当然のことながら敗戦という
手痛いしっぺ返しを受けることは、個人レベルの喧嘩として考えれば、自分より
強い相手に戦いを挑めば、その結果は無知な好戦的な国民たちにも、十分に理解できたであろう
にも関わらず痴呆状態で思考回路を停止して、(戦勝、あるいは植民地化の成功を祝う)
ちょうちん行列に参加して雄たけびをあげていれば、その庶民たちに財産の喪失
そしてときには死という、重すぎる自己責任を負うことになるが、それは自業自得な面も免れない
だが、当時の天皇はその得れる情報量も権限も立場も、そしてそれに伴う責任もまったく違う
もちろん天皇が大陸の権益を放棄させたり、軍の行動を抑制しようとしたしても
主に陸軍の佐官クラス、関東軍の主戦派たちは、たとえ天皇の命令であろうと抵抗しただろうし
政治的な謀略を企んだり、天皇側近への画策、暗殺、あるいは軍事的な反乱を起こす者さえいただろう
しかしそれであっても、たとえ内戦の可能性があったとしも、当時の国民のうえに君臨する天皇は
統計的に人的、資源などすべての国としてのスペックが、10倍以上も離れた強大な相手
(その情報は天皇の立場であれば、その気があればいくらでも得れたもの、そして考えれば概念として
じゅうぶんに天皇にも理解できたはず) に戦いを挑もうとする、あまりにも無謀な行動を止めようと
行動すべき立場であった
そしてその行動をしたにも関わらず、結果として戦争になったとしても、その場合に今日の昭和天皇の評価は
大きく違っていたに違いないし、現在の日本という国の立ち位置、そしてそれから得られる
国民ひとりひとりの利益にも、大きな違いがあったであろうことは簡単に推測できる
もしかしたら、まわりを友好国で囲まれ、地域で指導的な立場を取れる素晴らしい国になっていたかも知れない
その無限の可能性の芽を摘み、努力を放棄した昭和天皇の戦争責任は限りなく重い
>>649
戦前の大日本帝国憲法下の話である