09/09/23 23:19:15
>>876
ヴォズネセンスキーはクィヴィシェフに続くソ連史上二人目の「第一副首相」。
なお三人目はモロトフ。人望もあり、政治局でスターリンと議論できた数少ない人物だそうな。
一時期はスターリンの後継者とも目されたものの粛清に参加しておらず、
「手が汚れていない=将来スターリン批判に走る可能性が高い」点と
主体性のある性格が災いして粛清されたとか。
フルシチョフはマレンコフ(とベリヤ)が追い落とした(マ氏が「スターリンに暗示をかけていた」
1957年の中央委6月総会より)と思っていたようだが、R.メドヴェージェフはスターリン自身の
イニシアチブだと書いている。
(また彼の失脚は「レニングラード事件」でなく別個の「ゴスプラン事件」とのこと)