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2008年 友人から国務省がアフガンで1年任期契約で更新可能の外交官を求めていると知らされる
2009年 ジャララバードで2ヶ月間、旅団司令部にて文民スタッフとして勤務 Korengal渓谷で長年作戦せざるをえない
理由を研究(4月にマレン統合参謀本部議長が訪れて問うたのがきっかけ) アフガン戦争に疑問を持ち始める
2009年 Zabul州PRT上席代表となる
カンダハル在のアフガン南部PRTの長であるFrank RuggieroはHohを極めて有能とし、Zabul州の米文民3名の中で
代表にすえる
2009年8月20日 アフガン大統領選 投票率低し 大規模不正発覚でさらに疑問膨らむ
2009年9月10日付けで辞職を願い出る
駐アフガン大使アイケンベリーにカブールに呼び寄せられて大使館スタッフの職を提示され慰留されるも断わる
米国でホルブルック特使からもワシントンでチームに加わるよう提示され、一旦は受け入れるも1週間後に断る
10月21日ごろ 辞任が決まる
10月23日 ワシントンポストのインタビューを受ける
10月23日の週 バイデン副大統領の外交顧問Antony Blinkenの招きで同氏と面会予定