通商破壊と海上護衛を語る2at ARMY
通商破壊と海上護衛を語る2 - 暇つぶし2ch2:名無し三等兵
09/08/17 23:30:35
前スレ埋めた>>1乙。

3:名無し三等兵
09/08/18 00:07:08
Merchant Ship Losses(1939 - 1945)
(Ships over 200 tons)
Britain
3194
US
866
Neutral
902
Japan
2436
Other Allied
1467
URLリンク(www.100thbg.com)
URLリンク(www.geocities.co.jp)
連合国の海運の損失 (単位:トン、(隻数))

4:名無し三等兵
09/08/18 00:35:01
日本の潜水艦は開戦前までに準備できたのが64隻、戦時中に建造したのが118隻
URLリンク(harunazy.hp.infoseek.co.jp)

5:名無し三等兵
09/08/18 00:36:29
昭和6年の段階で検討されてた海上通商路護衛用の艦艇数は
・平時
駆逐艦20 海防艦12 砲艦15 水雷艇24 駆潜艇16
・戦時
海防艦+砲艦120 水雷艇56、駆潜艇160
16年12月時点で100総トン以上の日本船舶は2529隻。内訳は以下の通り。
□陸軍徴用
519隻/216万トン
□海軍徴用
482隻/174万トン
□民需用
1528隻/244万トン
主な通商ルートは門司~上海~高雄~サイゴン~シンガポールと
高雄~ルソン~ジャワの南方
及び横浜~小笠原~サイパン~トラックの内南洋
更にトラックからラバウルやパラオ・マーシャルへの支線
門司~釜山の大陸ルート等


6:名無し三等兵
09/08/18 00:38:24
終戦までに生産された25㎜機銃は33000門
タラワなど19年初頭に攻撃された基地には25㎜機銃は数門程度しか装備されていないか下手をすると全く無い島も少なくない。
サイパンにテニアン、グアムなど力を入れていたはずの重要な島でも装備基準でさえ96門に過ぎないし、実際の装備は60~80程度。
ペリリューくらいになるとやっと100を超えるようになる。
海軍が18年度に整備を目指した外戦部隊の25㎜機銃装備の防空隊はたった40隊で、仮に装備率100%で達成できたとしても960門にしかならない。
19年度になると流石に100隊を目標に掲げるがこれも装備完全で達成できたとしても2.400門。
しかもこの100隊は達成できなかったのか、20年度の目標も100隊。

7:名無し三等兵
09/08/18 00:38:57
呂号クラスはUボートと同じくらいなんだっけ?
通商破壊するなら、大型の伊号よりも呂号を生産した方が良かったのかな?
一番良いのは、Uボートのコピーだけど。

8:名無し三等兵
09/08/18 00:40:14
他に25㎜機銃の配備先として考えられるのは船舶。
早くも17年には千t以上の船舶への機銃や砲の装備が決定され、大きさにもよるだろうが数門程度の装備を進めたと考えられる。
千t以上の船舶は当時数百隻(16年12月建造中だけで94隻)はあり、仮に2門程度を平均としても所要数はかなりとなる。
19年になるともっとエスカレートし後半には25㎜機銃だけで各船大きさに応じ4~20門もの装備を基準に。


9:名無し三等兵
09/08/18 01:42:24
【海軍】大戦期の艦載対空(防空)火器を語る03
スレリンク(army板)

こんなスレもあるでよ

10:名無し三等兵
09/08/18 03:17:22
海防艦第四号艦長水谷勝二少佐
まず敵の潜水艦の場合、今とは違って当時の潜航速力は8~10ktでそれ程速いものではなかったという事がひとつ上げられますね。
それから護衛する船団にしても優速貨物船でも16kt程度です。
これが船団を組むとせいぜい13~4ktしか出ません。
従って17.5ktの速力でも充分だった訳ですね。
それにも増して第四号が優秀だったのは、水測員が全て現役の兵員だったという事です
ここで強調しておきたいのは、海防艦の対潜能力が抜群だったという事です。
海防艦の対潜攻撃能力は他の艦に比して格段の力を持っていましたね。
しかし水中測的兵器についつは、93式聴音器はまず役に立たず、93式水中探信儀も極めて精度が悪くて不安でしたね。
そこへ登場したのが三式探信儀です。
幸い優秀な水測員が日夜努力して、これを見事に使いこなして戦果をあげる事ができましてね。
艦政本部の担当員も非常に喜んだものでした。

11:名無し三等兵
09/08/18 03:18:51
軍司令部の計算では、南方航路を守るには最低水雷戦隊が三隊は必要と考えたのだが、連合艦隊に交渉してみると、まだまだ作戦地域を広げて侵攻作戦を計画していて、あくまで作戦優先。
しかたないので、鎮守府とか警備府などから老朽のいわば『お婆さん』の旧式駆逐艦や水雷艇をかき集めてようやく作ったというのが実情。
しかもその数たるや、シンガポールから門司(もんじ)までの約2500海里(約3700 キロ)のシーレーンを守る第一海上護衛隊が、旧式駆逐艦10、水雷艇2、商船を改造した特設砲艦5だけ。
横須賀からラバウルまでの2000海里(約3700キロ)を守る第二海上護衛隊が旧式駆逐艦4、水雷艇1、特設砲艦1だけ。
守るべき輸送船は3000隻以上もあるんですよ。

12:名無し三等兵
09/08/18 03:20:09
海防艦崎戸艦長小林恒次少佐
当時高等商船学校を卒業すると同時に、海軍少尉の資格が与えられたんです。
私は約6年間国際汽船で貨物船の船長をしていて、昭和16年に召集された訳ですが、その時は大尉の階級でしたね。
海防艦崎戸竣工と同時に艦長になって呉防備戦隊に編入された訳です。
それから約1ヶ月余り対潜訓練をして、第一護衛艦隊に編入、まもなく出撃です。
その途中で敵の潜水艦の待ち伏せにあったんですが、マンマと巻いてやりましてね。
2隻が無線電話で話してるのをキャッチしたんです。
彼等の生放送を解読してみると、船団が何時何分に到達するから三番目の大きなヤツを狙えと言っているのがわかったんです。
そこで私はよしそれならと、彼等が打ち合わせた30分前に左一斉回頭して、そのまま船団を無事に青島に避退させちゃった。

13:名無し三等兵
09/08/18 03:28:59
駆逐艦朝風艦長池田徳太郎少佐
18年3月に駆逐艦朝風艦長として着任した訳ですが、この時期はソロモン方面の戦闘が中心で、それ以外はもっばら輸送作戦に明け暮れていた時期です。
私も台湾の高雄を起点に門司~高雄~サンジャック~シンガポールを行ったり来たり約8ヶ月、船団護衛の任務に着いていたんです
多い時で40隻の船団を護衛した事がありましたね。
こうなると護衛という対潜防御行動は殆んどとれません。
常に味方の被害電報を聞いていましてね、どこで雷撃を受けたとか、どの地点に敵潜水艦が現れたという情報を漏らさず入手して、敵潜のいない所を選んで航行していく訳です
駆逐艦が敵潜を捕促するのは、見張りも勿論ですがもうひとつ、探信儀で探す訳です。
これは10kt位で走っている時はよく捕まえる事ができましたね。
12kt以上になると、自艦の発生する雑音で聞き取れなくなってしまう。
しかし低速だと2000m以内の目標なら、確実に捕促する事ができましたね。
しかし私はこっちから敵潜を探して攻撃する、という積極策はとらなかった。
常に情報を入念に集めて、敵潜のいそうな所から逃げて歩いていましたからね。
その為に私が護衛した船団は1隻も被害を受けませんでしたね。
恐らく1000隻からの船を護衛したと思われますが。

14:名無し三等兵
09/08/18 03:38:53
駆逐艦早苗艦長長倉義春中佐
その頃の船団護衛はもっばら内地から台湾、仏印、シンガポール、フィリピン、ボルネオ、パラオ方面への輸送作戦なんですが、それが殆んど早苗一艦だの護衛なんですよ。
多い時は12~3隻の商船を護衛した事がありましたよ。
こうなると護衛なんてもんじゃない、幼稚園の先生みたいなもんで引率ですよ。
商船だって編隊航行なんて経験を持ってる船長なんぞいませんからね。
朝になって船が全部いるかどうか心配でしたよ。
敵潜に攻撃されたのは2回だけです。
振り返ってみると1隻だけ様子がおかしい。信号を送ると我雷撃を受くという。
直ちに船団を避退させて爆雷を投下しながら、被害船を守っていたら停止していた船が動き出すんですね。
雷撃を受けたるも被害なしと言ってきた。
1本だけ命中したけど、こいつは不発だったという訳です。
もう1回はシブヤン海で5~6隻の船団を護衛している時です。
遠くの海面でやはり魚雷が自爆しましたが、被害はありませんでした。
あの頃の米軍の魚雷は極めて粗悪でしたね
結局私は約1年間に144隻の商船を、たった 一艦で護衛をしたのですが、1船も損害を出しませんでした。

15:名無し三等兵
09/08/18 03:40:02
船舶被害見積もりは、戦争一年目80~100万トン
戦争二年目60~80万トン
戦争三年目40~60万トンで、保有620万トンに対し予想建造量は
一年目45万トン
二年目60万トン
三年目80万トン
実際の損害は
一年目95万トン
二年目179万トン
三年目384万トン
実際の建造量は
一年目26万トン
二年目77万トン
三年目170万トン


16:名無し三等兵
09/08/18 04:03:28
艦隊決戦という長年培って釆た兵術思想は、海軍首脳部歴々の頭脳から容易に払拭することはできなかった。
艦隊は明けても暮れても砲戦訓練、夜間襲撃訓練のくり返しであり、潜水艦を目標にした対潜訓練は、艦隊では一回も行なわれなかった。
対潜戦は港湾防備の分野に編み込まれ、主として駆潜艇、海防艦の演練種目とされて、第一線の駆逐艦の取り組む種目となっていなかった。
潜水艦恐るるに足らず、爆雷を放り込めば落着程度にしか思われていなかった。
この対潜戦軽視のつけがやがて大きくのしかかり、対潜艦艇と看傲されていた駆逐艦が米潜水艦にばかんぼかんやられることとなり、ほどこすすべがなかった。
昭和17年(1942)5月、私は駆逐艦「芙蓉」水雷長に就任した。
対潜兵器として艦尾に爆雷投下軌条と投射器があったが、肝腎の水中測的兵器(水中探信儀)は装備されていなくて、爆雷攻撃はまったくの目算と勘によるほかなかった。
(森田友幸 25歳の艦長海戦記)

17:名無し三等兵
09/08/18 04:04:39
日本輸送船の喪失要因は
潜水艦1153隻
空襲931隻
触雷250隻
砲撃89隻
海難事故174隻

18:名無し三等兵
09/08/18 04:27:16
戦時海運統制
1941/12/19
逓信省内局の管船局と外局の灯台局を統合し、逓信省と海軍省の外局の海務院を設置。
長官は海軍中将、次長は逓信省。
1942/7/1
日本海運協会等の船主を政府管理特別法人の船舶運営会に統合。
政府徴用民需船舶を運営する。
※陸海軍徴用船舶は陸海軍省運輸部が管理する。
1943/11/1
逓信省と鉄道省を統合して運輸通信省設置、海務院を廃止し海運総局へ。
1945/5/1
国家船舶及び港湾一元管理の為、大本営に海運総監部設置。
海運総監は各船舶司令部、鎮守府、警備府、海運総局、鉄道総局への指揮権を持つ。
各港湾には軍の一元管理による揚搭指揮官を常置。
6/30付で陸海軍徴用船舶含め、国家船舶として一元運用する。


19:名無し三等兵
09/08/18 04:28:22
潜航潜水艦を目標とする聴音成績
(昭和12年)
対潜掃討における艦隊型駆逐艦(93式1型、3型)探信儀能力
全没潜水艦捕促率50%方向誤差+-6.5度
距離誤差4%
可探距離1700m
探知可能最大速力
14kt
対全没潜水艦探知可能聴音能力
確実500m以内

20:名無し三等兵
09/08/18 04:29:51
航空用磁気探知機
3式1号探知機、通称KMXは18年11月採用。
19年4月にまず901空、6月以降453空、933空、934空に磁探機が配属された。
航空用電探は浮上潜水艦を10浬、または潜望鏡を4~5浬探知。
これは米軍機の探知能力も同等らしい。
磁探機で潜水艦を探知すると警報灯とブザーが作動し、探知と同時に自動的に目標弾が投下され敵潜潜在海面にマークされる。
901空で19年8月25日からの15日間で探知攻撃された潜水艦は42隻、うち12隻撃沈確実と言われている。
磁探は潜没潜水艦の直上通過時に地磁気の変化で探知する。
探知実験に成功すると、横須賀航空隊の協力で兵器化研究が進んだ。
磁探は単機では探知範囲が狭いので、編隊探知が提案され通常3機で理想は5機編隊と結論された。

21:名無し三等兵
09/08/18 04:31:12
沈船を目標とする訓練では、10kt程度の船団なら3機編隊で前路探知してほぼ未掃面を皆無にできる。
小隊による掃討は3時間を適当とする。
各基地に航空隊を編成するのでなく、船団に随行して航空隊が基地間を移動する。
等の研究結論が得られた。
901空では96陸攻の大部と東海全機、また零水偵、97艦攻、天山には1/3の機に磁探を設置した。

22:名無し三等兵
09/08/18 04:32:48
機雷
戦前の海上交通保護とは朝鮮半島との交通線であり、戦時には対馬海峡に機雷堰を設けるべく昭和11年帝国国防方針で決定。
港湾水路とあわせ平時2万個の備蓄を始めたが、対米戦により東支那海、台湾海峡への設置には全く足りず。
開戦前までは各年2000個程度の生産数を、17年度より年15000個程度に増産。
対ソ戦用の機雷もあわせて使用した。
その他港湾水路への潜水艦侵入阻止には防潜網や捕獲網等があり、敷設艦、急設網艦等の整備も進められる。

23:名無し三等兵
09/08/18 04:34:13
爆雷
開戦時の主要爆雷は95式であったが、開戦直後に戦闘機の機銃掃射により誘爆爆沈が起きた為、衝撃に鋭敏な88式爆薬を昭和18年から1式爆薬に変えた。
開戦後も爆雷は潜水艦の潜航深度が増した事により、沈降深度と発火装置を改めた2式爆雷、沈降速度を速めた流線型尾翼付の3式へと発展した。
これにより、沈降深度は95式の60mから3式では200mに強化。
更に開戦により従来の爆雷搭載数では徹底した攻撃が出来ないと判明し、艦隊型駆逐艦も搭載数を18個から36、48個と順次増加させている。
海防艦では17年10月起工(18年10月以降竣工)の御蔵型から搭載数は120個になった。

24:名無し三等兵
09/08/18 04:35:18
対潜爆弾
航空機による対潜攻撃は潜没状態の潜水艦に対するものなので、水中弾道性を考慮する必要があった。
対潜爆弾は2号爆弾と呼称され、昭和8年頃より研究され、開戦時には99式6番2号と1式25番2号があった。
しかし開戦時には数が足りないので陸用爆弾で代用された。

25:名無し三等兵
09/08/18 04:40:07
老朽船舶の更新
1932年船舶改善助成施設(一次~三次)
以降も
大型高速優秀船舶の建造促進
1937年優秀船舶建造助成施設
1939年平時標準船を設定
1942年戦時標準船を設定(一次~四次)

戦時中の喪失船舶(軍用船除く)7240隻
官民一般汽船3575隻
機帆船2070隻
漁船1595隻
死亡した船員60608人

26:名無し三等兵
09/08/18 06:11:57
聴音機は1932年に輸入したドイツの保式を国産化したのが93式。
フランスのSCAM探信儀を輸入したのは1936年。
同じ聴音機を使用しても微速または機関停止状態で待ち伏せする潜水艦と、船団を伴いノイズに妨害される護衛艦では探知能力が違ってくる。
聴音成績は潜水艦が集団音を2~3万m、独航で1万5000mを探知できたのに対して、水上艦は陽炎型が8ktで3200m、12ktで1400m、14ktで1000m。
初月は6ktで5000m、12ktで2600m、14ktで2000mであった。
聴音機は自己の存在を秘匿できるのが利点で、大体の方向や推進音のリズムから的速を推測できるが、距離はわからない。
探信儀は距離がわかるのが利点だが、艦の前方に対してしか使えない。

27:名無し三等兵
09/08/18 06:13:09
世界の艦船によれば93式探信儀はフランスのSCAMを参考に、17.5kHZで記録ペン読み取り表示。
整流覆いがないのでノイズに弱いが、探知距離12ktで1300m、14ktで1000m、指向性12度、測距誤差100m。
3式探信儀はドイツのS型を参考にしたもので、13kHZと16kHZの二段切替式。
整流覆いが付いてブラウン菅表示、探知距離は12ktで2000m、14ktで1200m、指向性30度、測距誤差100m。

28:名無し三等兵
09/08/18 06:15:08
42年10月から43年10月の1年間に延べ936船団、4591隻の商船が運航されたが、護衛がついたのはうち65.6%の614船団。
護衛がついた船団での護衛艦艇の割合は、商船5隻につき1隻が平均で多くて2~3隻だった。
42年10月から43年5月までに運航された延べ562船団、2364隻で潜水艦に遭遇したのは34船団で6%。
被害率は船舶延べ数の0.5%、12隻に過ぎなかった。
それが43年6月になると会敵率が2倍に増える。
10月までの延べ374船団、2227隻で会敵したのは44船団12%になっている。
44年4月から大船団主義の採用もあり、従来の1船団の平均船舶数5隻程度から平均8.6隻、護衛も従来の1隻程度から5~10隻に増えている。


29:名無し三等兵
09/08/18 06:15:58
この頃になると会敵率も40%、6月には50%を超え8月には100%を超えている。
つまり途中で2回会敵する船団もあった訳だ。
これは米軍がマリアナ、フィリピンへと迫った事も関係していて潜水艦だけでなく、航空機との会敵率も増えている。
会敵率が増えれば被害率も増加し、43年11月までは0.74%だったのが、その後の8ヶ月間は3.54%、会敵率が100%を超えた時期で5.7%。
米軍がフィリピンに来て以後は既に護衛どころでないので省略。

30:名無し三等兵
09/08/18 06:16:53
開戦時に太平洋に展開した米潜水艦は51隻、うち航洋型39、局地型12。
開戦2日目でキャビテ軍港の備蓄魚雷223本を喪失し、魚雷不足と性能的欠陥から潜水艦の活動は不活発だった。
米潜水艦基地はハワイ、フリーマントル、ブリズベンの3ヶ所でハワイ部隊は内南洋、豪州部隊は小型艦がソロモン、大型艦が南シナ海から蘭印を担当した。
しかし豪州部隊も整備はハワイで行い、新兵器搭載工事はサンフランシスコで行った。
魚雷不足は42年10月がピークで所要魚雷の半分程度しか満たせず、潜水艦は発射数を極度に制限された。
魚雷の性能不足も43年秋頃まで続いた。
南方への日本商船隊を叩くには、ルソン海峡での待ち伏せが効率的だがフリーマントルから2週間かかり、数日しか滞在できなかった。

31:名無し三等兵
09/08/18 06:17:38
またブリズベンの部隊は通商破壊よりゲリラ援助、救助活動、敵艦隊偵察等の戦術目的に使われる事が多かった。
米潜水艦部隊も当初は日本同様、攻撃の優先順位を艦艇第一としており、商船に集中したのは43年後半以降、44年になると逆に護衛艦をまず狙う戦法を採用した。
米潜水艦が単独襲撃からドイツに習い、ウルフパックを採用するのは43年4月からである。
米潜水艦戦力は開戦時の51隻から43年9月に118隻、44年末には156隻となった


32:名無し三等兵
09/08/18 06:58:22
日本は57万5000総トンの油槽船をもって開戦した。
1943年には83万4000総トンに増え、その3/4は南方石油の内地還送に当たっていた。
しかし油槽船の喪失は1942年の4074トンから1943年38万8016トン、1944年75万4106総トンへと激増し造船高を遥かに引き離した。
当時、民需用には最低限300万トン(陸軍省計算)~350万トン(逓信省計算)の商船が必要と見込まれていた。
実はこれでも所要の100%を見込めるのは米と鉄鉱石だけで、その他重要物資で70%が輸送可能とされる程度である。
にも関わらず、民需用船舶が300万トンを確保されたのは、戦争を通じて42年8月から12月の間だけである。
本来なら南方作戦終了後、一定量の陸海軍徴用船舶を民需用に返還する予定であった。

33:名無し三等兵
09/08/18 07:00:30
しかしガ島攻防戦により7月以降の徴用解除予定は中止され、12月には逆に41万5000トンが作戦用に新規徴用された。
既に鉄鋼生産は42年度の427万トンから、43年度は300万トンに減る見込みだった。
一方、43年3月末までの船舶喪失は125万トン、新造36万トン、拿捕浮揚37万トンを加えても差引52万トンの船舶が減少している。

34:名無し三等兵
09/08/18 07:01:43
開戦時の海軍航空隊保有機数が
戦闘機375、艦爆126、艦攻194、陸攻324、陸偵30、複座水偵177、三座水偵121、飛行艇48、その他練習機等計1300機程度
大まかに正規空母に400機、軽空母に100機、11航空艦隊に500機、艦載水偵200機で占められる。
護衛に従事した900番台航空隊は、それまでバラバラに護衛や対潜哨戒してた航空隊を統合したもの。
だからその前進・母体の航空隊を沿革を調べればそれ以前からやってるのがわかる。
具体的には内地では大湊、館山、佐伯、佐世保の各航空隊等。
外地では16、17、21、31~36の各航空隊等が該当する。
900番台航空隊にも昭和17年から開隊してる部隊もある。

35:名無し三等兵
09/08/18 07:36:17
敵潜の跳梁が始まると商船の運航率は低下した。
則ち潜水艦を避ける為、出航が遅れたり、途中で最寄りの港に避難したり、之の字運動や迂回航路選択の為に航海日数が余計にかかり、到着が遅れる。
輸送ノルマ達成の為には船団を集合させ、最も低速な船に船団速力をあわせるより、独航を選択する場合がしばしばあった。
速力8ktの低速船と20ktの優速船で船団を組むのは効率が悪いので、航洋性が低く低速浅喫水の小型船は沿岸を独航する。
ニミッツの太平洋海戦史によると、独航船の撃沈率は船団内の損害より2倍半も多い。
もし日本が5隻程度の護衛艦を伴う、30~50隻の大船団なら損失も少なく、護衛に充てる艦艇も少なくて済んで安全性が増す。
もっと早くもっと効率的な護送制度を採用してたら、日本は米潜水艦の有効性を大いに減殺したかもと言う。
しかし米英間の通商ならともかく、日本周辺の貧弱な港湾設備・荷揚能力では大船団を収容しきれず、荷揚待ちの行列ができるだけ。

36:名無し三等兵
09/08/18 12:08:36
コピペなんだから引用元示せば一レスで済むのになにやってんだw

37:名無し三等兵
09/08/18 13:00:57
引用してる人は名前欄に何か入れて下さい>例:まとめ/テンプレ etc
このままだとコピペ荒らしみたいですw 

38:前スレ落ちる前にテンプレ作成
09/08/18 15:43:48
艦隊掃海艇
アメリカ オーク級
排水量約900t
速力約18ノット
武装76ミリ砲×1
40㎜機銃2基
20㎜機銃8基
爆雷投射機5基
爆雷投下軌条2条

日本 一号型掃海艇
排水量約600トン
速力20ノット
武装 12センチ砲2門 8センチ高角砲1門 爆雷投射機2基 爆雷投下台6基
機雷50個

日本の掃海艇は二等駆逐艦並の砲力と、駆潜艇並の爆雷を持っていた。
同時期の駆逐艦が18個に対して、駆潜艇や掃海艇は36個。
掃海具の代わりに、機雷50個積んで敷設艇の代わりに使う事もできる汎用的な艦艇。
19号型だけでも、マル4計画で6隻、マル急で28隻、改マル5で36隻と計70隻も計画されている(実際竣工したのは17隻)。


39:テンプレ続き
09/08/18 15:48:06
艦隊型掃海艇をベースに汎用護衛艦を建造するという点に関しては、イギリスも日本と似たようなもの。
違いが出始めたのはビターン級で両用砲と対空射撃指揮装置の搭載テストをしてから。
1936年に海軍省が対潜・対空スループの開発を決定する。
イギリスの場合、キングフィッシャー級スループが建造に手間がかかる割に低性能が判明した結果、1938年からフラワー級コルベットの開発が始まっている。
また、1937年度計画のブラック・スワン級が成功作ではあったが高価すぎ、1939年度計画のハント級が護衛艦としては航続力不足という結果から、1940年に長距離護衛艦として両者の船型をベースにしたリバー級の開発が始まる流れ。


40:名無し三等兵
09/08/18 15:49:55
逆に本来の「艦隊掃海艇」(fleet minesweeping sloops)を名乗ったハルシオン級はグリムズビー級を縮小・簡易化する形で建造された。
これも実際は掃海艇というより小型護衛艦としての意味が強い。
これと1935年のバセット級武装トローラーと対潜艦艇としては失敗作だったがキングフィッシャー級哨戒スループが加わり、
さらにトローラーとスループのストップギャップとしてフラワー級コルベットが計画される流れになってる。

41:名無し三等兵
09/08/18 16:00:32
昭和17年3月1日、大海指第60号
作戦方針
太平洋及び印度洋全域に亘り極力敵海上交通戦の破壊攪乱を計るとものとし~以下略。
同17年6月22日、大海指第107号
作戦方針
1)他の作戦に支障なき限りあらゆる使用可能な兵力及び機会を利用し極力敵の海上交通を破壊攪乱し以て敵国の屈服を促進す。
2)潜水艦の大部を主として本目的の為に使用し兼て好機敵艦船の攻撃に任ぜしむ。
攻撃重点を敵海上交通頻繁なる海域に置き差し当たり其の指向方面を左の順序とす~以下略(どの通商路を重点的に攻撃するか、ここでも水上艦を通商破壊に用いる可能性も書かれてます)
昭和18年3月25日「第三段作戦方針」
「潜水艦作戦の重点を敵海上輸送の破壊に指向し敵の進行企図を阻止すると共に敵戦力を減殺し以て其の屈服を促進するに努む。」


42:名無し三等兵
09/08/18 16:01:25
伊9.10.15.17.19.21.23.25.26の9隻で、昭和16年12月20日頃から、アメリカ西海岸沖で通商破壊戦を行い、撃沈または着底5隻、大破5隻、の戦果を挙げた歴史があるんだね。
伊27潜なんて戦争参加月数26ヶ月のうち、15ヶ月も通商破壊に従事してる。
日本潜水艦で交通破壊戦に従事したのは16年に12隻、17年に太平洋13隻、インド洋24隻、18年に太平洋15隻、インド洋8隻。
予定では17年10月からインド洋で大規模通商破壊するはずが、ガ島戦勃発で中止。

43:ここまでテンプレ
09/08/18 16:03:07
井浦「潜水艦隊」
開戦当初頃は戦艦・空母に対しては全射線を発射するが、商船には1~2本で沢山だというのが日本潜水艦乗員の考え方であった。
しかしその後攻撃を重視するようになって、状況によっては商船に対しても全射線を発射するという風に考え方が変わった。
との記述があるので、命令でもないし禁止されてる訳でもなく、何本射つかは艦長の裁量次第のようだ。

44:名無し三等兵
09/08/18 16:07:59
以上でテンプレ終了
前スレ落ちる前に資料に使えそうなのだけコピペしてみた。
前スレで護衛に間しては出尽した感があるので、今回はまったり進行になるかな。
前スレは不毛な煽りとループで、やたら流れが早かった。

45:名無し三等兵
09/08/19 21:23:11
まとめご苦労さん

>>29であるけど、航空襲撃の方でもかなり脅かされてたからやっぱ護衛空母は重要だよね
つっても技術的に新鋭機を搭載できなかったけど

46:名無し三等兵
09/08/19 21:29:58
護衛空母に新鋭機が積めたら前線につれてかれるぞ。

47:名無し三等兵
09/08/19 21:38:17
その辺は哨戒網の充実とその情報の即時共有システムを構築することで、回避できる可能性は高くなるかと

48:名無し三等兵
09/08/19 21:46:57
>>45
前スレでも通商航路は門司~上海~高雄~海南~サイゴン~シンガポールといった沿岸沿いだから陸上機で充分で、空母イラネだったんだが。
901空では固有の基地でなく、出発から目的地までカエル飛びで船団に同行してたし。
むしろアメリカの戦略爆撃調査団にも、日本が護衛に空母投入したのは失敗だったと言われてる。
改装空母は前線の航空隊に飛行機輸送するのが主任務だし。
大西洋ではアイスランドからカナダまで、航空支援の空白ができるから護衛空母が必要だっただけ。

49:名無し三等兵
09/08/19 21:59:32
本当に必要な護衛空母はガダルカナルの時だった

50:名無し三等兵
09/08/19 22:26:41
載せる飛行機とパイロットがいないんじゃないか?

51:名無し三等兵
09/08/19 22:32:09
本当に必要なのはまともな探知装置+数学的な予測+連合艦隊が優先的にもっていった優れた水測員

52:名無し三等兵
09/08/19 23:29:03
>>13 にあるように、昭和18年までは、駆逐艦1隻の護衛であっても、
・日本軍の被害電報の徹底的収拾
・見張り
・探信儀による探知
ぐらいの手法で情報を得たうえで、徹底的に逃げ回ると、被害なく日本に物資輸送することもできた、
というところがミソだな。

これらをORして普遍化してたら…
本気で護衛したときは、サイパン決戦前に陸軍等を輸送したときのように、
ソコソコ上手く行ったんだよね、実際のところ。

53:名無し三等兵
09/08/20 00:08:29 tUWROHJy
>>52
回避できたとしても
大幅に時間のロスができて
結局は効率落ちちゃうんだろうな~

54:名無し三等兵
09/08/20 01:23:08 5OVMB0MT
なんで玉輸送とか北号作戦は成功したんだろ


55:名無し三等兵
09/08/20 01:33:44
>被害電報の徹底的収拾
聞こえはいいが他の船団はボコられてる訳で
全体の被害となると・・・

56:名無し三等兵
09/08/20 01:50:57
>>52
しかしまあ、>>28-29にあるように
>42年10月から43年5月までに運航された延べ562船団、2364隻で潜水艦に遭遇したのは34船団で6%
被害率は船舶延べ数の0.5%、12隻
>43年11月までは被害率0.74%だったのが、その後の8ヶ月間は3.54%、
会敵率が44年6月には50%、8月には100%を超え、100%を超えた時期で被害率5.7%。

だから潜水艦との会敵率100%超えてからも、逆に言えば残り94.3%は被害受けずに輸送成功してるのよね。

57:名無し三等兵
09/08/20 01:54:02 tUWROHJy
>>54
北号は名提督松田千秋の采配が優れてるからとしか言えん気が。。。

この人はちょっと人外な手腕を見せ付ける

58:名無し三等兵
09/08/20 02:02:50
話は変わるが通商破壊においてどのような種類の船舶を破壊すれば効率的か?
護衛船を破壊するのを優先すべきかそれとも同船団に所属する商船か
商船を破壊するとしたら多くの人的資源が乗っている客船?石油資源を輸送するタンカー?

59:名無し三等兵
09/08/20 07:35:53
>>58
それは船団の輸送目的や護衛の量によって違うだろ。
兵力輸送中なら兵員輸送担当や火器輸送担当がやられると痛い。
資源還送中の船団なら資源搭載してる船がやられると痛い。
襲撃側が潜水艦を沢山用意出来るならば、航路が長い場合は護衛艦
がやられると痛い。

60:名無し三等兵
09/08/20 11:21:52
WW2日本であれば、上りはタンカー・下りは兵員・物資輸送艦がやられると痛いというかメインというか

61:名無し三等兵
09/08/20 11:42:40
航空燃料運ぶ船じゃないかね。
特に高オクタンガソリンは現地調達はほぼ不可能。

62:名無し三等兵
09/08/20 12:13:18
まあ船種で選ぶよりは船の大きさで選ぶ方が無難そうというのはあると思うが。

63:名無し三等兵
09/08/20 15:37:56
>>61
南方(原油)→本土(製油)→前線(高オクタン油)が基本なんだろうけど、
南方(原油/製油)→前線(高オクタン油)ってのはやってたなかったのかな?
パレンバンやバリクパパンとか、凄い設備だったと思うけど。

64:名無し三等兵
09/08/20 17:30:16 KuDtXH6x
日本本土には製油施設がショボイんで
現地で製油したガソリンで日本に運んでいたから
やってるんじゃないか?

ただ、ガソリン輸送船は被弾すると大爆発を起こすから
命がけの二乗だった。

65:名無し三等兵
09/08/20 17:35:42
高速タンカーかな。特に艦隊行動に随伴できる外洋型は数が少ない。
実際、戦争中盤ではこの不足が日本艦隊の行動縛っているし。

66:名無し三等兵
09/08/20 18:08:03
>>63
南方の石油生産量は1940年度が17.8万バレル/日、1033万kl/年だった。
日本軍が占領した42年度は7.1万バレル/日、412万kl/年と4割に低下している。
戦争で一部破壊された設備は燃料廠からの技術者派遣で復旧され、43年度には生産量13.6万バレル/日、788万kl/年まで回復。
開戦前と比較して生産(採掘)量で80%、精製量で55%まで回復した。
パレンバンの第一製油所は42年5月から航空ガソリンの生産を開始、同年9月から第一製油所、翌年1月から第二製油所が部分操業を開始する。
なお日本本土の精製能力は9万バレル/日、パレンバンの精製能力は8万バレル/日と言われている。

67:名無し三等兵
09/08/20 18:18:40
やがて燃料不足で訓練さえままならなくなり、仕方なく現地いって訓練しようとしたら潜水艦大暴れでそれもできず。
結果、マリアナ沖の七面鳥状態になるほど錬度下がるんだよな。
精鋭集めた機動艦隊ですらこれなんだから、ほかは……。

68:名無し三等兵
09/08/20 18:58:41
マリアナの訓練してたタウィタウィ泊地はバレンバンに近いから
燃料は豊富に供給されていたんじゃなかったっけ。

海軍乙事件で艦隊の所在がばれて外洋での訓練が出来ない上に
もともとが練度不足の若い飛行兵だから離着艦や雷撃爆撃の
訓練をしてみたら死亡者が続出したので途中で取りやめになったはず。


69:名無し三等兵
09/08/20 19:05:55
>>68
海軍乙事件で米潜水艦隊はタウイタウイをガッチリマーク。
海軍乙事件で絶対国防圏かつ陸軍航空隊の支援が期待できるビアクに陽動上陸作戦で基地航空隊全滅。

まあ海軍乙事件が全部悪いとしか言いようがないね。

70:名無し三等兵
09/08/20 19:18:57
そのあとのレイテ決戦も台湾沖航空戦で陸軍の判断を
誤らせる大失態をしでかしてる。

海軍乙事件も幻の大戦果も「言いにくくて言えなかった」って
寝小便した子どもじゃないんだからw

戦争後半の海軍首脳は亡国を演出したかのようだ。

71:名無し三等兵
09/08/21 00:54:34
対米戦自体が海軍が勝てませんて言いにくくて言えなかったからだからなw

72:名無し三等兵
09/08/21 01:05:05
開戦後であっても
現状把握に必要な情報のサボタージュを海軍という組織ぐるみで
意図的にやりやがったらどーしよーもねーよ
陸軍も同類だけど

73:名無し三等兵
09/08/21 01:10:13
泥沼の支那事変を3ヵ月で終わると言ったのは何処ぞの馬糞もありましたな。

74:名無し三等兵
09/08/21 01:10:20
大戦後半どころかミッドウェーの大損害も隠してたからな。
国民どころか首相の東條にも報告しなかった


75:名無し三等兵
09/08/21 02:40:19
>>69-74
何やらスレタイも読めないアホが沸いてるようだな。
完全にスレ違いだから、日本軍をけなしたいだけなら他に行ってくれないか?


76:名無し三等兵
09/08/21 03:11:29
南方の基地航空隊は概ね航空燃料の心配はなし、「今日から100オクタン、さすがに調子がいい」との回想もあったりする。
その代わり機材の補給が心配だがな。
リンガ泊地はパレンバンに近く、タウイタウイはミリやタラカンの油田が近く、バリクパパンやルトンの製油所も近い。
海軍乙事件がマリアナ沖に具体的にどう影響したかは知らん。
タウイタウイはレイテ沖でのパラワン水道同様、フリーマントルからバシー海峡への途中にあるし、そんなとこへ大艦隊が集結するばバレて当然。


77:名無し三等兵
09/08/21 03:54:39
搭乗員は定期的に基地航空隊や教官へ異動があるのに、空母搭乗員を最精鋭と考えるのは何故だろう?
ラバウル航空隊や角田の1航艦はそれより技量が劣ると?
因みにタウイタウイ進出5/14、6/13出港。
それ以前は1航戦はリンガで、2・3航戦は内地(岩国佐伯大分)で訓練していた。
1航戦はろ号作戦後の再建中、2航戦は2月までラバウルで戦闘後、従来の搭乗員をトラックに残して内地で再編制。
川崎まなぶ曰く、マリアナ時の空母搭乗員の平均飛行時間は開戦時と大差ない。
小隊長級は概ねベテランで彗星には真珠湾以来の搭乗員も。
若年搭乗員は爆戦隊に多く、19年1月に実用機教程卒もいた。
空戦で主にやられたのは25番積んだ爆戦隊や天山など。

78:名無し三等兵
09/08/21 04:03:36
>>77
中隊長レベルの士官の期を見てみな。
これでマトモな戦闘が出来ると思ってるなら病院紹介するぞ。

79:名無し三等兵
09/08/21 04:38:36
>>75
スレタイに関連する事を言うなら
海上護衛は海軍の仕事だろ
第一次大戦のイギリスの戦訓が有るのに放置
しまいにゃ日本海までアメリカの潜水艦が入ってきて暴れられて
アフォですか?

80:名無し三等兵
09/08/21 04:48:58
>>79のアフォさに唖然w

81:名無し三等兵
09/08/21 06:15:50
南方地域産油量と内地への還送量(万kl)
17年度/18年度/19年度/20年度
原油生産量
412/788/586/104
内地還送量
167/230/79/-
企画院見込み
30/200/450/-
※17年度の企画院見込みが低いのは、石油施設が破壊されると予想した為。
ただし、予想外の戦域拡大で海軍の消費量は開戦前予想の倍になっているので、17年度の石油事情に余裕があった訳ではない。
南方石油精製量(千バレル)
17年度/18年度/19年度/20年度
製油所通油
13870/28396/26845/4448
重油
6963/15013/14466/2166
航空揮発油
2937/5411/5526/829
普通揮発油
2499/3658/2656/600
他灯油・軽油・潤滑油は省略
※なおバリクパパンは19年4月頃から空襲を受けている。

82:名無し三等兵
09/08/21 06:49:57
ちかごろ海防艦萌え

83:名無し三等兵
09/08/21 08:28:14
>>75
旧軍贔屓には残念ながら、いずれも事実。それを貶すとか見えるって事は、君の価値観の問題だw

84:名無し三等兵
09/08/21 08:56:46
17年度は見込みより造船量は少ないものの、船舶被害は想定の範囲内。
何より>>81から石油の内地還送量は18年度まで企画院の見込みを上回ってるから、少なくとも18年度一杯まで石油に困る事はないはずなんだが。
実際は17年末に一旦海軍の燃料備蓄が底をついて艦隊行動制限される位、燃料事情が悪化してるんだよな。
人造石油生産失敗や、海軍と民需の消費量が予想を遥かに上回ったのもあるけど。
これは陸海軍の油田割当て比率が響いてるんかな?
海軍唯一の製油所バリクパパンは、パレンバンと違って破壊されてたみたいだし。
民需も必要船舶の300万トン確保できた試しないから、戦時増産にかなり悪影響出ただろう。
鉄が足りなきゃ造船に、アルミが足りなきゃ飛行機の生産に影響が出てくる。
石油以外にも鉄・ボーキサイト・ゴム・ニッケル・錫・米の輸入が必要だけど、石油含めて民需船舶で賄ってるんだし。

85:名無し三等兵
09/08/21 09:27:11
>>83
ただの煽り罵りで情報価値ゼロ。だから無駄なものは無駄。
君も無駄。
他の真面目なレスを読んで恥じ入ってほしい。

86:名無し三等兵
09/08/21 09:53:27
>>85
83じゃないけど、貶してるように見えるってのは決めつけすぎだろ
つうかあの程度で貶してるってのなら、軍板じゃなくその手の方の
お住まいの板へどうぞ。


87:名無し三等兵
09/08/21 10:12:52
>>82
海防艦のどこに萌えるのん?


88:名無し三等兵
09/08/21 10:35:02
大和よりも海防艦に萌えるという気持ちは分かる。

なんて言うか実際の生産活動を一番身近に防衛した
安価で実用的な兵器って感じ。

89:名無し三等兵
09/08/21 10:41:52
アメリカの産油量は年産2億万klで世界の石油生産量の60~70%を占めていた。
石油生産量は日本の700倍で、日本の消費を賄えると言われた蘭印油田でさえ世界の石油生産量の3.2%に過ぎない。
日本と比較したアメリカの戦時生産は、航空機で4倍、艦艇も対米7割どころか5倍、商船に至っては15倍。
鉄鋼生産は18倍、アルミ生産で5倍。
弾薬生産量なんて独ソでさえ日本の100倍近い。
戦前の両洋艦隊が実現し始める18年以降は、日米の戦力差が決定的になり、前線の崩壊は時間の問題だ。
例え海上護衛を全うできても、18年いっぱいで戦争終結に持ち込めなければ敗戦は免れない。
18年に山本に代わって、連合艦隊長官になった古賀も「最早勝算は三分」と言ってる。
19年以降の戦争継続は残敵掃討状態だ。

90:名無し三等兵
09/08/21 10:57:12
>>88
スーパーカブやダットラのファンが多いようなもんだな。

ガンダムもザクがいちばん人気あるしw

91:名無し三等兵
09/08/21 11:00:10
>>89
航空機は4倍では少なすぎるような。欧州にも回しながら
数で圧倒してるんだし。
鉄鋼は200倍という数値を見たことがある。

92:名無し三等兵
09/08/21 11:22:40 K7Sp1rak
>>89
結局、敵の機動部隊の行動半径に収められたら海上護衛も糞もなくなるんだよね。
日本側もそれをわかっていたから積極防御と称して攻勢にでたわけで。
MDで即効挫折したけどw

93:名無し三等兵
09/08/21 11:42:31
>>89
>>アメリカの産油量は年産2億万klで世界の石油生産量の60~70%を占めていた
開戦前海軍が涙ぐましい努力で貯めていた重油、今の日本の使用量
の確か3h程度にしかならんのだよな。

94:名無し三等兵
09/08/21 11:46:37
>>91
飛行機生産が機数で
42年/43年/44年
アメリカ
47836/85898/96318
日本
8861/11693/28180
その他米/日のピーク時生産量比較
鉄鋼
8100万t/427万t
造船量
1900万総t/170万総t
アルミ生産
70万t/13万t
因みに日本の石油備蓄量のピークは1939年で、5140万バレル。
開戦前日には8割に低下して4300万バレルになってる。
備蓄量の内訳が原油と重油とガソリンでそれぞれどの程度なのかは不明だけど。
備蓄量をKLに直して
陸軍/海軍/民需の内訳は120万t/650万t/70万tかな。

95:名無し三等兵
09/08/21 11:55:34
>>94
KLに直すと言いながら単位が万tになってる…。
比重0.8で計算し直すの面倒。
当時のアメリカの石油消費量やハイオク生産量は現代日本並。
開戦当時の備蓄量は、確か現代日本の消費量で10日分程度のはず。

96:名無し三等兵
09/08/21 12:38:10
>>95
確か源田のパールハーバーでそんな記述があったな>10日分程度

97:名無し三等兵
09/08/21 12:40:40
アメリカ以外を相手にすればまだマトモな戦争できただろうね。

98:名無し三等兵
09/08/21 12:48:25
弱い国を的確にちまちまといじめるなら勝てただろうけど、
海軍陸軍ともに見栄の張り合いがすさまじいことになって
陸軍「俺たちは中国にも勝てるもんね」
海軍「俺たちはアメリカでも勝てるもんね」
と言い合った挙句に収拾つかなくなったと言うか。

99:名無し三等兵
09/08/21 13:03:52
陸軍はソ連だろう。

100:名無し三等兵
09/08/21 14:36:33
ワシントン軍縮条約を機に対米仮想敵をやめて、台湾以北オホーツク海までの西太平洋海上交通確保に専念して外交は対米協調で、と思ったが海軍は外交に口出せん。
別に仏伊みたいに条約枠使いきる必要はないが、せめて老朽艦の代艦建造位はしないとポスト減るしなあ。
それに突出してる内南洋保護が厄介だ。
護衛用小艦艇だけ揃えても抑止力にならんし、当時は戦艦の数が外交上の発言力になったりするから。
せめて米英アジア艦隊と拮抗する位の艦隊は確保したい。
大陸利権は一次大戦後現状維持でいいと思うが、重工業も貧弱で軽工業は中国がライバルになる。
貿易で国際競争力低いのに恐慌をどう乗り切るか…ってスレ違いだわな。

101:名無し三等兵
09/08/21 14:37:47
そうか? 面白い意見だと思って読ませてもらったけど

102:名無し三等兵
09/08/21 15:02:22
まあ要するに日本には全てを仕切る大統領権限も、軍事力と経済財政外交を調整する機関もないから、それぞれの政策にまとまりがないのが致命的だ。
政府が国策決めて、他はその通りにってのが理想だが。
今の自民と民主みたいに、議会で揚げ足取りして首相が変わると国策も変わるんじゃ、軍人には理解できなかったんだろう。
首相変わる度に国防方針変更とか、軍縮と軍拡を繰り返すとかじゃまともな軍備できないし。

103:名無し三等兵
09/08/21 15:02:24
なら日ソ不可侵条約は極東のみ適用なので
ドイツに援兵を送るw

104:名無し三等兵
09/08/21 16:13:01
>>102
そうそう、ホンの数年間隔で選挙が来るような役職がトップだし。
イギリスはその点どうなのかね。日本の元首よかリーダーシップが持てるんだろうか。

105:名無し三等兵
09/08/21 17:17:42
>>104
大戦時だと、国防省として三軍の軍政を一本化。
チャーチルが陸軍大臣兼任。
ドイツなどを調査してきた山下奉文らも、国防省として軍政を一本化することを具申したが取り上げられず。
日本では大臣も軍人がなっていたから文民統制はほぼ無きに等しい。
首相も同輩中の代表程度にすぎなかったし。

106:名無し三等兵
09/08/22 03:38:09
首相が議長程度の権限しかなく、内閣全員一致でないと総辞職する時代。
でも陸海軍が完全に同調すると、逆に対抗できる勢力がいなくなって暴走しても止められない。
226や終戦時みたいに海軍を陸軍の抑止力にできない。
軍事技術や予算調整に平時から軍需省的な役職で調整したり、連絡将校置いて作戦面の調整もある程度は可能だろうけど。
一応日清戦争とかでは、兵部省とか統合参謀本部的なものはあったけど。
無理に組織を統合しなくても、国防方針作成時や戦時限定で、会議や委員会レベルでの調整機関設置は可能だっただろう。
下手に空軍統合とかすると、英独みたいに空母搭載機開発が後回しになって悲惨な状態にもなりかねん。
史実の問題点を解決しようとしても、新たな弊害が発生する可能性は常にあるし、問題点を解決するはずが全く解決にならない事もある。
何が正解だったかは難しい。
大陸進出も日清戦争がなければ、賠償金使って史実ほど近代化や軍拡が急速でなかったろうし、不平等条約改正も遅れただろう。
ただしシベリア出兵以降はどれも失敗だな。

107:名無し三等兵
09/08/22 03:56:13
>>80
能登沖で潜水艦を一隻沈めて喜んでるアフォw

108:名無し三等兵
09/08/22 10:55:26
馬鹿の考え休むに似たり。日本軍人が総じて無能で無責任だからこうなったんだろ。
当人達も真剣に検討せず戦争した、とか平気で言い残しているじゃん。
どう転んでも最後は日本破滅だっただろうさ。
史実以外を妄想するのはほぼ無意味なイフだろうがな。

109:名無し三等兵
09/08/22 11:03:00
>94
機数も、向こうは四発重爆をどんどん作っているのに
日本は単発単座機ばっかりだよね?

110:名無し三等兵
09/08/22 14:55:36
攻めるんだから爆撃機を増やすのは当然だろ?

111:名無し三等兵
09/08/22 14:58:22
ああ、やっぱり400時間の証言スレからの出張組だったか。
機数についてはその通り。
特に1944年は日本は単発戦闘機に力を入れ、アメリカは四発重爆に力を入れた。
機数でなくエンジン生産数なら4倍じゃ済まないな。

112:名無し三等兵
09/08/22 15:03:08
>>110
機数の差以上に実際の差が大きかったと指摘しているだけだよ。
よく言われる話だが、B-17、B-24、B-29の四発爆撃機三機種の
生産数の方が、日本の単発単座戦闘機全部の合計生産数より
ずっと多い、というのが国力の差をあらわしている。

113:名無し三等兵
09/08/22 15:04:34
>>112
そんな常識を今更誰に言いたいんだ?

114:名無し三等兵
09/08/22 16:34:24
改めて
航空機生産数
39年/40年/41年/42年/43年/44年
42年/43年/44年
アメリカ
5856/12804/26277/47836/85898/96318
日本
4467/4798/5088/8861/16693/28180
ソ連
10382/10565/15735/25436/34900/40300
ドイツ
8295/10247/11776/15409/24807/39807
イギリス
7940/15049/20094/23672/26263/26461
ポール・ケネディ「大国の興亡」
バランス型軍備のアメリカに対して、日本は明らかに航空偏重だから、戦車やトラックの日米格差はひどい。
日米GNP比は1940年で10倍、1944年で18倍だから国力的にはこの程度の差はある。

115:名無し三等兵
09/08/22 16:44:06
藤原銀次郎(軍需相等歴任)曰く、各航空会社社長などと話し合って調査したら、
陸海軍の軍人が非効率な対立やめるなど見直しすれば年産四万機はいけた。
日本、特に軍人の自業自得だなこれも。

116:名無し三等兵
09/08/22 17:53:34
アメリカが8万機の航空機を4発まで含めて作っていた時に
一緒に月産で空母を、さらに原爆までやってたわけだからなあ。

リソースの配分に余裕ありすぎ。

117:名無し三等兵
09/08/22 17:57:10
アメリカは第一次大戦の戦訓から民需を軍需で利用する方法を研究してたからな。
シャーマンが民間自動車工場で作ってさえいた、とか。
たいして日本は英米と戦う前にまず日本軍人と闘わなきゃならない、と現場の人間が監督名目でやってきた軍人の無知と横暴に泣くレベル。

118:名無し三等兵
09/08/22 17:57:49
そりゃまあ平時から民生に対してリソースは潤沢に配分してたから。

日本みたいにちょっと余裕ができればすぐに軍艦建造軍備拡張なんてやって、
民間商船建造の助成もまともにしない、都市開発もまともにやらないなんて
ことやってたら、そりゃ戦時になってもリソースがあるはずない。

119:名無し三等兵
09/08/22 18:06:49
軍事偏重を選んだのは日本自身。これも自業自得。

120:名無し三等兵
09/08/22 18:12:06
>>118
商船は助成をかなりやっていたんじゃなかったっけ?

旧式船を廃船にして新造すれば補助金を出してたはずで、
開戦時の日本の商船隊って実は米英と比べても優秀船が揃ってた。

121:名無し三等兵
09/08/22 18:13:13
>>120
具体的に何の数字を持ってそろってた、と主張するんだ?

122:名無し三等兵
09/08/22 18:16:07
相手が悪すぎた、これに尽きる
ムドーがデスタムーア倒そうとがんばっちゃったようなもの

123:名無し三等兵
09/08/22 18:21:03
○相対的に見ると日本は世界第3位の船腹保有国であったが、38年時の
日本に入ってきた総船舶18490隻6200万トン中、日本船は
11456隻3700万トンで、割合にして62%。
他は全て傭船か外国船であった。
載貨量にすると輸出で約3割強、輸入においては約4割弱を外国船に依存していた。
また船腹の内訳を見ると速度12ノット以上の船は全体の10.6%で、
英国の41.1%と比べると優良船が少ないことが分かる。
船齢10年未満の船は13.3%で、これも英国の43%に比べると
劣っていた。
また日本には2万トン以上の船は1隻もなく、37年度以降4ヵ年で
貨物船15万・旅客船15万の高速船舶計30万トンの建造を助成する
計画と、38年度以降4ヵ年計画で2.7万トン級大型優秀船2隻の
建造助成が行われていたのみであった。
これも英国の保有数37隻と比べると大きく劣っている。
快速船もまた少なく、日米開戦前の統計では16~21ノットの船は
英国128隻、米国75隻に対し日本は45隻、21ノット以上になると
英国8隻・米国12隻に対し日本はゼロであった。

URLリンク(www.geocities.co.jp)

124:名無し三等兵
09/08/22 18:31:17
現実は非情である……。
地味にイギリスのほうが船に限って言えば米国優越してたんだなこの頃はまだ。

125:名無し三等兵
09/08/22 18:35:11
>>120
船舶改善施設な。
あれは旧型の船2トンをスクラップにしたらそのぶん新造船1トン分の
建設費を助成するという内容。
つまり質は向上するがトン数は減るように細工されている。
それでそれ以外の新造船支援はほとんどされてない。また実際に新造船
助成を本格的に始めようとはしたんだが、そうした時にはもう日本の造船所は
拡張されていなくて既に満杯、船員もみんな軍需にとられていて船を新造
したくても船員がいない、そのうち鋼鉄なども不足するようになって悲惨なことに。

126:名無し三等兵
09/08/22 18:39:16
旧軍への幻想に浸りたいのなら極東板とかへいったほうが……w

127:名無し三等兵
09/08/22 19:42:54
流れが早くなった。
>>115
それは見方が一面的
軍需省を設置、航空機増産が戦局の急務として、藤原銀次郎行政査察使と随員を派遣。
昭和18年9/22から17日間、名古屋の三菱や東京の中島等の現場を査察。
その報告書によると
労働者の昼夜交代制の全面採用
その為通勤労働者用の宿舎を設置すべし
流れ作業の徹底
鍛造鋳造への移行により、原料資材の徹底節約と屑品の回収
企業系列の整備と協力部品工場の育成強化
大工場である組立工場の拡大と同比率で、下請部品工場も拡大
戦局に影響しない軽工業工場設備の転用
等とともに
発注の一元化・規格統一・機種統合による生産効率化を挙げている。

128:名無し三等兵
09/08/22 19:47:29
>>127
マクロ経営学から見た太平洋戦争 よんでみ。
今はネットでちらっと読みできるありがたい時代だし。
藤原氏本人が陸海軍の対立っぷりを理由の一つにあげているぜ。

129:名無し三等兵
09/08/22 19:51:52
そもそも当時、民需含む国家レベルの生産問題について専門知識もった軍人なんていたんだろうか。

130:名無し三等兵
09/08/22 19:52:29
以上の施策実現で、現状の生産数の5倍の5万3000機生産可能としている。
しかしこれはあくまで100%効率化した場合の潜在能力であって、能力があるのと実現可能かは別問題。
実際はアルミ生産量で資材が制限されるし、部品工場から組立工場への部品輸送、電力供給等が順調で、労働者も昼夜休まず作業しないといけない。
ボーキサイトの輸入が順調で、その為充分な船舶があって他産業完全に犠牲にして、1機種限定生産なら可能かもしれないけど。
充分な船舶確保には作戦縮小して、軍の徴用船舶を減らし、鉄鉱石輸入と製鉄所のフル稼働が必要。


131:名無し三等兵
09/08/22 19:53:42
生産性改善に成功した例として、豊川海軍工廠での25㎜機銃生産が挙げられる。
昭和16年での生産数515挺に対して、19年は20475挺、ピーク時の月産は2700挺。
25㎜機銃の総生産数33000挺の殆んどが19年に生産されている。
この成果は日本能率協会他関係者の努力の賜物で、現場技術者の意見を取り入れつつも彼等の独善を矯正。
製造工程を分析し、材料の選定や工作法の検討(鋳造にできる部分は鋳造にして機械加工を減らす)、専用工作機械の多用により戦前の40倍の生産数を得る事ができた。

132:名無し三等兵
09/08/22 20:01:13
軍需相もしばらくは軍人(東条)が兼ねててたんだよな。その間なにやってた。
縄張り争い繰り返す軍人に辟易して「この仕事引き受けたの人生最大の失敗」と嘆きながらここまでやった後任偉いな。

133:名無し三等兵
09/08/22 20:04:40
「外国の新規種のデータを入手した時は、陸海軍は常に研究の
先陣争いをし、業者は陸海軍の研究終了後にモデルと材料を渡され研究に
着手したため非常に手遅れとなった。
さらに陸海軍いずれにも外国航空機のデータを業者に下付する時には、
ただ一つの制作所を選び、データを与え、その内容なり目的なりは
他社には絶対秘密とされていた。従って陸海軍ともに同一の外国航空機について
内密の調査、改良、試作を別々の会社に命ずるという奇妙な事態が多かった。
また一会社内で陸海軍双方の仕事を行う場合すら陸軍作業場、海軍
作業場と区別されていた」

134:名無し三等兵
09/08/22 20:06:28
>>129
それがジョン・アダムスの言う「神の見えざる手」というものでね。

しかし軍人は民需が神の見えざる手によって発展することよりも、
全ての国家リソースを軍需に動員することに熱中していたようで。

135:名無し三等兵
09/08/22 20:43:02
今、その話題で「400時間の証言」スレが涌いてる。

あんな暗黒財政で戦争突入したことに気分がめいる

136:名無し三等兵
09/08/22 20:47:53
仮に日本軍が善戦したとしても、それは要するに日本軍が招いたいらん戦争の後始末を……という話になるしな。救いようが無い。

137:名無し三等兵
09/08/22 21:57:44
> 発注の一元化・規格統一・機種統合による生産効率化を挙げている。
これがなされなかった元凶の一つが、陸海軍対立じゃないのかな。

138:名無し三等兵
09/08/22 22:53:04
>>132
>それまで何してた?

従来の企画院と商工省を統合して、軍需省を設置したのが18年11月。
1937年設置の企画院にも国家総動員関連の総務部や、生産力拡充調査の調査部がある。
科学動員の為の科学部等もあった。
軍需省ではこれに加え、商工省の機械局、鉄鋼局、化学局、燃料局、電力局を引継ぎ。
軍需省設置の目的は軍需生産管理運営の統合、特に航空戦力の増強にあり、目玉は航空兵器総局と企業整備本部だな。
航空兵器総局長官は陸軍航空本部総務部長の遠藤三郎。
総務局長に海軍航空本部総務部長の大西瀧治郎を据えて、航空機生産の発注・生産の一元化、規格統一・機種統合を狙った。
藤原銀次郎が軍需大臣になるのは小磯内閣から。

139:名無し三等兵
09/08/22 23:05:34
>>138
戦争長年やってたのに、できたのが昭和18年って……

140:名無し三等兵
09/08/22 23:11:21
今の海運会社や船員は海上自衛隊や政府に
「どうせ商船護ってくれないだろう」と冷ややかな目なんですか?

戦争中沈められた船って民間保有ですが。当時の政府って
船員へのや船舶の損害に保障などはしたのでしょうか?


141:名無し三等兵
09/08/22 23:24:11
>>125
>>25に示した通り、老朽船舶更新の船舶改善助成施設は、1932年から三次にわたって実施。
助成分が廃棄分の半分というだけで、
>質は向上するがトン数は減るように細工
という理屈にはならない。
大型高速商船建造も1937年に優秀船舶助成施設で、戦時に徴用する条件で建造費の6割を補助。
>船員もみんな軍需にとられていて
これもわからん。
開戦時配分は
陸軍徴用
519隻/216万トン
海軍徴用
482隻/174万トン
民需用
1528隻/244万トン
で毎年船員育成も、戦時には順次造船設備も拡充してる。
海運や造船の統制は>>18に示した通り。
軍需省設置と同時に海運総局が設置されている。
飛行機より造船の統制のが早く、14年に平時標準船、17年から戦時標準船計画がある。

142:名無し三等兵
09/08/22 23:59:18
>>140
前半部分は直接当事者に聞いてくれ。
後半部分は海上保険とか損害保険の話?
船員保険法は昭和14年からあるけど。
戦後の補償なら、船員や遺族は軍属扱いで恩給受けてるけど。
障害が残れば障害者年金つくし、死亡時は弔慰金が出る。

143:名無し三等兵
09/08/23 00:09:57
>>128
「魔性の歴史」ってタイトルで以前出てて、今は改題された出てる奴ね。名著だ。
URLリンク(www.amazon.co.jp)

144:名無し三等兵
09/08/23 00:25:11
>「どうせ商船護ってくれないだろう」と冷ややかな目なんですか?
それ以前に全員が日本人の船員でその上日本国籍の外航船は絶滅危惧種
自衛隊や日本政府を信用する云々以前に
外国人が日本の為に体張って船を動かすなんて有り得ない状況

145:名無し三等兵
09/08/23 00:51:38
>>139
航空機増産が急務になるのは、ガダルカナル攻防での航空消耗戦が原因だから。
それ以前は弊害が表面化するほど、増産が急務ではなかったからでしょ。
まぁ航空機だけ急に増産しても、搭乗員育成や燃料供給が追い付かないんだけど。
搭乗員育成は2年はかかるから、間に合わせるには2年前から航空消耗を予測せにゃならん。

146:名無し三等兵
09/08/23 00:55:09
>>145
ミッドウェーの時点で、当時の艦載機月産数(1942年6月で66機)の三倍の打撃受けてるのに?

147:名無し三等兵
09/08/23 02:28:21
>>146
南方作戦で陸軍航空隊は588機を損耗したが、549機補充できている。
ミッドウェーでは空母の数も減ったので、むしろ海戦前より定数充足率は上昇してる。
開戦直前は翔鶴瑞鶴の就役で、主に軽空母の搭載機を融通して工面した。
開戦後も祥鳳・隼鷹の就役で、赤城等の定数を減らして搭載機を工面している。
それが海戦後の第3艦隊では、軽空母含めて逆に定数通り充足できている。
この時期の消耗は、まだ従来のやり方でも補充できたのだろう。
軍は発注だけして、増産努力は航空会社に任せていた訳だが、18年頃からそうした従来のやり方が限界にきていたのではないか?
それ以上の増産努力をするには、統制して弊害を除去する必要があると認識されて行政査察や軍需省設置になったんだと思う。
まぁ開戦前まで陸海軍とも、航空機が戦争の主役になるとは認識されてなかったんだし。

148:名無し三等兵
09/08/23 02:32:02
>>147
……南方作戦の時点で既にマイナスで、
空母沈んでどマイナスになったのに定数率で満足して危機感もたなかったの?
だったら本当にひどかったんだな。

149:名無し三等兵
09/08/23 03:46:35
従来のやり方で増産が限界になったのは、18年頃から船舶の損害が増えて原料や資材の入手が困難になってきたからだと思う。
その影響はニッケルとかの希少金属不足で、代用資材使ったら製品の質が低下とか、電力やら何やらの不足にも影響する。
だから従来より限られた条件で、より効率よく増産する手段を模索したんだと思う。

150:名無し三等兵
09/08/23 07:57:25
>>143
数字に印象操作が加えられていたり、比較が不公平だったりと
旧軍批判ありきの著者だからそこらへんは気をつけて読む必要がある本なんだが。

151:名無し三等兵
09/08/23 08:00:41
読んでいてもあんまり内容も感じられなかった気もするしね。
なんか統計グラフだけで説明できるような内容のものを延々と
字面で説明されてるだけという気も。

152:名無し三等兵
09/08/23 08:55:51
>>144
>外国人が日本の為に体張って船を動かすなんて有り得ない状況

外国軍は集団的自衛権を行使する軍隊だから、命令があれば
他国の商船でも守るよ。イラクでも他国軍が自衛隊への
補給トラックを守ってるし。

今回のソマリア派遣は、日本としては驚いたことに、日本籍でない
船でも積み荷が日本にとって重要ならば護衛できると、かなりの
拡大処置をとっていて評価できる。

153:名無し三等兵
09/08/23 09:15:00
  |\_/ ̄ ̄\_/|
  \_|       |_/
    (^  ▼ .〈▼ リ
    .しi   r、_) |
      |  `ニニ' / <ageはオレが育てた
     ノ `ー―i´
    <^(_●Y●_>   /))
    < < 〉】爻【ヽヽ,/ (( .
.     (_ノl^~▼〕 じ    )).
      / /|´ |     ((..
     イ / | l        ))
       し!  ヾ_)     ν

154:名無し三等兵
09/08/23 10:35:52
アダム・スミスのinvisible handがいつのまにかジョン・アダムスの「神の見えざる手」に変わったんだね

155:名無し三等兵
09/08/23 11:28:16
>>152
同盟国や共同作戦中の軍人の話じゃなくて
雇われて船を動かしてる船員の話なんだが。

156:名無し三等兵
09/08/23 11:40:12
さらに言えば

>外国軍は集団的自衛権を行使する軍隊だから、命令があれば
>他国の商船でも守るよ。

さらに言えばそんな理屈が通るなら、自衛隊の派遣なんていらない
他国が派遣した船におまえら日本の船も守れよと言って日本は何もしなくてよい
それじゃあ幾等なんでも不味いだろw

157:名無し三等兵
09/08/23 13:10:21
>>150
>>151
本当に読んだのか?
多分同一人物のレスだと思うが、短い感想だけで矛盾ってw
主眼は藤原氏の回想なんだから、信用できないというのなら別の本でもいいじゃん。

158:名無し三等兵
09/08/23 14:44:04
>>157
いや森本氏の本の方を言ってると思うぞ。

自分も読んだが、確かに統計資料を読み上げてページを稼いでいる内容で早々にギブアップした。

159:名無し三等兵
09/08/23 18:05:39
じゃあ戦略爆撃調査団が調査した当時の生産関係の証言とか(日本戦争経済の崩壊)は?
あっちもその藤原氏の証言はじめ、なかなか強烈な内容。
軍需省できても陸海軍が対立して権限渡してくれないんで、計画管理の一本化さえできず自体は常に煩雑化。
資材分配なんぞは声のでかい奴が勝つつかみ合いで決まった、なんて書かれているほど。

160:158
09/08/23 18:29:28
>>159
まあまあ落ち着けって。
俺はこのスレでは158が最初のレスだし、駄目だといってるのは森本氏の本の書き方だ。
藤原銀次郎の証言についてはお前さんが挙げたソースのとおりで、戦後の証言なので多少の色はあるにせよ、
大筋では正しいと思っているからな。




161:名無し三等兵
09/08/23 22:14:51
最近脱線気味なので軌道修正しておこう。
日本の造船は戦後の昭和31年に商船建造では世界一となった。
開戦時の保有船舶は600万トンで、それは18年10月に500万、19年2月に400万、同9月に300万、20年1月に200万、終戦時には138万トンになって日本商船隊は壊滅した。
開戦時に民間造船能力の30%が艦艇建造に充てられ、商船建造能力の限界は50万総トン(17年度の実績40万総トン)。
当時の日本は石油を除いても年間6000万トンの物資が必要で、それの輸送に300万トンの船舶を必要とした。
造船能力拡充の為に17年11月には、量産に向いた第2次戦時標準船を計画。
終戦までに1000トン以上の船舶を建造可能な船台は149基(海軍工廠除く)に増え、うち53基を艦艇建造に、残り96基を第二次戦標船の建造に充てれば年間造船量は250万総トンになると試算された。

162:名無し三等兵
09/08/23 22:17:24
18年度の造船目標は75万トンから120万トンに引き上げられた。
内訳は戦前からの続行船21万トン、第1次戦標船63万トン、第2次39万トンである。
これは造船能力の限界(180万トン)よりも資材供給の限界が影響している。
対するアメリカは開戦時に2000トン以上の造船が可能な造船所が、海軍工廠8ヶ所、民間24ヶ所。
戦時中にそれは99ヶ所に増え、戦争期間中に建造された民間船舶5600万トンのうち、4160万トンは新造船所での建造だった。

163:名無し三等兵
09/08/23 22:21:23
だからコピペなら引用元を明示しろと……

164:名無し三等兵
09/08/24 01:02:25
日本の造船状況についての出典は、
小野塚一郎「戦時造船史」
アメリカのは
総力戦資料室てHPからだ。
携帯だからURLは貼れない。

165:名無し三等兵
09/08/24 01:12:07
ついでだから
戦艦/空母/巡洋艦/駆逐艦/海防艦/飛行機(海軍機のみ)
開戦時保有数
10/10/41/111/64/4/1200
開戦後竣工数
2/15/6/63/126/168/30259
表から開戦後は航空機と空母、小艦艇建造が優先されてるのがわかると思う。
甲型海防艦(占守型から鵜来型まで)や呂35型(中型)等後期の潜水艦に搭載した22号ディーゼル。
従来のディーゼル機関より量産に適しているとはいえ、ピーク時でも月産10基。
実際にこの機関を搭載して戦時中に完成したのは、甲型海防艦51隻と潜水艦31隻のみ。

166:名無し三等兵
09/08/24 01:25:11
平均で言えば月産6基程度のペースだ。
飛行機同様、造船も機関製造能力が量産の隘路(潜水艦の場合は潜望鏡と電動機もネック)。
実際には更なる増産が必要だったので、海防艦は速力低下を偲んで駆潜艇用の23号乙8型ディーゼルや、戦時標準船用の甲25型タービンを使用。
潜水艦は船体も小型にして呂100型に24号ディーゼルを積んだ。
よく大型で複雑な伊号潜よりも中型の呂号を通商破壊用に量産、という主張を見るが機関を独占した場合でも、最大で年間60隻以下の生産しかできない。
そして太平洋での行動を想定するなら、ガトー級程度の規模が必要になる。
通商破壊用潜水艦としてドイツから譲渡されたⅨC型を参考に、日本でも戊型(伊200型)の一本化建造を計画したがこれは実現せずに、水中高速型(伊201型)計画にシフトした。
戊型の性能は排水量1250トン、速力19.5ノット、航続力は16ノットで1万6000浬、12ノットで2万浬であった。
※これコピペじゃないから出典なしね。
いろんなとこ参考にして書いた文章だから。

167:名無し三等兵
09/08/24 02:08:58
>>166
中型潜水艦を最大で60隻量産できるというのを訂正。
機関の平均月産6基から計算して、潜水艦1隻に2基ずつ積むから年間36隻程度だな。
それでもその22号ディーゼル搭載を予定していた戊型は、92隻の建造を予定していたらしいが。
そんなに建造できるんだろうか。

168:名無し三等兵
09/08/24 02:22:23
よく米軍並みの物量はない、というが。
じゃあそれは日本軍の手持ちでできる範囲ですらケチったり軽視したり陸海軍対立でやらなかったりしたことへの弁護になるんだろうか……。

169:名無し三等兵
09/08/24 03:08:37
>>168
ケチるってか、飛行機も造船も19年のペースで生産力拡大したら、戦後その反動で戦争に勝っても負けても破産するから。
あれはもう戦後を考慮せずに、なりふり構わず増産に専念したからできた事。
ミッドウェー位の時期だと企業も、戦争終わったら一気に受注が減るから、下手に設備投資すると不良債権回収できずに倒産しかねないと慎重だった。
それは一次大戦後の造船不況見てもわかるだろう。
造船会社は日露戦後にも不況を経験し、従業員を半減して政府の保護政策受けて何とか不況を乗りきった。
一次大戦後は海軍工廠でやるべき建造や修理まで、民間に融通して発注し保護に努力している。
助成施設で補助金出したのも不況対策。
本当は東京オリンピックで好景気になるはずだったんだが。

170:名無し三等兵
09/08/24 03:17:05
>>169
もう対米開戦前にGNPが縮小に入っているから、その意味じゃ手遅れなんだけどなw

171:名無し三等兵
09/08/24 03:21:45
昭和16年度の時点で80億円以上の公債(ぶっちゃけ借金)発行しているからな。
ざっと歳入の五割以上という。
経済云々いうのなら、対中戦だけでもう限界。
当時の財務関係者はよく誤魔化したもんだよ。
敗戦後の清算ですごいことになったけど……。

172:名無し三等兵
09/08/24 03:35:36
頭痛いな。国力限界振り絞ってもまず勝てない相手に戦争しつつ、戦後の反動不況恐いじゃあ。
まぁ現実にはフルボッコ敗戦の挙句借金てんこもりという最悪の結末なわけだが。

173:名無し三等兵
09/08/24 03:45:39
造船見積もり

開戦第一年度:45万総トン
第二年度:60万総トン
第三年度:80万総トン

開戦前の計画じゃあ、順次拡充していくはずだったんだがなぁ。
例によって対米戦強硬派が建てた甘い見積もりだったわけか。

174:名無し三等兵
09/08/24 03:52:08
いや、日本軍が航空兵力の増産に傾注する戦時航空兵力造成計画を立ち上げるのミッドウェーでの打撃に衝撃を受けてのこと。
流石にあの大敗から何も感じなかったわけじゃない。

175:名無し三等兵
09/08/24 03:52:45
>>171
英仏は言うに及ばず、アメリカも一次・二次大戦とも公債と増税はすごい事なってる。
一次大戦の戦費が300億ドル、二次大戦が3000億ドルだから。
一次大戦で財政収入に対して232億ドルの赤字になり、個人所得税を戦前の7%から77%へ。
二次大戦の軍事予算は財政支出の9割を占めてるし、意外とアメリカも苦労したんじゃなかろうか。
レンドリースもソ連は踏み倒すし、イギリスは最近やっと60年かけて払い終えた。

176:名無し三等兵
09/08/24 04:02:49
つくづく戦争って救いようがないな
しかも仕掛けられたのならともかく、仕掛けた側だからな日本

177:名無し三等兵
09/08/24 04:07:46
URLリンク(www21.tok2.com)
 【質問】
 ソ連のレンドリースの代金はどうなったのでしょうか? まさか踏み倒したのでしょうか?

 【回答】
 第二次大戦終結後すぐ米ソは冷戦に突入した為,レンドリース代は長い間未払いのままだったのですが,
米ソの関係修復が行われた72年にレンドリース代支払いについての交渉が始められ,1990年の6月に返済に
ついて合意したそうです.丁度,ゴルバチョフ書記長のグラスノスチの頃ですね.
 ただし,ソ連側は代金を「この兵器は役に立たなかった.M3中戦車とか(笑)」とかゴネまくって,かなり値切り,
支払ったのは米側が提示した金額の半分以下です.因みに今でも払っています.

178:名無し三等兵
09/08/24 04:16:03
>>168,172,176
スレを無駄に消費するだけだから、いちいち個人的感想を書き込まなくていいから。
>>173
実績は戦争一年度40万総トン、二年度118万総トンとほぼ達成してるが?
戦時中350万総トンの造船してるんだし。

179:名無し三等兵
09/08/24 04:16:51
日本の場合、じゃあ採算度外視で生産しようとしても。それを可能にする施設と原料におのずから限界が……
資源は支配地から運ぶしかないものがホトンド。
だから多くの場合、海上護衛の問題に敗因が帰結するわけだな。

180:名無し三等兵
09/08/24 04:24:00
>>178
それは軍艦含んで、じゃないの。>>173は造船見積もり、とあるからそれ以外でしょ。
その場合、たとえば昭和17年度分は142隻40万トン。
しかも以後は数字上のトン数はともかく、性能が落ちる戦時標準船に切り替わっていくから質的低下という側面も見逃せない。

181:名無し三等兵
09/08/24 04:35:15
こんなに苦しいのに、当の参謀本部や軍令部はカネだよカネ、と危機煽って予算もらえて大喜びという状況だからな。しかも当時の公債の多くは強制的に国民に買わせたものだし・・・

182:名無し三等兵
09/08/24 04:43:55
たいしてアメリカさんはリバティー船約1944万総トンを建造(太平洋のみに振り向けられたわけじゃないが)。
この格差は笑うしかないな。

183:名無し三等兵
09/08/24 04:54:20
輸送できる船が沈む→資材が減って補充生産できない→さらに劣勢になり輸送船が沈められる→戻る

の悪循環
いきつく先は筏輸送やら袋に石油詰めて船に引かせて運ぼうっていうトンデモ案とか

184:名無し三等兵
09/08/24 13:32:53
そもそも資源足りないからってことで戦争はじめたんだろ?
じゃあその資源を運んで有効活用する方法はほとんど度外視ってなんだったんだろうな。
昨今のゲーム厨じゃあるまいし、資源地帯とったら自然に収入になると思ってたんだろうか。

185:名無し三等兵
09/08/24 13:38:29
船舶がそもそも不足していた

186:名無し三等兵
09/08/24 14:26:26
>>185
足らないのは船舶に限らんでしょ。
インフラも工業施設も、そもそも国民の工学的素養すら足りてなかった。

187:名無し三等兵
09/08/24 14:32:13
その足りないものを満たすための船舶が足りない

188:名無し三等兵
09/08/24 15:09:45
まあ予算も足りないし人員も足りないしで船舶を増やせなかったんだけどな。

189:名無し三等兵
09/08/24 20:35:55
前にアメリカの護衛駆逐艦が短期間で日本潜水艦まとめて撃沈したって話があったけど。
逆に日本側でもっともアメリカの潜水艦を沈めた艦艇ってどれかわかる?

190:名無し三等兵
09/08/24 22:30:22
アメリカ海軍の潜水艦の損害は41隻とガトー級を180隻建造と考えると
小さい数字と片付けていますが、意外と多いかもしれない。

191:名無し三等兵
09/08/24 22:35:23
>>189
日米ともに単艦で複数隻の潜水艦を撃沈した艦はなかったと思うけど。
日本海軍が撃沈した潜水艦48隻
「Albacore」「Amberjack」「Argonaut」「Barbel」「Bonefish」「Bullhead」「Capelin」「Cisco」「Corvina」「Escolar」「Flier」「Golet」「Grampus」「Grayback」「Grayling」「Grenadier」「Growler」「Grunion」「Gudgeon」「Harder」「Herring」
「K VII」「K XVI」「K XVII」「K XVIII」「Kete」「Lagarto」「O 16」「O 20」「Perch」「Pickerel」「Pompano」「Porpoise」「Robalo」「S-44」
「Scamp」「Sculpin」「Sealion」「Shakespeare」「Shark(I)」「Shark(II)」「Snook」「Stratagem」「Terrapin」「Trigger」「Triton」「Trout」「Wahoo」
喪失原因は自分で調べてくれ。

192:名無し三等兵
09/08/24 22:38:39
撃沈じゃないけど、
特設哨戒艇第五恵比寿丸(131トン)。
17年5月10日には浮上してきた米潜水艦「シルバーサイズ」と7.7mm機銃+38式歩兵銃で応戦。米潜は一人戦死、艦橋損傷。
18年4月30日には今度も浮上してきた米潜「スコーピオン」を相手にまた7.7mm機銃で応戦、米士官1人戦死、3人負傷。
なんてのもある。
ついでだから日本の通商破壊戦果
商船約1000隻250万総トン、うち日本海軍潜水艦の戦果約180隻90万総トン。
捕獲、接収約360隻70万総トン(1000総トン以上の捕獲商船は200隻程度)
Japanese Submarines accounted for about 184 Merchant Ships with a tonnage of 907,000 tons. This included 98 US Ships of 520,000 tons..

193:名無し三等兵
09/08/24 22:44:44
>>191
アメリカの護衛駆逐艦イングランドが1944年5月19日から13日間で日本の潜水艦6隻を撃沈

194:名無し三等兵
09/08/24 22:52:45
>>192
そんな粗末な装備で凄いな。

195:名無し三等兵
09/08/24 22:53:15
>>191
その損害って機雷に触れたと想定されるものも含めての損害だよね?

196:名無し三等兵
09/08/24 23:04:29
>>193
海軍作戦年誌調べてみたら確かに伊16がソロモン、呂104、呂105、呂106、呂108、呂116がアドミラルティ北方で撃沈されてるな。
>>195
個艦の喪失原因まで調べてない。
確かハーダー、スキャンプ、トロンプ、ボーンフィッシュあたりは海防艦の戦果。
多分艦艇より飛行機による戦果のが多く、前にも書いたけど、喪失原因は不明とされる艦が多い。
通信が途絶えて亡失認定扱い。
日本では現場の戦果報告と米軍報告の数の違いから、ソ連潜が密かに参戦していて、それを撃沈した報告もあるんじゃないかとの説もある。

197:名無し三等兵
09/08/24 23:09:48
太平洋から大西洋戦線に移動しようとしたソ連潜水艦の行方不明は日本軍の誤攻撃によるかもって説あるな。

198:名無し三等兵
09/08/24 23:40:59
>>180
いや軍艦・艦艇は含まない。
18年度造船計画の内訳は、
戦前からの続行船67隻20.9万トン
第1次戦標船174隻62.6万トン
第2次戦標船285隻38.9万トン(うち2E型250隻21.7万トン)
被曳航油槽船39隻2.5万トン
計565隻124.9万総トン
第1次戦標船は平時標準船と殆んどかわらないから、質も高い。
第2次戦標船は機関製造能力が船体建造に追い付かなくて低速で、資材節約に鋼板薄くしたり二重底廃止したりしたけど。
3次以降は造機能力も向上して平時並の速力に回復。
でも戦標船でも戦後も使われたり、焼玉エンジンで乱造されたE型以外はそんなに悪くもないんじゃないか。

199:名無し三等兵
09/08/25 00:00:47
>>198
うち建造できたのは76万トンにすぎないけどな。
たいして喪失は179万トンに達する。

200:名無し三等兵
09/08/25 00:04:56
見積もりの三倍から五倍に達する損失見積もりよりはまだマシだが、建造計画もアレだったな……。

201:名無し三等兵
09/08/25 00:10:07
損失量が凄まじすぎる。年度によっては質はともかくトン数的に目的を凌駕したときもあるが、失う船がその数倍だから手がつけられん。

202:名無し三等兵
09/08/25 00:13:11
>>199
いや年じゃなくて年度計画だから。
18年4月から19年3月までの計画で、実際の造船実績は118万総トンだった。
元々供給資材が120万トン分だったから、これが上限になった。
計画自体当初は75万トンだったのを120万トンに引き上げてる。
18年度の民間造船所造船能力の限界が180万トン。
開戦前は民間造船所の30%を艦艇建造に充てて、商船建造は50万トン程度が限界だったので、18年度の造船能力は3倍以上になってる。

203:名無し三等兵
09/08/25 00:30:17
沈められるために造ってたようなもんだなこりゃ
当然撃沈船には人が乗ってるから、軍人より高い船員戦死率も当然か

204:名無し三等兵
09/08/25 00:49:53
造船できても、実働できないと意味ないしね。資源、石油の輸送量は落ちる一方。
最後には戦闘艦まで輸送船がわりとか。

205:名無し三等兵
09/08/25 02:03:34
何やら必死に印象操作しようとしてるのがいるみたいだが、何なんだろうか。

206:名無し三等兵
09/08/25 02:46:32
元々劣位なんだよ、船舶の質が。
開戦時に日本全体で634万トンの船腹があったが、
うちタンカーは一割に満たない。
その一割をさらに作戦のための海軍徴用と分け合い、資源輸送に実働できたのはせいぜい20万トン前後。
アメリカ軍はそれを狙い撃ち。

207:名無し三等兵
09/08/25 02:57:12
輸送船舶の可動率ってどんなもんだったの?
過去スレ探ると、

タンカーは1945年(昭和20年)8月には25万トン(うち稼動6.3万トン)に減少

みたいなレスはあったんだが。おおむね過半いかなかった?

208:名無し三等兵
09/08/25 03:18:11
「 同様に、奇妙で、ほとんど愚かしかったといえることは、島国の日本が自身のライフラインである商船隊を守ることを怠っていたということである。このことは、日本の戦争指導者たちが、
防衛的な戦争という事実に直面することを拒否したと推測する以外は説明のしようがない。
 その証拠に、1942年~43年の間、日本海軍は空母20隻の建造を決定したが、それらは防衛戦略に役立つものではない。そして「大和」級戦艦の船体を利用して、スーパー空母「信濃」に改造した。
この同じ資材から、彼らは駆逐艦と小型の護衛艦を数百隻建造できたはずだ。1943年末にいたるまで、護衛艦隊は編成されず、十分な量に達するにはいたらなかった。

 日本が終戦を迎えたとき、その対潜装備は開戦時と同じだった。非常に正確に作動する爆雷も、航空機搭載用対潜爆弾もなかったのである。彼らは敵潜水艦に損傷を与える爆雷を、
どこに投下するかという主に数学的な方法を解決できなかった。日本は対潜攻撃法を手中にできず、そして米潜水艦を攻撃したときには、いつでも撃沈したとひとりよがりに考えていた。
彼らが多くの撃沈の機会に恵まれていたことは、われわれの航海記録が示しているが、勝利に結びつくことはなかった。」

(サミュエル・E・モリソン 『モリソンの太平洋海戦史』)

209:名無し三等兵
09/08/25 03:23:00
日本の戦中タンカー保有量が最高だったのは昭和19年1月で約87万3千トン。
が、この年日本に南方から送られた油は79万キロリットル。
前年の230万キロリットルと比べると半分以下。

210:名無し三等兵
09/08/25 03:40:45
生産できても輸送できず、か

211:名無し三等兵
09/08/25 03:49:16
そりゃ船ばかばか沈められて、その上陸海軍にも徴兵されるから船員の多くは三ヶ月程度の訓練しか受けてない促成少年船員が多くなる。これで稼動率上がったらそのほうが異常。

212:名無し三等兵
09/08/25 04:06:55
〇 わが国船舶(商船・漁船・機帆船)の被害と戦没船員

URLリンク(www.kenshoukai.jp)

213:名無し三等兵
09/08/25 04:28:43
タンカーだって重油がないと動かないんだぜ?
必死に造船して帳簿上のトン数が増えたって、燃料が不足しているんだから動けなくなるのは当然のこと。

214:名無し三等兵
09/08/25 04:36:51
○日本は基礎資材として絶対必要な鉄鋼の生産量が少なく、43年の
生産量でも560万トン前後にとどまった。
そのため民需と軍需両方を同時に満たせるだけの供給が出来ず、艦艇を増強しようとすれば
商船建造を減らし、商船を建造するためには艦艇建造を減らさざるを得なかった。
37年の一般商船建造は44万トンで艦艇は6万、41年の数字を見ると
商船24万・艦艇23万と艦艇建造が増えた分商船が減っている。
しかし鉄鋼生産能力を拡大しようにも鉄鋼石や石炭を運ぶための輸送能力が
著しく不足しており(具体的には年産1千万トンの能力をめざそうとすると、
114万トンの輸送船新造が必要になる)結局それも画餅に帰せざるを得ないと
いう有様であった。

また、この鉄鋼生産量の貧弱さには、国の時代錯誤的な政策も関係していた。

URLリンク(www.geocities.co.jp)

215:名無し三等兵
09/08/25 04:40:27
>>206
別に輸送に支障のない最低限の質であれば、他国より船舶の質が高い必要はないと思うけど。
総船腹量の一割以上タンカーを保有してる国なんてあるか?
他にも輸送するものは色々あるのに。
>>32にもあるように18年には、保有タンカー83万総トンの3/4が内地への石油還送に従事していた。
>>207
終戦時は空襲でやられて大破着底、修理もされず放置で稼働率低いのは当然だよ。
少なくともフィリピン戦が始まる前はそんなに稼働率は低くないとは思うが。
まあ港湾設備が貧弱で、港に着いても荷揚は段平船でバケツリレーで、荷揚が完了するまで1ヶ月かかったりとかするけど。
現代みたいなコンテナ船でもないし。

216:名無し三等兵
09/08/25 04:46:49
>>209
19年の石油内地還送量の低さは謎なんだよなあ。
フィリピン戦でシーレーン途絶してからはわかるんだけど、それでも少なすぎる。
戦時中のタンカー就航量(総トン)は
41年
12月57万5500
42年
6月57万9800
43年
1月67万0500・6月77万5400・11月83万4400
44年
1月78万1200・6月77万5400
45年
1月62万7100・3月56万2100・6月28万8000・8月24万7850
だから43年11月をピークに、タンカーの保有量自体はフィリピン陥落後も45年2月まで開戦時以上の量を維持してるのに。


217:名無し三等兵
09/08/25 04:48:21
23 :ゆうか ◆9a1boPv5wk :2009/05/08(金) 00:33:40 ID:za9Ei/WP
>20
シーパワー91年12月号 真珠湾以前の各国海軍の軍備拡張計画(前編)より

>1939年6月30日現在の世界のタンカー保有量の合計は1127万5千トンで、
>そのうち英国は435隻320万トンを、フランスは43隻29万4千トンを保有していた。
>(連合国の合計は350万3千トンであった。)

>ドイツの商戦保有量は430万トン、イタリーは330万トンであった。
>しかしいずれもノルウェーの460万トンより少なかった。
>ギリシアは・・・(中略)・・・190万トンの商船隊を保有していた。
>オランダは合計290万トンで、フランスの戦前の保有量は300万トンであった。



>日本のタンカー保有量は僅か45隻、49万2千トンであった。

>枢軸国の中ではイタリーが最も多くのタンカーを保有しており、82隻(42万6千トン)であり、
>ドイツの32隻(24万9千トン)がこれに次いだ。



ま、こんなとこで。

218:名無し三等兵
09/08/25 05:16:33
マリアナ沖海戦のような海軍の作戦のために、タンカーを確保しておかなきゃいけないんで留めおいたとか……
ただでさえ当時は随伴可能タンカーがトラック空襲とかで枯渇して、あ号作戦自体を制約して考えないといけない状況だったらしいし。

219:名無し三等兵
09/08/25 05:25:37
>>214に、

当時の日本の港湾は荷役能率が悪く、本来動くべきものが
半分は泊まっているという状態であり、また近海不定期船は1月のうち
半月~20日は港に停泊している状態であった。
事実、38年3月29日の不定期貨物船配船状況を見ると全体で合計
756隻に対しドッグ入り・繋停等で輸送可能状態にない船が187隻もあった。
また船込の著しい例となると、39年大連に沖待30隻、滞船日数20日を
超えたものや、八幡に1月の滞船を見たというケースがあった。

とある。他にも老朽船がトン数からみて過半とか、不安材料にはことかかないな。
あらかじめこういう質的な面も考慮して見積もった可能性は……ないだろうなぁ。

220:名無し三等兵
09/08/25 05:28:41
>>207
20年3月からB29による機雷封鎖が始まって、主要港湾や瀬戸内海は封鎖されてる。
空襲だけでなく動けば機雷に引っ掛かる状態で、終戦後も暫くは掃海作業が大変。
おかげで戦後は世界有数の掃海隊を保有するようになった。

221:名無し三等兵
09/08/25 13:58:20
濃い内容のスレだな

222:名無し三等兵
09/08/25 17:38:45
>>211
昭和18年の海員養成所でも養成期間は1年だが、3ヶ月のソースは?
米英は戦没者は少ないが造船量が日本よりずっと多い。
それに充てる新規の船員も日本より大量に養成してるはずなので、それは稼働率が低くなる理由にはならないだろう。
少年だろうと大人と同じ船員教育受けてるんだから。
それと気になったのは、船員戦没率43%てのは徴兵で戦死した分も含むのか?


223:名無し三等兵
09/08/25 18:03:11
>>222
>>212

練成の実態については

ダンピールの海 戦時船員たちの記憶 土井全二郎著

をお勧めする。いかに当時の船員が軍から冷遇されていたかよくわかるよ。


224:名無し三等兵
09/08/25 19:11:41
船員から海保いったじいさまから苦力の死体ゴミ扱いされてたのよう聞いたわ

225:名無し三等兵
09/08/25 20:09:18
前にも出ていた、兵隊からもったいないから負傷しても薬つかうな、お前らは舐めて治す猫以下だとか言われたやつとかか。

226:名無し三等兵
09/08/25 23:02:37
少年船員は最初は教育なしでいきなり乗せていたという話じゃ
なかったかな。確か「海なお深く」にあった。(今手元にないが。)
全く役に立たないどころか、撃沈されても逃げることすら出来
ずに千島の海に多数がのまれるという惨事を踏まえて、三ヶ月
の速成教育だけでも受けさせようということになったとか。

少年船員の速成教育に関しては、「撃沈された船員たちの記録」
(土井全二郎)にも記述があるね。
…(略)
そこで17年、「戦時船員需給対策要綱」により、国民学校高等科
(二年制)卒業生を対象にした普通海員養成所がつくられている。
三ヵ月の速成教育であった。
…(後略)
同書には14歳で乗り組んでいた少年船員の方の回想も載っている。

227:名無し三等兵
09/08/26 01:31:50
URLリンク(www.lib.kobe-u.ac.jp)
新聞記事文庫 海運(34-266)
日本工業新聞 1942.5.25(昭和17)
に、
>政府は二十五日の閣議で戦時船員需給対策を諮り造船計画と同時に今議会に船員
>教育設備拡充に要する予算案を提出することになったが、この対策は第七十九議会
>でも種々問題となった船員最低年齢を引下げ「国民学校修了者を直に船員として乗組
>ましめ得る」ようにし、更に高等船員及び普通船員の養成施設を拡充、増設することに
>なったのである
(「」はここで追記)
とあるね。
昭和17年5月26日の閣議決定「昭和17年度国民動員実施計画策定ニ関スル件」では
労働年齢下限を14歳からに引き下げているようなんで、これに対応しているようですね。

228:名無し三等兵
09/08/26 02:22:24
陸海軍が持分奪い合う状況って、制度上は天皇が仲裁しないといけなかったんだけどね。
現実に近代戦を一人の人間が統御するなんて無理。
ってかモデルにしたプロイセン=ドイツ自体がもう第一次大戦で破綻し、最高司令部独裁といわれる状況になってたのに。

229:名無し三等兵
09/08/26 03:20:41
第一次大戦の時のプロイセンの首相の影の薄さは異常w

230:名無し三等兵
09/08/26 09:44:35
>222
少年船員は昔の見習い水夫のつもりだったろうから、ここでの
話とは少し意味合いが違うね。
ただ、
〉米英は戦没者は少ないが造船量が日本よりずっと多い。
〉それに充てる新規の船員も日本より大量に養成してるはずなので、それは稼働率が低くなる理由にはならないだろう。
これは違うんじゃない?
たんに人数を増やすだけなら、ベテランを分散させておいて
そのしたに新米を配置することができるし、新米もやがて中堅
に成長する。
損もうが大きすぎると質は低下するだけだからね。ベテランが
亡くなっていき、新米も新米のまま亡くなる状況ではどうにも
ならんでしょう。

231:名無し三等兵
09/08/26 20:02:57
戦時日本油槽船保有トン数の推移
日本へ輸送中 陸軍徴用 海外徴用 日本沿岸用 就役可能合計
1941年12月    0万トン 1.3万トン 16.0万トン 33.7万トン 51トン
1942年12月 42.8万トン 1.3万トン 16.0万トン  2.0万トン 62トン
1943年12月 60.6万トン 1.3万トン 17.2万トン  2.0万トン 81トン
1944年 6月 62.7万トン 1.3万トン 11.0万トン  2.0万トン 77トン
12月 71.6万トン 1.3万トン  6.4万トン  2.0万トン 80トン
1945年 1月 70.0万トン 0.3万トン  6.0万トン  2.5万トン 78トン
6月  6.5万トン 0.3万トン  2.7万トン 12.6万トン 25トン
8月  3.5万トン 0.3万トン  2.5万トン  3.9万トン 10トン


URLリンク(www.luzinde.com)

232:名無し三等兵
09/08/27 00:56:00
>>123と214は森本忠夫ソースだな。
一部に彼らしい印象操作がある。
まず平時の海上輸送で傭船や外国籍は珍しくないし、現代日本だってそうだ。
>速度12ノット以上の船は10.6%で、英国41.1%
>船齢10年未満の船は13.3%で、英国43%
英国の造船実績が優秀で優良船が多いのは事実だが、何故日英だけでアメリカの優良船率を出さないのか。
>快速船16~21ノットの船は英国128隻、米国75隻に対し日本は45隻
母数となる日米英の商船保有数が違うのに、保有率でなく隻数で比較するのは何故か。
だいたい速力18ノット以上の商船は経済性悪くて採算とれない。
21ノット以上の商船なんて、ブルーリボンを競っていた北大西洋航路の豪華客船以外に見られない。
日本は貨客船や貨物船が主力で、客船といえば移民船だ。
東京オリンピックで橿原丸型やNYKトリオ建造まで、太平洋航路でそんな豪華客船の需要はないし無理に建造しても赤字になる。
上術の橿原丸型やNYKトリオは、戦時に何れも隼鷹型や大鷹型として空母に転用。
その他大型高速優秀船はことごとく軍に徴用されて、病院船や特設潜水母艦になってどうせ資源輸送とは関係ない。

233:名無し三等兵
09/08/27 00:59:43
>>232
まて。なぜ事実を提示しているだけで印象操作になるんだ?
お前さんがそうやって日本はダメじゃない、という見地から見てるからそう歪んで見えるだけだろw

234:名無し三等兵
09/08/27 01:00:21
>>232
> 母数となる日米英の商船保有数が違うのに、保有率でなく隻数で比較するのは何故か。
そりゃ、輸送力に効くのは割合じゃなく絶対数だからだろ?
「戦時の輸送」という観点での評価なんだから、平時の理由がどうであれ
関係ないと思うけど。
どれだけもっともな理由があったとしても、理由が物を運んでくれるわけ
じゃないからね。

235:名無し三等兵
09/08/27 01:14:11
参考までに
各国商船進水量(千トン)の英/米/日比較は1913年に1932/276/65で、一次大戦になると造船が活発化。
戦後の1920年に2056/2476/457まで拡大。
その後世界恐慌で戦間期最低は1932年頃、133/11/42まで低下。
1937年に921/236/451まで回復。
一次大戦後の1922~1938年までの造船量は日米が互角、英は日米の5倍程度。
次に各国保有船腹量(千トン)1913年/1922年/1939年
イギリス
18696/19296/17984
アメリカ
5429/17062/11874
日本
1500/3587/5680
保有量は日本が純増(30年代前半は300万トン台で停滞)傾向なのに対して、英米は1922年から変わらないか漸減傾向にある。
それでも進水量からして、イギリスは老朽船を積極的に売却・廃棄して質の改善には努力している。
対してアメリカは1921年に保有1700万トンになってから、暫く老朽船がだぶついていて、日米ともに1937年以降に造船量が拡大。

236:名無し三等兵
09/08/27 01:47:03
別に日本がダメじゃないとか、森本忠夫全否定とかでなく資料批判をして比較が公平でないと言ってる。
イギリスの造船実績が日本よりずっと優秀なのは事実だし。
各国豪華客船比較
クイーン・エリザベス(イギリス)83673総トン、全長313.5m、全幅36.1m、出力200000馬力、航海速力28.5ノット、最大速力32.0ノット
ノルマンディ(フランス)83423総トン、全長313.8m、全幅35.9m、出力165000馬力、航海速力29.0ノット、最大速力32.2ノット
ブレーメン(ドイツ)51656総トン、全長286.0m、全幅31.1m、出力135000馬力、航海速力27.0ノット、最大速力28.5ノット
橿原丸(日本未成)27700総トン、全長218.0m、全幅26.7m、出力56250馬力、航海速力24.0ノット、最大速力?
でも背景の説明や保有量の違いにも触れずに、しかもこんな軍艦も真っ青な豪華客船持ち出して比較とか、意図的な日本批判が感じられる。

237:名無し三等兵
09/08/27 01:48:27
>>233-234
故意にパーセンテージと絶対数を使い分けて日本を貶めようとしている。
これを見ても印象操作とわからない人間にマトモな人間はいないよ。

238:名無し三等兵
09/08/27 01:57:54
森本を読んでないバカか左のバカが紛れ込んだか。

239:名無し三等兵
09/08/27 02:04:37
どこも貶めているようには見えないが。
保有量にしろ質にしろ日本が劣っていた事実を提示しているだけ。
だから史実の結果になった、ということでしかない。
それこそ印象操作で日本マシだった、と誘導して何か史実がかわるのか?w

240:名無し三等兵
09/08/27 02:06:19
>>219
>>231
のような、可動実数でも劣っているからな。
全体で負け質で負け、実働でも劣っていた史実があるだけ。

241:名無し三等兵
09/08/27 02:09:03
そもそも操作する必要性自体あんの?
そんな話で。

242:名無し三等兵
09/08/27 02:55:56
大井篤は反日とかほざいてた酷使様が来てるのか?

243:名無し三等兵
09/08/27 03:01:16
単に森本某のアンチなだけだろ。
データ自体は否定して無い、見せ方が気に食わない程度だから大したもんじゃない。

244:名無し三等兵
09/08/27 03:22:40
やはり読んでもいない無知か。
客観的なデータの出し方も知らない素人には何を話しても無駄だな。

245:232
09/08/27 03:42:18
何か知らない間に喧嘩してるし。
断っとくが俺は232,235,236のレスだけね。
日本は一次大戦前後に保有量で米英と大差だったのが、1939年までにかなり健闘したとは思うよ。
1936年には国策として現状の商船400万トンを50%拡大して、600万トンの保有を目指したりとか。
1937年頃から重工業の好景気で生産拡大して熟練工や船員不足が深刻化してる。
よく開戦後に急に不足したかのような記述見るけど、実は日中戦争前から深刻だった。
見習い工や船員の急速養成もこの頃から急務で、対策してたら戦争で追い討ちと。
>>124の鉄鋼については、1941年の屑鉄禁輸で屑鉄100万トンを代替するには、鉄鉱石200万トンと石炭250万トンが必要てのを指摘しておく。
ただでさえ船舶不足なのに傭船にも頼れず、自国船舶で賄わざるを得ないわ、余計に輸送の手間が増えるわで開戦前から鉄鋼生産も低下した。
通商破壊とか関係なしに輸送力はギリギリなのよ。

246:名無し三等兵
09/08/27 04:17:24
「はじめに」
「魔性の歴史」は他民族に対する侵略の歴史ではあったが、
他方、それがとりわけ「魔性」とされる所以は、あの暦命の日々の中で、
日本人が演じたどうしようもない無知、愚行、狂気、残忍、錯誤などが
自らの運命の選択をめぐってさえ、平然と行なわれたからである。
本書は、「教科書問題」とともに、今後も機会あるごとに論議されるはずの歴史の道程の、
戦後四十年にして見られる“新しい終着点”から分析した、かつての日本人の歴史的行為をめぐる、
国家経営学的観点ともいえる視点から見た恐るべき矛盾の再照射に他ならない。

どうみても結論ありきの本です。本当にありがとうございました。

247:名無し三等兵
09/08/27 04:18:04
それから他スレの話題持ち込まないでね。
日中戦争前からの造船含め熟練工不足、船舶不足の状態で軍に徴用もされつつ、輸送力向上に努力したのは褒めても良いんでない?
何も日本がやる事は全てダメで、批判しか許されない訳じゃないでしょ?
それで輸送力向上には造船量拡大だけでなく、運航・荷揚能率向上が必要だった。
何せ港湾荷揚能力貧弱で、ドック入りや荷揚で365日のうち180日は滞船を余儀なくされるから効率悪い。
航海に出られるのは1年の半分だけ。
生産・輸送ノルマ達成の為に商船や工場側は稼航率重視。
しかし撃沈されたらたまらないから、海軍も航路指定や警戒隊を乗船させる。
潜水艦が出れば出港延期や途中避難、之字運動させたりするけど、輸送ノルマは低下。
そういや大井篤も輸送ノルマ重視派と対立してたな。


248:名無し三等兵
09/08/27 10:19:06
アンチ森本は結構だが、この場合データ自体に嘘が無い以上何をいってもねぇw
オレの主観による「客観的データのありかた」を振りかざして他人を無知呼ばわりとか読んでないとか。
それこそ無意味な煽りありがとうございましたw

249:名無し三等兵
09/08/27 10:26:30
つうか戦前の日本の船舶保有状態のレスに散々噛み付いておいて、
(当然戦時体制に入って船舶が軍統制になってからの)改善に話飛ばして批判しか許されないわけじゃないだろ、と脳内完結とか。
何が言いたいのかわからない。
とりあえず日本の劣位を証明する事実提示自体が気に食わない人というのはわかるが、論点をあちこちに飛ばすので……。

250:名無し三等兵
09/08/27 10:32:46
細部に気が付く俺かこいいとか思ってるんだろ

251:名無し三等兵
09/08/27 10:41:31
護衛軽視して船員が減る→未訓練の少年船員投入、当然役に立たない→ようやく三ヶ月だけ訓練して投入

……どうみても泥縄ですが。

252:名無し三等兵
09/08/27 10:47:09
>>247
とりあえず戦前の日本の造船政策について知りたいならこれを読め。

URLリンク(toyoasihara.bakufu.org)

253:名無し三等兵
09/08/27 17:16:31
>>251
船長や高等船員(航海士・機関士・通信士・事務等)と普通船員(甲板員等)の区別ついてないだろ。
軍隊で言えば士官・下士官・兵の違いみたいなもんだが。
普通船員が3ヶ月の速成なんであって、全員がそうではない。
兵士が3ヶ月の速成で戦場に出るのは珍しくないし、それで役に立たない訳でもない。
実際に戦前から普通船員は陸上3ヶ月、海上3ヶ月程度の教育期間で問題なかったが。
甲板掃除や石炭撒き等の雑用ばかりだし。
幹部教育も平時には必須の語学等、学科を短縮して実技に絞ればそんな何年も必要ないし。

254:名無し三等兵
09/08/27 17:18:28
>>253
論点がずれてる。
未訓練でぶち込んだ少年船員が、いくらなんでもそれじゃダメだと気づいて三ヶ月だけはやることにした流れ。
関係あるようでない兵士の話持ち出したり、本当に何がしたいの?

255:名無し三等兵
09/08/27 17:50:54
ダラダラやんないでたたき台作ってやれや長文妄想の奴

256:名無し三等兵
09/08/27 18:50:52
普通海員養成所でさえ、当初は一年の教育機関を取っていたのが三ヶ月、二ヶ月なのが実態だからな。そりゃ質も落ちる一方だわ。

257:名無し三等兵
09/08/27 18:56:58
戦時の船員は、当然ながら通常の船員業務のほかに軍事訓練も受けないといけないからな。
時には対潜用の聴音機のようなものについてまで。
高等船員なら、本来一年の教育+軍事訓練。
それが数ヶ月では……。

258:名無し三等兵
09/08/27 22:07:53
実業専門学校の商船学校が5年教育から戦時2年半教育へ短縮。
1年の教育というのは海員養成所本科(高等海員養成所?)。
普通海員養成所は短縮でなく元から3ヶ月程度の教育だろう。

「4月に小樽海員養成所に機関科第5期生として入学した。
ここで1年間の教育された私は、昭和18年3月に晴れて卒業する事ができた。
私の仕事は、火夫見習いという職名で1ヶ月の給料は50円。
でも他の火夫見習いより15円ほど高給だった。というのも海員養成所を卒業したからである。
飯運びと、気缶で石炭運びと缶替えという仕事を交代で行った。
その仕事の内容と言えば食事の用意、室内の掃除、便所や甲板の掃除など…」

259:名無し三等兵
09/08/27 22:09:21
普通海員養成所の例として
14歳にしてお国の為と、軍属として船舶運営会に志願。
19年4月10日やっとの思いで内海普通海員養成所に到着。
班ごと分かれて機関は投炭訓練、甲板はモールス信号・手旗信号の訓練。
ある日朝礼の後、耳の検査をされた。
この中から横須賀(対潜学校)に行く者を選んでいるらしい。何百人の中の第一段として20人が選ばれた。
横須賀に行く者は1週間の特別訓練(3日間の実習含む)を受ける。内海より人間らしい暮らしができる。
講習を受けたのは私達を含め、高浜官立海員養成所や各汽船会社からで60名位だった。
また内海に戻る日がきた。
再び結索(ロープ結び)とかモールス信号、手旗信号の練習の毎日である。また短挺訓練もやった。

260:名無し三等兵
09/08/27 22:11:08
(卒業は5月31日?著者は養成所9期生)
2週間程帰郷して相州丸に乗船。
各部屋の掃除から、甲板の掃除の仕方、食事の準備、食器洗いに選択や風呂掃除まで何もかも一つ一つ習う。
甲板見習いは伊部君と私の2人だけなので、1ヶ月交代で仕事をする。
どの人が甲板部か機関部かわからず、ただハイ、ハイと返事をしていた。
先輩達は忙しく、ウィンチを動かし、デリックを上げ荷役準備にかかっていた。

最初は見習いとして雑用任務。
乗船してからも先輩から指導を受けている。

261:名無し三等兵
09/08/27 22:17:32
>253
> 兵士が3ヶ月の速成で戦場に出るのは珍しくないし、それで役に立たない訳でもない。
これは、周りに古兵や古参下士官、ベテラン士官が十分配置されている場合に
限っての話だよ。その条件が整っていない状態では、速成の兵なんてすぐ総崩れ
になって周りの足を引っ張るだけになる。
だから、新しい部隊の編成にせよ戦力再編にせよ、必ず核になる連中を配置して
その周りに人を増やす形をとる。

損耗が激しすぎるとそういう形をとれず、多数の新米が経験の浅い上級者の下に
付くことになるから、どんどん質が低下していくことになる。新米が中堅になる前に
どんどん死んでいくような状況では、質は下がる一方だよ。

262:名無し三等兵
09/08/27 22:23:07
>>258
いや、そこで上がっている
> 14歳にしてお国の為と、軍属として船舶運営会に志願。
で3ヶ月の教育というのが、散々既出の少年海員向けの初等教育なんだが。
最初に少年を採用したときには、3ヶ月の教育すら無しでいきなり乗船させた
ら、避難すらできない状態で多数が死んだという反省を踏まえての話だよ。
しかも、基礎教育すらなしでいきなり乗せたって、実際には何もできないのは
当然で、指導係の甲板員たちも困惑しているというのが実態。
当時の情勢では、平和時の船みたいにのんびりOJTなんていう贅沢は、到
底許されないからね。


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