09/05/31 17:17:49 DK5EOUDD
>>66
> フィリピン侵攻での実戦と鹵獲機の解析から、手っ取り早い
> 撃墜方法は片翼2機のエンジン破壊が効果的。
つの時点の話なのかようわからんのだが、鹵獲B-17を使っての試射は昭和17年1月21日。
改良された弾の開発も当然それ以降。
伝承 零戦 <第2巻> 秋元 実編光人社刊
"ラバウル整備隊"徹宵日誌 ― 元二五一空戦闘機隊・海軍上整曹 大島基邦・文
P.459から
それは昭和十七年一月十三日、海軍落下傘部隊が降下して二日目、メナドに
進出した航空隊にたいして、アメリカのB17が一機、かなりの高度をとって爆撃に
来襲したことがあった。時刻はちょうど正午をすこしまわったころである。このため
基地からは羽切、大石など当事の飛行兵曹が三機で離陸して追撃を敢行し、
われわれ基地員の視界の中で空戦にはいり、三機が交互に射撃するが敵機の
機体から白煙が出たとおもうとすぐとまり、ついに撃墜することができず、敵機は
南の雲のなかに姿を消してしまった。
そののち、一月二十日に海軍陸戦隊とともに基地の一コ小隊のわれわれ整備員、
兵器員が上陸して小規模の陸戦ののち、夕刻、ケンダリー飛行場に突入してみると、
飛行場の主要なところに木製の柵が立ててあり、飛行機の着陸の妨害を施してある
滑走路の先端に、B17が一機、胴体、主翼そして尾翼とかぞえきれないほどの二十
ミリの弾痕を受けて不時着し、大きな胴体を横たえていた。
このB17こそ一週間前、メナド上空でわが零戦部隊に攻撃され、不時着した機に
相違ないと翌日、早朝より、世界にほこる二十ミリ機銃で、なぜ撃墜できなかったの
だと、その原因の究明にとりかかった。(後略)