09/05/21 18:37:00 U5pZ6eYR
>835
>戦争中、横浜中華街などに居た在日華僑は、
>中華民国のスパイとして、弾圧や強制収容などの処分を受けたんですか?
>それとも、特に何もありませんでしたか?
霞ヶ浦の住人の回答。
「特に何も」無かっただろうと、霞ヶ浦の住人想像します。
説明。
最初は、支那事変で戦争ではありませんでした。
日中双方とも、正式な戦争にすることを嫌がったからです。
正式な戦争となったの1941年12月9日からです。
そのころには、中国国民党の汪兆銘政権を日本は承認していました。
日本に住む中国人は、その国民ということに扱われただろうと、霞ヶ浦の住人は想像します。
王貞治氏の父親は、中国大陸出身で、戦時中の日本で暮らしました。
抑留などされることはありませんでした。
食料配給も形式的には普通の日本人と同様に受けていたそうです。
ただ、外国人として差別は受けたようです。
たとえば、魚の配給があった場合、王家はいつも、頭か尻尾だったそうです。
下記、ウィキペディアの支那事変の概要 を参照ください。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
下記、ウィキペディアの汪兆銘政権 を参照ください。
URLリンク(ja.wikipedia.org)