09/05/17 10:51:04 gnNYZ8JH
駐華ドイツ大使トラウトマンによる和平工作も模索され、蒋介石も一時講和に前向きな姿勢を見せたものの、
南京陥落で強気に転じた近衛内閣が和平条件の要求を過重なものにしたため、蒋介石は態度を硬化させることとなった。
大本営政府連絡会議の中で、参謀本部は近衛内閣政府の和平交渉打切り案に激しく反対した。
しかし、米内海相などからの戦時中に内閣退陣を起すことを避けるべしとの意見におれ、
近衛内閣は、蒋介石との和平交渉を打ち切り、「帝國政府は爾後国民政府を対手とせず」との声明を出す一方、
蒋介石と対立する汪兆銘と講和することで問題解決を図ろうとした。
その後、戦争終結のため援蒋ルートの遮断を狙いヴィシー政権のフランスと合意の上、フランス領インドシナへと進駐。
しかし、このことがアメリカを刺激し、太平洋戦争を招く要因の一つとなった。
愚 か し い ・ ・ ・