09/05/16 14:03:37 +Jjjbv9e
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日本軍がウェーク攻略について具体的な構想を打ち出したのは昭和16年に入ってからであったが、
グアム攻略に関しては大正12年から計画されており、現地には海兵隊300に現地人の兵1500がいると予測していた。
しかし、アメリカ側は日本の勢力圏に取り囲まれたグアムの防衛を不可能であるとして防衛予算をほとんど割り当てなかった。
(後に資金提供と作業員の派遣が行われ飛行場と潜水艦基地建設が行われたが、作業がある程度進んでいたのは潜水艦基地だけだった)
それにグアムには日本軍の予想した兵力の半数の米軍もおらず、日本軍は上陸からたった1日でグアムを占領することができた。
兵力の過剰投入は日本軍にとって初期情報戦の上での失敗であったが、これが大勢に影響を及ぼすことは無く
実際、南海支隊がその後、転戦したラバウルでの南方作戦も無事に遂行された。