09/05/19 04:30:54
>>612の続き。
バアリン部族のウカル・カラジャ、クドス・カラジャ兄弟の千戸隊
スニト部族のオゲレ・チェレビの千戸隊
スニト部族のテムデル・ノヤンの千戸隊
ジャライル部族のタイスン(ムカリの兄弟)の2つの千戸隊
ジャジラト部族のクシャウル、ジュスク兄弟の3つの千戸隊
マングト部族のモンケ・カラジャのの千戸隊
(以上はもともとモンゴル高原中部から東部にいたテュルク・モンゴル系の諸部族)
契丹のウヤル元帥の10の千戸隊
女直のトガン元帥の10の千戸隊
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以上がトルイが相続した諸軍だが、チンギスの実弟たちの所領も興安嶺の西麓に分封されて
いたらしいので、その千戸隊も大きく分ければモンゴル帝国の左翼軍を構成していた。
ちなみにこの諸弟たち、ジョチ・カサル、カチウン、テムゲ・オッチギンのいわゆる東方三王家の
1227年時の千戸隊の数は以下のようになる。
テムゲ・オッチギン
ケレングト・オロナル部族の2つの千戸隊
ベスト部族の1つの千戸隊
(その他ジャジラト部族などを含む)
ジョチ・カサル
(各地に散在している者を集めた混成の千戸隊)
カチウン
(ナイマン部族など潰散した諸部族や、ウリヤンカン部族の混成の3つの千戸隊)
チンギス・カンの異母弟ベルグテイも左翼軍に配属されていたが、王族というよりも臣下の諸将の
ひとりという扱いだったようで、「ベルグテイ・ノヤン」などと呼ばれていて彼のチンギス・カン家に
おける位置付けは興味深い。