09/05/17 18:18:32
変にスレが伸びたと思ったらやっぱり変なのがいたか。
専ブラでIDのところを見るとそいつのカキコ数出してくれるんだが、
お前今日で24回も書き込んでるのな。
548:名無し三等兵
09/05/17 18:34:46 Vc4acfLk
>>546
はい、負け惜しみの誰かさん認定が始まりましたww
反論できないミリヲタ哀れwww
>>547
無知なミリヲタクンを教化してあげていただけ。
馬鹿だから手間がかかる。
549:名無し三等兵
09/05/17 18:42:35
あのな、>498が近接戦闘の話をしていて、それに対するレスなのに「白兵戦?近接戦闘?何の話?」って文盲か?
それともお前の脳内では近接戦闘=正面からの切り込みなのか?
550:名無し三等兵
09/05/17 18:45:16
「軍ヲタだからこう言う考えをする筈だ!」とか当人が否定してるのに軍ヲタと扱うなど思考停止と議論の飛躍を行ってるのはどうみてもこのキチガイだろ。
551:名無し三等兵
09/05/17 18:48:34
久々に注目を集めて充実した日曜、という人なんだから・・・
552:名無し三等兵
09/05/17 18:48:46
>>549
>>549
500 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/05/17(日) 15:21:01 ID:Vc4acfLk
>>498
蒙古襲来絵詞に正面から切り込むシーンなんてあるか?
矢戦でモンゴル軍をぼこってるシーンばっかじゃん。
502 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/05/17(日) 15:25:42 ID:Vc4acfLk
いや、だから日本の騎兵に矢を射掛けられて逃げ回ってるんだけど、
回収するも試みるもクソもなくそれ以前の問題だろ?
その矢の回収云々はどこから出た妄想?
これで近接戦闘の話が展開していったと考える君は
人と話したことがないんでしょうなぁwww
553:445
09/05/17 18:48:58
なんかスルーされたみたいだからもう一度聞きたい。
五千って数字はどこからだっけ?
554:名無し三等兵
09/05/17 18:50:06 Vc4acfLk
ミリヲタクンは他人と議論した経験のない淋しい人であることが判明しますたwww
555:名無し三等兵
09/05/17 18:51:43
>>552
だから元々(>>498)が近接戦闘の話なんだが。
なんで近接戦闘全般の話なのにお前は>>500で勝手に正面からの切り込みに限定してるんだ?
議論した経験が無い?
「低脳で愚劣な軍ヲタを論破・教化して悦に入りたい」ようにしか見えないお前の事か?
556:名無し三等兵
09/05/17 18:54:55
>>552
頼むからsageは使うな
557:名無し三等兵
09/05/17 18:55:44 Vc4acfLk
>>555
要するに>>498へのレスだから近接戦闘の話に違いないと。
はい、妄想乙www
502 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/05/17(日) 15:25:42 ID:Vc4acfLk
いや、だから日本の騎兵に矢を射掛けられて逃げ回ってるんだけど、
回収するも試みるもクソもなくそれ以前の問題だろ?
その矢の回収云々はどこから出た妄想?
510 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/05/17(日) 16:08:45 ID:???
>>505
あなたは何か勘違いしてるようだが・・・
そもそも何故回収という言葉にだけ噛み付く?
オレは元軍に矢が足りない理由のひとつを説明してるんだが・・
558:名無し三等兵
09/05/17 18:57:23
>>557
質問に答えろ。
なんで元々(>>498)が近接戦闘全般の話なのにお前は>>500で勝手に正面からの切り込みに限定してるんだ?
559:名無し三等兵
09/05/17 18:58:16 Vc4acfLk
ちなみに
>低脳で愚劣な軍ヲタ
の一例www
>数が物を言う矢戦で元軍が兵力的に劣勢の武士団相手に指揮系統がばらばらになって兵力が
>離散する被害を受けるなんてありえないんだよ
その後、別人格でのミリヲタのカキコ
ありえないことが起こっていたそうですww
一体どっちなんだ!!www
>ただし>>510の場面では基本的に騎射による突撃(言葉として矛盾しとるがほかに言いようがないので)
>であって白兵で元軍が崩壊したわけじゃなさそうよ。
>どどどーと騎馬武者が騎射しながらひと塊りになって突っ込んでくるのを見て元軍が肝をつぶしちゃったと解釈するべきじゃないかな。
560:名無し三等兵
09/05/17 19:02:21 Vc4acfLk
>>558
だって>>500は近接格闘の話じゃないんだもん。
でも話はちゃんとつながってるけどねww
下に再録しておくからかんがえてみようね、ボクwww
500 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2009/05/17(日) 15:21:01 ID:Vc4acfLk
>>498
蒙古襲来絵詞に正面から切り込むシーンなんてあるか?
矢戦でモンゴル軍をぼこってるシーンばっかじゃん。
561:名無し三等兵
09/05/17 19:04:56
元軍が壊走したって点は認めるんだね?
逃げる権利を行使できる部隊は、指揮官がまともなら矢が本当に無くなっちゃう前に引き上げるんじゃないかと。
それを一番元側に有利な資料でも壊滅状態になるまでって、旧軍並みの縛りが入ってたのかと。
(そのくせ逃げ帰ってるんだよね)
562:名無し三等兵
09/05/17 19:11:50 Vc4acfLk
>>561
ハァ?
今さら何言ってんの?
元から元軍は敗北した派ですが?
君は今まで何を見てたの?
とんでもないアホなんだね、君って。
563:名無し三等兵
09/05/17 19:11:54
>>ID:Vc4acfLk
よければ
スレリンク(army板)l50
に来てミリヲタを教化してやってくれ。
564:名無し三等兵
09/05/17 19:14:15 Vc4acfLk
アホなミリヲタが、元軍敗走の原因を、
矢が回収できなかった!
とか接近戦で勝てないからだ!
とか抜かしてたから、
そんなのを議論する段階にすら到達せず、
矢戦でぼこぼこにされて壊走してますよ、
という現実をミリヲタに納得させたのが今回の経緯なわけだ。
565:名無し三等兵
09/05/17 19:17:01 Vc4acfLk
>>563
ああ、コミンテルンの陰謀はない、
とかほざいてるミリヲタがさんざん現実でもって論破されて
また酷使さま認定という惨めな手段に訴えているスレか。
ミリヲタってあわれなもんだね。
ま、何事も適度が肝心。
陰謀論を否定すると賢明に見えるけど、
何でもかんでもってわけじゃないがそりゃああるわな、普通に。
566:名無し三等兵
09/05/17 19:17:55 Vc4acfLk
俺の今日の戦果↓
>数が物を言う矢戦で元軍が兵力的に劣勢の武士団相手に指揮系統がばらばらになって兵力が
>離散する被害を受けるなんてありえないんだよ
その後、別人格でのミリヲタのカキコ
ありえないことが起こっていたそうですww
一体どっちなんだ!!www
>ただし>>510の場面では基本的に騎射による突撃(言葉として矛盾しとるがほかに言いようがないので)
>であって白兵で元軍が崩壊したわけじゃなさそうよ。
>どどどーと騎馬武者が騎射しながらひと塊りになって突っ込んでくるのを見て元軍が肝をつぶしちゃったと解釈するべきじゃないかな。
567:名無し三等兵
09/05/17 19:19:10 Vc4acfLk
また一人あわれな子羊を救ってしまった・・・
しかし何度見ても笑えるwww
>数が物を言う矢戦で元軍が兵力的に劣勢の武士団相手に指揮系統がばらばらになって兵力が
>離散する被害を受けるなんてありえないんだよ
まさにゲーム脳www
568:名無し三等兵
09/05/17 19:20:42
満足したようだから、そろそろ帰ってくれないか?
569:名無し三等兵
09/05/17 19:22:26 Vc4acfLk
>数が物を言う矢戦で元軍が兵力的に劣勢の武士団相手に指揮系統がばらばらになって兵力が
>離散する被害を受けるなんてありえないんだよ
せんせー、ありえないそうですwww
570:名無し三等兵
09/05/17 19:24:52
>>565
ぜひ、そのスレに行ってどの様にしてコミンテルンがアメリカを操ったのかを証明してやってくれ。
最近は養殖物ばかり天然物に飢えてるんだ。
571:名無し三等兵
09/05/17 19:28:01 Vc4acfLk
>>570
N速+その他スレに行って指導を仰ぎなさい。
N速+スレに行ってください!
と論破された君達が論客に嘆願した後がたもがみスレには顕著だなwww
572:名無し三等兵
09/05/17 19:29:10 Vc4acfLk
論破されたミリヨタの反応↓どこでも一緒だなwww
523 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/05/17(日) 18:01:24 ID:???
二度とくるなよ
★★★同志スターリンと語らい合うスレ【99】★★★
スレリンク(army板)
軍事板でN速+その他土人を生暖かく見守るスレ27
スレリンク(army板)
巣に帰れ
573:名無し三等兵
09/05/17 19:29:17
また見てみたらカキコ数36回に増えてる。もう休日は終わりだぞ。
毎日がお休みの人は別だが。
574:名無し三等兵
09/05/17 19:31:02
>>571
いやいや、こことは違って軍ヲタがたくさんいるから君にとっても有益だと思うよ?
一人の軍ヲタを論破してこれだけ嬉しいんだ。そこには十人はいると思うから十倍の喜びが得られる事になる。
なに、君の手にかかれば軍ヲタ如き十人いようが二十人いようが論破するのは簡単な事さ。
575:名無し三等兵
09/05/17 19:31:19 Vc4acfLk
さ、論破されたミリヨタ、いよいよ人格攻撃に移行しました!
相当悔しかったようですwwww
576:名無し三等兵
09/05/17 19:34:06
それにそこに行ってコミンテルンの陰謀を証明出来れば一人ではなく何人もの軍ヲタを教化し、救う事が出来る。
それが君の目的だろ?なら君にとって得する事ばかりじゃないか。
577:名無し三等兵
09/05/17 20:05:22 SYyY5diq
なんでコミンテルンの話になってんだよ
元寇の話をしろ
578:名無し三等兵
09/05/17 20:06:08
騎士様が578ゲット
579:名無し三等兵
09/05/17 20:08:42
>>573
関西のゆとり世代限定で、もう一週間休みが続きますw
580:名無し三等兵
09/05/17 20:58:21 VckhTEfQ
【社会】「チンギス・ハン」はどの国出身の人? 韓国・中国・モンゴルで大論争 オンラインゲームめぐり、三つ巴の“国際問題”に発展★8
スレリンク(newsplus板)
581:名無し三等兵
09/05/17 21:22:58
16 :名無しさん@九周年:2009/05/17(日) 14:21:05 ID:elFI5JCq0
なぜ元寇が行われたか?
『元史』によると1272年に、高麗の王世子の椹(後の忠烈王)が、元国のクビライに
「惟んみるに、日本は未だに聖化を蒙らず。故に詔を発し、軍容を継耀せしめんとせば、
戦艦兵糧まさに、須いる所あらん、もし此事を以って臣に委ねなば、王師を小助せん」
と具申したとある。
また「高麗史」によると、元寇の発端は、高麗王の忠烈王が「元の皇帝に執拗に、東征して
日本を属国にするよう勧めた」との記述がある。つまり、元寇は高麗が積極的に進言した為
引き起こされた侵略であった。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
元軍の人員構成(1)
元軍と言いながら、実は高麗兵主体の軍であったことが判る。モンゴル兵は指揮官のみである。
URLリンク(www2.ttcn.ne.jp)
31 :名無しさん@九周年:2009/05/17(日) 14:32:33 ID:0UEFoES70
>>16
モンゴルの支配は、征服地の領主が早々と服属したら、知事と連絡係の少数の
兵員だけ置いて、本隊は引き上げてしまう。
ところが、高麗の忠烈王って国内で評判の良くない王様で、内乱を蒙古の征服
軍の駐屯で押さえ込んで貰っている状態。
蒙古兵の大半が引き上げてしまうと、王様でいられなくなる。虎(蒙古)の威を
狩る狐なわけ。
なんとかして蒙古の占領軍の本隊を高麗国内に留め置こうとして、日本侵略の
進言。
582:名無し三等兵
09/05/17 22:19:15
>>581
元軍の民族構成云々は元々、日本軍のモンゴル軍に対する勝利を認めたくない連中が
言い掛かりとして持ち出した話じゃん。
モンゴル軍の他の戦いでは、そんなこと気にしないくせに。
チンギス・ハン死亡時(1227年)のモンゴル軍左翼の民族構成
モンゴル同盟部族 39%
契丹人 16%
バリアン氏族 16%
女真人 16%
オイラート族 6.5%
オングト族 6.5%
583:名無し三等兵
09/05/17 22:38:09
>>チンギス・ハン死亡時(1227年)のモンゴル軍左翼の民族構成
それって全部モンゴル・テュルク系の遊牧民族じゃね?
584:名無し三等兵
09/05/17 22:42:10
この場合、他地域への遠征での民族比率を出したほうがいいと思う。
585:名無し三等兵
09/05/17 22:50:24
>>583
女真族は違うだろ。
586:名無し三等兵
09/05/17 23:30:17
>>582
いやそれには誰も文句は言ってないと思うぞ
連中が言うのは
・この場合は特にモンゴル人は少ない
・中国人と高麗人が主力なんで遊牧系とは別物
ってことだろう
モンゴル軍が異民族混成なのは
こういう話題に参加する奴なら知ってるのが当然だな
587:名無し三等兵
09/05/18 00:04:32
中国人と高麗人だから弱かった…
酷い差別
588:名無し三等兵
09/05/18 00:18:24
高麗が、弱いのは確実だが、南宋人は明らかに強いだろ。モンゴル軍が何十年も倒せなかったし。
モンゴル軍が一番苦戦したのは、南宋じゃね?
589:名無し三等兵
09/05/18 01:26:54 qMpybX1l
モンゴル軍が一番苦戦したのは南宋だけど、当時の全世界でダントツ飛び抜けた陸上兵力、水軍と物質に
世界最高水準の城郭、装備、兵器があってのものだし、一線級の兵卒は西方へ回されてただろうから
二万程度じゃ大したことないんじゃないの
590:名無し三等兵
09/05/18 11:13:58
いや、だから上の方でも出てるが主力は高麗国境付近の華北人じゃん。
そいつらが強かったのかどうかは知らんけど。
591:名無し三等兵
09/05/18 14:03:09
南宋が強くても武士派にとっては何も変わらんけどね
592:名無し三等兵
09/05/18 17:39:01
南宋兵そのものは激弱
戦うことすらなく海の藻屑だからこの場合は強弱に意味ないな
593:名無し三等兵
09/05/18 17:53:49
>>592
南宋人とは鷹島で闘ってるよ
まあ残党狩りだから戦いになってないかもしれんが「戦闘」はしてる
まあどの道南宋の強弱が測れるような戦いじゃないけど
594:名無し三等兵
09/05/18 21:06:36
>>581
これに関しては民族も重要だが
忠烈王が日本侵略に積極的な真相がわかったという点が凄くないか
今まで出てこなかったわけだし
>>593
なんで沖合いの船に皆いたんだろうね
鷹島に10万人が陣張って物資だけ船から運べばいいと思うんだけど
595:名無し三等兵
09/05/18 21:44:35 kxd8iioX
>>586
史料に書いてある数字は、あくまでも蒙漢軍2万5000が本隊で高麗軍は8000。
何の根拠も無い適当な数字を並べている時点で、そいつの書いてることは信頼性皆無。
参考文献には、「有効射程」と「射程」を比較してあからさまな印象操作をおこなった
黒田俊雄の『日本の歴史8 蒙古襲来』が並んでいるし・・・
さすがミリヨタww騙されやすいwwアホすぎwww
596:名無し三等兵
09/05/18 21:48:14
>>595
連中は養殖物ばかりで退屈してるんだ。
ぜひコミンテルンスレに行ってコミンテルンの陰謀を信じないミリヨタを教化してやってくれ。
597:名無し三等兵
09/05/18 21:49:01
コミンテルンはもういいから
ここは元寇スレ
598:名無し三等兵
09/05/18 21:51:45 kxd8iioX
>>596
だからN速+板いきなって。
今も勇敢なミリヨタが火達磨にされてるから助けてやんなよww
「酷使様!酷使様!」
↑哀れなミリヨタの喚き声www
599:名無し三等兵
09/05/18 21:53:02 kxd8iioX
軍事は好きなのに、なぜか本職には嫌われる有言不実行妄想ミリヨタwww
600:名無し三等兵
09/05/18 21:53:15
>>581のレスはそもそも軍事板の物ですらないわけだが、一体どのような超能力を使って軍ヲタが書いたと特定出来たんだろう。
601:名無し三等兵
09/05/18 21:56:13 kxd8iioX
反論できずに
「お願いだからN速+スレに移動してください!」
とお願いして移ってもらったくせに、ソース>>572
いなくなった途端に強気になっちゃってねぇwww
>連中は養殖物ばかりで退屈してるんだ。
バロスwwwミジメwww
602:名無し三等兵
09/05/18 21:56:29
>>598
別に連中を教化したいわけでも論破したいわけでもないし。
そんな事してもただの時間の無駄。
でもあんたは軍ヲタを教化して救ってやりたいそうだから。
あんたにとって軍ヲタを論破する事くらい簡単だろ?
603:名無し三等兵
09/05/18 21:57:48 kxd8iioX
>>600
はぁ?俺は>>586にレスしたんだけど?
ミリヲタちんはアタマだいじょーぶ?
(失笑)
604:名無し三等兵
09/05/18 21:58:57 kxd8iioX
>>602
>別に連中を教化したいわけでも論破したいわけでもないし。
>そんな事してもただの時間の無駄。
その割には随分こだわるじゃんww
みえみえの言い訳wwミリヨタアホすぎwww
605:名無し三等兵
09/05/18 21:59:10
>>601
反論?脳内の話しか?
そこの523が誰にどのようにして論破されたのかを示してみ。
その前の100レスを見る限りAA荒らししかいないんだが。
どこにコミンテルンの陰謀を証明したレスがあるんだ?
606:名無し三等兵
09/05/18 22:01:28 kxd8iioX
釣り針垂らしても逆に海中をひきまわされてるのが、
今のアホなミリヨタ>>602
ミリヨタくんはさぁ、少しは弁論術磨いたほうがいーよ?
部下に訓示するときに必要だから。
あ、ミリヨタには必要ないかwww
軍隊に入るわけじゃないからwww
シャバでも部下なんてもつ気遣いもないしwww
607:名無し三等兵
09/05/18 22:01:38
>>603
586は単に
>>連中が言うのは
>>・この場合は特にモンゴル人は少ない
>>・中国人と高麗人が主力なんで遊牧系とは別物
>>ってことだろう
>>モンゴル軍が異民族混成なのは
>>こういう話題に参加する奴なら知ってるのが当然だな
と言っているだけで本人が何を考えているのかは言っていないわけだが。
昨日もそうだが日本語能力に著しい欠陥があるみたいだな。
608:名無し三等兵
09/05/18 22:04:15 kxd8iioX
>>607
はい、ご苦労さん
即ツッコミいれられなかった時点で
基礎資料すら読んでない証拠www
つか文永の役の総兵員数くらい覚えとけww
その時点で嘘ってのは分かるだろwww
ミリヨタのアホさ加減を示してるだけだなwww
609:名無し三等兵
09/05/18 22:11:16 kxd8iioX
昔の軍板では>>586みたいな低能は「100年ROMれ」
で済まされてたもんだが、
今のミリヲタは酷使様認定しかできないアホばっかだからなww
せいじごっこする暇があったら勉強しなさいwww
610:名無し三等兵
09/05/18 23:28:14
>>609
酷使認定してる奴なんてほんの一部だけだろ。
ミリオタで括るなよ。
611:名無し三等兵
09/05/18 23:54:52
>>608
> 即ツッコミいれられなかった時点で
あんたみたいに暇じゃないから張り付いてらんないし
馬鹿に即レスしても馬鹿を見るだけだからな
612:名無し三等兵
09/05/19 04:25:35
>>582
今更突っ込みを入れるのもなんだけど、一応は触れておく必要がありそうなので・・
> バリアン氏族
は、「バアリン」(Ba'arin)ね。
1227年にチンギス・カンが逝去した時、モンゴル帝国に属す諸部族の軍は千戸隊単位で
諸部族の首長たちに分封されたが、129個の千戸隊からなる右翼軍、中軍、左翼軍に分けられた
モンゴル帝国軍は、その大部分(101の千戸隊)がトルイのもとに相続された。
> 左翼軍
この時トルイが相続したモンゴル帝国諸軍うち、左翼軍に属すものの構成は以下の62の千戸隊。
(『集史』チンギス・カン紀の諸将表から)
==============================
「左翼」
ジャライル部族のムカリ国王の3つの千戸隊
ウリヤンカン部族のイェス・ブカ・タイシの千戸隊
ウルウト部族のケイテイ・ノヤン、ブジル・ノヤン兄弟の4つの千戸隊
イキレス部族のブトゥ附馬の3つの千戸隊
トトカリウト・タタル部族のイェケ・クトクト・ノヤンの千戸隊
コンギラト部族のアルチ附馬の5つの千戸隊
マングト部族のクイルダル・セチェンの千戸隊
バアリン部族のナヤア・ノヤンの3つの千戸隊
コンゴタン部族のストゥ・ノヤンの千戸隊
ジャライル部族のジャライルタイ・イェスルの千戸隊
バヤウト部族のオングル・ノヤンの千戸隊
ジャライル部族のウカル・カラジャ、カラチュ兄弟の千戸隊
ウリヤンカン部族のスベエテイ・バアトルの千戸隊
アルラト部族のドゴルク・チェレビの千戸隊
フイン・ウリヤンカン部族のウダジの千戸隊
チンギス・カンの異母弟ベルグテイの千戸隊
コンギラト部族のアシク附馬の4つの千戸隊
613:名無し三等兵
09/05/19 04:30:54
>>612の続き。
バアリン部族のウカル・カラジャ、クドス・カラジャ兄弟の千戸隊
スニト部族のオゲレ・チェレビの千戸隊
スニト部族のテムデル・ノヤンの千戸隊
ジャライル部族のタイスン(ムカリの兄弟)の2つの千戸隊
ジャジラト部族のクシャウル、ジュスク兄弟の3つの千戸隊
マングト部族のモンケ・カラジャのの千戸隊
(以上はもともとモンゴル高原中部から東部にいたテュルク・モンゴル系の諸部族)
契丹のウヤル元帥の10の千戸隊
女直のトガン元帥の10の千戸隊
==============================
以上がトルイが相続した諸軍だが、チンギスの実弟たちの所領も興安嶺の西麓に分封されて
いたらしいので、その千戸隊も大きく分ければモンゴル帝国の左翼軍を構成していた。
ちなみにこの諸弟たち、ジョチ・カサル、カチウン、テムゲ・オッチギンのいわゆる東方三王家の
1227年時の千戸隊の数は以下のようになる。
テムゲ・オッチギン
ケレングト・オロナル部族の2つの千戸隊
ベスト部族の1つの千戸隊
(その他ジャジラト部族などを含む)
ジョチ・カサル
(各地に散在している者を集めた混成の千戸隊)
カチウン
(ナイマン部族など潰散した諸部族や、ウリヤンカン部族の混成の3つの千戸隊)
チンギス・カンの異母弟ベルグテイも左翼軍に配属されていたが、王族というよりも臣下の諸将の
ひとりという扱いだったようで、「ベルグテイ・ノヤン」などと呼ばれていて彼のチンギス・カン家に
おける位置付けは興味深い。
614:名無し三等兵
09/05/19 04:39:37
>>613の続き。
>>582はどこからの情報に依っているかは分からないが、いくつか訂正を要する点がある。
> 契丹人16% バリアン氏族16% 女真人16%
の部分だが、左翼の諸軍でバアリン部族(「バリアン」は明らかに誤記)の軍が、契丹の
10の千戸隊や女直の10の千戸隊に匹敵する規模だったかというと、左翼にあった
バアリン部族の軍は、ナヤア・ノヤンの3つの千戸隊とウカル・カラジャ、クドス・
カラジャ兄弟の千戸隊のあわせて4つの千戸隊だけで、数があわない。
ところが他にバアリン部族の軍は、マングル・トルカンの千戸隊と、コルチ・ノヤンの
10の千戸隊が別にあり、多分、「バリアン氏族16%」はそのことに由来するのだろう。
ただし、このマングル・トルカンとコルチ・ノヤン旗下のそれぞれの千戸隊は、この
チンギス・カンの諸軍のうち、"右翼軍"に属していたため、左翼軍には属さない。
(これらもトルイが相続した)
また、オングト部族長アラクシ・テギト・クリ旗下の4つの千戸隊、およびオイラト部族長
クドカ・ベキ旗下の4つの千戸隊も双方ともに"右翼軍"に属していたため、左翼軍には属さない。
(これらもトルイが相続した)
なので、>>582のように、1227年当時、契丹や女直の軍勢に匹敵する規模のバアリン部族の軍勢が、
左翼軍に居たような書き方は実際には誤りであるし、同様にオングト部族の軍やオイラト部族の軍が
左翼軍に配属されていたような書き方も明らかに誤っている。
(特にオイラト王家はチンギスの進めた政略結婚によってジョチ家やチャガタイ家、オゴデイ家、
トルイ家など、モンゴル高原の中部から西部に所領があったチンギスの諸子の王家と姻族関係を
強固にしていて、クビライとアリクブケの皇位継承戦争にも帝国中央部の一大勢力として関わっていく)
615:名無し三等兵
09/05/19 04:44:13
>>614の続き。
あと、この頃のモンゴル帝国軍は、チンギスの幕下に臣従したり姻族となった部族連合の諸勢力と、
チンギスの軍に敗北して解体・分配された諸部族などが、おのおの序列化されていたりするので、
単純に「異民族混成」という言葉ですませて良いという訳でもない
しかもこれら兵力込みで記録している将軍たちのリストは、『集史』のようなペルシア語文献に
主に記されているが、これらの資料において 基本的にこの頃にモンゴル帝国の戦力として数えて
いるのは「騎馬兵力」であって、歩兵については別途言及しないと記録には出てこないという特徴もある。
ちなみに上記の左翼軍の諸将リストで、最初のムカリ国王は良いとして、四番目のイキレス部族の
ブトゥ附馬はチンギスの長女コアジン・ベキの娘婿であり、五番目のトトカリウト・タタル部族の
イェケ・クトクトはチンギスの第三皇后イェスルンと第五皇后イェスゲンの実の兄弟。六番目に
出て来るコンギラト部族のアルチ附馬はチンギスの第一皇后ボルテの実弟と、モンゴル帝国の
特にチンギスの一門と姻戚関係を結び、中枢を担う所縁の人々が固めている。また、八番目の
バアリン部族のナヤア・ノヤンはムカリ国王と並んでトルイ家旗下の諸軍を統括する左翼軍第二位の
地位にあった譜代家臣きっての将軍で、後のクビライの時代に南宋遠征で活躍するバヤン丞相の
大伯父にあたる人物だったりする。
契丹や女直の軍勢はおのおの10の千戸隊をもつ実数的に大きな勢力だったが、序列的には最外部分に
位置していたようである。(この種の序列は、日本の大名における譜代と外様の関係になぞらえて
説明される場合が多い。モンゴル帝国に投降・臣従した契丹や女直系の軍は、金朝との境域地域に
配属されていたので、位置関係もリストに影響されている可能性もあるとは思うが)
616:名無し三等兵
09/05/19 07:15:00
サヨクも手の込んだ荒らし方をするようになったものだ
617:名無し三等兵
09/05/19 16:17:30
>>610
そもそもこいつ自身が軍ヲタじゃね?
>>513とか>>527とか。
618:名無し三等兵
09/05/19 16:28:04
>>616-617
国士様は自分の誤りを認めたくないのと無知故に
>>612-615のような話題が出るとAgeSage混ぜて全力で荒らしますw
619:名無し三等兵
09/05/19 17:02:39
>>618
616、617もお前も荒してるわけだが。頼むから他のスレに逝ってくれないか?
政治系の掲示板なら国士様だのお前が好きなネタさんざんできるぞ。
620:名無し三等兵
09/05/19 17:05:35
次スレが立つのなら「政治ネタ禁止」とテンプレに入れて欲しいな。
とにかくウザ過ぎる。
621:名無し三等兵
09/05/19 17:22:33
>>612-615
千戸隊は共通した装備、訓練、運用をされていたんでしょうか?
それとも各部族ごとにバラバラだったんですか?
622:名無し三等兵
09/05/19 17:40:57
件の人じゃないけど装備は基本自弁でバラバラ、訓練・運用は統一
623:名無し三等兵
09/05/19 23:38:53
万戸隊長って妄想をかき立てられる響きだよね
624:名無し三等兵
09/05/20 00:50:12
上天眷命 「イケメンからのゴアイサツw」
大蒙古皇帝奉書「大蒙古国の『皇帝』の手紙だぜ!」
日本國王朕惟自古小國之君「やあ小国ニッポンの『国王』(皇帝>国王)ちゃん元気にしてる?」
境土相接尚務講信修睦「俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?」
況我祖宗受天明命奄有區夏「ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ」
遐方異域畏威懐徳者不可悉數「隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ? 」
朕即位之初以高麗無辜之民久瘁鋒鏑「そういえば高麗もおれが軍事介入して戦争をやめさせてやったわけだが」
即令罷兵還其疆域反其旄倪「くそ役にたたねーガキと爺どもを故郷に帰してやったわけさ」
高麗君臣感戴來朝「そしたらあいつらうれションする勢いでぺこぺこしてきたぞw」
義雖君臣而歡若父子計「まああいつらは俺のパシリだが同時に親子でもあるわけだな」
王之君臣亦已知之「まあお前らもこのことはもう知ってるわな」
高麗朕之東藩也「高麗は俺の犬」
日本密邇高麗「んで日本は高麗のすぐ隣やん」
開國以來亦時通中國至於朕躬而無一乘之使以通和好「なのにオメーなんで俺に挨拶しに来ないわけ?」
尚恐王國知之未審「多分おまえら世の中の変化を知らないだけだよな? 」
故特遣使持書布告朕志「しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ 」
冀自今以往通問結好以相親睦「今から仲良くしようぜ?な? 」
且聖人以四海爲家「おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑) 」
不相通好豈一家之理哉「ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーからぶちのめすわw」
以至用兵夫孰所好「おれもお前ぶちのめしたくないからよwわかんだろ?言ってることw」
王其圖之不宣「じゃーな!」
至元三年八月 日
自演クンがどうしてもお流れにしたがった国書の超意訳(>>200)の補正版
この一度目の国書を三度目と言い張っていたため(>>201)
「じゃあ一度目と二度目の国書をだせば?」と突っ込まれると
国士がどうのと意味不明な妄言を繰り返し、あげく「PCが壊れた」と逃亡
しかし、数日も我慢できず再び書き込みPC故障も大ウソであることを露呈
625:名無し三等兵
09/05/20 09:39:37
ここ最近の異常な伸びにはそんな秘密がw
まあ、>>201あたりのカキコは殿堂入りということで
次スレにもテンプレとして貼ってもらおう。
626:名無し三等兵
09/05/20 11:02:44
URLリンク(blog-imgs-17.fc2.com)
書かれたのはいつの時代か知らんが、武装は大鎧とか薙刀で鎌倉期周辺のものだよね。
これは突撃のうちに入らないの?
627:名無し三等兵
09/05/20 12:11:27
>>623
クランたんのお万戸隊長に僕のおちんちんクランクラン
628:名無し三等兵
09/05/20 15:47:17
>>624
左右が全く対応してないぞ、いつもはAgeてる国士様よw
それじゃあ単に妄想文へ尤もらしく国書を添えただけ
629:名無し三等兵
09/05/20 16:14:22
>>628
一度目と二度目の国書はまだですか?w
630:名無し三等兵
09/05/20 16:34:15
>>629
まだですか?wじゃなく、>>361>>369の友好的な文が一度目・二度目の国書なw
使者を殺害する蛮行に及んだ三度目が詰問調
631:名無し三等兵
09/05/20 16:58:13
201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw
632:名無し三等兵
09/05/20 17:26:26
>>631
どうした?見えない強敵と戦ってるのか?w
633:名無し三等兵
09/05/20 17:32:26
>>201の間違いを取り繕うために>>630の人は必死に頑張ってるんですね。
634:名無し三等兵
09/05/20 17:37:11
というわけで、超意訳を自称する妄想感想文を垂れ流すのはもう無理だと思うよ>国士様w
635:名無し三等兵
09/05/20 17:42:01
またはじまったw
>>200と>>201はテンプレ
636:名無し三等兵
09/05/20 19:45:01
えっと、使者殺したのは文永の後だから
流れとしては、とりあえず使者を二回送る→文永の役→脅迫の意味も強めて三度目の使者
→「負けてもねーのに降伏するかバカ」で首チョンパって流れだろ?
こうして見れば、鎌倉幕府の対応がDQNだというのなら
別に使者殺したわけでも無く、単に国書スルー(使者自身には穏便にお帰り頂く)
しただけで日本に攻め込んできた元も十分DQNって言えるんじゃないの?
しかし考えれば考えるほど日本なんて攻めるメリットゼロだろ。
別に土地が肥沃なわけじゃない、莫大な資源があるわけじゃない
災害とかで船難破しやすい、上陸難しい、したらしたでアジア最凶の戦闘民族がお出迎え。
フビライの最大目標だった南宋と友好的だったっつっても
日本との交易は、さほど南宋経済でウェイト占めてたわけじゃないし。
高麗の日本攻めるニダ!なんてスルーすりゃ良かったんじゃない?
637:名無し三等兵
09/05/20 20:23:44
超意訳だからあれは一度目じゃない、とか抜かしてるが
お前あれは三度目だといったよな↓
201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw
638:名無し三等兵
09/05/20 22:28:56
>>636
文永の役の前の蒙古からの使者は
国的・潘阜の時に二回
張鐸が一回
趙良弼が二回
計5回きてるかな
639:名無し三等兵
09/05/20 22:29:56
×国的
○黒的
640:名無し三等兵
09/05/20 23:00:31
で、三度目の国書マダー?
641:636
09/05/20 23:04:50
>>638
おお、そうだったんか。トン
642:名無し三等兵
09/05/21 01:51:14 8yjdpmm3
>>641
その程度の事すら知らずに暴れてたのか、通りで話が噛み合わないわけだw
>>637,640
おまえはいつまで見えない敵と戦ってんだよw
643:名無し三等兵
09/05/21 03:57:15
>>636
当時の日本は金銀ざっくざくですお
644:名無し三等兵
09/05/21 04:02:01
>>637
帰ったらのせてやるとも言っていたよねー?(o ´д)(´д`o)ネー
205 :名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:34:54 ID:???
>>201
じゃあ一度目と二度目を出せば?
どうせ無理だろうけどw
206 :名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:41:43 ID:???
>>205
帰ったら載せてやるよ国士さんw
645:名無し三等兵
09/05/21 06:51:01 8yjdpmm3
>>643
鎌倉時代はまだ砂金が主だから、ざっくざくってほどじゃないんじゃね
>>644
国士様が妄想感想文の左へ勝手に添える漢文、あれのうち1つがそれだよw
帰ってからすぐPC直して載せるつもりが、今の今まで直らず仕舞で
わざわざ無知な基地外のためにPS3でちまちま書き込んでやる義理も無いから連休明け後になったワケ
646:名無し三等兵
09/05/21 08:18:00
>206 :名無し三等兵:2009/04/28(火) 14:41:43 ID:???
>>>205
>帰ったら載せてやるよ国士さんw
ひょっとして一度目を出せば納得すると思って>>200と大意が変わらないやつを出し続けているのか?
誰も期待してないのに。
>201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>>200
>それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw
せっかくだけど、君が期待されているのは>>200が三度目のものだと示すことだよ。
647:名無し三等兵
09/05/21 09:48:02
お前ら釣られんなよ
648:名無し三等兵
09/05/21 13:47:55
結局友好的な内容の国書を提示できなかったage厨哀れw
649:名無し三等兵
09/05/21 14:24:13
>>642
文永の役の前に使者殺したと勘違いしてるお前に言われたくない
650:名無し三等兵
09/05/21 15:51:12
>>200が三度目の国書だと聞いたのですが本当ですか?
651:名無し三等兵
09/05/21 17:13:23
大量の絹や銅銭を明から持ち出し
その報酬として
日本は一つまみの金を出すだけ
当時の大陸との取引はそんな感じ
652:名無し三等兵
09/05/21 17:14:38
>>648
一度目の国書、何をどう読んでも友好的だぞw
妄想感想文は何も訳してない分、当然敵意のある文になってるがw
上天眷命
大蒙古國皇帝奉書
日本國王朕惟自古小國之君
境土相接尚務講信修睦況我
祖宗受天明命奄有區夏遐方異
域畏威懐徳者不可悉數朕即
位之初以高麗无辜之民久瘁
鋒鏑即令罷兵還其疆城反其
旄倪高麗君臣感戴來朝義雖
君臣而歡若父子計
王之君臣亦已知之高麗朕之
東藩也日本密邇高麗開國以
來亦時通中國至於朕躬而無
一乘之使以通和好尚恐
王國知之未審故特遣使持書
布告朕意冀自今以往通問結
好以相親睦且聖人以四海為
家不相通好豈一家之理哉至
用兵夫孰所好
王其圖之不宣
至元三年 八月 日
653:名無し三等兵
09/05/21 18:14:27
早く三度目の国書を出してよw
654:名無し三等兵
09/05/21 19:49:45 HZZskSjO
話の流れが全く読めないんですが。
ミリヨタの発狂が酷すぎてさすがの俺も突っ込めない・・・
とりあえず今回の“酷使様”は誰を指して言ってるの?
俺にはミリヨタの一人相撲にしか見えない。
655:名無し三等兵
09/05/21 19:54:21
ただでさえややこしいのにあんたまでいると収拾がつかなくなるから書き込まんでくれ。
頼むから。
656:名無し三等兵
09/05/21 19:55:25
>>652
そうは言っても南宋がまだ生きてる状態でしょ?
それで「中華皇帝でございます」ってフォーマットで文章出されても、北朝鮮が「朝鮮半島正統政権」を主張してるのと同じレベル。
どっちを取るかは軍板ってより政治版向きのネタなんじゃね?
657:名無し三等兵
09/05/22 01:15:33
そもそも現代の価値観に強引に当てはめて、鎌倉幕府をDQN扱いすんのなら
単に「考えておきます」って国書スルーしただけで
攻め込んで来た元のがよっぽどDQNだと言えるだろ。
658:名無し三等兵
09/05/22 01:39:37
なあそもそも国士さまだか酷使さまだかって勝手に命名してるけど
どういう状態のどんな意見のやつのことそう呼んでるのかさっぱり不明なんだよね
なに?元があっさり潰走したって事実を聞こえないふりできる人間以外は全部国士さまなの?
659:名無し三等兵
09/05/22 01:52:06
あからさまな酷使は減ったな
昔のスレのひでーこと
660:名無し三等兵
09/05/22 02:32:03
>>658
高麗軍が積極的だったということを否定しない人らしいよー
661:名無し三等兵
09/05/22 02:59:41
そろそろ弘安の役で東路軍と接触するシーズンだな
662:名無し三等兵
09/05/22 03:04:22
>>626
これは入るな
663:名無し三等兵
09/05/22 03:10:45
参考までに某先生のトンデモ論検証スレ。
中世の武士達の戦い方にも触れられてるから話題がてらにどぞー。
スレリンク(history板)
つかこの手の歴史の偉い先生って、どうして言うことが極端な人が多いんだろうか?
古の武士達は少なくとも、こういう先生方よりは柔軟な思考が出来てたと思う。
>>659
2ちゃん以外の所で(てか2ちゃんでも)
蒙古襲来→鎌倉武士はフルボッコにされただけで勝っていません
唐入り→戦国オールスターが、平和国家の朝鮮や落日の明にケチョンケチョンにされた惨めな戦いです。
日露戦争→アメリカ様が仲裁に入って終わっただけで、日本は全然勝ってなんかません
という妄言に異議唱えると、酷使扱いされる時がたまーにあるから気をつけろ。
664:名無し三等兵
09/05/22 05:12:35
>>657
> 単に「考えておきます」って国書スルーしただけで
「考えておきます」とかいう穏当な感じじゃなくて、「絶対返事しないで下さい!無視です、無視!」
という感じで朝廷の返牒案を止めさせたらしい。
どちらかというと朝廷の外交権について幕府側から干渉した形になるんだけど、朝廷側も国書の到来そのものに
おっかなびっくりな感じだったこともあってか(返牒案では割と厳しい文言を使っているようだけど)、幕府側の
意見を入れて返牒出すをのやめちゃったらしい。
以降は太宰府の応対を含めて、幕府側が弘安の役以降も蒙古への対応は全て主導する感じになったようで、
文永の役の時の守備部隊の配備とか弘安の役までの石築地の建設とか輪番制による異国警護番役の設置とか
を通じて、幕府による九州北部の直接統治体制を段階的に進めていたりしているようだ。
ただの「蒙古なんぞガン無視!」とかいうことだけではなくて、幕府権力を日本の国制上でどこまで
伸長させるかという問題も絡んでいたようで、幕府中枢の安達泰盛なんかは幕府側と朝廷側の共同歩調で
蒙古との問題に対処しようとしていたようだけど、朝廷側からの影響を極力排除しようという動きも
幕府側にはあったようだ。そこら辺のせめぎあいもあったようだけど、基本的に幕府側の対応は初めから
国書の無視、臨戦体制への指向が強かったようで、国書に対して非難するとか内容を否むとかいった
もうちょっと広く「外交をする」という感覚が希薄だったと、鎌倉時代とか日本の中世史をやっている
先生方は見ているらしい。
(少なくとも今は亡き網野善彦、村井章介、奥富敬之各氏の近年の著書、近刊の「戦争の日本史シリーズ」の
『蒙古襲来』の著者、新井孝重氏なんかもおおよそそんなことを書いている)
>>653
趙良弼の時の国書ならあるけど、それで良い?
665:名無し三等兵
09/05/22 05:31:24
それにしても昔の教育はひでえな。俺が小中学生の時に習った話と全然違うじゃねえか。
武士はまず名乗りを挙げ、一騎打ちを挑んでいる間に次々と討ち取られ、元軍の
最新鋭兵器てつはうに対して武士は、無力で一方的展開だったが元軍が、夜になって
船で休息しているところを突然台風が起こって元軍は壊滅した。この台風を神風という。
この後、日本は神国思想が広がり、後々の軍国主義につながっていった。元軍が敗退した
背景には朝鮮半島の三別抄の抵抗をはじめ、アジアでの抵抗があった。また、元軍はこれら
征服地の兵から成っており、士気が低かったことも挙げられる。
って感じだった。今思い出すと、本当に教育ってなんなんだろうね。マジで教育不信になりそう。
666:名無し三等兵
09/05/22 07:40:11
>>664
その辺りのいろんないきさつは大河ドラマでやってたなあ。
667:名無し三等兵
09/05/22 09:50:31
>>663
つまり
酷使=反日史観者への蔑称
国士=反日史観者が武士有利派をなじるときの蔑称
ということかいな
668:名無し三等兵
09/05/22 10:30:00
自分以外はみんな敵にしたい人の定義なんか気にしても仕方ない
669:名無し三等兵
09/05/22 10:34:25
>>664
>>653じゃないけどプリーズ
670:名無し三等兵
09/05/22 10:48:26
>>661
5月21日 対馬襲われる
6月06日 博多に出現
同日 志賀島係留 大矢野種保軍ら夜襲
6月08日 大友貞親軍らによる攻撃
6月09日 東路軍海上へ撤退
6月13日 東路軍壱岐まで後退
6月29日 少弐経資軍ら壱岐の東路軍に追撃
7月02日 東路軍壱岐を放棄、平戸まで撤退
7月07日 島津長久軍+松浦党らと小競り合いを繰り返す
7月27日 元軍耐えきれず徐々に鷹島へ敗走しだす
7月30日 台風
閏7月5日 鷹島にて元軍残党狩り。元軍敗北
671:名無し三等兵
09/05/22 11:19:30
>>663
>古の武士達は少なくとも、こういう先生方よりは柔軟な思考が出来てたと思う。
刀は槍より短いから理論上勝つのは無理だよー、なんて考えていたら戦場では生き残れないよな。
672:名無し三等兵
09/05/22 11:48:08
>>663
鈴木ってアマチュアなんだから「偉い先生」でも何でもないだろ。
単に威勢の良いが有名なだけで。
673:名無し三等兵
09/05/22 13:16:36
てか「これが歴史の真実だ!」みたいな感じの本出してる奴は大抵そうだなw
大学なんかの偉い先生はそもそもそんな暇無いしw
674:名無し三等兵
09/05/22 14:01:55
>>663
>酷使扱いされる時がたまーにあるから気をつけろ。
そのくせ奴らの母国の正史である『高麗史』よりも日本の宗教書である『八幡愚童訓』を信頼するワケのわからなさw
675:名無し三等兵
09/05/22 16:26:06
>>633
しかも>>630すら間違っているという自爆の上に自爆を重ねるプレイ
676:名無し三等兵
09/05/22 18:49:32
大分スレが伸びてるけど、>>201がテンプレに貼られるのが早まるだけなのになwww
677:名無し三等兵
09/05/22 19:08:21
一度目の国書にした所で、要するに「そっちから挨拶に来なかったのは忘れてやるから高麗と同じような位置に付け」という催促でしょうが。
勝算の有無に関しては現にお引取り頂いたんで不問としていいと思うし、そうなると南宋が立ってる間に元に付くメリットって見えて来ないんだけど。。
678:名無し三等兵
09/05/22 22:44:37
> 一度目の国書にした所で、要するに
> 「そっちから挨拶に来なかったのは忘れてやるから高麗と同じような位置に付け」
> という催促でしょうが。
>>368-370,>>428-429を読めば分かると思うけど、第一回の国書の場合、文中での国書を発した
主旨について「いままで我々と日本とは信書の往来なども無かったから、今後は互いに通交したい」
という内容に飽くまでなっている。色々言ってはいるが、基本的に「通交したい」という主旨で
締めくくられるようなっている。
「高麗と同じような位置に付け」というが、何時の時点かで高麗とモンゴル帝国との関係は違ってくるし、
国書文中では「高麗は朕の東藩なり。」とあり、「義は 君臣と雖ども、歡は父子の若とし。」とあるように
国書が発した時点で高麗がモンゴル帝国(具体的にはクビライ政権だが)の服属・臣従国家のひとつと
していたことは疑いの余地は無い。
一方、この時の国書、特に東大寺の「蒙古国牒状」にその特徴が良く出ているが、同時に日本については
冒頭で「"奉書"日本國王」とはじまり、末文では「不宣」と締めくくっている。「不宣」とは「不宣白」の
意味。さらに、元朝後期に編纂された文書集『元文類』に日本に発せられた国書について言及があるが、
「不宣白。不臣之也」とある。
そのため、「奉書」にしても「不宣白」にしても、第一回の国書の段階で、クビライ側は日本を高麗のような
「臣」的な立場としている/しようとしている形跡はない。
これらのことから、例の杉山センセがその代表格として有名だが(主に東洋史の先生方だが)モンゴル帝国
時代の命令文書の研究から第一回の国書について言及される場合、日本に臣従を求めるとかあるいは臣下と
みなす文面などでは無い、というのが定まった見解だ。
679:名無し三等兵
09/05/22 23:04:22
>>669
了解。とりあえず>>482,>>484-485で触れたけど、>>368-370,>>428-429で上げた、
東大寺蔵の至元三年付けのいわゆる「蒙古国牒状」が高麗使臣、起居舎人・潘阜によって
もたらされた三年半後、クビライは第五次となる日本招諭に女直人出身の趙良弼を派遣した。
『元史』日本伝では至元三年八月条に>>368-370,>>428-429とほぼ同じ国書の文を
載せたたあと、至元六年十二月(1269年12月25日~1270年1月22日)条でこの
趙良弼がもたらした国書の文も載せている。
東大寺の「蒙古国牒状」と違い、至元三年八月条では国書の文はベタ張り状態で、
至元六年十二月条の国書も同じくベタ張り状態だが、こちらもとりあえずその部分を
うpしてみる。
『元史』巻二百八 列伝第九十五 外夷一 日本 至元六年十二月条
「十二月、又命祕書監趙良弼往使。書曰:「蓋聞王者無外、高麗與朕既爲一家、王國實爲鄰境、
故嘗馳信使修好、爲疆場之吏抑而弗通。所獲二人、敕有司慰撫、俾齎牒以還、遂復寂無所聞。
繼欲通問、屬高麗權臣林衍構亂、坐是弗果。豈王亦因此輟不遣使、或已遣而中路梗塞、
皆不可知。不然、日本素號知禮之國、王之君臣寧肯漫爲弗思之事乎。近已滅林衍、
復舊王位安集其民、特命少中大夫祕書監趙良弼充國信使、持書以往。如即發使與之偕來、
親仁善鄰、國之美事。其或猶豫以至用兵、夫誰所樂爲也、王其審圖之。」良弼將往、
乞定與其王相見之儀。廷議與其國上下之分未定、無禮數可言。帝從之。」
ただ、見れば分かる通り、『元史』日本伝のものは、東大寺の「蒙古国牒状」に見られるような、
冒頭の「上天眷命」と 「大蒙古國皇帝奉書日本國王」、それから文末の「不宣(不宣白)」と発令した
年月を欠いている。
680:名無し三等兵
09/05/22 23:07:26
>>679の続き。
某杉山センセは東大寺の「蒙古国牒状」の形式から、冒頭の「上天眷命」と「大蒙古國皇帝奉書日本國王」、
それから文末の「不宣(不宣白)」と発令した年月を補って、趙良弼が持って来た国書の状態を復元している。
ただ、「恐らくこんなものだったろう」的なもので、あまり厳密な復元案ではないと一応断わっておられる
ようだが、それも一応うpしてみる。
(『モンゴルが世界史を覆す』日経ビジネス文庫、2006年3月、340頁より。句読点は>>679に
附されているので敢えて省いた)
==============
上天眷命
大蒙古國皇帝奉書
日本國王蓋聞王者無外高麗
與朕既爲一家王國實爲鄰境
故嘗馳信使修好爲疆場之吏
抑而弗通所獲二人敕有司慰
撫俾齎牒以還遂復寂無所聞
繼欲通問屬高麗權臣林衍構
亂坐是弗果豈王亦因此輟不
遣使或已遣而中路梗塞皆不
可知不然日本素號知禮之國、
王之君臣寧肯漫爲弗思之事
乎近已滅林衍復舊王位安集
其民特命少中大夫祕書監趙
良弼充國信使持書以往如即
發使與之偕來親仁善鄰國之
美事其或猶豫以至用兵夫誰
所樂爲也
王其審圖之不宣
至元七年十二月 日
==============
681:名無し三等兵
09/05/22 23:09:24
>>680の続き。
この杉山センセの復元によりつつ、岩波文庫の『旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝』
で編訳された石原道博先生が書かれた当該部分の書き下し文と現代語訳文を適宜補いつつ
うpしてみる。
・書き下し文
==========================================
(上天よりの命に眷(いつく)しまれたる
(大蒙古國皇帝、
日本國王を奉る。?)蓋し聞く、王者は外無しと。高麗と朕とは
既に一家たり。王の國は實に鄰境たり。
故に嘗つて信使を馳せて好を修めしも、疆場の吏のために
抑えられて通ぜず。獲る所の二人、有司に敕して慰撫し、
牒を齎(もた)せて以て還らしめしも、遂に復た寂として無聞く所なし。
繼いで通問せんと欲せしも屬(たまたま)高麗の權臣・林衍、亂を構え
是に坐して果たさず。豈に王も亦た此れに因りて輟(や)めて
使を遣わさざりしか、或いは已に遣わせしも中路にて梗塞せしか、皆
知るべからず。然らずんば、日本は素より禮を知る國と號す。
王の君臣、寧(いずく)んぞ肯(あ)えて漫(みだ)りに思わざるの事を爲さんや。
近ごろ已に林衍を滅ぼして王位を復舊し、其の民を安集せり。
特に少中大夫祕書監・趙良弼に命じて
國信使に充(あ)て、書を持して以て往かしむ。もし即ち
使を發し之と偕(とも)に來らば、親仁善鄰、國の
美事ならん。其れ或いは猶豫し、以て至用うるに兵を夫(し)れ誰が
樂しんで爲す所ならんや。
王其れ審らかに之れを圖(はか)れ。(不宣
至元七年十二月 日)」
==========================================
682:名無し三等兵
09/05/22 23:10:35
>>681の続き。
・現代語訳文
==========================================
(上天より命を眷(いつく)しまれたる、
大蒙古國皇帝が書を
日本國王に奉る。?) けだし聞く、王者は外がない、と。高麗と朕とは
既に一家である。王の国は実に隣境である。
故にかつて信使を馳せて好を修めようとしたが、疆場の吏(国境の吏の意味。太宰府の
役人のこと)のために抑えられて通じなかった。
獲えた所の二人(塔二郎と弥二郎のこと)は、有司(役人)に敕して慰撫(なぐさめなでる)
し、牒をもたせて還させたが、ついにまた寂(さびしい、ひっそり)として聞く所がない。
つづいて通問(おとずれをする、称謝する)しようと欲したが、たまたま高麗の権臣・林衍が、
乱を構え、これに坐して果たさなかった。なんとも王もまたこれによりて輟(や)めて
使を遣わさなかったのか、あるいはすでに遣わしたけれども中路において梗塞(ふさぎ
とざす)したのか、みな知ることができない。そうでないなら、日本は素から礼を知る
国と号している。
王の君臣は、なんであれ漫(みだ)りに思わない事をするのであろうか。
近ごろ、すでに林衍を滅ぼして王位を復旧し、その民を安集(やすんじやわらぐ)した。
特に少中大夫祕書監・趙良弼に命じて国信使に充(あ)て、書を持って往かせる。もしすぐに
使を発し、これと偕(とも)に来るならば、親仁善鄰、国の
美事であろう。それともあるいは猶予(ぐずぐず)し、そのため兵を用いるに至っては、
それ誰が楽しんでなす所であろうか。
王よ、よくこの点を思案されよ。(不宣
至元七年十二月 日)」
==========================================
683:名無し三等兵
09/05/23 00:12:13
>>682の続き。
この文のすぐあとに、
「良弼、將(まさ)に往かんとし、其の王と相見の儀を定めんことを乞う。廷議すらく。
其の國と上下の分未だ定まらず、禮數の言うべきものなしと。帝、之に從う。」
((趙)良弼は、まさに往こうとし、その王と相見の儀を定めることを乞うた。廷議(朝廷で
論議すること)して、「その国と上下の分がまだ定まっていないし、礼数(身分相等の礼儀、
待遇)の言うべきものはない」と。帝(クビライ)はこれに従った。)と続く。
○国書の解説
趙良弼派遣に前後する当時のクビライ宮廷と主に高麗での情勢を簡単に述べると、>>484-485でも
触れたが、この国書でも出て来る通り、前年の1269年に高麗では権臣・林衍が高麗国王元宗を廃位
する事件が起きていた。偶々クビライの宮廷から帰国途中の高麗国王の世継ぎ、世子・[言甚](たん、
後の忠烈王)が高麗国境でこのクーデターの噂を聞き付け、クビライのもとへ急使を飛ばして
クビライに詰問の使者と自らに軍の助勢を請うて林衍一派の企てを挫いたが、この事件はその後
林衍一門の一派からやがて例の三別抄の反乱が続くことになる。
・本文の内容
さて、趙良弼の持って来た国書には、林衍のクーデターによって信使の派遣が滞る状態があった
ことを述べ、こちら側の事情によって日本からの返信も届き得なかったのだろうか、という推測を
述べる。
684:名無し三等兵
09/05/23 00:13:24
>>683の続き。
ただ、続いて、
「或いは已に遣わせしも中路にて梗塞せしか、皆知るべからず。然らずんば、
日本は素より禮を知る國と號す。王の君臣、寧(いずく)んぞ肯(あ)えて
漫(みだ)りに思わざるの事を爲さんや。」
とあり、「こちらの事情のため返信出来なかったのか、あるいは途中で道が塞がれたものか、
事情の全ては知る事が出来ない」としながらも、
「日本は素より禮を知る國と號す。王の君臣、寧んぞ肯えて漫りに思わざるの事を爲さんや。」
(日本は礼を知る国と呼ばれている。日本の君臣はなんであれ心無いことをするものだろうか」)
と、婉曲的ではあるが、日本からの返信が黙殺的な状態を,
「日本は礼を知る国だから、礼儀に反するようなことをする訳がないよね?」と、返信が無い
ということは失礼な事なのだぞと、遠回しにだが、割と強く非難していることが伺える。
685:名無し三等兵
09/05/23 00:15:18
>>684の続き。
同様に、「故に嘗つて信使を馳せて好を修めしも、疆場の吏のために抑えられて通ぜず。」とあり、
初回の使者・潘阜が太宰府に留め置かれ、国書を日本の朝廷に手交することを妨害されたとして
ここでも太宰府側の対応を役所名を出さないまでも非難をしている。「疆場の吏」とは疆域、国境の
役人、役所の意味で、要するに太宰府のことを指している。
「もし即ち使を發し之と偕(とも)に來らば、親仁善鄰、國の美事ならん。」
(もしすぐに使を発し、これと偕(とも)に来るならば、親仁善鄰、国の美事であろう)
返信の使者さえあれば、善隣して、「国の美事」になろうと強調した上で、
「以て至用うるに兵を夫(し)れ誰が樂しんで爲す所ならんや。」と釘を指している。
さらに「其れ或いは猶豫し、」とあり、猶予、つまりグズグズしてこれ以上の返信の遅滞するなら
兵火を交えるようになってもそれは日本側の所為になろうと、ここでも返信の黙殺を強く非難している。
・趙良弼派遣の時期における高麗周辺の情勢
>>482,>>484-485でも触れたが、最初の潘阜が太宰府に来た至元5年頃は、あまり「変な風になって
交戦状態になったら嫌ですよね~」的なことを言っていたが、実際に日本への遠征などは、高麗近辺に
海外遠征出来るような状態も準備も無く、あまり現実味のある話ではなかった。
ところが、林衍のクーデターとその後の三別抄の反乱と討伐の過程で、クビライは高麗に課すことに
していた外征義務を実施する方向に転換し、その議論で日本遠征も実際問題として視野に入れるように
なったようだ。林衍のクーデターが一旦鎮圧され、クビライは高麗の重臣たちに事情を釈明するよう
大都に召喚している。この時に高麗の重臣のひとり李蔵用がクビライに謁見して高麗の処遇について
なんとか軍役などの負担を軽減するよう必死に交渉しており、そのなかで遠征が本格化している南宋に
なるかそれとも日本になるかまだ分からないが、ともかく軍艦などの建造や準備をしろと命じている。
この時、はじめて日本への遠征についての話が出て来た。四度に渡る招諭が失敗した末の時期にあたる。
686:名無し三等兵
09/05/23 00:22:18
>>685の続き。
『高麗史』の李蔵用伝によると、この時、李蔵用は高麗の国土はいまだに疲弊と荒廃から立ち直って
おらず、南宋のような遠方への派兵はどうか勘弁して頂き、命じられるのであれば間近である日本への
遠征の場合に限らせて頂きたいとクビライに懇願し、この交渉の結果、だいたいは日本遠征に
あてられるだろうとしながらも、高麗はともかく軍艦と兵員の準備をはじめることとなった。
(勿論、場合によってはやはり南宋遠征に助勢することになる可能性もこの頃はまだ十分あった。)
趙良弼派遣には、それまでの四回にわたる招諭の失敗に加え、こういった高麗国内のクーデター騒動
から来る情勢の変化が多分、色々と影響していたと思われる。
同じ時期、南宋遠征は前年の1268年に南宋最大の拠点、襄陽・樊城の包囲戦がはじまったが、
中央アジアではクビライがカイドゥなどの帝国西部の諸王族の鎮撫のためチャガタイ家の補佐として
派遣した王族バラクが独断でチャガタイ家の当主位を簒奪し、趙良弼が派遣された1269年には
中央アジアの所領を巡ってカイドゥやジョチ家のモンケ・テムルの軍と交戦するという、予想だに
しない状態に陥っていた。
元宗廃位事件はクビライが中央アジア政策で重大問題を抱えていた時期に起こっており(特にモンゴル
皇帝としての正統性、存立基盤に直結する問題だったため、中央アジア政策は最重要課題であり、
深刻だった)、日本について強硬姿勢をほのめかせるようになったのも、「腹裏」と称されたモンゴル
高原やクビライの本拠地である中都、上都開平府周辺の情勢不安を押さえ込もうと神経を尖らせていた
ことも少なからず影響しているように個人的には感じる。ただ、残念ながら、クビライ政権における
情勢の変化と、日本への招諭・使者の派遣や、その後の日本への遠征軍の派遣についての影響や関連性に
ついての研究・論及はあまり進んでいないため、何とも言い難い。
687:名無し三等兵
09/05/23 07:13:53
まだちょっと早いですが、京都国立博物館でなかなか良さそうな展示会が
これからあるようですので、忘れないうちに貼っておきます。
開期的に夏休みなのですな~
シルクロード 文字を辿って―ロシア探検隊収集の文物―
2009年7月14日(火曜日)~9月6日(日曜日)
「サンクトペテルブルグのロシア科学アカデミー東洋写本研究所には、
ロシア探検隊が敦煌及び中央アジア各地において発見した貴重な文献と
その断片、合わせて約2万件が所蔵されています。
悠久のシルクロード周辺で記された典籍類や記録は、時代的にはほぼ4世紀から
12世紀にわたっており、写本の仏教経典を中心に漢文・西夏語・コータン語・
トハラ語・ソグド語のものなどもあります。それらの中から選りすぐった
優品約150件を展示、その大半が日本初公開です。」
会場 京都国立博物館 特別展示館
URLリンク(www.kyohaku.go.jp)
URLリンク(www.kyohaku.go.jp)
688:名無し三等兵
09/05/23 07:15:18
失礼。誤爆しました(汗
689:名無し三等兵
09/05/23 08:33:12
久々に行ってみるかな。それにしてもkyohakuという略し方はいかがなものか
690:名無し三等兵
09/05/23 08:50:41
対馬と壱岐の犠牲者に哀悼の意を表します
691:名無し三等兵
09/05/23 08:53:15
ムクリコクリの子孫は対馬と壱岐に謝罪と補償をすべき
692:名無し三等兵
09/05/23 09:34:32
> ムクリコクリ
民俗学の泰斗・折口信夫は、北九州近辺で子供を躾ける時に見られる、「ムクリコクリの鬼が来る」と
いう脅し文句の「ムクリコクリ」とは、通常「蒙古」「高句麗(高麗)」の訛音とされると言われているけど、
本来は勿怪やもっこ、ナマハゲと同じ種類のもの、常世からあるいは深山やって来て子供を恐れさせる「剥くる」
とか「こくる(こそぎ落とす)」系の化け物が起源じゃないか、というようなことを言ってるようだ。
元々は全然関係ないものが、たまたま音が似通っているから蒙古や高麗に結び付けられているんじゃなかろうか
的なことらしい。
ただ、鎌倉時代末期の法律用語解説書、『沙汰未練書』には「一 蒙古トハ、異国ムクリの事也」とは書いてあるけど。
693:名無し三等兵
09/05/23 10:01:11
元寇とベトナム戦争における高麗・韓国兵の比較
元寇の際の高麗軍による壱岐対馬の島民大虐殺
・島の男は幼児・赤子に至るまで皆殺しにした上、耳鼻を削いだ。
・女性は強姦され、手の掌に孔を穿ち紐に通して船端に裸で吊るし「強制連行」した。
・高麗軍の将兵が彼女等をレイプしながら博多湾に侵攻した。
・捕虜となった者は、誰一人生きて帰った者は居なかった。
ベトナム戦争の際の韓国兵の大虐殺
・住民たち(大部分が女性と老人, 子供達)を一ケ所に集めた後、又はいくつかのグループに
まとめて、機関銃を乱射して抹殺した。
・住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やした。
・子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込んだ。
・女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰した。
・住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させた。
共通の特徴として
①宗主国の「傭兵」として派遣され、無抵抗の現地住民を徹底かつ残忍に虐殺している。
②老若男女皆殺し、特に幼児や妊婦に至るまで死体損壊を徹底して行っている。
③その事実に対する事態の認識、反省(勿論謝罪賠償)を全く行わない。
④逆に時間が経つと、自分達が「強制的」に狩り出された、辛い立場の被害者だったと言い出す。
壱岐対馬とベトナムの700(1274-1967)年と3千kmの時空を越え、同様な虐殺が繰り返されたが、
余りの共通点の多さに慄然とする。朝鮮民族の気質は全く変わっていないことが解る。
694:名無し三等兵
09/05/23 10:03:03
>耳鼻を削いだ。
その割には朝鮮出兵で日本軍の耳そぎを残虐だと非難していますね。
695:名無し三等兵
09/05/23 10:39:40
> 手の掌に孔を穿ち紐に通して船端に裸で吊るし「強制連行」した。
「強制連行」したのは間違い無いんだけど、「手の掌に孔を穿ち紐に通して船端に吊るした」
って部分は最近疑義がもたれているらしい。
696:名無し三等兵
09/05/23 10:40:25
ソースは
697:名無し三等兵
09/05/23 11:15:05
5月21日 対馬襲われる
6月06日 博多に出現
同日 志賀島係留 大矢野種保軍ら夜襲
6月08日 大友貞親軍らによる攻撃
6月09日 東路軍海上へ撤退
6月13日 東路軍壱岐まで後退
6月29日 少弐経資軍ら壱岐の東路軍に追撃
7月02日 東路軍壱岐を放棄、平戸まで撤退
7月07日 島津長久軍+松浦党らと小競り合いを繰り返す
7月27日 元軍耐えきれず徐々に鷹島へ敗走しだす
7月30日 台風
閏7月5日 鷹島にて元軍残党狩り。元軍敗北
698:名無し三等兵
09/05/23 11:41:40
>>694
日本の場合は、単に首だと邪魔になるから、代わりに耳や鼻の数で
戦果報告する習慣があったが、元軍のもそれに近いの?
699:名無し三等兵
09/05/23 11:42:56
>>696
もともと、文永の役の時に高麗軍だか蒙古軍だかが対馬や壱岐で女子供の手に穴を空けて
それに縄を通して連行した、という話の元ネタは、日蓮が文永の役の二年後というか翌年にあたる
建治元年に出した書簡の一部に出てくるもの。日蓮が身延から佐渡国在住の一谷(いちのさわ)入道
という人物の女房に宛てた書簡(通称「一谷入道御書」)で、日蓮の書簡集である『高祖遺文録』
に収められているそうだ。建治元年(らしい)五月八日の日付を持つもの(一応原本の一部が現存)。
「(前略)日蓮か申事は、愚なる者の申事なれは用ひす、されとも去文永十一年太歳甲戌十月に、
蒙古國より筑紫によせて有しに、對島の者かためて有しに、總馬尉(宗助国)逃けれは、百姓等は
男をは或は殺し、或は生取にし、女をは或は取集て、手をとをして船に結付、或は生取にす、一人も
助かる者なし」
というのがそれ。「手をとをして」という部分は多分、「手のひらあたりに穴を空けて縄を通した」
という意味ではないかと、この書簡が引用される際に一般には言われている。
文永弘安の役前後の状況から日蓮のこの書簡の内容を検討した、という研究は実は今まであまりされて
いなかったようで、最近になって日蓮の書簡研究をやっている若江賢三という人がこの「一谷入道御書」
をはじめ、日蓮が蒙古襲来を言及したいくつかの書簡の系年研究を論文にしている。
「一谷入道御書」には出された月日は書かれているが、年号が附されていないため何時頃出されたかが
問題になっていて、同氏の結論としては様々な事情からこの書簡について伝承で述べられている通り、
建治元年のものと結論している。
700:名無し三等兵
09/05/23 11:45:11
>>699の続き。
それ以外の問題で、特に文永の役の時の蒙古軍側の蛮行のソースとして引用される同書簡だが、そもそも
捕虜の連行の際に、手に穴を通すなどという著しい外傷は化膿をおこさせ捕虜の生命に損亡させる行為
であり、人的財産である捕虜の連行でそのような事態があり得るのだろうか、という疑問をあげる。
他にも同書簡では対馬守護代の總馬尉(宗助国)が百姓を見捨てて逃亡したと言っているが、
鎌倉時代末期から室町時代にかけての宗氏の資料を見る限り、宗助国は対馬で討ち死にしたことは
どうも動かし難いようなので、日蓮が文永の役の翌々年に聞き知った「總馬尉(宗助国)逃けれは」
というのは誤報だったといえるようだ。
文永の役の翌年、文永12年の段階では、対馬や壱岐、博多が襲撃されたことは知らされていたが、
その内容までは分かっていなかった。ところが、翌々年の建治元年になると、対馬や壱岐での惨状が
色々入って来るようになったものの、かなりの損害を受けたということは確実だが内容はひどく混乱
していたようで、誤情報も入り乱れ仄聞した大仰な内容に動転していのではないかと、氏は推測している。
建治2年になると、実際の被害状況についても情報が整理されはじめたようで、日蓮のその後の書簡でも
対馬の住民が連行されたりしたことを非難する内容が多く見られるが、「手をとをして船に結付」という
ような生々しい情報は全く見られなくなる。対馬や壱岐の惨状を最初に伝えられたときに、未確認情報
ながら聞いた事がショッキングな内容だったためそれを書簡に書いたが、その後の情報では住民が
連行されたという以上の事は確実ではなかったので書かなくなったのではないか、と論じているようだ。
(若江賢三「蒙古襲来の伝聞を巡って--日蓮遺文の系年研究」『人文学論叢』8(2006年)
701:名無し三等兵
09/05/23 11:52:22
>>700の続き。
確かに、モンゴル帝国の戦役で、(中央アジア遠征など)外征先の住人を捕虜として掠奪・連行し、
奴隷として各種の農工業の人員として各地に投下して使役したという話はあるが、捕虜を縄や首木を
はめて連行したというなら話はあるが、「手をとをして船に結付」みたいな真似をした例は聞いた事が無い。
ちなみに、「手をとをして船に結付」という話は、20世紀編纂された、『元史』の改訂版、『新元史』の
日本伝にも出て来るんだが、編者の柯劭[文+心](かしょうびん)が『高祖遺文録』など日本からの資料から
孫引きしたものらしい。たまにモンゴル時代の史料として『新元史』が引用される場合があるが、
柯劭[文+心](かしょうびん)は記述の典拠を本文中で記していないため、それと分かるもの以外は、どこから
引いて来たのか分からない話が多く、資料としては問題があり過ぎるので、使う時そのまま引用するのはかなり
推奨"さない"もので、、むしろ元ネタになっただろう漢籍やペルシア語やその他の資料を直接当たった方が良い。
(『新元史』は20世紀初頭の編纂物なのでモンゴル帝国時代の「史料」としては使えないうえ、
初歩的な誤記脱漏など細部の誤りが多くて、中国内外の歴史家やモンゴル史研究者などからも
えらく批難されて、非常~~に人気が悪かった。)
702:名無し三等兵
09/05/23 12:19:57
そもそも700年前の出来事に「野蛮だ!野蛮だ!」と喚く時点で国書厨や秀吉の朝鮮攻めに謝罪を求める韓国人と同レベル。
それに
>その事実に対する事態の認識、反省(勿論謝罪賠償)を全く行わない。
とあるがベトナム戦争に関しては大統領が謝罪と賠償を行っているので間違い。
703:名無し三等兵
09/05/23 12:54:20
改行しっかり!
704:名無し三等兵
09/05/23 12:57:13
ムクリコクリが来ているようだな
705:名無し三等兵
09/05/23 13:17:01
>>702
確かに、いまだに元軍は残虐だの謝罪だの言ってる奴は韓国人と変わらんね
706:名無し三等兵
09/05/23 15:03:29
>>702
それ、後で韓国内の世論から猛反発受けて、取り消したんじゃなかったっけ?
707:名無し三等兵
09/05/23 23:40:57
>>701
モンゴル帝国の戦役で他に糞チョンを動員した例が有ったっけ?
モンゴルの連中が対馬やもっと沖の島を領地に貰って嬉しがるとも思えんから、実態は高麗領に編入だわな。
その時に捨てるほど余ってる自国民を入植させても良い訳で、一番ローコストな輸送法を選択しただけ。
勝てば代わりは幾らでも手に入るし。
(大航海時代以降の大西洋でも、輸送ロスって何?状態な運び方はしてた訳で、それがエスカレートすれば有り得る)
708:名無し三等兵
09/05/24 07:25:04
そもそも人体の構造として掌に体重をささえる強度は無く、言われるような事をすると
肉が破れて落ちていくとか。
709:名無し三等兵
09/05/24 07:30:05
そりゃ牛に鼻輪をしたからって船からぶら下げたりしない、犬に首輪をしたからって以下同文。
710:名無し三等兵
09/05/24 10:33:20
>>708
同じ理由で、かのキリストの磔でも実際には手のひらじゃなくて腕に釘を打ち込んだとか。
711:名無し三等兵
09/05/24 12:51:51
まあ鼻から針金とおしたり食人したりする国で
捕虜の健康状態を気にしてくれるとも思えんけどね
712:名無し三等兵
09/05/24 13:23:17
>>711
そもそも近代になるまでに、捕虜が人道的に扱われること自体稀。
713:名無し三等兵
09/05/24 14:09:06
牛でも犬でも繋いで置くことは出来るよね。十分「括り付けた」状態でしょ?
何で船からぶら下げる話になっちゃったんだろう。
714:名無し三等兵
09/05/24 14:16:44
>>713
ワシの言う通りにしないと国が滅びるぞって言ってた電波親父が、人を脅すためにでっち上げたから。
715:名無し三等兵
09/05/24 14:35:20
>>713
挑発および矢除けって説明してあったな
716:名無し三等兵
09/05/24 14:38:35
そもそもぶら下げたとかいうことじゃなくて
手の甲を通した捕虜を甲板に一列に立たせてあったとかう説明だったと思ったがどこからぶら下げたことになっちゃったんだ
717:名無し三等兵
09/05/24 15:34:36
>>712
おっと
日本軍の話題はそれまでだ
718:名無し三等兵
09/05/24 18:05:11
スレチガイだが一応
「日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り日本軍人であることに誇りを持っていた。
支那兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で例えば中共軍の捕虜になると、
四肢を斬り分けられ生きながらに火あぶりにされたり、はりつけにされたりしたのである
更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている
即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、男根を切り落し胸部を切り開いて石を詰め込み、
首は両耳を穿って紐や針金を通しさながら魚を串刺しにしたように口から喉に紐を通して持ち運びする等々それが中共軍の戦争様式であり
日本軍には絶対に見ることのできない支那の戦争文化である」
国際法学者ポール・フォーシーユ
719:名無し三等兵
09/05/24 18:19:48
>>718
フォーシーユが序言を寄せたのは日清戦争に関する著作なのに、なんで「中共軍」が出てくるの?
720:名無し三等兵
09/05/24 18:35:35
>>718
まあ日本軍は、太平洋戦争までの戦争は基本捕虜に対してかなり人道的だな。第二次世界大戦の捕虜の大量死は
虐待ってより、日本兵自体物資がなくて大量死してるから、捕虜の面倒みる余裕なんてなかったんだろう。
虐待にはかわりないが、同時に自国の兵への虐待でもあるな。
721:名無し三等兵
09/05/24 18:57:14
>>720
自分の食料を削って捕虜に大根やゴボウを食わせたら
それを理由に有罪にされた奴もいたとか
罪状は「捕虜に木の根を食わせて虐待した」
722:名無し三等兵
09/05/24 19:08:10
>>721
それはけしからんな、捕虜の癖に感謝が足らん。
酒のツマミに喰われなかった事を感謝して欲しいくらいだが。
723:名無し三等兵
09/05/24 19:53:05
父島じゃホントに酒の肴にしたけどなw
724:名無し三等兵
09/05/24 19:54:43
戦前は、フビライ=ハンて意外と人気あったんだな。
全世界英雄番附東洋編(明治42年 アンケート)
1 豊臣秀吉
2 チンギスハン
3 徳川家康
4 西郷隆盛
5 北条時宗
6 始皇帝
7 諸葛孔明
8 源頼朝
9 伊達政宗
10 織田信長
11 源義経
12 毛利元就
13 フビライハン ←ここ
725:名無し三等兵
09/05/24 22:33:33
それ以前に北条時宗が入ってることに感動したよ。
今なら「北条時宗?台風に救われたラッキーボーイだろ?」
って答えるバカが大多数だろうからなあ。
726:名無し三等兵
09/05/24 23:47:07
今なら頼朝が義経の上ってのもないだろうな。
727:名無し三等兵
09/05/24 23:47:15
あれ?どっかの誰かが戦前は、徳川家康と源頼朝は皇国史観によって不当に貶められたとか
言ってなかったっけ?あれ嘘なのか?現代とは比べ物にならないくらい評価高いじゃん。
728:名無し三等兵
09/05/25 00:17:08
しかし公平な評価をしようと言う動きがちゃんと認められるよね。
いや、半島で同じアンケートをして、自国の英雄が何人出てくるか知らんが秀吉は絶対に無いだろw
729:名無し三等兵
09/05/25 00:19:26
流石に室町幕府将軍は入ってないなw
にしても、戦国の三傑の評価が今と正反対なのも興味深いな。
今ならゲームとかの影響で織田信長が三人の中で一番上だろうな。
あとは始皇帝も意外だ。昔は始皇帝=悪人って
イメージ持たれてたんかなあぐらいに思ってたから。
730:名無し三等兵
09/05/25 00:21:55
個人的に一番意外なのは伊達政宗だわ。
てっきり大河ドラマになるまでは、仙台以外じゃどマイナー武将だと思ってた。
731:名無し三等兵
09/05/25 00:56:14
>>724の西洋版
1 ナポレオン1世
2 アレキサンダー大王
3 カエサル
4 ピョートル1世
5 クロムウェル
6 シャルルマーニュ
7 ワシントン
8 ハンニバル
9 フリードリヒ2世
10 ガンベッタ
11 リュクルゴス
12 ネルソン
13 ビスマルク
14 リンカーン
15 モルトケ
16 カヴール
17 コンスタンチン
18 ガリバルディ
19 アレフレッド大王
20 レオニダス
732:名無し三等兵
09/05/25 00:59:49
スレチだけど、ついでに。全世界英雄番附東洋編(14位~30位)
14 上杉謙信
15 武田信玄
16 源為朝
17 加藤清正
18 楠木正成
19 北条早雲
20 坂上田村麻呂
21 劉邦
22 上杉景勝
23 平清盛
24 徳川光圀
25 前田利家
26 大石内蔵助
27 源義家
28 黒田長政
29
30 小早川隆景
31 加藤嘉明
32 蒲生氏郷
33 本多忠勝
34 藤原鎌足
35 項羽
36 石田三成
37 孟嘗君
38 山鹿素行
39 岳飛
40 真田幸村
733:名無し三等兵
09/05/25 01:00:59
31 加藤嘉明
32 蒲生氏郷
33 本多忠勝
34 藤原鎌足
35 項羽
36 石田三成
37 孟嘗君
38 山鹿素行
39 岳飛
40 真田幸村
41 関羽
42 新田義貞
43 張良
44 佐々成政
45 曹操
734:名無し三等兵
09/05/25 01:01:15
リュクルゴスなんて今じゃ古代ギリシャヲタくらいしか知らんだろうによくランクインしたな。
735:名無し三等兵
09/05/25 01:02:31
733はミス
46 吉田松陰
47 李鴻章
48 北条泰時
49 鄭成功
50 井伊直政
51 劉備
52 木村重成
53 佐久間象山
54 明智光秀
55 島津久光
56 高杉晋作
57 足利尊氏
58 坂本龍馬
59 明智秀満
60 畠山重忠
61 文天祥
62 木曽義仲
63 山中鹿之助
64 韓信
65 酒井忠次
66 吉川元春
67 後藤又兵衛
68 由井正雪
736:名無し三等兵
09/05/25 01:07:17
59 明智秀満?なぜだw
737:名無し三等兵
09/05/25 01:09:05
新撰組がカスリもしてないのが笑えるw
738:名無し三等兵
09/05/25 01:47:25
スキピオ入ってないんだなあw
739:名無し三等兵
09/05/25 02:19:50
>>737
そりゃあまあ当時は新撰組=テロリストって認識だしw
今じゃ小学校(勿論日本のw)の教科書にすら載ってる李瞬臣がカスリもしてないw
てか水戸黄門とか大石内蔵助はなんか違くね?w
740:名無し三等兵
09/05/25 08:30:20
>>739
イスンシンが教科書に載ってるってマジ?
日教疽まじやばいな
741:名無し三等兵
09/05/25 18:41:19
>>727
まあ、尊氏の不人気ぶりと楠木正成の不相応な順位には皇国史観とやらが現れているかな、ってくらいだな。
しかし、ナショナリズムで埋め尽くされているかと思いきや自分の国を侵略しようとした国の皇帝とその先祖を
英雄に選ぶってのもなかなかすごい人たちだw
742:名無し三等兵
09/05/25 19:02:08
勝者の余裕
743:名無し三等兵
09/05/25 19:13:02
そもそもどんな連中を対象にしたアンケートなのかが解らん。
744:名無し三等兵
09/05/25 21:25:59
>>740
少なくとも俺が小学校の時(1997年頃)は載ってたw
勿論、安重根や柳贋順とかも。あとシャクシャインや佐倉総五郎も。
逆に天智以前の天皇とか北条時宗とか楠木正成とか東郷平八郎とかは全員スルー。
てか授業自体が、歴史の授業という名の人権学習だったなあw
蒙古襲来?勿論、元を挑発してボコられたけど
高麗と台風に助けられた間抜けな鎌倉武士って習いましたよw
まあ当時からツッコミ所満載だと思ってたから
今このスレにいるわけだがw
745:名無し三等兵
09/05/26 01:58:55
鎌倉武士が間抜けなのは確かだろ
746:名無し三等兵
09/05/26 13:46:05
>>745
747:名無し三等兵
09/05/26 14:11:10
>>745
その根拠を二百字以内で述べよ
748:名無し三等兵
09/05/26 14:29:38
間抜けな結果を残したのは明らかに元だけどな。
749:名無し三等兵
09/05/26 15:09:18
やあやあ我こそは、を未だに信じているとしたらそいつが間抜けだな。
750:名無し三等兵
09/05/26 16:07:54
>>748
しなくともいい戦争を招いた時点で幕府も相当な間抜け
751:名無し三等兵
09/05/26 16:12:42
>>750
具体的にどうすれば戦争を回避できたのか、ご高説をうかがいたい。
752:名無し三等兵
09/05/26 17:08:54
>>750
この間抜けはまたテンプレ貼られたいのw?
753:名無し三等兵
09/05/26 17:11:54
しなくてもいい虐殺を対馬壱岐でしてしまったばかりに
疲弊して本戦で息切れする元軍高麗軍
754:名無し三等兵
09/05/26 17:18:00
>>751
常識的なお手紙書けば回避できたのは確実だよ
現に戦争は1度きりで終わって、その後民間レベルの交易が盛んに行われたしな
>>752
また、捏造感想文で自爆するのか。そうかそうか
755:名無し三等兵
09/05/26 17:31:25
>>754
常識的なお手紙とやらを書いてモンゴルとの戦争を回避できた国が一つでもあるのか?
756:名無し三等兵
09/05/26 17:32:55
むしろ対日後、元の海運は縮小しちゃったはずでは?
757:名無し三等兵
09/05/26 17:50:22
>>201でいうように>>200が3度目の国書だという証拠はどうしたんだよ?
758:名無し三等兵
09/05/26 17:51:37
>>754
自爆って
文永の役弘安の役の計二回戦ってるのに「現に戦争は一度きりで終わった(キリッ)」とか言っちゃうこと?
759:名無し三等兵
09/05/26 18:01:01
のこのこやってきてみじめに返り討ちにあった元は確かに相当間抜けだわな
760:名無し三等兵
09/05/26 18:01:34
そうか。鎌倉幕府が間抜けならベトナムもマムルークもジャワもみんな間抜けだな。
あいつら、とりあえず文永以前は無事にお帰り頂いた鎌倉幕府より過激な対応してなかったか?
拷問して殺したり屈辱的な入れ墨して送り返したりしてただろ?
761:名無し三等兵
09/05/26 18:03:56
自爆って>>201みたいなカキコのこと?
762:名無し三等兵
09/05/26 18:59:59
お前等いいかげんスルースキルつけろ
763:名無し三等兵
09/05/26 19:07:28
じゃわ話題転換。当時の武士達の戦術について具体的に。
764:名無し三等兵
09/05/26 20:00:51
URLリンク(www.city.kobe.lg.jp)>
>この点、太刀の馬上使用は源平時代に増加したらしい。 『平家物語』(巻九)では今井兼平の最後の戦闘がその一例だが、騎射の後に太刀に移行している。
>弓射騎兵にとって、太刀が二次的な武具であることを示している。
>また、『平家物語』では、馬を射られるなどの理由で落馬してはじめて太刀を抜く記述も多い。これを「落馬打物(らくばうちもの)」とよぶこととする。
>落馬打物は太刀の徒歩使用を前提とした行為といえる。
騎射のち馬上打物、ときどき落馬打物。
765:名無し三等兵
09/05/26 20:05:39
URLリンク(blog-imgs-17.fc2.com)
そういう時は弓なんか捨てちゃうようです。
766:名無し三等兵
09/05/26 20:35:56
鈴木先生の嘘つき!
767:名無し三等兵
09/05/26 21:05:40
そりゃあ嘘つきだよ。戦国時代だって宣教師が最後に刀を交えると報告している。
『一五五七年十月二十八日(弘治三年十月七日)付、パードレ・ガスパル・ビレラが平戸より
インドおよびヨーロッパの耶蘇会のパードレおよびイルマン等に贈りし書翰』
「市民は叛逆者が自邸或は田野において攻撃を受くるを見物す。双方まづ矢を放ち、更に近づきて
槍を用ひ、最後に剣を交ふ」
鈴木先生は最後は首取りが行われただけで戦闘ではない、とか逃げるんだろうけどね。
768:名無し三等兵
09/05/26 21:35:49
当時の日本人が刀は役立たずって言ってるのに外国人は高く評価していたってのは面白いな。
769:名無し三等兵
09/05/26 21:43:38
本当に役立たずなら戦場から消えるよ。役立たずなものを大将から足軽に至るまで
持たせる費用(それも二振り)なんか浮かせるに越したことはない。
>当時の日本人が刀は役立たずって言ってるのに
一般論として語られていたような言い方だが、誰の発言なんだ?
770:名無し三等兵
09/05/27 01:41:13
よくいわれる槍>刀とか飛び道具マンセーを極論化しちゃったんじゃないか?
771:名無し三等兵
09/05/27 01:51:21
弓や槍は狭いところじゃ使えない、使いにくいし
落馬して初めて太刀を抜く、って事は落馬したときは太刀を使えって言う戦法があるって事でそれは役に立つと言う事じゃないか
772:名無し三等兵
09/05/27 05:48:49
刀が役立たずだったのは確か
それは残された武具の変遷を見てもわかる
戦国時代の中ごろまでヨロイは刀や矢が通らないほどに重厚化され
装着すると身動きできないほどになった
刀は鎌倉時代が頂点で、その後は道具としては技術的にも劣化しつづけた
それを変えたのが皮肉なことに鉄砲の登場だった
身動きできないほど重いヨロイは鉄砲にとっては格好の的となってしまったため
装着することが無意味となり、狙いをかわしやすいように軽量化されることになった
鉄砲は威力はあるが連発ができないため、対抗する側は額が触れるほどの
接近戦に持ち込むようになった
そうした戦法の変化の中から柳生流等の剣法が誕生した
剣法とはヨロイに頼らず太刀のみを駆使して勝つためのものである
773:名無し三等兵
09/05/27 06:49:32
どこのヨーロッパだよw>身動きできない
774:名無し三等兵
09/05/27 08:51:47
>>773
それ、ただの神話だよ。
実際のプレートは身動きできないどころか逆立ちや側転だって出来るくらい自由度が高い。
重量も当世具足と大して変わらない。
775:名無し三等兵
09/05/27 09:07:42
>>772
お前の説じゃ刀の変遷が説明できねーよ。なんで鎌倉よりあとの南北朝時代に
五尺の大太刀が生まれたり、戦国時代に抜き打ちができる打刀を二本差すようになるんだよ?
>そうした戦法の変化の中から柳生流等の剣法が誕生した
>剣法とはヨロイに頼らず太刀のみを駆使して勝つためのものである
柳生流なんて言い方は正しくないし、新陰流にしたって上泉伊勢守が念流、神道流、陰流を
学んで立てた後発の流派。それにこの時代の剣術は鎧兜着用前提の介者剣術。
776:名無し三等兵
09/05/27 10:43:06
むしろ逆立ちや側転ができるぐらいで大喜びなところが動きにくさを物語っているような…
まあそれはどうでもいいけど>>772は0点だ…
ちょとツッコミどころが多すぎて…
777:名無し三等兵
09/05/27 10:45:30
>>776
じゃあ日本の鎧はどれだけ動けたんだ?
778:名無し三等兵
09/05/27 10:56:03
ルイス・フロイス
「武士は戦いにおいて強靱振りを示した。
徒歩の下級武士は、全身に重い甲冑を着け、恐るべき早さで野山を駆け走りあるいは駆け登った。
騎馬侍という一ランク上の階級も馬術に長けているばかりでなく、体躯そのものが強靱であり、我々ヨーロッパ人とは違い落馬してもそれで滅多に死ぬことはなかった。
また、敵に、一旦は馬から引き摺り落されても、掠り傷もせず再び騎乗し直すことができた。
779:名無し三等兵
09/05/27 11:02:30
>>776
大喜びも何も「身動きできない」と言うのが間違いだと指摘しただけだが。
お前さんの「動きやすい」の基準は一体なんだ?
仮にも鎧なんだから何も着ていない状態と比べて「動きにくい」のは当たり前。
だが出来の悪いファンタジーによくある「殆ど身動きできない」だの「落馬したら起き上がれない」だのと言ったイメージは単なる妄想。
日本の胴丸、当世具足や欧州のホーバーク、プレートアーマー。いずれもその重量は現代の歩兵の装備と大して変わらない。
そもそも身動き出来ない程重い鎧が実戦で使われるわけがない。糞の役にも立たないんだから。
実際欧州には馬上試合に50kg以上の重量の甲冑が使用される事もあったが、実戦で使われた例は皆無。
780:名無し三等兵
09/05/27 11:11:07
何この流れ
自爆くんの話題逸らし?
781:名無し三等兵
09/05/27 11:12:23
フロイスと言えば、鈴木センセはフロイスの「日本人は下馬して戦った」って供述を引用して論拠の一つにしてるらしいけど、フロイスは本当にそんな事を書いたの?
そもそもフロイスは戦闘を実際に観察したの?それとも又聞き?
782:名無し三等兵
09/05/27 12:09:22
>>779
神話だの逆立ちだの、どこが指摘しただけなんだ
今時の歩兵の装備の総重量と比較するのも意味不明
783:名無し三等兵
09/05/27 12:10:09
以前某スレで、散々日本の鎧は紙防御だの何だの言っといて都合がいい時だけ
「重くて身動き取れないから、外国の軍隊の動きに対応できない」って言う子見た事あるw
784:名無し三等兵
09/05/27 12:15:21
>>781
どの道
下馬して戦うことも
騎乗して戦うことも両方あっただけに過ぎないっしょ
785:名無し三等兵
09/05/27 12:45:03
>>781
あれは単に数で劣勢な方が防御が簡単な下馬状態で戦った、と言うのをフロイスが誤解しただけだと言われている。
そもそもフロイスのいた西国は元々下馬して戦う事の方が多かった。
>>782
元々の>>772が「胴丸や腹巻は身動きできないほど重かった」と電波を飛ばしているんだからそれに対する
>どこのヨーロッパだよw>身動きできない
という発言は明らかに「ヨーロッパの鎧は身動きできない程重量がある」という意味だろ?
俺はその都市伝説に対する反証として「重量は日本のものと大して変わらないし、逆立ちは側転が出来るくらいに身軽だ」と言った。
するとお前は「逆立ちや側転ができるぐらいで大喜び」などとわけのわからない事を言い始めたわけだ。
>今時の歩兵の装備の総重量と比較するのも意味不明
現代の歩兵が身動きできない程重い装備を背負っている、などと言い出す奴はいない。
その現代の歩兵とたいして重量が変わらないのなら同じく身動きできない、などと言う事は有り得ないって事だ。
これぐらい理解しろマヌケ。
はっきり言って>>772と>>773は対象が違うだけでトンデモ具合は同レベルだ。
日本だろうがヨーロッパだろうが身動き出来ないほどの重量がある鎧は存在しえない。
そんな物を着たって役に立たないんだから。
786:名無し三等兵
09/05/27 13:26:27
いいかげん元寇スレでやる内容じゃないだろ
自重しろ
787:名無し三等兵
09/05/27 14:26:54
>>785
煽りだけのクズがはやくしんでください
788:名無し三等兵
09/05/27 14:29:21
>>785
いいからもう消えろ
789:名無し三等兵
09/05/27 15:01:01
>>755-756
無知だなあw
フランス、インド、タイ
元の海運は南宋制圧後が最盛期なんだから
当然に、むしろ対日後元の海運は拡大しちゃったのですよ。
>>760
ベトナムもジャワも歴代王朝が朝貢国にしたり南征したりしてるから、日本とは明らかに違うな。
マムルークは最初から征服対象、これまた日本とは明らかに違うな。
790:名無し三等兵
09/05/27 15:08:11
>>787-788
>>785じゃないが、現代の米兵も同程度の重さじゃん
電波ばかり飛ばすなよw
791:名無し三等兵
09/05/27 15:11:20
やはり>>785は自爆くんだったか
792:名無し三等兵
09/05/27 15:18:29
まだ日本とだけは友好的な関係を結びたかったとか思ってるバカがいるようだな
793:名無し三等兵
09/05/27 15:18:52
自爆くんのやるべきことは>>201でいうように>>200が3度目の国書だという証拠を出すことだよ。
794:名無し三等兵
09/05/27 15:20:35
これは次のテンプレ入りどころか次スレの>>1に
ここの>>200->>201を貼るべきだな。
795:名無し三等兵
09/05/27 15:36:52
>>785
またお前か
796:名無し三等兵
09/05/27 15:55:16
>>789
じゃあ国書スルーしただけで攻めて返り討ちにされたフビライより
「あいつらヤバすぎだから放置。」ってスルーした朱元障のが賢明だったわけか
797:名無し三等兵
09/05/27 16:07:37
おまいら落ち着け。
俺は>>785は正論だと思うぞ。鎧に関しちゃ多少の機能差はあれど
動き回れるという点じゃどっちも一緒だろ。
日本の鎧だって普通にあれ着て泳ぎ回る事だって出来たわけだし
むしろ自爆くんは>>789なわけで。
798:名無し三等兵
09/05/27 16:48:27
>>797
これは恥ずかしい
799:名無し三等兵
09/05/27 16:58:46
>>796
朱元璋は毛沢東並に賢明だろうね、クビライは結局暗殺されたカエサル程度。
800:名無し三等兵
09/05/27 17:19:39
中国側から見れば日本だって朝貢国の1つだったわけだろ?
だからこそ「政権がウチに変わってから使者をよこさないが云々」とか言ってるんだから
>>792
物凄い特別扱いだなw
801:名無し三等兵
09/05/27 17:35:34
>>800
朝貢国扱いしてないと、いつになったら理解できるんだろうねえ
散々教育されてるのに。
あと、辛いかもしれんがフランスやインドも友好国という事実を受け入れよう!
802:名無し三等兵
09/05/27 17:46:14
>インド
ハルジー「あれ?俺モンゴルとガチバトルしたんだけど?」
803:名無し三等兵
09/05/27 17:48:51
しきりに日本を攻めろと言ってた高麗の立場はどうなる?
804:名無し三等兵
09/05/27 17:50:56
だから、自爆くんのまずやるべきことは>>201でいうように>>200が3度目の国書だという証拠を出すこと。
>>201から逃げるな。
805:名無し三等兵
09/05/27 17:57:05
>>802
あれ?クビライとっくに死んでるんですけど?
そもそもわざと北部と南部を一緒に扱うとかありえないんだけど?
普通に友好、通商を行う関係なんですけど?
806:名無し三等兵
09/05/27 18:22:59
>>805
じゃあインドって言うなよw
807:名無し三等兵
09/05/27 18:25:30
自爆くんまた自爆かよwww
808:名無し三等兵
09/05/27 18:27:16
13C-14Cインドの南部ってどうなってたんだ?
809:名無し三等兵
09/05/27 19:06:56
14C初頭にハルジーさんに征服されたんじゃなかった?
ハルジー朝はすぐ滅んじゃったけど。ただハルジー以前の時代に
モンゴルは北インドには攻め込んでたはずだが、南インドとは友好関係にあったのかね?そういう記録残ってる?
なんにせよ単に鎌倉幕府は非常識ニダ!って火病ってるだけだろ。
国書無視されたんならスルーしてりゃいいのに。
810:名無し三等兵
09/05/27 19:30:28
>>801
>>789で貿易増加を主張してたの君?
理由はともかく二度も逃げ帰っておいて恫喝が成功したなんて言わないよねw
>>789で行われてるのは幕府や朝廷抜きの民間交易。それがお望みなら国書を出したり侵攻する理由が無い。
811:名無し三等兵
09/05/27 20:50:52
>>809
インド方面はオゴデイの時代にカシュミールに2万戸が駐留軍として投下されたけど、
その後は帝国中央の混乱でほぼ放置状態。フレグの遠征の時に一応フレグの旗下に編入
されたはずなんだけど、13世紀後半のジョチ家、カイドゥ一派、フレグ家の紛争で、
ニクーダリーヤーンみたいにこの混乱で逃れて来たモンゴル諸侯がカシュミールにいた
駐留軍の残余部隊に亡命して来たりと、モンゴルの軍としては色々良く分からない立場が続く。
中央アジアの政局が少し落ち着く14世紀前半にはチャガタイ家の当主ドゥアがインドへ
掠奪遠征のため何度か軍を出しているみたいだけど、北インドへはカシュミール周辺にいた
駐留部隊などがインド現地のムスリム政権の領地に掠奪を働くということはあっても、
国書の贈答のようなちゃんとした政治的なアクションをした、という話はあまり聞かれない。
812:名無し三等兵
09/05/27 21:51:36
>>775
ふん、足軽(歩兵)と騎乗の武将が同じヨロイなんて釣りのつもりか?
騎馬の武将は位置が高い上に狙い撃ちされるんだから、重厚なヨロイじゃなきゃ意味ねーよw
しかし馬に乗ると足元が死角になるから、五尺の大太刀なんてものが必要になる
それは日本刀の進化系なんかじゃねえ要するにヤリの代わりだわなw
ヤリそのものだと槍首が掴まれて引きずり落とされてしまうから、
こんなものが必要になるってだけの話ww
柳生ナントカ流でもなんでもいいわ名称はw
しかしやつらの目指した剣法はヨロイを着ないでするものだ
なぜなら鎧兜を着用すると上段が使えないので、著しく不利になるからよw
あと足軽は二本差ししていない
813:名無し三等兵
09/05/27 22:08:01
ここは釣堀なのか?
814:名無し三等兵
09/05/27 22:09:28
>>811
なるほどね。