09/05/14 20:23:41
>>384
1247年に第三代皇帝グユクがローマ教皇インノケンティウス4世に宛てたペルシア語による
国書がバチカンに現存するけど、こちらは威嚇と言うか最後通牒的な内容で、教皇自らがただちに
欧州の諸王を率いて我らの面前に出頭しなければ、天より全世界の支配権を任された我らが天罰的に
お前達を滅ぼすぞ的な内容で、この頃は交戦的姿勢があからさまだった。
時代が下って、13世紀後半から14世紀初頭にイルハン朝の君主、アルグンやガザン、オルジェイトゥ
などがフランス国王やローマ教皇にモンゴル語による書簡を送っているけど、こちらはマムルーク朝に
対抗してエルサレムを含むパレスチナの領土奪還を狙ってフランス国王フィリップ4世に共同作戦を持ちかけたり、
オルジェイトゥの頃は、近年ようやくモンゴル帝国全土が融和したので挨拶状を送る的な内容だったが、
グユクの時の国書のような、応じない場合は欧州への武力侵攻を前提にしている風な書き方は全く出てこない。
いずれの書簡も邦訳で読めるので、比較材料としてその内それらもうpしてみようかと思う。