【蒙古襲来】元寇議論考察スレ【モンゴル】at ARMY
【蒙古襲来】元寇議論考察スレ【モンゴル】 - 暇つぶし2ch215:名無し三等兵
09/04/29 03:38:59
>>196
いや、あれはチンギス(当時はテムジン)が宿敵タイチウト部族を撃ち破ったコイテンの戦いの時、
流れ矢が頸動脈を傷つけてなかなか血が止まらなかったみたいだけど、「塞がった血」をジェルメが
日暮れから夜半にかけて付きっきりで吸い出し続けて、ようやく夜中に傷が固まってテムジンも
意識を取り戻した、という話しなので、矢傷で死にかけはしたけど毒矢という訳ではないようだ。

(『元朝秘史』巻四の末尾あたりに載る話し。意識を取り戻したテムジンが喉の乾きを訴え、
 ジェルメは夜中残敵の徘徊する戦場跡を忍んで乳酪を探し、無事に戻って衰弱したテムジンに
 水で薄めたヨーグルトを飲ませて介抱するという手柄話がこのあと続く)

216:名無し三等兵
09/04/29 12:56:26
しかし>>200の意訳やったやつは天才だなw

217:名無し三等兵
09/04/30 02:16:41
>>206はまだ家に着かないのか

218:名無し三等兵
09/04/30 12:21:56
>>215
ありがとう。何時もながらあんたのレスはためになるわ。
今までずっと毒矢と勘違いしてたわ。

>>217
あまり追求してやるなw

219:名無し三等兵
09/04/30 14:11:40
>>200はずいぶん前にも見かけたコピペなんだぜ?
まあ内容としては元の意図を充分言い表してると思うけど

220:名無し三等兵
09/04/30 16:37:16
URLリンク(mimizun.com)
このスレの>>94が初出かな。それにしても上手すぎる。

221:名無し三等兵
09/04/30 17:09:00
>>218
家のPCが直らないだけだks

国書の内容
天の恵みを受けた(枕詞)モンゴル国皇帝が日本の国王へ手紙出すよ
俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?
>おまえんとこみたいな小国はさ
一言一句も「小国」扱いする字句なし

ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ
隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ?
お隣の朝鮮も俺が即位してすぐ講和して、いまはあいつらと友好関係にある。
>あいつら超しっぽふってきたぞw
3つめの件に従属的関係の文言はなし

おまえらも当然おれ仲良くするよな?
>おまえらも当然おれの子分になるよな?
通商の要求のみでその他の要求は一切なし

俺の代になってからおまえらおれんとこあいさつ来なくなったけど
きっとおまえら情勢の変化を知らないだけだよな?
というわけで俺から手紙だして教えてやったのよ
おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑)
今から仲良くしようぜ?な?
ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーな
俺も軍事力はつかいたくねーからよw   じゃあな!
>俺も軍事力はつかいたくねーからよw   じゃあな!
中華皇帝が文末に使う定型文な

222:名無し三等兵
09/04/30 17:50:31
大してかわんないじゃんw
てかその文言でも「友好の為の手紙」ってのはかなり無理あんじゃね?

223:名無し三等兵
09/04/30 18:21:49
どう考えても友好の手紙だろw

求めてるのは通商関係だけで、朝貢も何も要求してないうえ
日本が何の挨拶もしないから、元側が送ってきただけ
文面見ても格下扱いや脅しの文句は入ってない。
これに対して完全無視とか、いまやったら野蛮国認定確実w

224:名無し三等兵
09/04/30 18:25:07
休日を満喫してるねえ

225:名無し三等兵
09/04/30 18:34:40
>>223
お前本当に日本人?

226:名無し三等兵
09/04/30 18:41:05
>>223
無視したら、攻めてくるとかwいまやったら野蛮国認定確実だろwwww


227:名無し三等兵
09/04/30 18:41:54
>>223
>>226
現在の価値観で野蛮云々言う事に一体何の意味があるのか教えてくれ。

228:名無し三等兵
09/04/30 18:49:47
>>223
>>中華皇帝が文末に使う定型文な
で、中華皇帝が周辺国家に対して対等の関係を求めた例はあるのか?

229:名無し三等兵
09/04/30 18:55:51
>>226
慣例に則った文書で通商を要求
        ↓
完全黙殺のうえ門前払い
        ↓
再度、同様の文書で通商を要求
        ↓
完全黙殺のうえ門前払い
        ↓
2度の行為に対する説明及び通商要求
        ↓
来ていた外交官をいきなりぶち殺す
        ↓
       開 戦
野蛮人認定されるのは確実に得宗家w

>>228
漢代の匈奴や唐代の突厥に対しては対等の関係、中華側が物資供給してるけど。
あと、明代は朝貢国扱いだけど、この時は対等関係でのな通商要求

もう返答できないけど、潰走認定すんなよw

230:名無し三等兵
09/04/30 19:03:15
>漢代の匈奴や唐代の突厥に対しては対等の関係
そりゃあガチやったらかなわない相手だものw

231:名無し三等兵
09/04/30 19:14:20
>>漢代の匈奴や唐代の突厥に対しては対等の関係、中華側が物資供給してるけど。
あと、明代は朝貢国扱いだけど、この時は対等関係でのな通商要求

いやいや、俺が言ったのは戦争で不利になって和睦したり同盟したりとか苦し紛れの対等な関係
じゃなくて中華帝国となんの脈絡のない国に対して対等な関係を求めたことはあるのかと聞いて
るんだが。

232:名無し三等兵
09/04/30 19:40:26
>>229
はいアウト。使者殺したのは文永の役の後ですから。
あとホラズムも高麗もマムルークもベトナムもジャワも
みーんな使者殺したり拷問したりしてますが彼らは野蛮人じゃないんですか?

233:名無し三等兵
09/04/30 19:40:46
>>229
日本人拉致って帰るような使節団信用できるわけないだろwどんな友好関係だよw

234:名無し三等兵
09/04/30 20:09:41
蒙古の国書を当時の日本が脅しと受け取ったのは事実。
そりゃ金を滅ぼし高麗を属国にし南宋を侵略中の国から国書が来ればそう思う
のも無理はない。

ただ蒙古が脅しをかけるときはあんなもんじゃなくて
「必ず兵馬を送って攻め滅ぼしてやるから城濠を修理して待ってろ」
みたいなことを言うから彼らなりに言葉を選んだのも確かだ。

235:名無し三等兵
09/04/30 20:17:15
>有力なものとしては、南宋を降した後に旧南宋軍を日本攻撃にあたらせ、消耗させるためと言うものがある。
旧南宋軍は被征服者のため元への忠誠心も全く無く、さらに元々南宋は金で兵士を募集する募兵という形をとっており、
数は多いが所詮は寄せ集めであり、士気・忠誠心も低く、
戦闘能力も高くなかった。また軍を解散させると職を失った大量の兵士達が社会不安の要因となってしまう。

ウィキペディアにあったが、殺りたい相手は容赦なく殺るモンゴル人がこんな回りくどい手段を取るとは思えん。

236:名無し三等兵
09/04/30 21:07:17
つかわざわざ「棄民」するためのコストが高すぎて無理あるよな。
むしろ農具持ってたのは、長期戦を見込んでの事でしょ

237:名無し三等兵
09/04/30 21:14:27
水も食料もあっという間に底を着くのに
泥縄の農業でどうにかなるとも思えないが

238:名無し三等兵
09/04/30 21:16:43
単純に征服後のことを考えて持ってきたのではないの?屯田兵的に軍を置くつもりだったのでは?

239:名無し三等兵
09/04/30 21:42:01
むこうのスレが元寇ネタだらけに

スレリンク(sengoku板)

814 :人間七七四年:2009/04/29(水) 18:30:23 ID:myzRItfJ
だからその殆どの根拠は?

816 :人間七七四年:2009/04/29(水) 20:15:08 ID:55o8MUyp
>>814
URLリンク(www2.ttcn.ne.jp)

文永の役

高麗人 12700人
宋 人
女真人
漢 人
モンゴル人  30人

総数 25000人

弘安の役

高麗人 25000人
宋 人
女真人
遼 人
トルコ人
安南人
モンゴル人  150人

総数 50000人

240:名無し三等兵
09/04/30 21:49:47
>>237
というか、一回目の役では矢すぐにつきているから、どうみても短期の偵察戦にしかみえないのに
非戦闘員&農具もってくる理由がわからんというか、軍監してたモンゴル上層部が無能な人物だったのかねぇ。
素人目にかんがえても戦準備に一貫性が感じられないんだが、誰があの戦の統括してたんだ?

あの戦なんというか、野村監督風にいえば、勝ちに不思議の価値かり、負けに不思議の負け無しを地でいっていると思う。

241:名無し三等兵
09/04/30 21:52:48
>>239
よくその数字見るけど、なんの史料にのってるんだ?

242:名無し三等兵
09/04/30 22:49:57
>>240
農具持参は二回目では?

>>241
元のサイトもどこからかの孫引きなんだろうけど、最低限どういう本に
載っていたのかは書いて欲しいね。


243:名無し三等兵
09/05/01 04:02:31
>>240
矢が足りなくなったのは壱岐対馬で無駄に十日も虐殺してたからだろう

都督使・金方慶「我が軍は劣勢とはいえ、敵の領土に入ることが出来たのだから、戦うべきです。
        船を焼き払い、背水の陣をしいて、もう一度戦いましょう。」
総司令官・忽敦「孫子の兵法に小敵の堅、大敵の擒とあるように、味方の疲弊した兵(原文:疲乏之兵)で頑強に戦っても、
        大軍の前では結局虜にしかならない。撤退するしかない。」(高麗史・金方慶伝)
だれも偵察が終わったので帰るかなんて言ってない。
もっと戦いたいがもう限界だから帰ろうと言ってる。

文永の役が偵察ならばその偵察で何を得たのか?
なにせ、水城にも大宰府にもまったく攻撃することなく
上陸しても海が見える程度のきわっきわをうろうろしただけでは地理情報も内情もまったくわからない。
偵察の役を果たせてない。

そもそもモンゴルがやってたほかの地域への攻撃ならば三万なんて本気の攻撃でも多い方。



244:名無し三等兵
09/05/01 04:04:18
>>221
おいおい
一度目と二度目ってやつを早く出せよ

>201 :名無し三等兵:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
>それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw

はやくはやく


245:名無し三等兵
09/05/01 09:51:57
>>240
つか俺が見たソースだと
文永は金包茎率いる高麗軍8000、元本国からの蒙漢人(華北の屯田兵中心、洪茶丘の高麗人部隊含む)25000
その他船頭とかの非戦闘員7000、あわせて4万って内訳で
弘安はこれプラス旧南宋兵10万(詳しい内訳はわからない)の合わせて14万だったぞ?どれが正しいんだ?
あと、そのスレ見たら、文永にも南宋兵がいたと勘違いしてる人がいる。
文永の時点ではまだ宋は滅んでない。

>>244
もうこれ以上イジメてやんなよw
文永の使者殺したと勘違いしてるレベルの人なんだからw

246:名無し三等兵
09/05/01 14:34:57
>味方の疲弊した兵(原文:疲乏之兵)で頑強に戦っても、大軍の前では結局虜にしかならない

もともと日本は人口も兵力も莫大だけど>>202を見る限り
四国や中国からも博多に続々と馳せ参じてたんではなかろうか
阿波(徳島県)の御家人が対馬に居たってすごいな

247:名無し三等兵
09/05/01 14:53:35
しかしこうしてみると、古代から東アジアでジャイアンのごとく振舞ってきた中華が
突如あらわれた欧米にボコボコにやられたってのは痛快だよな
なんかこう、ザマーミロ! みたいな気分になる
もっともその後で中華よりひどいことになっちゃうわけだが
それでもやっぱりザーマーミロだ
こんなこと思うのは俺が小物なんだろうけどなw

248:名無し三等兵
09/05/01 15:05:17
>>247
なんで痛快なのかよくわからん。別に中華帝国は
日本を圧迫したり、攻めてきたりしてないだろ。
(日本が海で囲まれていたことと、高い国力を
有していたこともあるだろうが)
感謝しろとは言わんが、むしろ、中華帝国のおかげで
学んだり儲けたりした部分の方がでかいだろ。


249:名無し三等兵
09/05/01 16:05:31
というか大陸と距離を置いて付き合っていたから
日本はモンゴルの侵略を免れ、その後も中華にベッタリにならなかったから
19世紀に欧米が進出してきたときも、冷静に対応して近代化に成功したんだよな。

250:名無し三等兵
09/05/01 19:36:58
いろいろサイト回ってるが弘安はいいとして
文永のほうは兵力がまちまちだな
水夫が15000なんて意見もよく見る

251:名無し三等兵
09/05/01 22:09:19
そりゃ大掛かりな遠征となりゃ非戦闘員も大量に動員するが
兵力のうちの殆どが非戦闘員なんてことは流石にないだろう。
そうなると何しに来たの?って話だし。

252:名無し三等兵
09/05/01 22:14:16
文永の最初の段階で日本側はどれくらいだったの?

253:名無し三等兵
09/05/01 23:45:58
>>245
> 高麗軍8000、元本国からの蒙漢人(華北の屯田兵中心、洪茶丘の高麗人部隊含む)25000
> その他船頭とかの非戦闘員7000、あわせて4万

それらの数字は『高麗史』忠烈王世代家、同書金方慶伝、『高麗史』完成の翌年に編纂された
『高麗史節要』の文永の役関連の記事(それぞれの記事の元宗十五年(1274年)十月条)に
基づくものなので別段問題ない。

「以蒙漢軍二萬五千、我軍八千、梢工引海水手六千七百、戰艦九百餘艘」(『高麗史』忠烈王世代家)
「以蒙漢軍二萬五千、我軍八千、梢工引海水手六千七百、戰艦九百餘艘」(『高麗史』金方慶伝)
「以蒙漢軍二萬五千、我軍八千、梢工引海水手六千七百、戰艦九百餘艘」(『高麗史節要』元宗十五年冬十月条)

・・・見て分かる通り、三箇所の記述は全部一字一句同じなのでうpして並べてもあまり意味無いけど・・

(一応『高麗史』の数十年後に編纂された『東国通鑑』にも出てくるけど、文永の役の件は
 『高麗史』金方慶伝の丸写しなのでスルーしても可だろう。ただ、日本では朝鮮半島史の史料として
 『東国通鑑』が十七世紀中頃から流布していて、江戸時代や明治初年まで日本での蒙古襲来関係の
 研究では専らこちらがメインで使われていた。『高麗史』が蒙古襲来関係の史料として使われる
 ようになったのは十九世紀も末くらいになってからなんだそうだ。大正時代に『東国通鑑』の
 原文+全文書き下し本なんかもも出版されてたりする。)

「元本国」と言っても忻都率いる鳳州屯田などからの軍は高麗領北辺からやって来たけど、これは元朝の
領域としては南東の辺域にあたり、当時「腹裏」と呼ばれた大都や上都開平府などの中心地域やムカリ国王家
などの譜代五投下、チンギスの兄弟たちの後裔である東方三王家の本拠地からも外れるため、「モンゴル高原
からやって来た」的なビジョンとは大分違いけど。

254:名無し三等兵
09/05/02 05:03:59
元寇後の大混乱が収束したのは約300年後の秀吉の天下統一後といえるのだろうか

255:名無し三等兵
09/05/02 10:02:42
>>254
それはない。

256:名無し三等兵
09/05/02 10:21:26
>>253
モンゴルやテュルク系の遊牧民は元々人口少ないし
そりゃまあ、あれだけ拡大すれば制服民中心の編成になるよなあ。

257:名無し三等兵
09/05/02 11:25:40
>>251
「用 兵 夫 孰 所 好 (兵を用いることなど好むところではない)」

非戦闘員が多いというのはこの言葉を裏付けているね。つまり友好的な訪問団に対して外交というものがわからない
日本人が狼藉を働いたというわけ。

258:名無し三等兵
09/05/02 11:42:28
日本史板でもそうだったけど煽り屋が張り付いているね

259:名無し三等兵
09/05/02 11:50:34
今も昔も日本人が外交オンチなのは世界の常識ですけどね。

260:名無し三等兵
09/05/02 11:53:40
手を組むだけ無駄な連中と手を組むところなんか特にねw

261:名無し三等兵
09/05/02 11:55:54
友好的な訪問団というのは矢をすぐに打ち尽した点からも説明し得る。

262:名無し三等兵
09/05/02 12:20:23
自分で調べるのが面倒だから煽って誰かに話させようってことかな

263:名無し三等兵
09/05/02 14:50:34
>>257
またお前かw
>>229でもうレスしないとか言ってなかった?w

264:名無し三等兵
09/05/02 19:48:10
PC壊れたとか言うのが嘘というのがわかったところで…

はやく友好的な国書とやらを出してよ
>201 :名無し三等兵:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
>それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw



265:名無し三等兵
09/05/03 00:00:01
たまたま三、四万人で海岸散歩をしていただけなのに襲われるなんてひどすぎる話だな。

266:名無し三等兵
09/05/03 03:28:45
そもそも>>200は本当に三度目の国書?
あれが最初じゃないの?

267:名無し三等兵
09/05/03 06:53:49
>>265
一発だけなら誤射かもしれない

268:名無し三等兵
09/05/03 09:21:24
なあに、かえって免疫がつく

269:名無し三等兵
09/05/03 12:16:54
>>268
確かに文永の役は日本にとっては予防接種だったな


270:名無し三等兵
09/05/03 13:25:54
確かに最初から弘安並みの規模で攻めてきてたら結果は違ってただろうな。

271:名無し三等兵
09/05/03 13:52:03
といっても
これまた史実通りの弘安の役なら
江南軍はあとからくるので先発の東路軍の規模はさほど変わらなかったりする

272:名無し三等兵
09/05/03 13:57:44
でも防塁が存在しないわけだから橋頭堡は簡単に取れるんじゃない?
日本軍の数だってもっと少ないわけだし。

273:名無し三等兵
09/05/03 16:32:33
日本があっさり撃退

弘安の役は威力偵察ニダ

という捏造史になるだけな気が売る

274:名無し三等兵
09/05/03 16:43:29
坂東武士「よっしゃあ!一番乗り!蒙古の連中フルボッコにしてやんよwwwww」
九州武士「あのさあ、テンション上がってるとこ悪いんだけど」
坂東武士「ん?何?」
九州武士「遥々来てもらってなんだけど、もう帰っていいよ。」
坂東武士「は?w意味わかんないんですけどw」
九州武士「いや、だからあいつらもうとっく逃げ帰って、戦終わってんのよ。はい、お疲れさん」
坂東武士「(´;ω;`)」

275:名無し三等兵
09/05/03 17:13:22
>>197見ると離島ですら各地から馳せ参じてるようだけど
実際はやる気のある奴は勝手に参加してたのかな
通説では逃げ回って参加しなかった連中がいたという話ばかり有名だが


276:名無し三等兵
09/05/04 14:50:13
そういえば弘安の役で元軍が向こうを出港したのって今の季節ぐらいでしょ
旧暦だからもう博多湾についてる?


277:名無し三等兵
09/05/04 16:28:08
>>264
つか今思ったんだけど、モンゴルと高麗の関係って
戦国時代の今川氏と家康幼少期の松平氏の関係に近かったんじゃない?

278:名無し三等兵
09/05/04 16:41:49
それがどうして>>264へのレスなのか

279:名無し三等兵
09/05/04 17:12:34
ごめん、>>214だったわ

280:名無し三等兵
09/05/04 17:16:37
>漢代の匈奴や唐代の突厥に対しては対等の関係、中華側が物資供給してるけど。

司馬遷が史記の「匈奴列伝」で
「高祖は一族の娘を送り、匈奴にに綿、絹、酒、米その他を贈り・・・」と
書いてあるのに・・・
人を試してるんですか?

281:名無し三等兵
09/05/04 18:21:37
うわ~中華がここまで頭下げまくってるの初めて見たw

282:名無し三等兵
09/05/04 18:52:32
>>276
今ぐらいに攻撃を開始して
夏になっても上陸すらできないって…

283:名無し三等兵
09/05/06 16:57:08
当時の九州に日本海越えて十数万の軍勢を派遣・・
上陸成功したらしたで補給が大問題だったろうな

当時の輸送力とか考えるとやっぱ体のいい棄兵だったとしか思えないな

284:名無し三等兵
09/05/06 17:09:26
>>283
陸上を侵攻するよりは遥かに楽。
船の積載量は馬での輸送を遥かに上回る。

285:名無し三等兵
09/05/06 17:31:18
>>283
見苦しい

286:名無し三等兵
09/05/06 20:02:17
>>284
まさに棄兵に打ってつけというか

287:名無し三等兵
09/05/06 20:12:05
言い訳ばかりだなw

288:名無し三等兵
09/05/06 20:22:32
国書マダ~?

289:名無し三等兵
09/05/06 21:51:28
>>283はどうでもいいが、海上侵攻が陸上侵攻よりも楽ってのは暴論過ぎないか?

290:名無し三等兵
09/05/06 21:54:58
朝鮮出兵も上陸はらくらく成功して長期戦。倭寇もちょくちょく沿岸を荒らし、中には南京まで行ったのもいる。
守る側は海岸線をすべてはカバーしようがないから攻撃側主導で展開できる。

291:名無し三等兵
09/05/06 22:19:35
地続きならわざわざ船団を用意して上陸する必要すらない。そのまま歩いて侵攻できる。
海岸線を全てカバー出来ないと言うが国境線を全てカバー出切るのか?

292:名無し三等兵
09/05/06 23:23:16
前近代での船舶での運送は、「ハイリスク・ハイリターン」の世界。
エジプトでのインド洋交易に携わっている商人達の話を聞く限りでは、積載量は陸上のラクダや馬
なんかでの隊商が運ぶ量に比べて圧倒し、隊商で運び切れないような大型の商品も運ぶ事が可能だった。
そのため無事送り先に届けばその収益は非常に高い。

その代わり、天候で安全性が大きく左右されるのが問題で、海上で遭難することを考えれば危険性は
船の方が圧倒している。経験豊富な隊商だったら通常の街道を間違える事はまず無いし、街道の治安の
問題はその地域の政治的軍事的な安定性が確保出来ているかどうかで違うが、野盗に襲われても交渉で
解決する場合も無くは無い。
ところが海上の場合、船が嵐に遭うの日常的だし、沿岸ならまだしも洋上で転覆すれば助かる見込みは殆ど無い。

ちなみに、高麗とクビライ政権が三別抄討伐をしていた頃の話だが、『高麗史』の元宗十四年三月己卯
(1273年4月15日)の条に、

「(元宗十四年三月)己卯、西海道戰艦二十七艘至伽耶召島遇大風敗没。南京判官任恂仁州副使李等
 録事裴淑及蒿工水手等一百十五人溺死。慶尚道戰艦二十七艘亦敗溺。」
(己卯、西海道の戦艦二十七艘伽耶の召島に至り、大風に遇い敗れ没す。南京判官任恂、仁州副使李シ]
 録事裴淑、及び蒿工水手等一百十五人溺死す。慶尚道の戦艦二十七艘亦た敗れ溺る。)

という記事がある。
数百人単位での艦船での行動は、戦闘とか何もしていなくとも風雨にさらされ船が転覆すればその
数百人単位で指揮官込みで部隊が丸ごと全滅する危険性もあり、トータルで見れば動員数が多ければ多い程、
海上侵攻が陸上での侵攻よりも楽とは言い難い。

無論、好天順風に恵まれれば大量輸送が出来るという利点は大いに発揮出来るだろうが、毎回そうとは
限らない。当時の船での海上輸送は飽くまでも「ハイリスク・ハイリターン」。
弘安の役は、出発からしてグズグズな感じだったが、完全に失敗したのは例の大風で船団が殆ど全滅状態に
なったことが直接の原因だったことを想起すれば十分だと思う。

293:名無し三等兵
09/05/06 23:54:20
>>290
もしかしたら、海流の関係もあるとか?
例えば日本→大陸は比較的簡単だが、大陸→日本は難しいとか。
まあ>>283の指示する棄民策とやらはナンセンス極まりないがね。
用済みになった住民や兵は、射的の的代わりにして皆殺しがデフォだったモンゴルが
南宋の時だけなんでそんな回りくどい真似すんのよ。

294:名無し三等兵
09/05/07 01:54:56
>>292
朝鮮西岸は半島にぶちあたって荒れまくり危険
対馬より東方は対馬海流の流れが速くて危険
北部九州と朝鮮南岸は順調に渡れば危険は回避できる

295:名無し三等兵
09/05/07 02:54:50 t22W5yLo
二回目は棄兵と考える方が自然。
旧南宋兵皆殺しにする方がコストも人員もかかるし、現地人の不満も募る。
それなら大遠征の大義名分で日本に捨ててきた方が効率的。
上手くいけば儲けもん。まあノーリスクハイリターンって事さね。
元が本腰入れてたのはベトナムだべ。

296:名無し三等兵
09/05/07 03:46:54
国書出せないの?

297:名無し三等兵
09/05/07 04:17:38 t22W5yLo
俺は例の国書の奴とは違う。ただ元側の目的について述べてるだけだ

298:名無し三等兵
09/05/07 05:04:16
まあどのみちベトナムも失敗してるけどね

299:名無し三等兵
09/05/07 05:05:53
>295
面白い妄想だが
まるで南宋人だけで攻めてきたような言い草だなw

300:名無し三等兵
09/05/07 15:52:45
元は常に侵略した先の人間を兵士に使う
反抗しなければよし使えない民なら普通に虐殺
そうしたなか
なぜ弘安の役だけ意味不明な珍回答連発してるのか

答え
日本の圧勝を認めたくないから

301:名無し三等兵
09/05/07 16:48:55
この際、元が本気だったかどうかなんてどうでもいい。





何故なら「結果的には」鎌倉幕府もまだまだ兵力動員する余裕ある状態で終わったわけだしw>>274

302:名無し三等兵
09/05/07 17:10:23
ようは人口も兵力も桁違いに多い日本を4万で落とすのは不可能ってことだな2回とも

303:名無し三等兵
09/05/07 17:52:50
一応弘安の役自体は大宰府の占領を目的にしてたのでいきなり日本を落とすというより
大宰府を落とすのに成功したら
そこを拠点にさらに次、さらに次と侵食していく予定


まあ兵力的には大宰府落とすんなら四万ぐらいでよかろうと予想したこと自体は
結構妥当。他国はそれぐらいで落ちてるんだから。

ただ武士が強すぎて計画がまったくうまくいかなかったw

304:名無し三等兵
09/05/07 17:59:35
>>301
確かに

本気じゃなかった論でいえば動員数的には日本の方が片手間だったともいえるわな
まあ現地の武士は当然本気、必死でやってたわけだが…

指の先ではじいたようなもんだな。本気のデコピンってやつだわ。

305:名無し三等兵
09/05/07 18:09:10
>>276
逆、グレゴリオ暦なら約一か月遅くなる


306:名無し三等兵
09/05/07 18:29:03
>>303
それって文永のことじゃね
弘安だと日本側も5万以上になり上回る

文永に関しては示威行為だと思うけどね

307:名無し三等兵
09/05/07 19:03:52
そういや、日本攻めた元軍はやたら寄せ集めだの何だの言われるが
他地域攻めた連中はどうだったんよ?元々モンゴルは人口そんなにいないんでしょ?

308:名無し三等兵
09/05/07 20:25:46
>>307
昔ここか日本史のスレで西征には全部族から抽出されたメンバーが参加したとあったな
当時は国士みたいな住人しかいなかったので完全にスルーされてた

309:名無し三等兵
09/05/07 21:05:34 t22W5yLo
バトゥ率いるヨーロッパ遠征軍や
フラグ率いる西アジア遠征軍や南宋遠征軍に較べれば
日本遠征軍は戦力的に将、兵卒共に大きく劣ると言わざるを得ない。
フビライが本気だったとは思えない。やはり高麗が日本攻めろと五月蝿いから
形の上だけ攻めて、実質棄民だったと見るのが自然。
兵士の九割以上が属国の高麗と旧敵の南宋だから失敗しても痛くも痒くもない。

310:名無し三等兵
09/05/07 21:21:10
>>295,>298
陳朝のベトナムはクビライの時代には元朝側に服属していて、鎮南王トガンが現地で無茶な徴発を
行ったせいで離叛した。
陳朝のベトナムでの戦役は、最後に鎮南王トガンの軍が雲南へ撤退中に襲撃されてボロボロに
やられているけど、それ以前には陳朝の側も鎮南王の軍に何度もフルボッコにされているから
なかなか決着の付かない消耗戦だった訳で、2重3重に日本への文永・弘安の役と内容が違う。

あと、陳朝は鎮南王トガンの軍を雲南へ撃退はしたけど、元朝には陳朝側にかなり有利な条件で
再度元朝の服属政権として復帰することを誓約していて、元朝もこの要求をほぼ全面的に受け入れて
いるから、この点も日本の場合と違う。

ベトナムの場合、元朝としては離叛した陳朝を再び自らの側に引き留めることが目的だったので、
鎮南王トガンの軍が最後惨敗したとは言え、当初の目的は最終的に達成出来たから、その意味では
「成功した」と言えると思う。

311:名無し三等兵
09/05/07 21:39:14
>>189-191
思い出した
以前モンゴル関係の本を見てたら朝鮮や中央アジアで結構モンゴルの高名な連中とか
弓で死んでたんだよな。すっかり失念してた
劉復亨が重傷を負った件は、それらと比べるとむしろ見劣りする

312:名無し三等兵
09/05/07 22:56:22
>>310
そりゃまあ、一旦服属させた地域で反乱起きりゃそっち優先で鎮圧するよなあ。

313:名無し三等兵
09/05/08 00:32:31
>>309
つまり元寇の元凶は高麗であり、朝鮮人を征伐するその後の行為はそれですべて正当化。いいかもw

314:名無し三等兵
09/05/08 01:49:46
>>309
ウルスにあやまれw







315:名無し三等兵
09/05/08 03:03:08
>>304
>本気のデコピン

言いえて妙

316:名無し三等兵
09/05/08 17:51:33
牟田口「モンゴル帝国の亡霊がインパール作戦の邪魔をした」

317:名無し三等兵
09/05/08 18:22:01
モンゴルはカラフトアイヌにすら勝てなかったって本当ですか?

318:名無し三等兵
09/05/08 19:43:57
和弓伝説が崩れていく

319:名無し三等兵
09/05/08 19:53:06
どっちかというと和弓は過小評価される傾向にあった気がするが。

320:名無し三等兵
09/05/08 20:39:15
スレリンク(whis板)

668 :世界@名無史さん:2007/09/02(日) 03:17:35 0
上の方で元寇での日本勝利は暴風雨のお陰という相変わらずの書き込みがあるが、
ディスカバリチャンネルで元寇のことを取り上げたときに、日本の勝因は、やはり上陸
されても橋頭堡を築かせなかったこと、長大な弓を使ったので、射程ギリギリでは
日本の弓の方が威力があったこと(劉復享が小弐景資に射倒されたのは、日本軍
弓の射程外と思っていたらそうでなかった)、接近戦では刀剣の扱いに巧みな鎌倉
武士の方が強かったこと、そして急に船を揃える為に生粋の浅い内陸河川用の船
を多数徴用したので、台風にはひとたまりもなかったとかなり客観的に分析してる。
再現ビデオの日本軍の時代考証は滅茶苦茶だったが。
アメリカが無理に日本びいきにする必要もないわけで、勝てる要因があったから
勝てたというきわめて当たり前の分析だったよ。
別のアメリカの歴史番組をアメリカにいる時に見たときには、皮や布製の元軍、高麗軍
の鎧は、騎射や槍を構えての突撃には身動きが容易で向いていたが、鉄の鎧を貫通
する日本の弓矢と斬撃に向いていた日本刀に対しては有効な防御にはなってなかった
と言ってたな。実際中国の鎧を矢で打ち抜いたり日本刀でばっさり切り裂いて見せていた。

321:名無し三等兵
09/05/08 21:47:51
東南アジア戦線に数千の兵力しか投入しなかった元が、その数倍の兵力を
投入した日本戦が、単なる牽制攻撃ですぐに引き上げる予定な訳がないだろ。

322:名無し三等兵
09/05/08 23:00:33
合計16万人以上も送って失敗
そして倭寇が荒らしまわるようになった

民衆はどう思ったのかな

323:名無し三等兵
09/05/09 00:18:54
>>322
民衆についてだが
前に図書館見てきたんだが
その後にもあった小規模な侵攻で日本中が大騒ぎしただの
元寇後は脅威が続いたとか書いてる本ばかりだった

324:名無し三等兵
09/05/09 02:13:13
小規模な侵攻は刀伊の件かな?

325:名無し三等兵
09/05/09 04:51:23
「その後」だから刀伊じゃなくて応永の方か。

しかしまあ、同じように対馬攻めたのに
片や大虐殺が繰り広げられ、片や対馬の武士達に瞬殺されるとは
蒙古襲来の対馬攻めと応永の対馬攻めで
なんでここまで差がでたもんなのか?

326:名無し三等兵
09/05/09 06:52:15 uCbV6VXC
1日で引き上げたことから威力偵察説なんだろうが、むしろ1日で撤退したことのほうが異状。
撤退して大風に遭ったのではなく低気圧の中に飛び込んだ。
また往路の対馬、壱岐では滞在せざるをえなかったのだろう。

魏志倭人伝なぞ解きの旅さんの
通信使一行日本往還日記から渡海の状況が察せられる。
URLリンク(www.max.hi-ho.ne.jp)
>『往路』
初十日、この日朝陰るも晩に晴る。早朝船を発し、三百里を行き、
夕府中〔対馬厳原町〕に到る。乃ち島主平義智の居る所。……
八月十一日、この日晴れ。風勢好からず、因って留る。・・・
十二日、この日晴。・・・
十三日、この日陰る。仍(よ)って町中に留る。
十四日、この日陰り、洒(さい)雨あり。・・・
十五日、この日陰る。・・・
十六日、この日朝晴れ晩は雨ふる。・・・
十七日、この日陰雨。・・・
十八日、この日陰る。朝府中浦を離れ、開船して洋に出づ。
風濤甚(はなは)だ緊(きつ)く、已むを得ず、内浦に回り泊す。
……

『帰路』
(旧暦10月10日名護屋発11月23日釜山着、最後はかなり冒険したようだ。)
対馬に回りてより後、風に阻まれ留ること二十六日。……
盖(けだ・蓋?)し渡海には須(すべか)らく東南風を得べくも、
冬月はこの風を得難し。故に留滞してここに至る。嘆ずべし。

327:名無し三等兵
09/05/09 07:35:23
>至元十一年冬十月、入其国敗之。而官軍不整。又矢盡。惟虜掠四境而帰。

官軍整ならずは集団戦術を使うので元軍の損害を示すと読むのが通りがよいと思うんだけどどうだろう。
南太平洋海戦の航空隊やろ号作戦の一航戦搭乗員のような

328:名無し三等兵
09/05/09 09:21:32
>>326
自己スレ。いや別に杉山先生がいい加減な説吹いてるとかそういう意味じゃ全然ないですから
ただ、攻略目的だろうと威力偵察だろうが関係なく天気待ちせずに玄界灘に漕ぎ出したのは、
波乗りして遊ぶほど余裕があった可能性があると思うんです。

329:名無し三等兵
09/05/09 11:27:54
急がないと武士に殺されちゃう死ね

330:名無し三等兵
09/05/09 13:55:58
>>322
「民衆がどう思ったのか」についてはよくわからない。
基本的に史書は官僚が残した記録なので、司馬遷のような変人でもなければそういうものは言及しない。

渡海遠征なら、日本以外にもヴェトナムやジャワ等々にも行った。
しかし、これらの国はその後、元に対して恭順の意志を示し、朝貢の使節を送っている。
つまり、軍事遠征としては失敗だったかもしれないが、政治的には成功していると言える。
(少なくとも「中国」という枠組みの中では、軍事遠征の成功という言い訳が可能。)

一方の日本は、他の国と同じ様に「元に朝貢の使節を送ったのか?」と言えば、答えはNO。
日本が元に送ったものは、報復の軍事行動、即ち「倭寇」だった。
無論、これらは海賊であり、当時の鎌倉幕府やその後の南北朝、室町幕府、つまり日本の中央政府とは無関係なものであったというのが日本側の一般的見解。
なのだが、支那ではそうではないらしいw
明代の寧波の乱なんかが倭寇の典型的な倭寇の例として語られるように、朝廷や幕府とは別の「日本の意思」か何かが存在しているらしいw

何れにせよ、日本からの報復行動としての倭寇は、元に対してそれなりのダメージを与えた事は確か。
これに対して元側が防戦一方であり、根本的対策=倭寇の根拠地への討伐等が一切できなかった事は元朝への求心力の低下、その衰退、滅亡への一歩となった事は間違い無いだろう。

331:名無し三等兵
09/05/09 14:34:00
>>325
いやたぶん甑島の件だと思うな
それだけで1冊あり日本中が上を下に大騒ぎになったというのを
多数の資料を示して解説してたわ
、残りの本も多くが第3次侵攻の噂だとか異国船発見で
国内が驚天動地の大騒ぎになった事態を取り上げてるんだわ

332:名無し三等兵
09/05/09 15:12:12
>>326
魏志倭人伝のそれは風待ち
当時の船は順風じゃないと対馬海流超えられないからひたすら待ってる

高麗の船がどんなもんかわからないけど、南宋の船に似た
ジャンク船なら逆風でなければ航海できる

333:332
09/05/09 15:22:49
ん?これ朝鮮通信使の日記なのか すまん

334:名無し三等兵
09/05/09 21:46:08
外国からの初めての大規模な侵略だから、
元軍の強さ、残虐さは誇張されて伝わっていてもおかしくないな
八幡なんたらってのも宗教書だし

335:名無し三等兵
09/05/09 22:44:14
元はハイドゥ軍との戦いではどういう編成だったんですか?
期間が長すぎるから一口にどうとは言えないかも知れませんが
詳しい方お願いします。

336:名無し三等兵
09/05/09 23:04:22
>>334
『八幡愚童訓』は名前のとおり八幡大菩薩の神徳を称揚する宗教書なんだけど、
文永・弘安の役について部分の元ネタは、文永の役の主戦場のひとつだった博多の
箱崎八幡宮の社官が残した両戦役の実見記らしい『八幡ノ蒙古記』をベースに
使っているらしい。(江戸時代の漢学者、橘守部などの談)

『八幡愚童訓』は八幡大菩薩の神徳称揚を目的として岩清水八幡宮の社僧あたりが
十三世紀末から十四世紀の初頭頃に編纂したものらしいが、神功皇后の三韓征伐や
唐天竺のエピソード等、本地垂迹説の観点から八幡大菩薩にまつわる雑多な内容を
網羅的に叙述していて、寺社縁起系の文学として非常に完成度の高い書物。
その1エピソードとして文永・弘安の役についての話が載せられている。

勿論、宗教文書だし、「八幡大菩薩の神徳称揚が目的」という内容だけに全部が全部
実際にあったことそのままが書かれている訳ではないだろうけど、例えば有名な
「てつはう」が使用されたことは博多湾の海底発掘調査にも合致しているし、文永・
弘安の役当時の水城について詳述がされているが、これも戦後の水城の発掘調査とも
良く合っている。

ただ、室町時代から江戸時代にかけて写本や流布本が多く出回ったが、時代を経るごとに
内容が大雑把になったり部分部分で改編や脱漏などが多く、諸本同士で内容が食い違う
箇所も見られる。(江戸時代には絵入り本まで出た)
文永・弘安の両役の戦況全体を記述しているため、(水城の記述とかも含めて)非常に貴重な
資料なんだけど、如何せん資料としての性格が性格ゆえ非常に扱いが厄介な代物でもある。

(ちなみに「蒙古の連中は牛馬を食する輩だから捕殺した武者を食べるに違いない」みたいなことを
 書いているが、無論、華北や高麗でのモンゴル軍の戦役からしてそんな展開は実際にはないw)

337:名無し三等兵
09/05/10 04:35:02
そういや従来は蒙古襲来絵詞は竹崎さんが
武勲を誇示する為に描かせたって言われてたが
あれホントは安達さんや少弐さんを鎮魂する為に描かせたんだよね。
だから彼ら2人がイケメンに描かれてるw

338:名無し三等兵
09/05/10 16:48:20
棄民説の意味がマジでわからん。
フビライの治世を通してカイドゥと戦ったり周辺諸国に出兵していて
別に兵士が余っているわけでもないのに、なんで日本相手にだけ
無駄金を大量に費やして棄民を送り込む必要があるんだ?

339:名無し三等兵
09/05/10 17:12:06
水際防衛のための防塁と古代からの大野城・水城はわかるけど、
博多湾を見渡すことができる愛宕山、祖原山、赤坂(桜坂)とかには築城しなかったの?

大宰府を攻め落とすためには、現在の西鉄に沿った道で進軍するのが最適だと思うけど、
なんで今津・姪浜・百道・箱崎・香椎・海ノ中道に戦力を分散して上陸したんだろ?



340:名無し三等兵
09/05/11 23:34:24
>>338
南宋や高麗の武官が腐ってて、
大して強くもなければいつ裏切るか判らんので、船に積み込んで送り出す鉄砲玉みたいな使い方しか出来なかったんだろう。



341:名無し三等兵
09/05/12 01:03:06
棄民ネタ飽きた ほかのネタやってくれ

342:名無し三等兵
09/05/12 09:00:53
三度目の国書マダー

343:名無し三等兵
09/05/12 09:20:40
結局、棄民派や威力偵察派の主張は具体的な裏付けや根拠に欠けてるんだよ。
惨憺たる結果の理由を後付けの推測で負けじゃないことにしようとしているだけ。

344:名無し三等兵
09/05/12 10:08:47
>元寇の弘安の役の際に、江南軍司令官として3500隻、10万人の大船団を率いて現在の浙江省寧波を出発し
日本に来襲。敗戦により将兵を見捨てて帰国したことが、生きて帰った3人の兵からクビライの耳に入り、
クビライは激怒したため斬首に処された。

予定通りに棄民しただけなのに、なぜかフビライに怒られて首を斬られてしまう范文虎カワイソス。

345:名無し三等兵
09/05/12 14:28:15
フビライ「三人も帰ってきてるぞゴルァ!」

346:名無し三等兵
09/05/12 14:34:23
しかも一番、棄民したかった南宋兵が一番生存率高かった件

347:名無し三等兵
09/05/12 17:37:21
>>344
いや、『元史』世祖本紀によると、弘安の役から6年後の1287年(至元二十四年)にテムゲ・オッチギン家の
ナヤンが東方三王家を率いて叛乱した時、范文虎も衛軍五百を率いてクビライの親征に扈従したらしい。
『元史』では范文虎の伝がないので詳しくは分からないが、『新元史』で編者・柯劭[文+心](かしょうびん)
(20世紀前半に活躍した中国の歴史家)は彼の伝記を設けていて、どこからの引用か不明だが弘安の役での
損耗について范文虎には「世祖之を罪とせず」としたと書いている。
『元史』世祖本紀に記録されている限りでも、その後も范文虎はナヤンの乱鎮圧後の遼寧行省での事後処理を
任されたり、尚書右丞、商議樞密院事に任じられ、クビライが進めていた江南開発についてもクビライの没年まで
関わっている。

(ちなみに『新元史』は20世紀に入って柯劭[文+心]が編纂したものだが、引用箇所の典拠を載せず、しかも
 典拠の分かる箇所でも誤記脱漏が多すぎて、研究者から非常~~に不評をかった書物)

クビライが亡くなった後、成宗テムルの初年(1295年)に平章政事になっていた范文虎が、先年開通していた
通恵河(クビライが開削させた、大都と現在の天津にあたる通州と結ぶ運河)施工の監督に関わり、二品銀印を
給されたことが出て来るので(『元史』成宗本紀の序言の至元三十一年八月己丑条)、少なくともこの頃までは
存命みたいだが、その後の足跡が分からない。范文虎は南宋からの降臣でもかなり活躍したことで有名な割に、
実は生没年が今でもよく分からないなままだったりする。

なので、弘安の役から帰って来た范文虎がクビライによって斬刑に処されたという情報はガセだと思う。


348:名無し三等兵
09/05/12 17:55:22
企画した連中とクビライではまた別の思惑があったりするんでないの
壱岐の虐殺にしてもクビライは絶対に民衆が一人として殺してはならない
と出撃前に伝えたそうでリアルで起きた事と違い過ぎるw

349:名無し三等兵
09/05/12 17:56:04
民衆が

は民衆を

350:名無し三等兵
09/05/12 18:05:10
>>347
ついでに、『元史』日本伝では「十萬之衆得還者三人耳(十万の衆、還りを得たる者三人のみ)」と書かれて
いるようだが、

同じ『元史』でも范文虎や李庭に従って江南軍に加わった相威の伝記(『元史』巻百二十八)では
「八月朔、颶風大作、士卒十喪六七(八月朔、颶風大いに作り、士卒を喪うこと十の六、七)」とか

同じく弘安の役の江南軍司令だった阿塔海の伝(『元史』巻百二十九)でも
「征日本、遇風、舟壞, 喪師十七 八(日本を征するも、風に遇い舟壞れ、師を喪うこと十の七、八)」とあり、
(阿塔海伝では、至元二十年(1283年)に征東行省丞相に遷され日本遠征に出たとあるが、弘安の役は
 至元十八年なので、阿塔海伝の紀年は誤りだろう)

『元史』世祖本紀 至元十八年八月壬辰条(1281年9月13日)でも、
「詔征日本軍回、所在官為給糧。忻都、洪茶丘、范文虎、李庭、金方慶諸軍、船為風濤所激、大失利、
 餘軍回至高麗境、十存一二。」

とあって、『元史』での記述の傾向は、「軍の6、7割を失った」とか「7、8割を失った」、あるいは
「1、2割りしか残らなかった」という書かれ方をしているので、蒙古襲来関係の研究でも日本伝の
「十万の衆、還りを得たる者三人のみ」は誇張が過ぎる表現だというのが大方の見解のようだ。
この「三人」というのは弘安の役の報告を行った于[門+昌](うしょう)と、その後帰還した莫青、呉萬五の
ことらしい。

相威伝では「帝震怒」してただちに阿塔海に再度の遠征させるつもりだったそうだが、諫言するものが
いなかったため、相威が上奏して「今は残余の戦艦も足りないため、まず練兵や戦艦の建造など準備を固め、
相手側の防備が弛んだ頃を見計らい、風に乗じて急襲するのが万全の策かと思われます」というような
内容を述べたので、クビライは遠征を一旦取り止めとかいうらしい。(本当か?)

ただ、『元史』の他の記事を見ても弘安の役の時の指揮官クラスが明確に処罰されたというような記事は
見付けられなかった。阿塔海にしろ洪茶丘にしろ、後のナヤンの乱でクビライの親征に関わって出征して
なにがしか活躍しているから、そのあたりと関係があるかもしれないが、良く分からない。

351:名無し三等兵
09/05/12 18:44:03
「残ったのが1,2割」でも想像を絶する大損害なのには変わりないがね。

352:名無し三等兵
09/05/12 19:08:11
それでも勝ち負け云々以前に「十万のうちの三人」という数字と
「全軍のうちの一、二割(全軍十四万とすれば1万4000~2万8000)」
じゃあ実数というか現実味の有る数字として大分違う訳だが。

353:名無し三等兵
09/05/12 19:12:11
>>352
そうだね。まだ全体の八割か九割しかやられてないんだから、まだまだ戦えたよね。

354:名無し三等兵
09/05/12 19:25:48
>>353
> そうだね。まだ全体の八割か九割しかやられてないんだから、まだまだ戦えたよね。
弘安の役の後の意見具申には「現状でもまだ戦える」的な意見は見られないし、>>350にも触れたけど
相威の上奏でも「まずこちらの戦艦を修造し軍も練兵を重ねて体勢を立て直し、先方の防備が緩みなどが
見られような時期を見計らい、万全を期してから再度遠征を行うべきだ」と述べているようだから、
文永の役の時の金方慶ではないけど、遠征軍が帰還した直後では「まだまだ戦え」るとかは無理だろう。

355:名無し三等兵
09/05/12 21:13:24
生存3人とか中国の史書は無茶苦茶な所が多いな
他の時代もそんなのだらけ
船団が壊滅約7割が溺死ってのが実態に近いのか

>>347 >>350

Wikipedia(>>344)も本当にどうしようもない
第3次ソロモン海戦の日米の損害とか両者出鱈目だらけになってる

356:名無し三等兵
09/05/12 21:53:29
江南軍十万のうち三人生還じゃなくて
置き去りにされた十万のうち三人脱出できたってことか

>>345
三人くらいなら良かったようだね
棄民が1万4000~2万8000還ってたら首が跳んでたな

357:名無し三等兵
09/05/12 22:21:58 XSNlVkxM
>>337 河野水軍の子孫としても河野六郎通有、河野通盛親子が出てて嬉しいです。


358:名無し三等兵
09/05/12 23:25:27
>>355
煽りでなくご自分で編集してみることを勧めるよ。

359:名無し三等兵
09/05/13 03:21:34
>>354
いや、>>353は単に皮肉を言っただけなんじゃ・・・

>>357
御子孫の方ですか。
国難に立ち向かった武士を先祖に持つのはさぞ誇らしいでしょう。
私の先祖なんて室町時代にヒャッハーやってたゴロツキのようですw

360:名無し三等兵
09/05/13 15:06:55
>>288
はい↓
上天眷命 “皇帝奉書日本国王:朕惟自古小国之君,境土相接,尚務講信修睦,
况我祖宗受天明命,奄有区夏,遐方?域畏威?德者,不可悉数。朕即位之初,
以高麗无辜之民,久瘁鋒鏑,即令罷兵,還其疆?,反其旄倪。高麗君臣,感戴来朝,
亦雖君臣,而歓若父子。計王之君臣,亦已知之。高麗,朕之東藩也。日本密迩高麗,
開国以来,時通中国,至于朕躬,而无一乘之使以通和好。尚恐王国知之未審,
故特遣使持書布告朕心,冀自今以往,通問結好,以相親睦。且?人以四海為家,
不相通好,豈一家之理哉?以至用兵,夫孰所好,王其図之。” 不宣白
どうみても友好的

361:名無し三等兵
09/05/13 15:26:44
訂正

上天眷命 “皇帝奉書日本国王:朕惟自古小国之君,境土相接,尚務講信修睦,
况我祖宗受天明命,奄有区夏,遐方昇域畏威懐徳者,不可悉数。朕即位之初,
以高麗无辜之民,久瘁鋒鏑,即令罷兵,還其疆場,反其旄倪。高麗君臣,感戴来朝,
亦雖君臣,而歓若父子。計王之君臣,亦已知之。高麗,朕之東藩也。日本密迩高麗,
開国以来,時通中国,至于朕躬,而无一乘之使以通和好。尚恐王国知之未審,
故特遣使持書布告朕心,冀自今以往,通問結好,以相親睦。且経人以四海為家,
不相通好,豈一家之理哉?以至用兵,夫孰所好,王其図之。” 不宣白

362:名無し三等兵
09/05/13 16:43:58
↑の日本語訳をどうぞ。

天の恵みを受けたモンゴルの皇帝が日本の国王へ手紙出すよ
俺、おもうんだけどおまえんとこみたいな小国はさ国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?
ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ
隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ?
そういえばさ俺が即位してすぐお隣の朝鮮と講和したらさ
あいつら超しっぽふってきたぞw
おまえらも当然おれの子分になるよな?
俺の代になってからおまえらおれんとこあいさつきてねーけど
きっとおまえら世の中の変化を知らないだけだよな?
しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ
おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑)
今から仲良くしようぜ?な?
ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーな
俺も軍事力はつかいたくねーからよw
じゃあな!

363:名無し三等兵
09/05/13 17:02:50
コピペ探すのに何年かかってんの

364:名無し三等兵
09/05/13 17:28:26
どこが平和的なんですか?

365:名無し三等兵
09/05/13 19:13:06
そもそも鎌倉幕府より過激な対応した国も沢山あるしw

366:名無し三等兵
09/05/13 19:13:53
歴代中華帝国の文章も、もし残ってればまあ似たり寄ったりな天上天下唯我独尊っぷりなんだろうなとは思うw

が、それをフォーマットだからってそのまま使うのはどんだけ無能なのか、ボコボコにしてやんよとマジで思ってたかのどちらか。

367:名無し三等兵
09/05/13 19:16:32
>>362
上のほうで既に突っ込みを受けてますね。

368:名無し三等兵
09/05/14 03:04:11
>>360-361
冒頭が「大蒙古皇帝書」ってなってないうえ末尾の紀年がないから多分『元史』日本伝あたりからの
コピペなのだろう。

ちなみに、東大寺尊勝院に宗性という人が著した『調伏異朝怨敵抄』という文書に「蒙古國牒状」として
1268年に高麗牒使・潘阜がもたらしたクビライからの国書が書写されていて、現在も東大寺に所蔵されて
いるんだそうな。

↓はwikiに掲載されているもの。
URLリンク(ja.wikipedia.org)



369:名無し三等兵
09/05/14 03:04:52
>>368のテキスト化したもの。

上天眷命
大蒙古國皇帝奉書
 日本國王朕惟自古小國之君
 境土相接尚務講信修睦況我
祖宗受天明命奄有區夏遐方異
 域畏威懐徳者不可悉數朕即
 位之初以高麗无辜之民久瘁
 鋒鏑即令罷兵還其疆城反其
 旄倪高麗君臣感戴來朝義雖
 君臣而歡若父子計
 王之君臣亦已知之高麗朕之
 東藩也日本密邇高麗開國以
 來亦時通中國至於朕躬而無
 一乘之使以通和好尚恐
 王國知之未審故特遣使持書
 布告朕意冀自今以往通問結
 好以相親睦且聖人以四海為
 家不相通好豈一家之理哉至
 用兵夫孰所好
 王其圖之不宣
   至元三年 八月 日

(紀年が至元三年(1266年)となっており、擡頭、平出がすっきりしているため、
 現在、この東大寺蔵文書は最初の国書のかなり正確な写しと考えられている。)


370:名無し三等兵
09/05/14 04:04:22
>>369の書き下し文。東大寺蔵文書の国書を引用される先生方の読みとだいたい合っているはずだが、
>>369も含めて原文とで転写間違いがあったら寛恕願いたい。

=========================
上天眷命
大蒙古國皇帝、書を
 日本國王に奉る。朕、惟みてば古より小國の君は
 境土を相接す。尚(たとい)務めて信を講じ睦(むつみ)を修(お)さむ。況んや我が
祖宗は天の明を受け、命區夏を奄有(えんゆう)す。遐方の異
 域は威を畏れ、徳に懐(なつ)く者、悉(ことごと)く數(かぞ)うるべからず。朕、即
 位の初めに高麗の无辜(むこ)の民の久しく
 鋒鏑(ほうてき)に瘁(つか)れるを以って、即ち兵を罷め、其の疆城(「域」の誤りか)に還し、其の
 旄倪(ぼうげい)を反えせしむ。高麗の君臣、感戴して來朝せり。義は
 君臣と雖(いえ)ども、歡は父子の若(ご)とし。計るに
 王の君臣も亦(また)、已(すで)に之を知らん。高麗は朕の
 東藩なり。日本は高麗に密邇(みつじ)す。開國以
 來、亦時に中國と通ず。朕が躬(み)に至っては、而(しか)るに
 一乘の使の以って和好を通じる無し。尚お恐るらくは、
 王國之れを知るも未だに審(つまびら)かならざるを。故に特に使を遣わして書を持せしめ、
 朕が志を布告せしむ。冀(こいねが)わくは自今以往(じこんいおう)、問を通じ
 好みを結び、以って相(あい)親睦せん。且つは聖人は四海を以って
 家と為す。相(あい)通好せざるは、豈(あ)に一家の理ならん哉(や)。
 兵を用いるに至っては、夫(そ)れ孰(たれ)か好む所ぞ。
 王、其れ之れを圖(はか)れ。不宣。
   至元三年 八月 日

=========================
この至元三年の国書が、モンゴル帝国(および元朝)の命令文としてどういう体裁の代物なのか
一応説明する必要があるし、>>362はすんごい大雑把な意訳なのでちゃんとした訳文をどっかから
また引用しようかと思うが、それはまた今度にして、取り敢えず原文と書き下し文だけで。

371:名無し三等兵
09/05/14 09:07:42 BGAPJSo4
素直に読む場合>>362は誤訳相当のミスリードだらけで意訳ですらない
訳というより自分の主観を受け取った国書風味に仕立て上げただけの代物

372:名無し三等兵
09/05/14 10:24:31 7agdZc0U
ネタニマジレスカコワルイ

373:名無し三等兵
09/05/14 10:25:57
あなたが和訳してみたらどうだろう?なぜやらないの?

374:名無し三等兵
09/05/14 11:07:07
>>353にマジレスした件でもそうだが、軍板とはいえ
所詮ここは2ちゃんなんだから、もう少し肩の力抜いてもいいと思うぞw

375:名無し三等兵
09/05/14 12:02:46
2ちゃんでここまでネタにマジレスする人
久しぶりに見た気がするw

376:名無し三等兵
09/05/14 12:32:31
かつての山野氏を思い出すな

377:名無し三等兵
09/05/14 12:33:42
論破されたからネタと言う事にして誤魔化そうとしてる様にしか見えんね。
>>219とか>>222は忘れるつもりか?

378:名無し三等兵
09/05/14 12:38:56
友好なんて無理あるだろw
周囲を侵略か属国化してる国が
軍事力の行使を匂わせているんだからな。

379:名無し三等兵
09/05/14 13:26:23
論破きました
痛いこちゃんが貼りついてるみたいね

380:名無し三等兵
09/05/14 14:27:31
一方的な勝利宣言ってあの国の人かよw
なんかヤケにあちらの肩を持つなあと思ったらやっぱり
高麗人の子孫だったのかwww

381:名無し三等兵
09/05/14 14:39:28
>>379-380
具体的な反論は何一つ出来ない低脳が何か喚いてるようですね。
かわいそうに。

382:名無し三等兵
09/05/14 15:40:51
>201 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
>それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw

>206 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 14:41:43 ID:???
>>205
>帰ったら載せてやるよ国士さんw

暴れてるのはこの人?

383:名無し三等兵
09/05/14 16:01:26
>>381
>>378なんだけど俺の主張は無視なんだな。

384:名無し三等兵
09/05/14 17:28:08
>>382日本人の全員が全員国士様ではない、ってことだね

>>383
どこに軍事力の行使を匂わせてるんだよw
最西の未開地域にあったフランス族やイタリア諸部族とは友好関係だし
インドやシャムは侵略も属国化もされず交易関係ありだから
日本も海の向こうだから通商関係のみを求めても不思議じゃあない

385:名無し三等兵
09/05/14 17:45:47
ゾンビきめえw

386:名無し三等兵
09/05/14 17:49:24
ループさせることが目的

387:名無し三等兵
09/05/14 17:53:25
無双国士の糖質患者様やべえな

388:名無し三等兵
09/05/14 18:15:56
ふ ふ ふらんすぞく?

389:名無し三等兵
09/05/14 18:27:56
>>359
うーん、皮肉とか煽りの類いだろうことは承知しているけど、どうもその「ネタ」すら
鵜呑みにして、今は亡き元寇スレの後半みたいに中身のないただの煽り合戦になるんじゃ
なかろうかと思って、敢えて「ネタニマジレス」してみたんだけれど・・・
あんまり効果なかったかも(汗

自分としては文永の役にしろ弘安の役にしろ、元朝側と鎌倉勢側とどちらが勝ったとかいう
話よりも、記録に残る数字やデータが実際問題どこまで現実味があるかどうかに関心があるので、
断片的でどこから来たとも知れない情報で妄想を凝らして煽り合戦で華やぐよりかは、ある程度
しっかりした情報ソースを持って来て、実際当時や近い時代ではどう言われていたかとかを
見て行った方が生産的なんじゃないかなあと。

>>374
>>362的なネタはネタとしてあっても全然良いと思うけど、ただ、それしか無くて元のソースが
全然出て来ない→誰も知らない、という状態でそのまま実際の歴史的な話をするとかになったら
そーいう状況はちと不健全が過ぎるので、スレの流れがどうなるかは分からないけど、一応ちゃんと
元ネタが出せるなら出した方が良いと思って、ここでもまあちと大人気ないかもと思いつつ
敢えて「ネタニマジレス」ということで(w

390:名無し三等兵
09/05/14 18:54:14
おk把握。まあでも、この手のスレじゃあ
ある程度基地外じみた煽り合いも起こるのは仕方ない。
でも幸いな事に軍板住人はスルースキルには定評があるし
あんたみたいにどちらかと言えば、双方の事情とか詳しい経過なんかに興味があるから
結局思想に凝り固まったレスの応酬になった日本史板みたいな事にはならないとは思うよ。

391:名無し三等兵
09/05/14 19:19:26
ここまで大げさに用意して本質的にはなんらネタコピペと変わらないわけだが。

>兵を用いるに至っては、夫(そ)れ孰(たれ)か好む所ぞ。
一方的に属国になれといっておいて、これでしめる時点で実力行使満々だよな。
ましてすでにことごとく隣国を侵略しているのに。

>フランス族やイタリア諸部族とは友好関係だし
なんだこれ?いざとなればネタだとか言って逃げるつもりか?

392:名無し三等兵
09/05/14 20:02:25
>>384
至元三年の国書(いわゆる「蒙古国牒状」)は「皇帝」の出した国書としてはあまり高圧的な表現が
使われておらず、中華思想に良く見られる鷹揚・寛大な皇帝像に基づいているような表現で占められているが、
鎌倉時代後期から室町時代以降、この「蒙古国牒状」はだいたい「無礼な書」だという評価が一般的だった
みたい。
(モンケが陣没した直後にクビライが帰還した開平府から南宋皇帝に宛てた国書の内容が伝わっているが、
 「こそこそと裏でこちらを妨害するくらいなら、軍備を整えでもして再度の会戦の時まで首を洗って待っとれ!」
 的な内容で、例の杉山センセなどは至元三年の国書に比べて、こちらの方があからさまに恫喝的で威嚇的だと
 評しているようだ)

具体的に牒状のどういったところが「無礼」とされたのかは、資料中でははっきり書かれていないことが
多いが、中世史の研究者の人たちは、文末の「兵を用いるに至っては、夫(そ)れ孰(たれ)か好む所ぞ」
という箇所が当時の人たちにかなり引っ掛かったようで、そのことから「無礼な書」と看做されたんだろう
と見ているようだ。

このスレでも関連スレでも何度か名前が出て来る『八幡愚童訓』の主だった現存する古い諸本には、
(菊大路家本や内閣文庫本など)どれも実は「蒙古国牒状」が丸ごと載せられていて、江戸時代中期の
漢学者・橘守部は『元史』からの転載だろうと断じていたっぽいけど、『元史』日本伝ではなくて、
>>368-370で上げた東大寺蔵の「蒙古国牒状」の系統のものらしい。(いずれも東大寺の国書写しと同様に
全文が載り訓点が附してある。橘守部が色々と批判した群書類従本などにもちゃん訓点付きで全文載っている)


393:名無し三等兵
09/05/14 20:04:31
>>392の続き。
室町時代中期に歌道や文芸の分野で活躍した、後崇光院こと伏見宮貞成親王(1372年-1456年)という人が
いるけど、彼の「宸筆」つまり直筆した『八幡愚童訓』の断片がいくつか残っていて、その断片のひとつが
実はこの『八幡愚童訓』載録の「蒙古国牒状」の後半部分だったことが分かっている。
>>369で言えば12行目の「高麗開國以來」から末尾の「至元三年 八月 日」までの全文にあたる。

単に過去に蒙古からもたらされた国書が無礼な内容だったという伝聞的なものではなくて、「蒙古国牒状」の
全文自体が『八幡愚童訓』という書物を介して室町時代には割と知られていたということがなかなか興味深い。

>>390
甚だ�ォクス
自分は元々世界史板の方で、日本史も中国史も専門でなかったけど、断片的な資料を引っ張て来て
牽強付会というか我田引水な論法で放言する輩が横行する状態に我慢がならなくて、自分の直接の
専門でもなかったけど関連する資料を集めて自分なりに突っ込み的なレスを付けていたら、元寇スレは
大荒れに荒れて今に至るという感じ。日本史板も世界史板も年々住民のスルースキルが低下していて、
煽りはスルーしつつ資料を出し合う的なやり方は廃れつつあるのかと正直がっくりしていた。
(なので鎌倉時代の文書資料とか元代の漢籍については、活字本とかの翻刻文や訓点がないと読めない)

歴史板の住人なので軍事板にはお邪魔させてもらっている感が今でも強いけど、割と冷静に煽りを
スルーしてレスを読んでくれる人も多くて非常に有難い。

394:名無し三等兵
09/05/14 20:23:41
>>384
1247年に第三代皇帝グユクがローマ教皇インノケンティウス4世に宛てたペルシア語による
国書がバチカンに現存するけど、こちらは威嚇と言うか最後通牒的な内容で、教皇自らがただちに
欧州の諸王を率いて我らの面前に出頭しなければ、天より全世界の支配権を任された我らが天罰的に
お前達を滅ぼすぞ的な内容で、この頃は交戦的姿勢があからさまだった。

時代が下って、13世紀後半から14世紀初頭にイルハン朝の君主、アルグンやガザン、オルジェイトゥ
などがフランス国王やローマ教皇にモンゴル語による書簡を送っているけど、こちらはマムルーク朝に
対抗してエルサレムを含むパレスチナの領土奪還を狙ってフランス国王フィリップ4世に共同作戦を持ちかけたり、
オルジェイトゥの頃は、近年ようやくモンゴル帝国全土が融和したので挨拶状を送る的な内容だったが、
グユクの時の国書のような、応じない場合は欧州への武力侵攻を前提にしている風な書き方は全く出てこない。

いずれの書簡も邦訳で読めるので、比較材料としてその内それらもうpしてみようかと思う。

395:名無し三等兵
09/05/14 20:41:49 BGAPJSo4
>>391
一言も属国化の要求に相当する字句が見当たらない。

>兵を用いる事はしたくない
素直に解釈するなら、戦は望まず奉書に認めた事を応諾するよう望む。としか読めないが

396:名無し三等兵
09/05/14 20:43:28
このスレ見るたびに感心するんだが>>392の知識と情報収集力はすげえな。

397:名無し三等兵
09/05/14 20:55:09
>>395
「君とは喧嘩したくないから、俺の要求に従ってくれ」

と言われたら君は威嚇されてるとは感じないわけ?
それの意味する所は「要求が拒否されたら実力行使しなければならなくなる」以外に無いでしょ。

兵を用いる事に関して否定肯定以前に、全く触れる必要が無いわけだよ、
単純に「良かったら国交結ばない?」ならね。

398:名無し三等兵
09/05/14 20:59:14
あと誰に対してもいつでも上から目線で喋ってる奴だから
別に君を見下してるわけではないんだよ、みたいな論法も如何なもんかね。

単純にそいつは全ての人間を見下していて
それに君も含まれちゃった(つまりやっぱり見下してる)って解釈の方が素直なんでは?

399:名無し三等兵
09/05/14 21:03:21 McqDJwkT
【社会】「チンギス・ハン」はどの国の出身の人? 韓中蒙で大論争  オンラインゲームめぐり、三つ巴の“国際問題”に発展★4

スレリンク(newsplus板)

400:名無し三等兵
09/05/14 21:08:57
>>396
中世史が専門の人なんかな?


にしても、だからといって「はい、そうですか。」って
友好の使者送ってたら、本当に日本は元に攻められずに済んだんかな?
高麗はかなり執拗に日本を攻めるように進言してたみたいだけど。
つかなんでまた高麗は日本遠征にこだわったんだろ?

401:名無し三等兵
09/05/15 00:51:36 BkL8Yeu9
平和船が帝国水軍を只で使うてのもなぁ。
日頃の二枚舌も極まれりだけど。

402:名無し三等兵
09/05/15 01:27:18 Zq6OA9MS
>>397
その程度で威嚇と感じる人間が会社勤めしてたら
鎌倉幕府のゴロツキ共と同じように儀礼も何もないヤンキーみたいな行動とるんだろうなw

まあ意図的にトンチンカンな事書いて話をうやむやにしたいだけだろうが

403:名無し三等兵
09/05/15 04:21:44
>>394
>天より全世界の支配権を任された我らが天罰的にお前達を
滅ぼすぞ的な内容で、この頃は交戦的姿勢があからさまだった。

なるほど、確かに日本への牒状と似て好戦的だ。
日本のも天より全世界の支配権を云々で始まり、攻めるのは好まないんだがな的な好戦的な内容だ。
日本のもだがこれは読んで貰えない。読んでないから当然返事はだせないだろうね。

しかしながら、西洋や西アジアへの牒状と対応はあくまで参考な。
日本が判断の材料にできるのは日本が知りうる範囲の事柄なんだから、
西洋などので日本の対応を評価したり、日本がこうしとけばよかったってのはSF仮想戦記だよ。

それに元の牒状を比べるのは、あくまで侵略を繰り返し版図を広げた元にしては好戦的か友好的かどうかの評価であって、
外交の常識として評価したいなら他国の外交と比較しなければならない。
さもなければ一部の史料で我田引水な論法で放言する輩となるだろう。

404:名無し三等兵
09/05/15 04:35:49
ここまでいまだ
一度目と二度目の国書なし

405:名無し三等兵
09/05/15 05:20:16
「脅しには屈しませんよw」という鎌倉武士かっこよす

406:名無し三等兵
09/05/15 11:52:49
つまり鎌倉幕府は遺憾の意を表明すべきだったってこと?

407:名無し三等兵
09/05/15 12:50:04
つまり明にやったように「来るなら来いヘタレ」と返信してやればよかったってことね

日本からの返信に顔真っ赤になるも、日本へ攻撃できなかった明↓
「帝得表慍甚、終鑒蒙古之轍、不加兵也。」

408:名無し三等兵
09/05/15 13:23:08
また酷使様のオナニーが始まったか。

409:名無し三等兵
09/05/15 13:42:34
>>403
読んでもいないのに「好戦的な奉書なので読まなかった」意味不明過ぎだw

それにこの奉書を見て好戦的な内容だと思うのは、それこそ中身も読まずに即断したか白痴のどちらか

410:名無し三等兵
09/05/15 13:45:18
>>369
なんで変なとこで改行してんの?

411:名無し三等兵
09/05/15 14:06:45
200 :名無し三等兵:2009/04/27(月) 17:57:52 ID:???
国書の内容
天の恵みを受けたモンゴルの皇帝が日本の国王へ手紙出すよ
俺、おもうんだけどおまえんとこみたいな小国はさ国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?
ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ
隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ?
そういえばさ俺が即位してすぐお隣の朝鮮と講和したらさ
あいつら超しっぽふってきたぞw
おまえらも当然おれの子分になるよな?
俺の代になってからおまえらおれんとこあいさつきてねーけど
きっとおまえら世の中の変化を知らないだけだよな?
しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ
おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑)
今から仲良くしようぜ?な?
ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーな
俺も軍事力はつかいたくねーからよw
じゃあな!


201 :名無し三等兵:2009/04/27(月) 18:01:42 ID:???
>>200
それ3度目に送られてきた内容じゃねーかw



そもそも>>200の国書って最初のじゃん
しょっぱなから無知さらしてまんがな

412:名無し三等兵
09/05/15 14:20:19
>>400
忠烈王が人質の身分から解放されたかったから


413:名無し三等兵
09/05/15 17:01:09
三度目の国書マダー?

414:名無し三等兵
09/05/15 17:10:53
上天眷命 「イケメンからのゴアイサツw」
大蒙古皇帝奉書「大蒙古国の『皇帝』の手紙だぜ!」
日本國王朕惟自古小國之君「やあ小国ニッポンの『国王』(皇帝>国王)ちゃん元気にしてる?」
境土相接尚務講信修睦「俺、おもうんだけど国境を接する国とは仲良くしたほうがよくね?」
況我祖宗受天明命奄有區夏「ましてや俺達モンゴルってば天に世界の頂点約束されてるわけなんよ」
遐方異域畏威懐徳者不可悉數「隣国どころかすげー遠い国でも俺にぺこぺこしてんぞ? 」
朕即位之初以高麗無辜之民久瘁鋒鏑「そういえば高麗もおれが軍事介入して戦争をやめさせてやったわけだが」
即令罷兵還其疆域反其旄倪「くそ役にたたねーガキと爺どもを故郷に帰してやったわけさ」
高麗君臣感戴來朝「そしたらあいつらうれションする勢いでぺこぺこしてきたぞw」
義雖君臣而歡若父子計「まああいつらは俺のパシリだが同時に親子でもあるわけだな」
王之君臣亦已知之「まあお前らもこのことはもう知ってるわな」
高麗朕之東藩也「高麗は俺の犬」
日本密邇高麗「んで日本は高麗のすぐ隣やん」
開國以來亦時通中國至於朕躬而無一乘之使以通和好「なのにオメーなんで俺に挨拶しに来ないわけ?」
尚恐王國知之未審「多分おまえら世の中の変化を知らないだけだよな? 」
故特遣使持書布告朕志「しかたねーから俺から手紙だして教えてやったのよ 」
冀自今以往通問結好以相親睦「今から仲良くしようぜ?な? 」
且聖人以四海爲家「おれみたいなイケメンはさ全世界を俺の家族だと思ってるんだよねスイーツ(笑) 」
不相通好豈一家之理哉「ちなみに親交をむすばないってんなら家族じゃねーからぶちのめすわw」
以至用兵夫孰所好「おれもお前ぶちのめしたくないからよwわかんだろ?言ってることw」
 王其圖之不宣「じゃーな!」
    至元三年八月 日


415:名無し三等兵
09/05/15 17:11:45
三度目の国書はー?

416:名無し三等兵
09/05/15 17:38:27
好戦的かどうかというか
では実際の元が日本に対しどう動いたか?

答え
無視されたのでかっとなって殴ったら
逆に殴り返されて逃げた
で、もう一回今度はもっと大勢で殴りに行ったら
今度はあてることもできずに蹴り飛ばされて玄関に立たされた。
ずっと立ってたら大雨になっておぼれた

友好的な国書?だったら無視されただけで攻撃ってどんだけDQNなのよ
しかも最初の国書が届けられた段階(まだ使者が日本にいる段階)で日本の返答を待たずに元は対日に向けた軍備を始めているし
これじゃ最初から属国化する気満々としか言いようがない
どう見ても「笑顔で恫喝」ってやつですね



417:名無し三等兵
09/05/15 18:33:44
そもそも通交が目的なら土産なりなんなり持ってくるもんなんじゃね?

418:名無し三等兵
09/05/15 20:36:59 Zq6OA9MS
>>414
左右が全く対応してないし、何をしたいのか意味が分からない


419:名無し三等兵
09/05/15 20:50:03
見苦しいな。で、三回目の国書はどうなった?

420:名無し三等兵
09/05/15 20:53:36 Zq6OA9MS
>>416
北条一門の対応は、二度友好を求める奉書を受け取りながら一切返答しないという
武士らしい極めて非礼な対応。

それを受け、説明要求のために送られてきた三度目の使者に至っては
殺害するという野蛮人丸出しの対応、もしくは血に飢えた北条一門の形を変えた宣戦布告
戦争に至る原因は0ー10で北条一門にあった、それが真相。

421:名無し三等兵
09/05/15 20:56:32
だからもういいから。詭弁の練習でもしてるのか?

422:名無し三等兵
09/05/15 21:07:05
このスレにいる詭弁野郎みたいなのが教師やってるんだな。
URLリンク(www.tamagawa.ac.jp)

>10月20日.元・高麗軍は筥崎(はこざき)・赤坂・麁原(そはら)・百道原(ももじばる)・今津あたりに分散して上陸を開始,
>日本側武士団と壮絶(そうぜつ=とてもはげしい)な戦いをくり広げた・・といいたいところですが,
>元・高麗の記録を見ると日本側は一方的に不利だったようです.

それにしても元や高麗のどういった記録に日本側が一方的に不利だったと書かれているんだ?
いまだに日本は一対一でどうこう言ってるし、『蒙古襲来絵詞』を出すわりには
日本側が集団で元軍を追い散らす場面は出していない。


423:名無し三等兵
09/05/15 21:15:16
URLリンク(www.tamagawa.ac.jp)
案の定突っ込まれてるが、なぜ「高麗史」よりも「八幡愚童記」が信頼できるのかの理由もなく
「文永の役でメタメタにやられていたのは日本の武士達です」とは恐れ入るな。


424:名無し三等兵
09/05/15 21:55:43
>>409
国書だとわかってのかね?事前に大勢目を通すんですが。
準備した返牒は太政官から蒙古の中書省宛じゃないか
読んでないし、仮に読んでたとしても読んでない体裁をとってる。

425:名無し三等兵
09/05/15 22:18:35
>>410
「平出」(へいしゅつ)と呼ばれる文書で使用される神仏や皇帝以下の皇族・王族などに対する
敬意表現のひとつで、日本でも大宝律令の頃から色々形式が決められていたもの。
「蒙古国牒状」でも敬意表現として「擡頭」と「平出」が行われているけど、それについても
あとで説明しようかと思う。

426:名無し三等兵
09/05/15 22:35:49
>>423
文頭で「大蒙古国皇帝奉書」と書かれているし、東大寺蔵の「蒙古国牒状」やそれを
転載しただろう『八幡愚童訓』の各諸本でも訓点が附されているうえ、当時の日記等でも
国書が鎌倉にまず送られたうえ、京都の朝廷にも転送していたことが記録されているので、
鎌倉幕府は国書の内容を実見、検討し、これを蒙古皇帝からの国書であることと認識したうえで
返牒しないことに決め、朝廷の返牒案もわざわざ止めさせているんだと思う。
(これも蒙古襲来関係の研究でははっきりしているみたいだけど)

「蒙古国牒状」の訳文うp以外でもいろいろ書かねばならんことがどんどん増えてってる気が・・(汗

427:名無し三等兵
09/05/15 23:22:45
いやまあ、無理せず自分のペースでやってくれたらいいよ。気長に待つから。

にしても戦況はさて置き、やあやあ我こそ(ryで儀式的な戦いしてたなんて
馬鹿げた説はどっから出てきたんだろ?そしてなんで国内外問わず
未だに偉い先生ですら信じてる人が多いんだろう?
源平期の時点で一騎打ちなんてレアケースなのが現状だったのに。

428:名無し三等兵
09/05/15 23:23:38
というわけで、>>368-390の訳文。
杉山センセの『モンゴルが世界史を覆す』(日経ビジネス文庫、2006年3月1日、335頁)に
載っている東大寺蔵「蒙古国牒状」の訳文をベースに適宜字句を補いつつこの国書の訳を載せてみる。
やっつけ仕事なので至らぬ部分もあるだろうけど、そこはどうか寛恕願いたい。

=========================
1)  上天(テングリ)にいつくしまれた
2)  大蒙古国(イェケ・モンゴル・ウルス)の皇帝(カアン、つまりクビライのこと)は信書を
3)   日本国王にたてまつる。私がおもうに、古から小国の君は、
4)   領土がたがいに接していても、それまでも講信修睦つまりまことを語り合い、ならい親しみあった
        ものである。まして、
5)  祖宗すなわちチンギス・カン以来の我らの歴代は、天の明らかな命令を受けて、区夏(華夏の区域の
        意味で、 中国全土=天下)を奄有(ことごとく有すること)し、
6)   遐方(はるか遠方)の諸国も、威を畏れ徳に懐くものは数え切れない。私は即位
7)   のはじめ、高麗のつみなき民が長い鋒鏑(いくさ)につかれているので、
8)   すぐに兵をやめて領土を返還し、旄倪(老若)をかえすようにさせた。
9)   高麗の君臣は感戴(恩を感じて尊奉すること)して私のところへやって来た。名義上では


429:名無し三等兵
09/05/15 23:25:23
>>428の続き。

10)  君主と臣下だが、歓しみは親子のようである。おしはかるに、
11)  王の君臣も、もはやこのことを知っていることではあろう。高麗は私の
12)  東の藩屏である。日本は高麗と密邇(間近く)し、国をつくって以来、
13)  しばしば中国と通交していた。ところが、私の治世に至ってからは、
14)  一度も友好を通じる使いがない。それでも(私は)
15)  王の国が十分にそのことを知らないのではと恐れている。そこで、特に使いを遣わして信書を
16)  持たせ、私の気持ちを布告させる。どうか、今からのちはたよりを通じ好(よし)みを
17)  結んで、たがいに親しみあおう。そもそも、聖人(天子の雅称)は四海をもって家とする。
18)  たがいの好みが通じあわないことは、一家としてのことわりだろうか。
19)  兵を用いるなどは誰が好むことだろう。
20)  王よ、よくお考えあれ。不宣(不宣白、意を尽くしませんの意味)。
       至元三年 八月 日

=========================


430:名無し三等兵
09/05/16 00:30:57
>>427
おk。適当にそこそこの程合いでやっていこうかと。
> やあやあ我こそ(ry
文永の役の戦況については多くの場合、例の『八幡愚童訓』から引用される傾向にあるんだけど、
恐らく、一騎討ちをしようと名乗りをあげた云々もそこら辺から出て来ているのかも知れない。
菊大路本でも群書類従本でも、文永の役の時の博多での合戦については当然どの諸本にも記載
されているからどれをうpしても良いんだけど、取り敢えず、書き出すのに面倒な漢字が少ない
『八幡ノ蒙古記』からその部分をうpしてみる。

「十月廿日未明より、蒙古陸地に、おしあかり、馬にのり、旗をあけて攻めかゝる、
 こゝに前小貳入道覺慧孫わつかに十二三なるか、矢合の為とて小鏑を射出したりしに、
 蒙古一度に、とつと笑ひ、大皷をたゝき、とらを打て鬨をつくる事おひたゝし、
 日本の馬とも、これにおとろき、をとり、はねくるふほとに、馬をこそ刷ひしか、
 向はんとする時の、おくれけるうちに、射かけらる、」

前小貳入道覺慧の孫という人物が、矢合戦をするため鏑矢を射ったら、何故か蒙古勢側が大笑いし、
そのまま太鼓を叩くやら銅鑼を打鳴らすやらして、鬨の声を上げながら襲って来たので、日本勢の
軍馬が驚いて暴れだし、逃げ始めた、ということらしい。

上の『八幡愚童訓』の記述は、表現で使われている漢字が諸本で微妙に違う程度で、どの諸本も
ほぼ同一の記述がされている。 名乗り云々の出所は良く分からないが、あるいは江戸時代当たり
言われている可能性もあるかもだけど、あるいは明治からか、戦前、それとも戦後からか。
やはり専門で無いので良く分からない。
> 川添昭二先生の『蒙古襲来研究史論』とかに何かヒントがあるかもしれない。

431:名無し三等兵
09/05/16 01:21:34
>>430
よく解らないのですが『八幡愚童訓』によると
前小貳入道覺慧の孫という人物が一騎打ちを挑もうとしたが名乗りはあげてないということですか?

432:名無し三等兵
09/05/16 01:46:34
この辺りは蒙古襲来時以外の、源平~鎌倉期の記録も照らし合わせた方が良さそうだな

433:名無し三等兵
09/05/16 03:03:51
>>414
>>428
こうしてならべてみると>>200はほとんど原文ママの翻訳だったんだな



434:名無し三等兵
09/05/16 04:57:45 uRTzMJ6X
流石は国士様、あまりにも見苦しい足掻き。ではなく抗戦w

435:名無し三等兵
09/05/16 05:12:30 zacNSvyq
中国共産党や、日本共産党、社民党、民主党、自治労、日教組は「琉球は中国領だ」
という主張するために「百越人(FR-2b民族)が琉球人や日本人の祖先だ。」という
ことを必死になって隠したがっている、というか気ずかせないように隠している。
日教祖、日本共産党、自治労ぐるみで、だ。

なぜなら「百越人」(DNA遺伝子Y染色体FR-2b)は中国では「絶滅」させらているから
である。そのことが日本人に広く知られると、
「なんだ中国人は、最近、尖閣諸島、沖縄も中国領だとか、中国領が奪われたんだ、とかって
被害者意識ばっかで言ってるが、 なんのことはない、そもそも我々の祖先、つまり百越人
である祖先を大陸から追い出して我々の祖先の土地を奪って乗っ取ったくせに、今度は、
我々の祖先(百越人)が亡命して辿りついて苦労して開拓したこの土地まで欲しがるのか?」
という反論されると、国際社会でもグーの音も出ない、反論のしようがないからだ。




436:名無し三等兵
09/05/16 05:28:29 zacNSvyq
また中国政府は「鳥居」が百越人の文化であることを必死になって隠すために
華南一帯にあった、数年前までなら長江流域、雲南省、湖南省、江西省、広東省など
華南一帯の稲作地帯の農村でごく普通に見られた「鳥居」の原型を壊させている
兆候がある。

また韓国支配層(現在でも隠然として力を持つ韓国の闇の李子朝鮮王朝時代の権力集団のワイ人
(夫餘・高句麗・沃沮・穢の前身)も同じである。
自分たちが李氏朝鮮時代、つまり「両班時代」、「百越人」が苦労して開拓した土地を接収して
増やしたことが明らかになっていくと困るからだ。
朝鮮半島でも百越人が過半数だが、実権は握っていない、少数民族の「ワイ人」支配層は、
必死になって「倭人」と読んで、「倭人」に対する敵愾心で百越の子孫を騙そうとしている。
そうして韓国民衆(過半数が百越人)を騙し続けていないと圧倒的に多い、一般民衆の、
「百越人」に 「ワイ人(本当の朝鮮人)特権階級、人種差別構造」をひっくり返されると
困るからだ。


437:名無し三等兵
09/05/16 10:52:06
ここは日本史板じゃないので、右だの左だの関係ない話は謹んで下さい。

438:名無し三等兵
09/05/16 13:13:37
暴徒鎮圧にはゴム弾や催涙弾が使われるが、殺していい相手でも軍隊はそういう
装備で挑むのかい?相手や目的によって装備を変えるなんて当たり前のこと。
重火器持った軍隊が相手なら、盾なんか持たないよ。無意味なんだから。

439:名無し三等兵
09/05/16 13:15:19
↑誤爆失礼

440:名無し三等兵
09/05/16 13:24:25
>>427
右からすれば「礼儀正しい日本武士」
左からすれば「国際常識も知らない時代遅れでマヌケな日本の支配層」
と言う事になるからじゃね?


「日本勢が一方的に不利」なら蒙古軍はなんで九州一つ落とせなかったのか?
台風のせいだの海があるからなんてのは事前にわかってた事
それを承知で日本に攻めたんならその時点で重大な失敗だろう

日本の武士が弱いか強いかとか言う以前の問題

441:名無し三等兵
09/05/16 13:30:38
勝ちに不思議な勝ちあれど、負けに不思議な負けは無しってか。

442:名無し三等兵
09/05/16 14:31:25 uRTzMJ6X
日本の軍事力を甘く見たというより、日本人の抗戦能力が思いの外高かったんだろ
他地域の連中と違って裏切り脱走がないだろうし、日頃盗賊海賊を生業にしているから戦慣れしてるし
武具も日本刀が輸出品になるくらいだから白兵戦用の物は良質だったんじゃないか?

領土的魅力に比して軍事力が高かったと

443:名無し三等兵
09/05/16 14:37:00
文永の役の元軍の撤退に関しては、そんなに深く考えなくても
単純に副司令官の劉複亨が重症を負ったからじゃね?威力偵察説は
進軍行程が短く偵察になってないのと、偵察にしては多い3万という
数字、その後、得宗家が大陸出兵計画を企てたり元の外交官を斬ったり
強気になってるしイマイチ説得力がない。それより副司令官が負傷した
ので撤退したの方があり得そう。

444:名無し三等兵
09/05/16 14:53:49 qPY06RPY
単にたった5千の日本兵にボコボコにされて勝ち目がなかったから撤退しただけ

445:名無し三等兵
09/05/16 15:07:54
五千って数字はどこからだっけ?

446:名無し三等兵
09/05/16 16:52:27
ボコボコって程、一方的ではないだろう。
日本側もかなり被害を出して、一旦水城に引き上げたわけなんだし。
尤も戦略的な意味では、何一つ得るものが無かった元軍の大敗北だが。

>>440
俺もちょっと調べてみようと思うが
当時、日本国内の合戦は夜戦や奇襲から始まってるケースが多かった気がするんだ。
夜討ち朝駆け騙し討ち、何でもアリだった奴らがそんな一騎打ちだなんて
お行儀良いことするんかなあって学校で習った頃から疑問だったんだわ。

447:名無し三等兵
09/05/16 17:02:10
>>443
例の杉山センセが文永の役を「威力偵察」だと言い出したから「威力偵察」の話が出て来たんだけど、
モンゴル帝国の軍で三万前後の規模で(ただし文永の役の軍は中央アジアなどの戦役と違って歩兵の
比重がかなり大きかったような印象あり)拠点攻略や領土征服を含まない掠奪遠征的な軍役は
イラン方面とかの例でも普通にあるので、杉山センセなどが言わんとしていることは、文永の役も
モンゴル帝国の軍が在地の政権の帰順を促すような、その種の広い意味での「物見」的な遠征の
ひとつだったということらしい。(結果的に帰順や返牒などは引き出せなかったが)

勿論、左副元帥の劉複亨が負傷したことで指揮系統の面では少なからぬ動揺はあったことは想像に難くないけど、
あまり「威力偵察」というタームにこだわらず、モンゴル帝国の軍役の傾向として考えれば、自分としては
(歩兵騎兵あわせて)三万前後の軍勢とはいえある程度合戦して戦果の如何を問わず一日で撤退しても特に
驚くべき事例とは思わない。

幾度か太宰府攻略云々もされているけど、文永の役での博多に上陸した軍勢の実数は不明だし、例の杉山センセが
何かのインタビューで「太宰府を陥落させるくらいならもしかしたら出来た規模かも知れないが、領土征服的な
ことは無理だろう」的な発言をしていたと思うが、水城は割と長大な要塞なので、大陸と地続きならまだしも、
海洋を隔てた単発で三万前後の軍勢でこれを攻略するとなると、他の地域での事例から考えると、ちと無茶な作戦だ。

よしんば陥落させても当時のクビライ側は南宋作戦中で、日本遠征が継続的にされるかかなり不透明な状態で、
九州で永続的な領土支配をする準備は出来ていない。杉山センセは「もしかしたら」と言ったが、攻略しても
結局一旦撤退しなければならないので、文永の役の時点で太宰府を陥落させてもあまり意味は無かっただろう。
(攻略→水城周辺を破壊しても、次の遠征の時には修繕されているだろうし)

杉山センセは「威力偵察」とは言ったが、モンゴル帝国の軍役として割とあるこの種の遠征を指して、
軍板的に「威力偵察」と表現し得る物なのか、そこら辺はちと判断がつかない。


448:名無し三等兵
09/05/16 17:03:35
一騎打ちってのは那須与一のエピソードみたいな戦場の華というか、
例外に属するケースなんじゃないのと思うけど。

449:名無し三等兵
09/05/16 20:10:05
>>430
学校教育で名乗りの例に「資時の矢合せ」一騎討ちの例に「季長の先駆け」が使われている。

「矢合戦」じゃなくて「矢合せ」な。戦を始めるにあたり代表が口上を述べ音が鳴る矢を射る。
要するに、汝らに義はない、兵を引かなければ討ち果たすぞみたいなことを宣告すること。

450:名無し三等兵
09/05/16 22:19:51
まあそれは儀礼っつーより政治的なもんだしなあ
そもそも言葉も通じん元や高麗の軍とじゃあ最初からそんな事も出来んだろ

451:名無し三等兵
09/05/16 22:48:53 qPY06RPY
>>446
妄想乙。
海岸で無理に迎撃した松浦党が百人くらい死んだのが日本側の被害の全て。
伝統的な防衛ドクトリンに乗っ取った福岡平野での決戦では
日本側が完勝している。
水城に撤退したのは日が暮れたから。

452:名無し三等兵
09/05/16 23:01:46 qPY06RPY
>>447
あなたの妄想は置いておくとして、
海岸からたった10kmの水城にすら到達できず、
やれ船を焼いて背水の陣をしくとか言い出したり、、
海峡を越えて3万人も連れてくる遠征で、
一日で矢が尽きたとか見え透いた言い訳を弄してる時点で、
ああ、モンゴル軍は惨敗したんだな、と捉えるのは自然だね。

水城を攻略困難と本当に見なしていたなら別の場所に上陸すればいいだけ。
まあ三万人も動員した海越えの遠征で、
たった一日で矢が尽きてしまうおとぼけ軍隊らしいから
その程度の知恵も働かなかっただけかもしれないが。

事実は水城のど真ん前に上陸し、目標すら拝むこともできず惨敗したわけだ。

453:名無し三等兵
09/05/16 23:07:22
なんか酷使様っぽいのが来たな。

454:名無し三等兵
09/05/16 23:15:08 qPY06RPY
>>447
>よしんば陥落させても当時のクビライ側は南宋作戦中で、日本遠征が継続的にされるかかなり不透明な状態で、
>九州で永続的な領土支配をする準備は出来ていない。杉山センセは「もしかしたら」と言ったが、攻略しても
>結局一旦撤退しなければならないので、文永の役の時点で太宰府を陥落させてもあまり意味は無かっただろう。

これなんかはいかにも軍ヲタらしい後知恵。
文永の役の時点で太宰府を陥落させても
後から後から重装騎兵が万単位で湧き出てくるという日本の国情を分かってるなら
そもそも文永の役なんてやってねーよwww
弘安まで待つわなww

疑心暗鬼と楽観主義が混在する実際の政治的決断の現場を想像できないから、
こういう後知恵議論がまかりとおるんだよね。
で、実際に決断を要求される場面に立たされると思考停止して
さっぱり役に立たないのがミリヲタ=作戦ヲタ。

455:名無し三等兵
09/05/16 23:16:43
もしや何時ぞやの「鎌倉武士は世界最強」の人か?

456:名無し三等兵
09/05/16 23:16:54 qPY06RPY
>>453
リロードして分かったが、
早くも思考停止したミリヲタが登場したなww
酷使厨www

457:名無し三等兵
09/05/16 23:18:22 qPY06RPY
>>455
思考停止→議論の飛躍
ミリヲタのパターンどおりwww

458:名無し三等兵
09/05/16 23:19:35
>>457
飛躍も何も、文体も言ってる事も同じだから単に気になってるだけだが。
違うんなら違うって言えばいいじゃん。


459:名無し三等兵
09/05/16 23:21:45 qPY06RPY
>>458
反論できないなら反論できないって言えばいいじゃん。
負け惜しみの何とか認定はいりませんwwwキモヲタ君ww

460:名無し三等兵
09/05/16 23:23:19
>>459
なんで敵意をむき出しにしてるのかさっぱり解らんのだが。


461:名無し三等兵
09/05/16 23:24:56 qPY06RPY
>>460
はい、反論できない負け犬キモヲタの被害妄想www

462:名無し三等兵
09/05/16 23:33:19
略奪だけして帰るってのも地続きの大陸ならともかくわざわざ日本に来て行うやり方とは思えないが…



463:名無し三等兵
09/05/16 23:33:29 qPY06RPY
資料に基づき日本の勝利、モンゴルの敗北を結論づけた我が議論に対し、
ミリヲタ側は酷使様認定厨の登場を見ただけでした。
軍ヲタの正体見たり、後知恵日和見主義者。

「私がもっとも嫌うのは、共産主義者と日和見主義者だ」
~イサー・ハレル

464:名無し三等兵
09/05/16 23:35:35 qPY06RPY
そもそも略奪に成功したのが壱岐対馬だけだからな。
トイの入寇みたいな海賊まがいならまだしも、
三万人も動員した正規軍が、あんな寒村の略奪だけで満足するわけねーじゃんww

465:名無し三等兵
09/05/16 23:36:55 qPY06RPY
作戦至上主義者のミリヲタ諸君も、
ちっとはコスト対効果というのを考えましょうね!

せんそうにはおかねがかかるんです!

466:名無し三等兵
09/05/17 00:53:39
国書厨の次は酷使様かよ

467:名無し三等兵
09/05/17 01:05:42
矢が尽きた→元史日本伝
元と属国と非戦闘員で3万
正規兵1万5千程度で即日矢が尽きる程度の物資保有量から本格侵攻ではなく威力偵察であると断定出来る

468:名無し三等兵
09/05/17 01:07:14
アンタの言いたい事はわかったからまずはsageてくれ。
バカ同士が煽り合って潰れた日本史板のスレみたいになるのは御免だ。
だからこそ、こっちはsage進行で細々とやってたのに。

469:名無し三等兵
09/05/17 01:10:00
酷使様の頭の中
エビフライ「1日分の矢弾で海の向こうの国占領してこい」


470:名無し三等兵
09/05/17 01:18:24
>>430
けっこう解釈間違えてるんだよね、あと誤解させる書き方も。
例えば>>350
「十萬之衆得還者三人耳(十万の衆、還りを得たる者三人のみ)」
全文読めば、残された蒙古人、高麗人、南宋人など10万のことなんだが、
これを全軍の損害と比較して
>誇張が過ぎる表現だというのが大方の見解のようだ。

>>352
>それでも勝ち負け云々以前に「十万のうちの三人」という数字と
「全軍のうちの一、二割(全軍十四万とすれば1万4000~2万8000)」
じゃあ実数というか現実味の有る数字として大分違う訳だが。

では誤解釈か誤解させてるか。

唯の間違いなら指摘すればいいだけだから構わないが、
意図的に史料を切り抜いたのではとも疑った。

471:名無し三等兵
09/05/17 01:26:36
>>449
> 「矢合戦」じゃなくて「矢合せ」な。戦を始めるにあたり代表が口上を述べ音が鳴る矢を射る。
> 要するに、汝らに義はない、兵を引かなければ討ち果たすぞみたいなことを宣告すること。
ああ、なるほど。「矢合せ」ってそういうものだったのね(汗
無知で申し訳ない&情報さんくす。
なるほど、竹崎季長が『蒙古襲来絵詞』で散々こだわった「先駆けの功名」とかも「一騎討ち」云々に関わっていると。

モンゴル帝国それ自体とか蒙古軍側の動向ならあれこれ言えるけど、やっぱり付け焼き刃だから鎌倉時代とかの
ことの常識的な情報はかなり抜けがあるなあ自分(汗

472:名無し三等兵
09/05/17 01:29:59
特にあれっと思ったのが
「蒙古国牒状」無礼の定番>>425の敬意対象を1文字上に書いた「擡頭」を
>>392でスルーしたのは意図してではと引っかかった。↓

>具体的に牒状のどういったところが「無礼」とされたのかは、
資料中でははっきり書かれていないことが多いが、
中世史の研究者の人たちは、文末の「兵を用いるに至っては、
夫(そ)れ孰(たれ)か好む所ぞ」
という箇所が当時の人たちにかなり引っ掛かったようで、
そのことから「無礼な書」と看做されたんだろうと見ているようだ。

>ははっきり書かれていない

のは「擡頭」を指すものじゃないのかなとか

すると>>393
>『八幡愚童訓』という書物を介して室町時代には割と知られていたということがなかなか興味深い。

ここは、「蒙古国牒状」が同時期に朝廷外に知られ、
民間人がN速+状態だったらしかったことをスルーする意図があるのかと嫌なことだが深読みしてしまった。

473:名無し三等兵
09/05/17 01:31:51 xyU1A5Lf
URLリンク(self0507.blog52.fc2.com)

474:名無し三等兵
09/05/17 02:34:47
>>422
>>423
武士の起源が未だに中央の横暴から身を守るための農民の武装化ってなってるな
今じゃ軍事貴族説の方が有力だが

475:名無し三等兵
09/05/17 02:44:07
軍事貴族も何もその先生の中では、桓武平氏や清和源氏はどうなってるんだろ?

476:名無し三等兵
09/05/17 03:38:42
>>467
確かに矢がつきたという記述はあるけど、航海という危険を冒してまで
彼らは何を得れたのかだが。実際ほとんど何も得ることなく、案の定撤退最中に
暴風雨にあって座礁してるし。また、高麗史金方慶伝の忽敦と金方慶のやりとり
と威力偵察説は相反してる。もう一つ考えられるのが、蒙古襲来絵詞を見ても
わかるが、鎌倉武士は重装備で元軍の短弓が武士に対して効果が薄かった可能性もある。
そのため、無駄に矢を射つくしたか、それを見越して退却したのかも。

477:名無し三等兵
09/05/17 04:03:09 +qw9HE3H
矢弾が尽きたってのは、足痛いとか風邪ひいたとか親戚が亡くなった~の類なんじゃなかろうか
予想外の戦上手ぶりに面食らって、撤兵しようとしたところへ台風直撃~みたいな

あと短弓から放たれる矢を身に着ける装備で相当程度防ぐのは、いくら重装備でも無理でしょ

478:名無し三等兵
09/05/17 04:11:47
対馬も壱岐も単に制圧するだけで良かったのに
ハンティングゲームなんかやって無駄弾使うからそんな事になるんだよw

479:名無し三等兵
09/05/17 04:20:13
元軍ったってモンゴル騎兵で構成されてた訳じゃなくて実態は南宋や高麗崩れの歩兵が主体な訳で。
和弓+騎馬でアウトレンジに徹されたらただの的かもねw

それでやられて二回目も装備の改良もなしに送られるのって懲罰部隊以外の何者でも無い気が。
高麗は知らんが南宋なら強力な弩で発射速度を犠牲にして射程を稼ぐ選択肢も有るんじゃない?

480:名無し三等兵
09/05/17 04:33:43
>>462
いや、軍事行動として当然掠奪も含まれるというのであって、掠奪そのものが目的という訳でなく、
「こちらは渡海して侵攻するだけの戦力・実行力があるぞ→だから何かしらメッセージをよこせ!」
という政治的なジェスチャーをもった遠征だったと自分などは踏んでいる。
(これは杉山センセなどもおおよそそのように考えておられるようだけど)

掠奪に関しては、「相手側の領域に侵攻した!」という確実な戦果・実績を残し中央に報じるためにやる、
という意味もあるので、多分、日本遠征は、珍島や耽羅島の三別抄討伐の時のように高麗近海の島嶼を
征するという段階を一段超えるものだったと思う。クビライも「風濤険阻」と言ったように、文永の役は
モンゴル帝国史上初の「外洋遠征」だった訳で、ともかく一度、千単位、万単位の軍勢を、外洋に渡海
させて、上陸させ、軍を展開させるということそれ自体が、文永の役という遠征の大きな価値のひとつ
だったんじゃないかと予想している。勿論、これは飽くまで私見だけど。

万単位の軍勢で水域を渡るという行為は、チンギス・カン時代の中央アジア遠征でシルダリヤ・アムダリヤ
両河の渡河作戦などや、水軍そのものの運用は南宋遠征の襄陽包囲戦あたりで既に見られているけど、
「外洋遠征」で日本・九州のような「大島」に上陸して数千、万単位の軍を派遣するのは、実際初の試みだったし。


481:名無し三等兵
09/05/17 04:56:49
>>480の続き。
> 軍ヲタらしい後知恵。
残念ながら、自分は飽くまでもモンゴル帝国史とか中世史の人間なので軍ヲタとかは到底名乗れるような
立場に無い。自分の意見はモンゴル帝国に関する文献史や研究史の範疇を超えられないし、それ以上は
僭越極まりない。
というか歴史関係ならまだしも、軍事関係の知識はほとんど無いので。

> やれ船を焼いて背水の陣をしくとか言い出したり
いや、そこは読み違ってるよ。その『高麗史』の金方慶伝に出て来る話は、今の遠征軍の状況は春秋戦国時代、
秦の穆公の孟明の「焚船」とか漢の韓信の「背水の陣」みたいな状態だ、ていう故事になぞらえて、今が正念場で
戦闘を継続したい!というのが金方慶の主張の主眼で、実際に船を焼くとかそういう話ではないので・・

(金方慶の「伝」なので当然のことなんだろうけど、「れい声大喝するに、倭辟易して走る」とか、どーにも
 記述のいちいちで金方慶の行動をことさらに持ち上げている感じがありすぎる。
 杉山センセは金方慶伝の金方慶と司令官の忽敦との会話は、当初からの撤退予定を踏まえた上でのやり取り
 だったろう的な意見を『モンゴル帝国の興亡』だったか別の本で述べていたけど、左副元帥の劉復亨は負傷して
 いるから良いとして、同席していたはずの彼にとってほとんど仇敵だった右副元帥の洪茶丘が全然発言していない
 っぽい感じにすごく違和感を覚える。一応博多に来た軍勢には居たはずだが・・)

うーん、何となく流れが今は亡き元寇スレの二の舞いな展開になりかけているような・・(汗


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