09/03/05 03:07:01
この俗にいう東京裁判がとうてい裁判の名にあたいするものではなく、
先勝国が敗戦国をこらしめる見せしめのリンチであり、
日本を弱体化するために仕組んだ陰惨な復讐劇であった証拠に、
東条英機元首相はじめA級戦犯を起訴した日は
昭和天皇のお誕生日である四月二十九日、
その内七名に巣鴨拘置所で絞首刑を執行した日は
当時の皇太子殿下(今上天皇)のお誕生日である十二月二十三日だった。
問題は次です。
絞首刑にあったA級戦犯七名の遺体は荼毘に付された、
というより、ゴミのように焼却された。
その遺骨はついに遺族のもとに返されることなく、どこかに放棄された。
一説に太平洋にまかれたといわれる。要するに、散骨されたわけである。
これが日本人に対する最大の屈辱的な仕打ちであることを承知の上で、
占領軍はあえて行なったのだった。
しかし当時の状況として、英霊の遺族たちはこの屈辱に黙って耐えるほかはなかった。
中略
この後日潭がある。
東条元首相以下七名の処刑から遺体処理までを指揮したGHQのウォーカー中将は、
その後の朝鮮戦争で自ら乗った自動車に友軍のトラックが追突して断崖から転落して、事故死した。
その日が、なんと七名の戦犯処刑三年後の同じ十二月二十三日、
しかもその時刻まで同じく処刑執行の午前零時だった。
当時の関係者は「怨霊」の恐ろしさに愕然としたという。
これぞ因果応報と得心こそすれ、不幸な事故に同情する者はひとりとしていなかったとも…。
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