09/04/12 17:47:34
勝海舟の度重なる説得に、遂に榎本は頷いた。
「開陽を引き渡さねば、慶喜公の命がないのならば、止むをえません。」
幕府艦隊は、江戸開城と同時に薩長に引き渡された。
このため、戊辰戦争は会津若松城開城により終結。
旧幕府海軍を中核に、近代海軍建設を目指すことになった明治日本。
榎本武揚は、実質的に海軍を握り、(史実では五稜郭で散っていった)元伝習隊士や元衝鋒隊士等を、海兵隊員として雇用、再編成する。
旧幕府系を中心とする海軍は、海兵隊解体を画策する薩長を中心とする陸軍を敵視し、海兵隊を保有し続ける。
そして、第一次世界大戦勃発。英国の参戦希望を受けた日本は、激論の末、陸軍の派兵拒否により、海兵隊1個旅団の欧州派遣を決定。
日本海兵隊の奮戦が、各国で高く評価されて報道されたことにより、陸軍も遂に欧州への派兵を決断し、海軍も戦艦を含む艦隊の派遣を決断する。
そして、欧州戦線で大量の血を流したことにより、日英同盟はワシントン条約においても維持される。
しかし、海兵隊の保有は、大正の海軍に辛い決断を強いた。
海兵隊の費用のために、海軍本体は、陸上機を全て新設の空軍に移管させることになり、艦上機と水上機、飛行艇しか保有できなくなったのだ。
そして、憲法改正を避けるために、海兵隊が海軍の下にあるのと同様、空軍は陸軍の下にあるとされ、実質四軍体制となった日本では、
日清・日露・欧州派兵で陸海が対立した戦訓から、統合参謀本部を設置する。
そして、第二次世界大戦勃発、日英同盟に基づき、再度の欧州派兵に赴く日本海兵隊の戦い。
というところまで、戊辰戦争のもしもを考えるうちに、第二次世界大戦まで暴走してしまいました。
史実では明治初期に解体された海兵隊を残したかったのですが、どんなものでしょうか。