09/08/26 07:03:30
>>909
確かに。
T型フォードを流れ作業生産し始めた96年前の時点で、とっくにマイクロゲージで完璧なパーツ互換を図り、
作業の規格化と徹底分業が行われていたんだからな、アメリカ。
それから四半世紀以上も経過すればノウハウも行き渡って、軍需転換なんか工場確保の問題でしかなかったろう。
>>914
それでもアメリカの場合、一般庶民でも最低限の日常移動に利用できる程度のガソリン配給は受けられたそうだよ。
日本や欧州諸国とはかなり状況が違っていたようだから、マイカー通勤組もいたんだろうな。
また、アメリカの民間車両がハイオク(当然当時だから有鉛だ)・ハイコンプのハイパワーV8全盛となるのは戦後で、
V12搭載高級車でもまだサイドバルブの大人しい仕様が多かったから、どのクルマも配給ガソリンで十分だった。
むしろ自動車大国アメリカの場合、
1942年から45年まで軍需生産のために民生用車両の新車供給がストップしてしまったんで、
中古車市場が高騰し、こっちの方が相当きつかったようだ。
他国と違って、当時から新車需要旺盛な国情だったからね。
みんな旧型車をパーツ交換で何とか延命させて使った。
なおエンジンから離れるが、
この時代のアメ車は、それこそ毎年マイナーチェンジを繰り返していたんだが、
1942年型というのは、ちょうど当時のトレンドによってデザイン革新が行われてた時期のクルマだ。
1940年型・1941年型がちょうど革新的な兆しを見せた年度で、
42年はそれをベースに更に洗練させたデザインが輩出したのに、
生産が年度途中で止まっちゃったので、どのメーカーのモデルも他の年に比べて現存数が極端に少ない。
しかも戦争終結で生産再開した1945年型は、緊急の民間需要に対処するため
シンプル傾向だった1942年型の元デザイン利用しつつ
クロームメッキの飾りを使いまくってデコレーションした下品なモデルが続出したので、
当時は爆発的人気だったが、後世の工業デザイン的評価はあんまり高くない。
軍需終了の反動で、軍需資材としても重要なクロームが余ったおかげなんだろうか。