【史学科】大学と軍事【国際関係】 at ARMY【史学科】大学と軍事【国際関係】 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト2:名無し三等兵 08/11/27 22:12:28 自営業阻止! 3:名無し三等兵 08/11/27 22:25:20 東大安保研ってこのスレの範疇に入るの? 入らなきゃコミンテルンの陰謀。 4:名無し三等兵 08/11/27 23:07:21 「名前を言ってはいけないあの人」が 現役将官として東大・安田講堂で講演した最後の人になりそうなのも コミンテルンの陰謀? 5:名無し三等兵 08/11/27 23:09:36 やれやれ、立った傍から某大学に浸透されてるよ。 >>34 ちょ、今回は自重しろよ^^ 6:名無し三等兵 08/11/27 23:38:37 さいたま自重 7:名無し三等兵 08/11/27 23:42:58 ナチュラルに俺の個人情報が漏れてるぞ^^# 8:名無し三等兵 08/11/27 23:48:09 やれやれ、いきなりこれか 9:名無し三等兵 08/11/27 23:56:00 ジュール・ブリュネ 1838年フランス生まれ 元フランス陸軍参謀総長 エコール・ポリテクニーク卒業 「ラスト・サムライ」のモデル 1862(文久2)年からメキシコ戦役に従軍し、プエブラ攻城戦での功で24歳という若さで、レジョン・ド・ヌール勲章・シュバリエ章を 授与される。画技において抜群な才能をもち、戦地において描かれた、 そのデッサンはフランス国内中に公表された。 幕府からの要請によって創設されたフランス軍事顧問団の一員として、慶応3年(1867年)来日を果たす。 しかし、軍事伝習開始後一年たらずで鳥羽伏見の戦いが勃発。ブリュネらはフランス本国の命令により中立の立場を とることとなる。新政府から使節団の国外退去の旨を伝える書簡を受けとったフランス公使は帰国を決定する。 しかしブリュネはそれに賛同できず、横浜のイタリア大使館での仮面舞踏会にカズヌーフ伍長とともに出席し、 舞踏会を抜け出して東北へと向い、その後「開陽丸」に乗り込み榎本武揚の旧幕府脱走軍とともに箱館に入り軍事顧問として従軍する。 この時、ブリュネは上司であるシャノワンヌ大尉の机の上に、フランス皇帝ナポレオン3世に当てた手紙を残してきた。 シャノワンヌ大尉、延いてはフランス本国に迷惑のかからないように辞表を出していた。 箱館で旧幕府の海軍副総裁・榎本武揚の行動を支援し、軍事的防衛の援助も行う。 五稜郭に立て籠もる旧幕府脱走軍を新政府軍が攻撃し、五稜郭は陥落、榎本武揚らは投降した。 ブリュネらは陥落前に箱館港に停泊中のフランス軍艦で箱館港から脱出した。その後サイゴンに強制送還され軍事裁判 にかけるためフランスへ連れ戻されるが本国においてはブリュネの心情を理解するフランス国民の後押しにより 軍事裁判にかけられることはなかった。 1870年、普仏戦争が勃発して軍に復帰することを許され、セダンの戦いでプロイセン軍に包囲されたフランス軍は、ナポレオン3世以下全軍降伏し、 ブリュネも捕虜になる。 1871年パリ・コミューンでの鎮圧に参加する。その後、陸軍大臣副官、工廠長官を経て軍管区師団長に就任する。 1895年日清戦争で日本軍の作戦を指導し成功させ、明治天皇から勲二等旭日重光章を授与される。 1898年フランス陸軍参謀総長に就任する。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch