08/05/18 01:18:46 JXT43Jfg
広田の時と同様、宇垣の組閣も『24』(トゥエンティ・フォー)状態ですw。
宇垣はそこで礼服に着替え、神奈川県知事差し回しの自動車に乗って京浜国道を
東京に向かって出発。その後を追いかけてくる新聞記者の車は50台を超えました。
他方、組閣の大命が誰に下るか?、今や遅しと待ち構えていた陸軍省は1月24日の
夕刻から九段下の偕行社で、軍事課・軍務課・新聞班の面々が待機していました。
陸軍省の影のキーマンといえる次官の梅津美治郎も顔を出しています。
午後9時、宇垣に組閣の大命が降下した事を知るや、協議のため全員が陸相官邸に
急行します。移動の車中のなかで既に、「反宇垣の空気は高まっていた」とされます。
ここに参謀本部作戦部長代理だった絶頂期のカンジも合流して、まず陸軍省の局課長
会議を行ない、続いて午後11時からは梅津次官、中村孝太郎・教育総監本部長、西尾
寿造・参謀次長の『三次長会議』を開き、宇垣の組閣に陸相を出さない事を決定しました。