日中戦争(支那事変)12 参謀本部第二部支那課at ARMY
日中戦争(支那事変)12 参謀本部第二部支那課 - 暇つぶし2ch212:元32
08/09/27 22:53:46
>>211
班長殿自ら残置諜者とは。

いずれにしろ再会オメ。

213:雑草
08/09/27 22:59:13
あ、言い忘れましたが、自分は第40師団(善通寺)で連隊の作戦主任を務めて
おりました。もちろん連隊に「作戦参謀」なんている訳が無いのですが、自分の
連隊では慣例で歩兵砲隊長が作戦主任的な役割をして連隊長を支えていたのです。

第40師団が広東に到着したのは、1945年4月半ばのことでした。なにせ南支です
から4月といえども気温は日本の初夏です。遥か昔に支給されたクタびれた冬服が
非常に暑かった記憶があります。広東は久方ぶりに見る大都会で邦人も沢山おり、
特に女性の色彩豊かな着物姿が、戦場のモノトーンに慣れた目にチカチカしました。

しかし、誰も「お疲れ様」「ご苦労さん」とも声をかけてくれず、奇妙な目でこちらを
見ています。宿泊先の確認のために部隊を街路で休憩させていると、ランドセルを背負った
小学生が寄ってきて「どこから来たの?」「どこへ行くの?」「山猿そっくりだ、臭い!」
「あっ、シラミだらけだ! うつるぞ、逃げろ!」と叫んで逃げていき、乞食そっくりの
自分たちの姿に情けなくなった次第です。今だったら歌舞伎町や秋葉原で大八車を
引っ張っているホームレスにも負けないでしょう。ちなみに支那の土人たちは
どこかの戦場から逃げてきた敗残兵を見るような目つきでしたw。

214:名無し三等兵
08/09/27 23:31:23
ああ、生きていたのかイナゾウさん
義務として書き込んでるわけでもないだろうから
そんな責任感じなくても良いとは思うよ
でも突如音信普通になられると心配になるから
書き込めないときは書き込めないと言ってから休んでくれるとうれしい

215:名無し三等兵
08/09/27 23:37:22
宮崎あおい発言
「過去に起こしたことだったらきちんとぜんぶ教えるべき!」
日本が過去に戦争でやった悪いことでも「ちょっと人を殺しちゃった」みたいにわざと小さく書いたり、載せなかったっていうのを見てそれはキチンと載せなきゃいけないのにな」って思ってたんです。

宮崎夫婦反日記録
URLリンク(d.hatena.ne.jp)


216:雑草
08/09/27 23:42:38
>>212 毎度どうもでございます。「人生って何だろう…」と悩んでおりました。
早く人間になりたーいw。

さて、そんなこんなで広東防衛の配備に付いた訳ですが、全くもってロクな思い出が
ありません。何一つです。今から考えれば「沖縄→本土決戦」と戦局は推移し、我が
支那派遣軍は100万の遊兵となった訳ですが、当時は米軍の広東上陸が相当本気で
考えられていました。とくに水際防御で玉砕する羽目になりそうな第23軍(広東)
司令部は深刻です。「まさか…」と思いつつも、際限の無い疑心暗鬼へと陥ります。

さらに悪いことにCGA(支那派遣軍総司令部)の方針が右往左往しまして、自分の
第40師団が広東に到着して間もなく(4月11日)、南京(上海)方面に再転用させる
べく第23軍司令部に「転出可能時期」を問い合わせました。

第23軍司令部は広東からの転用に異見表明しつつも、約1ヵ月の5月10日頃に
発進可能と答えます。この時点で第40師団は「どうせ出ていく部隊だから」と、
徹底的に陣地構築(艦砲射撃避けの横穴掘り)に使い潰される運命となった訳ですw。

217:名無し三等兵
08/09/27 23:53:39
おかえりなさい!


218:名無し三等兵
08/09/27 23:56:16 yzbdv7e8
復帰age

219:jy
08/09/28 00:15:18 mWoPx7cP
復帰おめでとうございます!(´・ω・`)ノシ

220:名無し三等兵
08/09/28 00:16:17
宮崎あおい発言
「過去に起こしたことだったらきちんとぜんぶ教えるべき!」
日本が過去に戦争でやった悪いことでも「ちょっと人を殺しちゃった」みたいにわざと小さく書いたり、載せなかったっていうのを見てそれはキチンと載せなきゃいけないのにな」って思ってたんです。

宮崎夫婦反日記録
URLリンク(d.hatena.ne.jp)

221:雑草
08/09/28 00:25:07
>>214 >>書き込めないときは書き込めないと言ってから休んでくれるとうれしい

全く以ってごもっともで返す言葉もありません。これでは社会人としても失格ですw。

>217 >>第40師団は「どうせ出ていく部隊だから」と、

しかし現場はそんな決定を知る由もありません。やがて台山という広東から
約120キロ離れた地区の固定防御を命令されましたが、配布されたのは地図
だけで、砲兵はおろか地雷1発の交付もなく、これには呆れかえりましたw。

これでは「標的になって死ね」の命令とイコールで、堪らず第23軍司令部の
兵站参謀のもとを訪れます。

雑草「連隊には連隊砲の2門しかない。何か対戦車手段をください」
兵站「何かあったかなあ…」

222:雑草
08/09/28 00:45:20
>>217 >>218 >>219 まことに恐縮至極です…。

雑草「速射砲か、カノン砲はないか?」
兵站「ない。あっても通用せん」
雑草「対戦車地雷は?」
兵站「重点正面に交付済みだ。一発も無い」

雑草「肉攻資材は? 柄付タ弾とか、ふとん爆雷とか、青剤(青酸)とか…」
兵站「そんなもんがあるもんか」
雑草「何か下さい。それでは、死にに行けというのと同じです」
兵站「済まんが、何も無い」

雑草「掘削資材は? ただ標的になるのは嫌です」
兵站「渡してしもうて、もう何も無い。精神力で戦ってくれ」
雑草「精神力で何か交付してください」
兵站「……」

223:雑草
08/09/28 02:00:45
「これでは必敗だ」と涙が溢れて、敬礼もせずにその場を飛び出しました。

自分の連隊に割り当てられた防御正面は65キロ。連隊砲の2門を除けば、僅かな
重機・軽機、そして擲弾筒と手榴弾ぐらい。「これで米軍の上陸に立ち向かえ」という
訳です。肝心の「対戦車手段」ですが、何とかして手榴弾を車内に投げ込むぐらいしか
思いつかず、後は夜間に日本刀を持って米軍陣地に斬り込むしかありませんw。

そもそも沖縄で激戦中の米軍が、支那で新たな上陸作戦を行なう(それも広東のような
辺鄙な場所に)など自分の常識では考えられなかったのですが、戦争では何が起きるか
分かりません。疑念を持ちつつも、やるべきことをやらなければ、いざというときに
「ほぞ」を噛みます。

結局のところ出来るのは「無駄死に」を極力避けること。ひたすら持久して米軍に
出血を強いるために、海岸の洞窟陣地から山塊・丘陵地の坑道、陣地の蛸ツボに
至るまで、●「その場で死ぬ覚悟で穴を掘れ」としか言えませんでした。しかし
掘削資材もなく、岩盤が固くて容易には掘り進めません。

224:雑草
08/09/28 02:39:59
さらに台山は何も無い場所で、ここ数年の飢餓と人災が重なって副食がありません。
昼夜兼行24時間、全身真っ黒になりながら穴を掘っても給与(食事)が最悪で、
僅かにライチーの実を齧るくらいでした。米と苺のデザートだけ喰っているような
ものですw。あとはヘチマや野草です。同僚の回想では、

●「馬の歯の悪いのが落とした糞を空缶で洗うて、その麦を食いよった。台山は
 最悪じゃった」
●「ある人に誘われて中国人の食堂に行ったところ、鼠の煮物を食わされた。
 小骨が多くて閉口した」

とあります。しかし怪我人が続出しながらも、皆真剣に黙々と自分の死に場所を
掘っている姿は神々しささえ感じました。ですが自分は「弱り目に祟り目」というか、
師団本部から隣の連隊の大隊長に異動するよう突然の命令が来ます。死生を共にした
多くの仲間と別れ、見ず知らずの連隊に移るのは耐え難い苦痛です。民間企業で
隣の支店に転勤するのとは訳が違います。今の連隊長も他の人間を出すよう色々工作
してれましたが、結局ダメでした。こうなっては軍人の運命だと諦めざるを得ません。

225:名無し三等兵
08/09/28 06:36:51
またサケのようにスレを遡上してきたな、まあ復帰おめ

226:名無し三等兵
08/09/28 07:17:09
「雑草という草はない」

復帰オメ

227:ue ◆WomMV0C2P.
08/09/28 17:55:16
復帰おめでとうございます。

228:雑草
08/09/28 22:29:51
>>225 >>「過去ログ倉庫」からなぜか復活できました。サケの喩えは絶妙ですw。
>>226 そのうち「イナ草」にでも改名しよかしらんw。はやく人間になりたーい。
>>227 ue少将閣下には弁解の言葉もありません。人生に大分迷っておりました。

>>224 の続き。>>こうなっては軍人の運命だと諦めざるを得ません。

平時には国家公務員よろしく、軍人は転勤が付き物の商売です。しかし今は戦時です。
下級将校の現場指揮官にとって、長年生死を共にし気心の知れた部隊を離れるのは、
例え同じ師団内(40D)の別の連隊といえども辛いものがあります。ましてや戦時
急編成の「独立歩兵旅団」なんかに飛ばされた日にゃあw。そういった新編部隊の
志気があがらず、実質戦力が額面より遥かに見劣りするのは理由のあることです。

それはさて置き、隣の連隊の大隊長に異動した自分ですが、広東防衛を離れて
北上するという噂が部隊で持ち切りでした。人の口に戸は立てられないものです
(但し行き先の南京までは知られていない)。

229:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/09/28 23:09:49
広東の防衛から自分たちが『御役御免』になるのであれば、こんな難工事は
一刻も早く止めてしまいたい。まったく現金なものですが、これが人情です。
連隊長からは「命令があるまで陣地構築を続けろ」と指示され、部下の中隊
長からは「早く止めさせてください」と矢のような催促です。

大隊長になっても板挟みの「中間管理職」の苦労を味わう訳ですが、仕方なしに
1週間以内に完成の目処が立ちそうな陣地はそのまま工事を続け、それ以外は
中隊長の判断で作業を止めてよい、と指示した覚えがあります。部下はさぞかし
不満だったことでしょうw。

結局、自分の第40師団は5月下旬に広東を正式に発進して北上することになり、
1ヵ月間に及ぶ「穴掘り」(陣地構築)は徒労に終わった訳です(少なくとも自分たち
にとっては)。こんな事なら広東に寄り道させず、初めから南京に向かわせてくれれば
と思うのですが、CGA(支那派遣軍総司令部)の不決断によるもので、戦局が悪化した
当時では珍しくありませんでした。要するに、「貧すれば鈍する」という訳ですw。

230:名無し三等兵
08/09/28 23:29:47
中佐が帰ってきてくれた。
今度は霊将を名乗ってください

231:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/09/29 00:04:15 WjkK6k4U
>>119CGA(支那派遣軍総司令部)の優柔不断・不決断によるもので、

1945年4月1日に米軍が沖縄本島へ上陸した以上、そこから南西に後退するような
位置関係にある台湾や南支を襲ってくる可能性は減った訳です(世界地図を参照)。
その後の米軍は沖縄から真っ直ぐに日本本土を衝くか、もし支那戦線に米軍との
決戦場が「仮に」あるとすれば、上海・南京の揚子江流域でしたでしょう。文字通り
CGAが死守すべき最後の本丸です。

結局、第40師団他の第23軍(広東)からの再転用がなったのが沖縄戦の大勢が
見えた後になりますから、いかにも後手後手に回っていました。蕋江(しこう)作戦も
米軍が沖縄に上陸した半月後の4月15日から従来予定どおり行なわれています。

さて部隊が北上を始めますと、自分には異動に続いてもう1つ、青天の霹靂が訪れました。
それが「陸大の受験」です。伝令がやって来まして、●「**は広東に残留し、陸大初審を
受験したのち?州(かんしゅう)において追及すべし。依命師団長」の意でした。最初は
「まだ陸大があったのか!」と単純に驚いた覚えがあります。

232:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/09/29 00:36:36 6QVJeTDM
>>230 >>中佐が帰ってきてくれた。今度は霊将を名乗ってください
どうもでございます。金正日も「百戦百勝の鋼鉄の霊将」だからイヤンw。
>>231 >>「まだ陸大があったのか!」と単純に驚いた覚えがあります。

日清・日露戦争でも陸大は一時閉鎖されましたから、「もうこの戦局では…」
と思い込んでおりました。しかし「試験をやる」というのですから、案外まだ
この戦争にも余裕があるのかもしれないと単純に嬉しかった覚えがあります。
今考えれば、官僚組織の硬直化した「惰性と慣性」に他なりませんでしたがw。

しかし受験するかは迷いました。不慣れな連隊に異動してきたばかりで、しかも
初めての「新品」大隊長です。あ、このとき自分の階級はまだ大尉でしたw。北上
する部隊から早々に離れることは、何となく逃げ出すようで気が引けた訳です。

困りまして大隊の副官に相談しますと、「遠慮は要りまっせん。命令ですけん、
大隊長ドノがおらんと兵達が喜びます。難しか作戦が来んからですよ」と熊本弁で
シャアシャアと答えやがりますw。

233:名無し三等兵
08/09/29 03:09:15
んで結局、中国長期出張してたってこと?

234:在特会
08/09/29 05:54:12 Bqn5hkIo
一人一人の怒りの拳が大きな力となります、皆さん御賛同下さい。

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235:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/09/29 23:38:43 0rhr3SCw
>>232 の続き。>>しかし部隊を離れて陸大を受験するかは迷いました。

結局、3年程前(1942年の淅?作戦)に同じく新任の大隊長が陸大受験のために
部隊から離れて残留したことを思い出し、自分もそうすることに決心しました。

そして北上する部隊を見送り広東の兵站旅館に入ります。久しぶりの人間の部屋で
同じ第40師団の陸大受験者には自分の他に、輜重隊長のI少佐とK大尉がおり
ました。K大尉が「広東料理を食って死にたい。(受験が終わって部隊への)追及の
道中が一番危ないんだ」と泣き言を言うので、街に出て料理屋に入ります。

部隊から離れる前に主計から「追及するには金がいる」とまとまった儲備券を
貰ったのですが、店側と筆談すると「法幣なら1万元、儲備券なら100万元」と
とんでもない値段を吹っかけられます。3人分の金を合わせても半分にも満たず、
ほうほうの体で逃げ出した次第ですw。支那の土人の敏感な嗅覚は、WW2の戦況を
正しく見切っていたのです。

236:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/09/30 00:05:24 xd72OwBw
そういえば広東に到着したばかりの時(1945年4月)も、連戦で未払いになっていた
1年分の俸給を「儲備券」で受け取ったのですが、尻を拭くチリ紙を買っただけで
半分吹っ飛んだ覚えがあります。札束で20センチはあったのに……。同じ量の
「チリ紙より価値が低い」とはこれいかに。

ちなみに>>235 の100万元は、3人分ではなく「1人前の値段」なので悪しからずw。

念のためですが、「儲備券」は汪兆銘政権の中央銀行発行の紙幣、「法幣」は蒋介石
率いる国民政府の紙幣です。そういう訳で兵站旅館の食事と去年の8月以来、約1年
ぶりの入浴だけが楽しみで、昔は軍票5円で一晩中呑めたのが懐かしい限りでした。

さて「陸大受験」の本番です。第23軍(広東)司令部の大会議室らしい試験会場には、
2~30人が集まっております。机の上には英国製の煙草と紅茶が置いてあり、試験
監督らしい少佐参謀は「自由にしてよい」と言うなり、連日の疲労のためか居眠りを
始めました。自分も問題を見る前に、煙草と紅茶に手を出した覚えがありますw。

237:名無し三等兵
08/09/30 00:13:53
イナゾウさんて佐々木氏本人なの?

238:名無し三等兵
08/09/30 00:16:54
イナゾウさんはちょっとイタコの真似事ができるんだよ。
稀に二次元のまで呼び入れてしまうけどね。

239:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/09/30 00:39:35 UjFh5lDk
しかし試験は真剣に受けました。いくら師団の命令の形とはいえ、作戦をサボって
受験していることには変わりないからです。

それでも●『対米上陸防御』に関する問題が出たのにはギョッとしました。誰にも
成案があるはずのない現下喫緊の難題をよくも出したものです。採点の基準は一体
何なのでしょう。幕末に黒船が来航したとき、その対策を諸大名に尋ねたような
感じかしらん?w 思慮の足りない「火葬戦記」なら、ここで抜群の答えを書くと
大本営からお呼びがかかって、戦局打開のための「勇者」になれそうです。おお、
死んでしまうとは何事だw。

とはいえ今までの「戦訓速報」によると、米軍が上陸したどの戦場からも「想像を
絶する砲爆撃を受けて…」「敵の戦車に対抗する手段無く、日に日に蚕食せられ…」
と共通する打電が送られています。またサイパンやレイテの海岸陣地があっという間に
全滅したのに対して、ペリリューや硫黄島などの洞窟陣地が被害を極限していたのが
対照的でした。しかし75ミリの90式野砲が敵戦車を直撃しても効果がなく、瞬時に
撃ち返して破壊されたことから、敵戦車はレーダーを装備しているという話も……。

240:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/09/30 01:05:56 UjFh5lDk
とどの詰まり、●『敵の上陸前後の砲爆撃をいかに生き延びるか?』
●『敵の戦車をいかに撃破するか?』の2つの命題に絞られます。

>>「想像を絶する砲爆撃を受けて…」

「想像を絶する」からには想像しようも無いのですが、とにかく洞窟を掘る
しかありません。現に硫黄島では有効に戦っています。しかし大変ですよ。
なんならあなた、自分の家の庭で10mくらい試しに掘ってみてください。
あるいは『メントレG』の地球貢献プロジェクトの若手芸人グリーングリーン
のように、スリランカで井戸を掘るのでも可ですw。

そんなこんなで陸大受験の答案用紙には、●「水際で生き残って撃破できる
有利な地形と築城の余裕と火力あれば『水際撃滅』を企図すべきだが、そう
でなければ後方配備して上陸後に出血を強いる他は無い。とにかく陸海一体
となって輸送船を撃沈し、戦車を撃破できる手段を開発することが先決……」
などと書いた覚えがあります―。

241:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/09/30 01:31:47 UjFh5lDk
こうして陸大の受験が終わると、少佐参謀の試験監督官が「第27(東京)、
第40(善通寺)師団の者は明日未明に広東駅を発、夜明けまでに源潭墟に
着け。その後は船団で遡行し、第131師団(金沢)の指示で?州に行け」
と原隊追及の指示を出しました。

肝心の答案はどうするのか尋ねますと「飛行便で東京へ明朝送る。しかし、
届くかどうかは保証の限りではない」と答えられました。最後に「道中、
気をつけよ。さらばじゃ。第23軍はここで玉砕する」と決別の辞を述べ
られたのと相俟って、何だか悲壮な気分になったのでした。(続く)

242:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/09/30 23:08:39 qvZhdlkp
>>241 の続き。 >>明日未明に広東駅を発、夜明けまでに源潭墟に着け。

自分の原隊に追及するべく、深夜に広東駅を出発します。タイヤのゴムを外して
線路のレールを走る自動車に便乗できましたので、予定どおり源潭墟へ無事に
到着することができました。

車長の話では、「昼間はグラマンやP51に狙われて走れない。敵機が射撃体勢に
入った瞬間にブレーキをかけて急停車すれば弾丸は頭上をかすめるが、決して
気持ちのいいものではない」とのことでした。

また線路を走れるのは源潭墟まで、以北はレールの復旧が手つかずのまま
と聞いて、何のための「大陸打通作戦」だったかと寂しくなった覚えがあります。
そもそも南方資源地帯と日本本土を陸路で繋ぐ、壮大な構想だったはずです。
世が世ならネタに困った『プロジェクトX』でも必ずや取り上げられたでしょうw。

源潭墟からは船で遡航するはずですが、何日も待たされて無聊に苦しみます。

243:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/09/30 23:36:32 qvZhdlkp
あまりに暇なので、陸大の試験で「俺はこう書いた」の話が盛り上がります。
自分の解答を明かすと、K大尉が「貴様は通った」と太鼓判を押してくれました。
しかし情勢の変化で結局採点されなかったそうで、とんだ無駄骨を折らされた
ことになります。繰り返しになりますが、支那事変末期は「貧すれば鈍する」で
足りない戦力に自分で追い討ちをかけていました。

いや、言葉が正確ではありません。「とんだ無駄骨」は米軍とて一杯やらかして
いるのですが、勝っているから目立たないだけで、負けている側は一回のミスが
取り返しの付かない致命的なものに悪化していきます。

2~3日後に50隻の補給船団に便乗することが出来たのですが、敵機が来るので
夜間しか航行できません。夜明けには土人を使って、船を縄で陸地に引っ張り上げ
分散し隠してしまう徹底ぶりです。なので遅々として原隊に追及できなかった訳です。

痺れを切らして自分が船を下りて歩こうと提案すると、>>235 で泣き言を垂れていた
K大尉が「俺は追及のベテランだ。任しとき」と余裕ぶっこいて動きませんでしたw。

244:非想非非想天の娘 比那名居 天子 ◆FU/OcfTlfM
08/09/30 23:53:31
>>238 >>イナゾウさんはちょっとイタコの真似事ができるんだよ。
>>稀に二次元のまで呼び入れてしまうけどね。

     ,. -‐-k'_
    ゞ((、)=-―ぐ
    彳(ノハノレイ)
    ノliハ、゚ ヮ゚ノi,   あら、呼んだかしら? ちなみに四川大地震を
    (ハi(_,).(ハ)と)   起こしたのは私だったりして。
     ,(ンメ,x,ェ_ハ
    .`^r_ァ^t_ァ''

245:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/01 00:19:09 rm33+v5D
結局、原隊に追及できたのは1945年6月下旬で、陸大受験から実に
1ヵ月近くかかったことになります。その途上、鉄道はもちろんのこと
曲江大橋や?州鉄橋など多くの交通の要衝が壊れたまま放置されており、
その意味でも多くの犠牲を払った「打通作戦」の戦略的意義は何だった
のだろうと思った次第です。

場所によっては、ほとんど全てのレールが持ち去られた鉄道の線路復旧
だけでも日本の国力にとっては悲鳴を上げる様な一大事業だったでしょう。

そして自分は南京へと部隊が進む途中の南昌近くで1945年8月15日、
つまり終戦の日を迎えることになりました。当時は『終戦』という言葉が
なく、部下の副官と「しゅうせんって何だ? 聞いたことがないが」「戦争を
終わると書くそうです。要するに、負けた、降伏するという宣言だそうです」
などとやり合っていました。

246:四季のフラワーマスター 風見幽香 ◆FU/OcfTlfM
08/10/01 00:30:06
>>460 >>「俺は陸大に受かった!」と叫んで部隊長自ら失踪

      ,  ‐‐-、___
    /   ., '´⌒⌒ヽ ~♪
   ./   、 i´ )ノ)ノ))ハ)
   ||     メ)ハ)゚ ー.゚ノl)  の話は、一体どこから始まるのかしら?
   ヽ.   _Q)#」ネl」)
~~   ̄ ,<´_#,#ハ
        `(ノノ"´

247:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/01 01:02:41 rm33+v5D
>>460 >>「俺は陸大に受かった!」と叫んで部隊長自ら失踪

……以上で、極小話の陸大受験はオシマイですw。

まあ、日程の関係で早いとこ「広田弘毅」の話に戻らなければならないのですが、
リハビリのついでとばかりにもう1つ、支那大陸での終戦を取り上げたいと思います。
参考文献は引き続き、『最後の打通作戦』です。そしてイタコの真似事も継続しますw。

このスレでは意図的に南京絡みの話は、『華麗にスルー』してきた訳ですが、
たまには関連テーマをやってみようかと。その昔、上海決戦から南京追撃戦、
そしてトラウトマン和平工作に話を続けたら、●「さすがイナゾウ、南京虐殺は
華麗にスルーだな」と突っ込みが入ったのが未だにツボにはまっていますw。

とはいえ、まともに南京虐殺を扱ってはスレが破綻しますし、日中戦争では
1億人が目指す「目標」だった自分にとっては、40万人という数字はガッカリ
するほど少なく、どうも食指が動きません。

248:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/01 01:10:09 rm33+v5D
【お詫びと訂正】
×日中戦争では1億人が目指す「目標」だった自分にとっては、
○日中戦争では1億人が「最低目標」だった自分にとっては、

さて皆さんは、以下のようなコピペを見たことがありませんか?

>611 :名無的発言者 :02/09/04 05:28
>うちの爺さん、終戦時に兵隊として南京にいたんだよ。で、終戦と同時に
>収容所入りになったんだけど、その時、南京城の堀のドブさらいをさせられた。
>敗軍の悲哀といえばそうなんだけど、実は南京城の堀は数百年?間も放置され
>続けた極めつけのすごいものだったらしく、中国軍兵士が何年もかかっていっこうに
>進まないシロモノ。が、うちのジイちゃんたち日本兵は予定された6ヶ月の期間の
>半分くらいでやってのけ、しかも掘り割りまでしてキレイにして、南京市民の大喝采を
>受けたという。・・・本当に南京大虐殺なんてことが日本兵によって行われたのなら、
>ジイちゃんたちが大喝采をうけるはずないと思う。ジイちゃんは死ぬまでそのことを
>言い続けていたよ。

249:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/01 01:44:22 rm33+v5D
同じような内容はコピペでよく貼られますし、今は昔懐かしの日下公人が
書いた『日本軍の教訓』(PHP文庫)の冒頭でも、「建制」が重要だと
取り上げる話のなかで、終戦後の「南京のドブさらい」が登場します。

全体の話の流れとしては、日本軍の捕虜をソ連と支那は「建制」を保った
まま収容したので、自分の都合の良いようにコキ使うことが出来て大いに
得をした(強制労働など)。逆にアメリカは、将校と兵を分けて収容する
など日本軍の秩序と組織(建制)を壊したので、捕虜の間で暴行・窃盗が
横行して失敗したというものです。

ただしアメリカの場合は、日本人が民主主義の『文明人』であるならば
自然に選挙が行なわれ、自治組織が出来上がると考えていたとも……。

まあ、上記の日下公人の考え方は置いておくとして、南京のドブさらいに
ついても触れていますので少し長くなりますが引用してみましょうと思い
ましたが、今日はもう夜遅いのでまた次回……w。また自分が後で取り上げる
話は「ドブさらい」ではなく、南京城外の「道路工事」なのであしからず。

250:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/01 23:43:05 Z1DbXtbX
>>249 >>南京のドブさらいについても触れていますので少し長くなりますが
>>引用してみましょう

さて、日下公人の『日本軍の教訓』(PHP文庫)にはこうあります。

「南京という街には、千年来の歴史を持つ運河が多数あり、そこにはそれこそ
 千年分の泥が溜まっている。中国は厚顔にもこの掃除を(敗戦後)引き上げる
 日本軍に依頼した。幕長(ママ)たちは、その申し出を断るべきかどうか、
 侃々諤々の議論を交わしたが、某師団長は『中国人にはさんざん迷惑をかけた
 のだから、わが師団は罪ほろぼしに掃除して帰ろうと思う。どうか、わが師団
 将兵諸君、ひとつやってくれないか」といった。そこで『師団長の命令なら
 やります』ということになった。

 結局、この師団の将兵は南京に最後まで残り、運河をきれいに掃除して帰った。
 日本人としては美談だが、中国人からみればうまく利用してやったという話で
 ある。こんなことが可能になったのは、日本軍の建制が解かれていなかったから
 で、建制をもとにして『第○中隊はこのドブ、第△中隊はこっちのヘドロを 
 掃除せよ』と命令されると、将兵はみなそれに従った。それから、よしやって
 やろうという日本人の心もあった―」

251:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/02 00:07:57 e1U74iJV
これを遥か昔、まだ単行本の頃に読んだ感想は「本当かよw」というもの
でした。この本のテイスト自体、いつもの「日下節」炸裂という物ですし。

ただ『最後の打通作戦』を読みますと、南京の運河のドブさらいではない
にせよ、かなり似たエピソードが出てくるので参考にはなると思います。
かなり昔のスレで、支那大陸で「武装解除」された日本軍の顛末を幾つか
取り上げましたが、比較的大過なく日本に帰ることが出来た部隊もあれば、
劣悪な捕虜収容所の環境のために敗戦後に多くの死者を出した部隊もあり、
降伏した場所によって非常に大きな「運・不運」が付きまといます。

前者は大テーマ「北支の治安戦」で取り上げた部隊であり、後者は『日中戦争
一兵士の証言:生存率1000分の3からの生還』の部隊です。こちらも過去
スレを適当に検索して頂ければ見つかるでしょう。要するに1000分の3に
至った「かなりの程度」が、戦闘ではなく捕虜収容所で死んでいる訳です。

それに比べれば、これから取り上げる南京で「道路建設」に従事した部隊は、
南京での労役で大いに苦労したにせよ、まだ恵まれた部隊だったと言えます。

252:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/02 00:36:48 e1U74iJV
さて話を戻しましょう。自分の部隊は、広東から南京に戻ろうとする途上、
南昌の近くで終戦を迎えました。真っ先に考えたのは敗戦の責任を取って
自決すべきかどうかで、非常に悩みました。そのとき自分は大隊長で大尉
だった訳ですが、新品の少尉や中尉ならともかく微妙な立ち位置です。

しかし結局、責任を取って自決するなら支那派遣軍総司令官や方面軍司令官、
あるいは軍司令が最初に殉国すべきであり、続いて師団長や連隊長レベルなら
どうでしょう? 何も大隊長が早まることはなく、しばらく様子を見ようと
考え直した次第です。

そして敗戦の報が伝わった翌日の8月17日に連隊本部を訪れますと、連隊長の
目はさすがに充血しておりましたが、案外サバサバして「やっぱりダメだったね。
ムリな戦だった。仕方が無い。承詔必謹しかないね」とぼそぼそ呟かれています。
自分と同期の人間や、他の同僚もあまり思い詰めた様子は見られませんでしたので、
深刻に自決しなければならないと考えたのは自分が小心者だからでしょうか。

253:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/02 00:59:58 e1U74iJV
それでも終戦の報が伝わった夜に、副官から拳銃と軍刀を取り上げられて
「陸士出はやばいからな。しばらく預かっておきますよ」と言われたのは
忘れられません。

やがて阿南惟幾陸相(8月15日)の自刃が伝わってきまして、次は支那派遣軍
総司令官の岡村寧次大将ではないかと憶測が流れましたが、結局それはありま
せんでした。自分が所属する第40師団司令部も特に異変はなく、正直言って
死ななくて済んだとホッとした覚えがあります―。

それから3~4日しますと、南昌→九江→揚子江北岸を経て南京付近に向かうよう
前進命令が来ました。ただこの頃は『支那派遣軍、単独継戦説』の噂も真しやかに
流れておりまして、米軍機の爆音が聞こえますと皆さっと疎開します。航空機に
対する偽装も今までどおりで、まだ終戦が完全には信じられなかった時期でした。

254:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/02 01:40:35 e1U74iJV
ただ敗戦を迎えた「支那派遣軍」特有の事情としまして、降伏しようにも
降伏する相手が目の前にいませんw。八路軍や新四軍はその辺りに湧いて
出てきますが、もちろん問題外です。国民党軍に武装解除を受けなければ
ならないのですが一体どこにいるのでしょう?

という訳で、南昌に到着しますと日本軍の貨物廠がそのまま機能しており、
そこで補給を受けました。たまたま廠長が、自分が異動する前の連隊の
高級主計だった方で、懐かしがって珍しいものを色々交付して頂きました。

しかし前の連隊長に散々苛められて左遷された方でもあるので、この時に
古巣のその連隊は「仇討ち」を受けたとか。

更にハン陽湖(中国最大の淡水湖)を右手に北上しますと、ようやく九江に
到着しました。揚子江を北岸に渡河すべく門橋に乗っていると、米軍機の
編隊が突っ込んできます。「しまった、騙された!」と観念すると勝ち誇った
ように翼をバンクさせて西に飛び去っていきます。続いて、赤い吹き流しを
付けてゆっくり飛んで行く友軍機を見て、初めて戦争が終わったことを実感
できた次第です。これ以後、偽装を施す人はいなくなりました―。

255:名無し三等兵
08/10/02 13:57:43
久しぶりに覗いてみたら…おおっ
イナゾウさんおかえり~

256:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/02 23:38:20 fbpDAyGc
>>255 >>毎度どうもでございます。福田政権が「始まって終わる」ぐらいまで
休んでいました。広田弘毅のテーマが途中なうちに、同じ福岡県出身の麻生太郎が
首相になるとは思ってもいませんでしたが、これもタイミングというやつでしょうか。

>>254 の続き。さて九江から揚子江を北岸に渡りまして、あとは南京を目指して
ひたすら徒歩で行軍を続けます。何年か前にここを通った時は、揚子江を往復する
定期船や砲艦、貨物船などで賑わっていたのに、全部沈められてしまったのか、
今動いて見えるのは漁船や小さな民船ばかりで寂しい限りです―。

「船が無い」ので日本への復員には3年いや10年はかかるという暗澹たる噂が流れ、
他の部隊では前途に希望が持てなくなって自殺したり、中共軍に投降してしまった人が
何人か出ました。

南京まで半分の道程にあたる無為県に入りますと、本格的に中共の紅軍が出没し
始めます。と同時に「個別交渉や武器の引渡しを禁ず。自衛警戒を厳にすべし」との
命令が回ってきました。やがて自分の部隊でも対岸に紅軍が藁藁と湧いてきますw。

257:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/03 00:14:04 xGFFkKr8
もちろん「自衛戦闘」は許されていましたが、相手が一発でも撃ってこない
ことには始まりません。いっそ要求を伝える軍使なりがやって来れば話が全然
早いのに、こちらを遠巻きにして人数ばかりがボウフラのように増殖しますw。

河岸の崖道で一斉射撃でもされたら全滅です。そうこうする内に包囲される
危険性も出てきまして、こちらから撃つべきか非常に迷いました。自分たちは
支那大陸という敵地で降伏した軍です。敗戦後に訪れた「最初の試練」でした。

自分の任務は部隊を無事に通過させる事でしたが、戦闘の気概を見せなければ
舐められて余計に事態が悪化しそうです。ついに決心しまして、「当たらない
ように脅しで撃て」と命じますと、百戦錬磨の擲弾筒手が山麓にバンバンと
弾幕を見事に張ってくれました。すると相手はたちまち姿を消したのですが、
今思い出してもゾッとする決心であります。

相手の正体と企図は謎のままでしたが、後続の連隊によると紅軍の将校が
現れて夕食に招待し、「腹切り」を戒めて中日の友好を説いたと云いますが…。

258:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/03 00:44:21 xGFFkKr8
さて1945年9月上旬になると、ようやく南京にも程近い蕪湖に到着し、
当塗県城という街で部隊が集結しました。すると県長の要請と国民党軍の
命令で、この付近をしばらく警備するという妙な事態になります。

警備といってもこちらは他所者の外国人の、しかも戦争に負けた軍隊です。
一体どういう警備の基準なのか? 県政府を訪ねますと、初老の品の良さげな
県長が流暢な日本語で歓迎してくれました。日本の明治大学を出たそうです。

曰く、●「紅軍の浸透で人心が怯え、仕事も手につかない有様だ。土匪も多い。
遠慮なく討伐して欲しい」との事でした。なので部隊を近くの村に分散させて
警備任務に就いたのですが、国際的には捕虜の身分である訳です。しかし、その
中身は完全武装の将兵ですから、何やら戦中の「治安戦」に戻ったかのようです。

それでも支那の「国共内戦」に巻き込まれ、帰す船が無いのを理由にこのまま
ズルズルと深みにはまってしまうのではないか?との不安が襲ってきました。

259:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/03 01:30:09 xGFFkKr8
この警備地区はクリークと堤防に囲まれた水田地帯で相当豊からしく、有名な
上海ガ二の原産地でもありました。富農も多く警備を始めて2~3日しますと、
あちこちから「新四軍が来た!討伐してくれ」「紅軍の工作員が村人を煽動
している。捕えてくれ!」と言ってきます。

そうして出動すると、大抵は遅すぎて取り逃がす結果となるのですが、必ずご馳走を
用意して待ってくれていました。豊かな地域であるがゆえに、共産党の浸透に対する
恐怖心は格別だったようです。

その後、情報を集めるために付近の有力者に集まってもらうと、「日本軍はいつまで
いるのか?」と尋ねられます。そこで自分が「交代の国民党軍が来るまでだ」と答え
ますと、「永久駐屯を望む。国府軍は当てにならぬ」と真剣に訴えるのでビックリ
します。人から頼られれば悪い気はしませんが、自国の軍隊が信用できず、「敵軍の
捕虜」に自分の身の安全を託そうと願うのですから、何だか気の毒に思えてきました。

今なら日本の自衛隊が信用できず、在日米軍に身の安全を求めるようなものですw。

260:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/04 22:53:11 n5UwgYjT
>>259 >>そうして出動すると、大抵は遅すぎて取り逃がす結果となるのですが

電信や電話がある訳でなく、向こうから「走って助けを求めに来る」訳ですから、
間に合うはずがありません。それでも「紅軍が来るらしい」という『見込み』の
通報が多いので「何故分かるのだ?」と聞くと、「紅軍が進駐する前には必ず、
工作員が浸透して宣伝したり、同志を募ったりする。だが日本軍が来ると退散
して、しばらくは寄りつかない。だから助かっているんだ」との返事でした。

ある日「土匪が掠奪に来る」と知らせがあったので急行すると、この日は珍しく
間に合って、土匪は何も盗らずに村から逃げました。すると町長らが山盛りの
豚のから揚げやギョーザを届けに来てくれ、敗戦後初めてのご馳走になります。
いやはや支那の住民を守って、御礼を受け取るのは「何やら複雑な気分」です。

特に20キロ離れた川向こうの町長が日本軍の駐屯に殊更熱心で、「2~30人で
良いから常時駐屯してくれ。寝る宿舎も3度の食事も町で負担する。料理人も出す。
日本軍が1人でもいれば紅軍は近づかない。ただ、いてくれさえすれば良い。冬に
なったら寝具も進呈する」と町からの使者がやって来ます。

261:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/04 23:23:51 n5UwgYjT
「そんなに望まれるなら」と明日町を見に行く約束をし、わざと定刻の2時間前に
到着しました。一応、罠を警戒してのことです。すると既に町長以下10数人が
「日本軍が早く出発した」と見張りの知らせを受けてご馳走を準備して待っており、
何だか気持ち悪くなった覚えがあります。ですが、その熱心さには驚かされました。

町長の話を聞くと、「30人が無理なら10数人でいい。ただし擲弾筒を付けて
欲しい。アレさえあれば奴ら(紅軍)は怖がって近づかない」とのこと。しかし、
町を観察してみると裕福そうな煉瓦建ての町並みで人口約5千人。流民も含めれば
1万人近いとのことです。この大きな町を、最低10数人で守れという訳です。
『七人の侍』を思い出します。村を襲う野武士が「紅軍」という訳ですw。

自分も部下の命に責任がありますし、既に戦争は終わっているのですから尚更です。
そのとき自分は大隊長でしたから、やるなら1個中隊ぐらいが適当と考えまして、
「いっそ200人ではどうか? 今夜上司に相談して明朝返事するから待て」と
言うと、町長は困った顔で「200人に食わせるのは大変だからご馳走できない」と
渋ります。その夜、中隊長を集めて希望者を募ると意外と多かった記憶があります。

262:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/04 23:44:32 n5UwgYjT
結局、上に話を持っていくと「後続の連隊主力が駐留する。貴隊の分屯不要」
とのことでした。翌朝、町長を呼んで「喜べ。これでもう安心だ」と伝えると
「連隊は何人くらいか?」「3000人くらいだw」「そんな大人数は不要だ。
とても食べさせられんし、宿舎もない。精々200人が適当だ。断ってくれ」と
大弱りの様子です。

もちろん自分は連隊の駐屯をどうこう出来る身分ではありませんから、気の毒
ですが、「実は、中共軍5万が南下してこの地方への侵入を狙っているそうだ。
3000人の駐屯は国府軍の命令だから断れない。葉剣英(紅軍総参謀長)や
陳毅(新四軍司令)が近くに来ているらしい」とテキトー脅かしますとw、
町長は心底震え上がった様子でした。

さらに青い顔をして「日本軍はいつまでいるのか?」と聞いてきますので、
「分からんが我々は早く故国に帰りたい。交代の国府軍が来たらすぐ帰る」
「日本は焦土になって住めないそうだ。国府軍は信用が置けない。生活の
面倒は一切見るから中国に残ったらどうだ」とやり取りがまだまだ続きました。

263:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/05 00:07:30 ET7Cnaiz
要するに支那の住民は、国共内戦の再燃とその後の『革命』を予感して
いた訳で、藁にもすがりたい一存だったのでしょう。そうこう考えると
支那事変の8年間も支那の住民にとっては、長い長い戦乱のワンシーン
でしかなかったのかもしれません。駐屯する町の住民も好意的で、昨日
までの侵略者に対する敵意や報復心も全く見られず、何でこの国と戦争
していたのだろう?と不思議に思った次第です。

またある時、付近の有力者が訪れました。この地域でも屈指の財産家で
製油工場を幾つも経営して広大な土地を持ち、上海に別荘があるという
超金持ちです。何だか、パールバックの『大地』に出てくる「王龍」を
思い出しましたが、あの話は清朝末期から国民革命までの話です。そして
今回は「共産革命」に至るという訳です。

その財産家からは中国情勢の今後の行末について意見を求められたのですが、当然
一大尉に分かることではありません。それより自分の行末を聞きたいぐらいですw。

264:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/05 00:37:19 ET7Cnaiz
その資産家は「紅軍が支配したら何もかも無くなってしまう。もちろん
命も無い」と切なげでしたが、自分には「そんなに心配なら財産を三分
したらどうか? 欧米では革命を予感すると、財産の3分の1を海外に移し、
もう3分の1を宝石に換え、最後の3分の1をそのままにしておくそうだ」
とお座なりの答えをするしかありませんでした。

そんなこんなで当塗県の警備を続けている内に、2ヵ月が瞬く間に過ぎようと
していました。とうに秋を迎え、もう直ぐ初冬です。1日でも早く日本に帰り
たい将兵の気持ちは痛いほど分かりましたが、敗軍の身ではどうすることも
出来ません。紅軍や土匪の情報があれば直ぐさま出動して気を紛らわせ、
民衆を安心させているという思いが、せめてもの心の支えです。とにかく
部下に死傷者が出なかったのが何よりでした―。

265:名無し三等兵
08/10/05 00:44:11 ZC867JJU
あげ

266:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/05 01:02:50 ET7Cnaiz
結局、「警備任務を撤収し当塗県城に部隊を集結」の命令が下ったのは
11月上旬でした。約2ヵ月駐屯した町ではいざこざ一つ起こりません
でしたが、交代の国府軍も現れないままでしたので住民は不安を隠さず
見送ってくれました。さぞ心細かったことでしょう。

当塗県城に到着しますと、中隊長以上は県政府の晩餐に招待されました。
わずか2ヵ月の警備であったのに、戦争に負けた軍隊に別離の宴をして
くれるとはと驚きました。前に述べたとおり県長は、明治大学の出身で
日本語も流暢な、いわゆる「中国の大人(ターレン)」的な人物です。

県長の挨拶は、戦争の第一義的責任は日本にあるとしつつも、内戦に明け暮れ
外に侮りを受けた中国にも非はあり、日本は敗戦後の復興、また中国の将来は
未だ予断しがたいが、今後はアジアの未来のためにも日中両国が手を携えて
世界平和に貢献しなくてならない、と説くものでした。

267:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/05 01:21:50 ET7Cnaiz
県長はさらに、以下のように続けました。

「皆さんの一路平安を祈る。文化国家の建設に尽くし、また中国に来て下さい。
 今度は鉄砲を持たずに平和の使徒として、友好の印として遊山に来て下さい。
 記念に竹の絵を贈ります。内地に帰れば辛い事、憂き事が当分続きましょう。
 だが百折不撓、この拙い竹の絵を思い出していただき、屈せず、節を曲げず、
 すくすくと新しい日本の再出発に尽くして下さい。

 以上は日本人を、日本をよく知っていると自負する一中国人の偽らざる
 気持ちです。勝敗は兵家の常と言い伝えられます。どうか挫けずに日本を
 立て直して下さい。それが中国のためにもなります。
 
 ところで、この考えは私一人の考え方ではありません。実は蒋介石総統が
 中国百年の計を慮り、『日軍の暴に報いるに怨をもってする無かれ……
 徳をもってせよ』と論告されました。暴をもって報いれば、彼我ともに
 怨みだけが残り、結局は東亜に恒久平和が訪れないからです。中国人は
 日本に反省は求めます。しかし、決して報復はいたしません―。 

 時が時でご馳走はありません。心ばかりの品ですがどうか召し上がって下さい」

268:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/05 01:40:40 ET7Cnaiz
県長は「ゴマ塩頭」の初老の人で、雄弁ではありませんでしたが
その切々たる言辞は胸を打ちました。食事中、自分が県長に

「県長は(汪兆銘:要するに日本の傀儡政権)南京政府の任命と思うが、
 重慶政府が遷都したら身上はどうなるのか? 親日分子としてお咎めは?
 大事無いか?」と尋ねますと、

「心配していただき謝謝。それは上帝のみぞ知る。目先のことは不明白。
 その時まで責任を尽くすだけだ。成るようにしか成らぬ―」

と答えられ、宴が終わると県長は1人1人に竹の絵を贈って別離を告げました。
その他にも「国共内戦やソ連」「民衆は一体どちらに付くのか?」など県長に
聞きたいことは幾らでもありましたが、連隊長から「くどい、もう止めろ!」と
言われて仕舞いとなりました。今思えば、苛酷な運命が待ち受けている県長には
酷過ぎる質問ばかりでしたでしょう―。

269:九代目阿礼乙女 稗田阿求 ◆FU/OcfTlfM
08/10/05 02:03:42
>>267 >>実は蒋介石総統が、『日軍の暴に報いるに怨をもってする無かれ……
>>268 >>県長は(汪兆銘:要するに日本の傀儡政権)南京政府の任命と思うが、

       _....._rァ、
     ,:'´:::::::<@7
     !::(::ノ::ノ)::);)  県長自身は『漢奸裁判』で死刑にされるかもしれないのに……。
    ノ;:ハi - -ノリ    蒋介石の言葉をあえて使って、日本軍を送り出すところが
      i´Yソr')   ,、,、   泣けてきます。どうか蒋介石さん、「親日分子」の暴にも
     ,:'〈_,ゝ<_〉、  (。:。::)    怨をもってせず、徳をもって報いてください―。
     `'r_ァr_ァ''´   l;i;l;r:>~          


270:名無し三等兵
08/10/05 13:18:39
汪兆銘を傀儡とするのは如何なものか。
残念であるとしか言い様がない。

271:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/06 23:15:21 /u/YVw+k
ダウが1万ドル割れしましたか。鬱打支膿……。それはさて置き、昨日
寝不足でサンクリに早朝逝きましたら、帰ってからブッ倒れましたw。

>>270 >>汪兆銘を傀儡とするのは如何なものか。残念であるとしか言い様がない。

文脈から「支那側の表現」を使っただけですので他意はありません。

つーか、「太平洋戦争」では日中戦争が地理的に含まれませんので
不正確だとは常々思うのですが、「大東亜戦争」は右翼臭がプンプン
しますし、かといって「アジア・太平洋戦争」では、以下略w。

自分が簡単な調べ物に重宝している本に『太平洋戦争・主要戦闘事典』
(PHP文庫)があるのですが、これには日中戦争も序章に含まれています。
アマゾンのレビューには「不正確なので『大東亜戦争・主要戦闘事典』にせよ」
とか、「『日中戦争・太平洋戦争 主要戦闘事典』にせよ」とか書いてありますが、
それはタイトル的に無理というものでしょうw。

272:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/06 23:46:32 /u/YVw+k
>>269 の続き。こうして部隊は当塗県を去った訳ですが、その際、県の
警備隊長から自宅に招かれて「思い詰めた相談」を受けました。自分の
部隊の擲弾筒を1つか2つ分けて欲しい、というのです。ちなみに彼は
27、8歳ほどで色白の華奢な青年でした。

「紅軍は擲弾筒を一番怖がっている。それさえあれば何度でも追い払える」
と真剣そのものの表情です。自宅で精一杯の料理を準備してくれた奥さんは
手を合わせてこちらを拝んでいます。

「擲弾筒の1つや2つ」と一瞬思いましたが、実際に渡すとなると迷いました。
どう考えても弾には限りがありますし、擲弾筒は単純な構造だけに操作や照準が
難しい代物です。というよりも「職人技」の方が必要な兵器です。しかも自分の
部隊は明朝出発するので、この警備隊長に訓練してやる時間もありません。

どう考えても「あらぬ方向」に撃っているうちに弾切れとなり、かえって
この青年が紅軍の余計な敵愾心や報復を買うだけではないだろうか?―

273:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/07 00:01:41 /u/YVw+k
マイナス500ドル…。ダウの底が抜けました…。明日の日経はどうなる?w

さて、そのような理由で「擲弾筒を渡すことはできない」と説明しますと、
警備隊長の青年の落胆ぶりは見ていて辛いものがありました。自分の頭の
片隅で「擲弾筒の1つや2つ、くれてやればいいじゃないか?」と囁き声が
しますが、やはり僅か50人の手勢と擲弾筒では「その先」が見えています。

「新四軍30万が南京接収を狙っているらしい。国民党政府軍に任せた方が
 よい」と告げると、「国民党軍は新四軍を怖がっている。信用できない。
 頼む。分けてくれ」となお粘ります。

「国民党軍300万でもどうにもならないのに、50人の手勢と擲弾筒で
 どうなるものではない。あなた1人がじたばたしても、天下の形勢は
 覆らない。ここは県長の身辺警護に徹して成り行きを見定めた方がよい。
 病身のようだし、何も死に急ぐ必要はないではないか」

274:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/07 00:31:16 CtJcOOXD
「自分は肺を病んでいる。永くないそうだ。生きている内は戦いたい。頼む……」
「明朝、早くに大隊本部に来てくれ。軍医に診てもらう」

筆談と通訳兵を介しての話でしたから、こちらの意図がどれだけ伝わったか
心許ないものがありました。帰る途中で泣き崩れる奥さんの姿が見えたのが
とても辛かった次第です。明くる日ちっともこの青年の姿が現れませんので
使いを出しますと、朝早くから討伐に出かけたとの事でした―。

自国の軍隊(や警察)に信用が置けず、自分の身の安全は自分で守らなければ
ならないという状況が、これほど人を苦悩させるものかと気の毒を通り越して
哀れにすら思いました。

さて自分の部隊は更に北上しまして、南京から西南に30キロほどの采石鎮
という場所にたどり着きます。ここで運命の『武装解除』の日を迎えますが、
時に1945年11月28日の水曜日のことでした。

275:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/07 01:22:45 CtJcOOXD
「武装解除」の前日には、下士官や兵達が泣きながら三八式歩兵銃の
菊の紋章を削り落としていました。また軽機や重機、擲弾筒をこれが
最後と名残惜しそうに手入れする者たち、今まで共に歩いてきた馬の
毛をくしけずる者たち……。

長い間、「自分の命より大事にしろ」と教わると同時に、長い間、自分の
命を守ってくれた兵器たちです。それらを支那の土人共に引き渡さなければ
ならない辛さ、物悲しさを一体どう表現すれば伝えられるでしょうか。

サムライが自分の刀を手放す…。スポーツに打ち込んだ貴方ならバットや
ラケットやグローブ、ボードに喩えても良いでしょう。手垢の染み込んだ
ギターでもペンでも本でも何でも構いません。それを明日、支那人に渡さ
なければならないのです。

276:非想非非想天の娘 比那名居 天子 ◆FU/OcfTlfM
08/10/07 01:28:31
   \絶壁!/
       _
    , -‐‐'-<
  ∑iω-===iて_
   l´(ノハノレハ
   ノliハ、゚.ー,ノi,   昨日のサンクリのA1ホールが、なぜか隔離施設の
  (ハl( ).ix⊂ゝ  「東方オンリーイベント」になっていた件についてw。
    ,(ンxxxハ_ヽ
   .`^r_ァ^tァ`

277:名無し三等兵
08/10/07 02:44:32
サンクリにいらっしゃったんですか。
自分もいましたよ。
BホールとDホールしか行きませんでしたが。
Dホールを巡回してたとき前の人が、連れの人に向かって
「Aホールにいるのはオタクだ、Dホールにいるのはよく訓練されたオタクだ」
とか言ってました。ちょっと意味合いが違う気もしますが……

278:名無し三等兵
08/10/07 03:30:04
こんな感じ
      ./       ;ヽ 
      l  _,,,,,,,,_,;;;;i  <いいぞ ベイべー!
      l l''|~___;;、_y__ lミ;l  Aホールの奴はオタクだ!!
      ゙l;| | `'",;_,i`'"|;i |  Dホールにいる奴はよく訓練されたオタクだ!!
     ,r''i ヽ, '~rーj`c=/ 
   ,/  ヽ  ヽ`ー"/:: `ヽ
  /     ゙ヽ   ̄、:::::  ゙l, ホント サンクリは地獄だぜ! フゥハハハーハァー
 |;/"⌒ヽ,  \  ヽ:   _l_        ri                   ri
 l l    ヽr‐─ヽ_|_⊂////;`ゞ--―─-r| |                   / |
 ゙l゙l,     l,|`゙゙゙''―ll___l,,l,|,iノ二二二二│`""""""""""""|二;;二二;;二二二i≡二三三l
 | ヽ     ヽ   _|_  _       "l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |二;;二二;;二=''''''''''' ̄ノ
 /"ヽ     'j_/ヽヽ, ̄ ,,,/"''''''''''''⊃r‐l'二二二T ̄ ̄ ̄  [i゙''''''''''''''''"゙゙゙ ̄`"
/  ヽ    ー─''''''""(;;)   `゙,j"  |  | |

279:名無し三等兵
08/10/07 14:21:55
長物禁止!w

280:名無し三等兵
08/10/07 21:46:01
最近東方初参戦で紅魔郷をやり始めたのだが、
根暗読書少女とキチ○イメイドが強すぎて先へすすめない。

ナイフ飛ばしてくるメイドみてて華北治安戦で出てきた某中隊長を思い出したよ。

281:雑草@悪質な閑話休題 ◆FU/OcfTlfM
08/10/07 23:31:44
>>277 自分は昼の1時近くまでA1ホールに逝きまして、Bホール→A23ホール
→Dホールと回りました。全部見て回ると、自然と3時近くになってしまいます。
更に「色紙ジャンケン」とかに参加しますと……w。

最近、東方ファンは『東方厨』と他の参加者から非常に評判が悪いのですが、
自分に言わせればA23ホールの待機列の混乱の方が異常ではないかと思い
ます。「8時ペナルティ」なんて、どう考えても参加者とスタッフ、疑心暗鬼の
無限連鎖の結果でしょうw。自分は7時20分ぐらいにA1の待機列に並び始め
ましたが、拍子抜けするぐらい平穏でしたよ。

それはさておき、Cレヴォが無くなってから、その頃に比べてあまりお金を
使わなくなった(無駄遣いが減ったw)気がします。1月→3月→4月→6月
→8月(夏コミ)→9月→10月→12月(冬コミ)に、更にオンリーイベントまで
勘定に入れれば、今考えるとゾッとします(核藁)。

282:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/07 23:54:27 Pr9N254S
>>275 の続き。「武装解除」の当日、指定の田んぼに集まりますと国府軍の監視の下、
黙々とその作業を進めていきます。自分は「受降指揮官」の営長(大隊長)に兵器の
リスト(目録)を提出しました。

前にも説明しましたが、国府軍の編成についてもう一度おさらいしておきましょう。

◎「師」(師団)→「旅」(旅団)→「団」(連隊)→「営」(大隊)→「連」(中隊)→「排」(小隊)

の順番です。覚えるのは非常に簡単です。念仏のように、「シリョダンエーレンハイ、
シリョダンエーレンハイ、シリョダンエーレンハイ」と100回は唱えましょうw。

ですので、自分たちの武装解除を監視したのは、支那側の大隊長になる訳です。
三八式歩兵銃は叉銃(三角錐になるよう3つの銃を組み合わせて立て置くこと)し、
他の火器は種類別にまとめ、弾薬や弾帯は山と積み上げました。馬は別れを惜しみ
ながら杭に繋がれ、拳銃や日本刀はゴミのように荒縄で括られました。作業は
あっという間に終わりまして、まるで夢幻を見ているかのようです―。

283:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/08 00:17:04 6v5g52oA
ちなみに「叉銃」を知らない人もいると思いますが、三角に立てかけるのは
小銃の機関部に泥や砂が入るのを防ぐなど、色々な理由があります。

さて自分の所属する第40師団(善通寺)は支那事変が始まってから
2年目の1939年に編成されて以来、中支・南支を6年間に渡って
転戦し続けてきました。「四国の山猿師団」と敵味方に怖れられた
『鯨』兵団は、名実ともにその生涯を終えたのでした。急に虚脱感に
襲われまして、物悲しいやら心細いやら―切ない限りです。

民間企業に喩えるなら、急に会社が潰れて路頭に迷わされたような
ものでしょうか。「社員は悪くありませんからぁ!」って、山一の
野澤社長を知らない世代も今や多いんでしょうかね。

この間、国府軍は自分たちを包囲し「短機関銃」を腰溜めにして監視
していました。自分が支那側の営長(大隊長)に、「武装は自ら解いた
のに余りに大袈裟じゃないか」と抗議すると、すぐに包囲を緩めました。

284:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/08 00:47:08 6v5g52oA
この支那側の営長(大隊長)は、目録のリストと実際の兵器の員数を照合
しますと、「好好」(ベリーグッド)と笑顔で自分に握手を求めてきます。

「編制装備表より何もかも1~2割少ない。どうしたのか?」と尋ねてきます
が、とくにこちらが隠したなどと深刻に疑った様子ではありませんでした。

なので、「昨年(1944)の初夏から1年半、湖南・広西・広東・江西と転戦
して損害を受けたが、補給が無いからだ」と説明すると目を丸くしていました。

さらに「その間に逃亡兵は何割出たか?」と聞いてくるので、「死傷者は235人
出たが、逃亡者は一人もいない」と答えると、ひどく感心しています。ちなみに
この「235」の数は、自分の「歩235連隊」を文字ったテキトーな数ですw。

こうして「武装解除」はあっけなく幕を閉じた訳ですが、目の前の国府軍の装備が
見慣れない物ばかりなので非常に気になります。つい職業病で「立派な装備をして
いるが、何戦区から来たのか? どこで戦っていたのか?」と聞いてしまいました。

285:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/08 01:07:32 6v5g52oA
すると国府軍の営長(大隊長)は、得意気にこう答えました。

「我が軍は、蒋介石・軍事委員会委員長に直轄する『新編第6軍』で、
 重慶で学生を集めて編成した米式化の最精鋭軍だ。

『小隊』は連発式小銃、機関銃、軽機、短機関銃およびバズーカを装備。
『中隊』は60ミ迫撃砲と50ミリ無反動砲を。『大隊』は水冷式重機と
 81ミリ迫撃砲を、『連隊』は105ミリ重迫撃砲などを装備している。

(1945年)4月に日本軍が蕋江に侵攻すると急遽空輸されたが、交戦
 までは至らなかった。もし我が第6軍が参戦していたら、日本兵は1人も
 生きて還れなかっただろう。9月に南京に空輸され今、(中共の)新四軍と
 戦っている。あなた方と戦わずに済んで本当に良かった―」

286:華胥の亡霊 西行寺幽々子 ◆FU/OcfTlfM
08/10/08 01:22:23
>>280 >>最近東方初参戦で紅魔郷をやり始めたのだが、
>>根暗読書少女とキチ○イメイドが強すぎて先へすすめない。

   ,..-─,ヘ-.、
  (,.r-/_@_r-i   i
  i ノルハノリノノ  ノ| 
  ルl.リ_゚ ヮ゚ノリ (_,ノ 『紅魔郷』よりも『妖々夢』を先にやって、
   rX,_,i.∞i,〉      私に会いに来るのをお勧めするわ。
   <_/_,§! |〉     雑草さんは、私の『ボーダーオブライフ』
   `'-r_,ィ_ァ'       の後光に当てられてマジ泣きしたそうよ。

287:完全で瀟洒なメイド 十六夜咲夜 ◆FU/OcfTlfM
08/10/08 01:37:47
>>280 >>ナイフ飛ばしてくるメイドみてて華北治安戦で出てきた某中隊長を思い出したよ。

   ,.ィ ーrーr 、
  y' "´ ̄`'ヽ    『妖々夢』で自機になった私の強さは、「柏崎中隊長」を遥かに上回ります。
  .ノく ノ人リ))ゝ                    
  ルi§゚ д゚ノ§ 彡 シュッ
   'k'_,i`ム と彡   - ─ = ≡三  ⊂[|三>
   ,し'/_ハ.ゝ、
   `'ト_ノ'ト,ノ"

288:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/08 22:52:38 E8+MuY7n
>>285 の続き。>>あなた方と戦わずに済んで本当に良かった―

エライ上から目線ですが、前出の国府軍の営長(大隊長)はこう続けます。

「私は8年前(1937)の上海戦のころ、南京の中央軍官学校を出た。あの頃の
 日本軍は強かった。あなた方はどうして大人しく降伏したのか? ひと騒動も
 ふた騒動も(武装解除で)起こると心配して厳重な警戒をした。気を悪くするな」

と謝まるので、

「天皇陛下の命令で戦い、天皇陛下の命令で戦いを止め、日本の陸軍士官学校の
 先輩にあたる何応欽大将の命令でこのように(武装解除)なったのだ。先輩の
 命令には服従せねばならぬ」

と自分は説明しました。多少、負け惜しみが入っていますw。

289:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/08 23:11:29 E8+MuY7n
>>288 >>日本の陸軍士官学校の先輩にあたる何応欽大将の命令

まあ、改めて説明するまでも無いと思いますが、何応欽は日本の陸軍
士官学校22期に留学生として学んでいます。同期に、牟田口廉也が
いるのが何ともはやw。他には鈴木貞一や相沢三郎なども。ちなみに
蒋介石は前年の21期生です。同期には石原莞爾がいるのが、以下略w。

どうでもいいですが、今日の日経平均は952円安…w。新しい期が
始まったばかりなのに憂鬱になるばかりです。前年の期末に滅茶苦茶
押し込んでいるので、タダでさえ反動が激しいのに……orz.

それはさて置き、国府軍の営長は「あなた方が羨ましい。もう戦う必要は
ないし、いずれ帰国できる。帰ったら『日皇』に中日友好を説いてよろしく
伝えてくれ。我々はこれから紅軍と本格的に戦わねばならん。新しい戦争が
始まったばかりだ。何年かかるか分からん―」と勝者の側にも関わらず、
深刻な面持ちでした。これには敗者の側の自分も複雑な心境です。

290:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/08 23:49:10 E8+MuY7n
「あなた方は米式装備の精鋭軍だから、紅軍にも速く勝てるだろう」と
営長を慰めまして、互いの無事を祈りながら握手をして分かれました。

予想外に「人の良い」受降指揮官だった訳ですが、要するにこの頃の国府
『新編第六軍』とは、発足当時の日本の自衛隊の初期装備に等しい訳です。
服装も立派で、米軍に訓練されたせいか、一般の国府軍に比べて規律も正しく
見えました。件(くだん)の営長がくれたアメリカ製煙草は実に美味かった。

しかしその後の「新編第六軍」は第2次国共内戦で満州に投入され、新京か
奉天で全滅したと云いますから、人の運命とは分からないものです―。

さてCGA(支那派遣軍総司令部)と国府軍の降伏協定で「泥棒よけ」用の
最低限の小銃と、大隊長用の乗馬を改めて借り受けました。借金で差し押さえ
られた自分の家を借りる羽目になった気分ですw。そうして運命の武装解除から
引き揚げますと、ドッと疲れが出て自分は寝込んでしまいました。マラリアでした。

291:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/09 00:21:57 rmWb8Mwg
上記までの話ですと、「降伏後も別に大した苦労してないじゃないか?」と
思われるかもしれませんが、ここからが大変ですw。自分は戻って直ぐに
マラリアでぶっ倒れた訳ですが、その晩から急に慌しくなります。

そもそも武装解除して捕虜となった日本軍の安全は、国府軍が保証する協定に
なっていました。実際、4キロほど離れた街に国府軍の1個連(中隊)が駐屯
していたのですが、それら土人兵が強盗となって、日本軍の時計や万年筆など
貴重品を奪っていくのです。一応、自衛火器として●「中隊に小銃2挺ずつ」
配分されていましたが、土人兵は軽機で脅してくるので始末に終えません。

自分が駆けつけて「協定違反」を怒鳴り込んでも、向こうは四川から来た
土人兵らしく言葉が通じません。責任者の国府軍の連長(中隊長)に抗議
しても、その連長が「献上品」を要求してくるダメダメの腐敗ぶりですw。

仕方ないので、強盗が侵入してくると皆でドラや洗面器を叩いて音で威嚇し、
棍棒や竹槍をもって包囲すると、今度は慌てて退散するようになりました。

292:名無し三等兵
08/10/09 00:29:44
イナゾウは今年の夏にNHKでやってた戦時中の大陸でのアヘンについてのドキュメンタリー見た?

293:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/09 00:53:38 rmWb8Mwg
>>291 >>皆でドラや洗面器を叩いて音で威嚇し、棍棒や竹槍をもって包囲

ここはアフリカの奥地でしょうか、いや支那大陸ですw。これで少しは
大人しくなったかと思いきや、敵もさるもの、今度は1人1人の日本兵に
難癖をつけて個別に拉致監禁し「何か金品を持ってこなければ釈放しない」
という戦法を取り始めました。外国人を狙った金目的の誘拐と同じですw。

戦争中なら即「ブチ※す」ところですが、そこは敗軍の捕虜の苦しい立場。
何度も傍若無人に耐えながら、いちいち誘拐された兵の解放の折衝に当たった
現場の中隊長や副官の苦労は「人一倍」という表現では全く足らないでしょう。

自分が一度たまりかねて、国府軍の連長(中隊長)に警備の兵を寄こすよう
要求すると、予想通りというか、今度はその警備兵が物をねだるので早々に
お引き取り願った次第ですw。前述の当塗県の警備隊長の青年が「国府軍は
信用できない」と漏らした理由が、自分の身に染みて理解できました。安全と
引き換えに(←それも怪しい)、タカられ続けるのでは自国民でも堪りません。

294:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/09 01:24:22
>>292 >>今年の夏にNHKでやってた戦時中の大陸でのアヘンについての
>>ドキュメンタリー見た?

ちょっとだけ見ましたけど、取り立てて見るべき新しいところは
無かったように思います。今の日本人にとって「アヘン政策」が
あったこと自体、そんなにショッキングに映るんでしょうかね?w

大テーマ『日本陸軍と阿片問題』も里見の前フリで頓挫したままです。
また何時か再開したいとは思いますが、広田弘毅と化学兵器と諸々の
小テーマの方が先でしょう。

295:ばばぼん♪ ◆gdH1Km1a0U
08/10/09 01:30:06
戒煙局とか明治期以降からの阿片政策から見ていくと、一層味わいのある展開かも。

296:名無し三等兵
08/10/09 02:29:04
久しぶりに稲造の土人節を聞いたな

297:名無し三等兵
08/10/09 05:16:44
雑草のくせに生意気だぞ。と土人が申しております。

298:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/09 23:33:05 r+xcRrG8
>>295 >>それをやると日本国内の話も相当触れざるを得なくなりますから、
一体何スレ使うことになるやら想像も付きませんw。

>>296-297 たまには『初心』に戻るのも大事です。「我々は参謀本部第二部
支那課だぞ!」と、いつもヤツを出来ないのが残念ですw。

>>293 の続き。>>「国府軍は信用できない」と漏らした理由

しかも、この国府軍の部隊は「満州移駐」の話が出ると約半数が逃亡したと
云いますから、支那の将来に大きな不安を覚えた記憶があります。

しかし、一般の支那の民衆は自分たちに温かかった。まったく意外なことです。
自分たちは武装解除され丸裸になった訳ですが、それでも家などを(半ば無理やり)
間借りした住民との間にトラブルが起こった覚えはありません。もちろん自分の連隊
1200人が進呈する「おこぼれ」はありましたが(時たまの甘味品や小物の贈与、
自然に大量製造される肥料w)、そんなに迷惑顔もせず付き合ってくれました。

299:名無し三等兵
08/10/09 23:41:27 42UcyhoF
昔うろ覚えだがなんかの本で、日本兵のうんこは量も多くて
柔らかいので、農民が競って取り合ったそうだ。

300:名無し三等兵
08/10/09 23:51:06 wE5Afwj0
陸軍大学を下位で卒業した連中は
シナ班に配属された
彼ら「シナ通」は独特の偏見を持っていて
それが中国人の近代ナショナリズムを見誤り
ひいては大日本帝国を滅ぼすことになった

301:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/10 00:01:07 r+xcRrG8
>>298 >>そんなに迷惑顔もせず付き合ってくれました。

自分は(一応、大隊長ですので)支那人の若夫婦の農家に間借りして
いましたが、あるとき「雄豚の去勢」作業を見かけました。夫婦が
雄豚の手足を押さえつけまして、専門の作業師が麻酔もかけずに※※を
切り開き、出てきた『赤い玉●●』2つをペロリと食べてしまいます。
そうして糸で縫う訳ですが、1頭わずか3分の早業でした。

次の雄豚の「●●」は夫が食べ、その次の「●●」は妻が食べ、そのまた次の
「●●」は、自分に「精が付くから食べないか?」と勧めてくれました。無論
丁重にお断りした訳ですが、その晩の夫婦の営みが激しかったことは言うまでも
ありません。自分は隣の部屋に居るのですがちっとも遠慮してくれないのですw。

ちなみにですが、奥さんの方が旦那より10歳は年上でした。当時の支那人の
風習では、男子が生まれると10歳前後の嫁さんを『買って』きます。幼いほど
養育費が掛かっていないので安いと云います。まあ、その嫁さんに子守をさせる
訳ですが、気のきいた旦那なら当然、若い「2号さん」「3号さん」を作ります。

302:名無し三等兵
08/10/10 00:08:10
>298
>「満州移駐」の話が出ると約半数が逃亡した
結果を見れば賢明じゃないかw
まあそんなのばっかだから全滅、とか
残ったトンマばっかだから全滅、って考え方もあるがw

303:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/10 00:30:51 3IenJYbd
>>301 >>気のきいた旦那なら当然、若い「2号さん」「3号さん」を作ります。

まあ、蒋介石も15歳の頃に「母親の言いつけ」で4つ年上の19歳の奥さんと
初婚します。この毛福梅がいわゆる「蒋介石の四人の妻」の1人目な訳ですが、
蒋介石にとって酷いトラウマになったようです。結局、女手一つで自分を育てて
くれた母親の死を待って離婚するのですが(それでも長男・蒋経国が生まれる)、

後に●「ああ、余の逆境ここより始まる。これ中国『早婚』の悪しき結果なり」
「(毛福梅との結婚は)17、8年間もの罪」「いま目覚めることができた。
もう前車の轍を踏むことはない」などと、回想で散々に振り返っています。

>>299 >>日本兵のうんこは量も多くて柔らかいので、農民が競って取り合った

まあ、太平洋戦争の頃の日本人の「うんこ量」は欧米人の3倍はあったと云います。
ですので米軍は、日本兵のうんこの量から兵力を分析しようとして大失敗したとかw。
食物繊維の摂取が多いからで、肉食が進んだ今の日本人はそれから半分程度に減った
のですが、その理屈からすると「当時の支那人」のうんこはどうだったんでしょうかね。

304:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/10 01:05:10 3IenJYbd
>>300 >>陸軍大学を下位で卒業した連中はシナ班に配属された
>彼ら「シナ通」は独特の偏見を持っていてそれが中国人の近代
>ナショナリズムを見誤りひいては大日本帝国を滅ぼすことになった

まあ、1920年代後半から支那問題が重大になるにつれ、外務省でも
花形部局は「欧米局」から「亜細亜局」に移りました。ちょうど幣原外交の
時代ですが、亜細亜局には傑出した人材が充てられ、その卓越した地位から
●「亜細亜局モンロー主義」と呼ばれる『局閥』が形成される事になります。

石射猪太郎(盧溝橋事件の東亜局長)の『ある外交官の一生』によると、
「ある種の閥で亜細亜局を固め、閥外者には亜細亜局入りをさせない。
亜細亜局員が海外に転出する時は良い任地をあてがう。怪しからん―」
などとあります。幣原が外相のとき、亜細亜局長は直系の出渕勝次ですし、
閥外の欧米局長は広田弘毅でした―。

まあ、何が言いたいかと云えば、支那課の力は「陸大下位出身」かどうかに
関わらず、否が応でも増大していったという訳ですw。

305:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/10 01:18:08
>>302 >>「満州移駐」の話が出ると約半数が逃亡した
>結果を見れば賢明じゃないかw まあそんなのばっかだから全滅、とか
>残ったトンマばっかだから全滅、って考え方もあるがw

これだから「自国を戦場」にしか、してこなかった連中は困りますw。

>>301 の続き。さて、そんなこんで自分の部隊は「武装解除」後、
労役が待ち構えている事になります。まずは最初のジャブとして
南京から40キロほど南西に離れました「?水」付近の道路工事に
駆り出されました―(続く)。

306:名無し三等兵
08/10/11 19:45:15
なんか旧軍の亡霊がいる
と思ったらイナゾウじゃった
よく帰ってき……た……

307:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/11 23:08:09 X37T63jQ
初めて早朝の高速バスで帰省しようと思ったら、満員で乗れませんでした……。
もう意地になりまして、新幹線を使わず「在来線」で帰った次第ですw。

>>305 の続き。>>まずは最初のジャブとして道路工事に駆り出されました―。

1945年12月中旬に入りまして、粟水(南京から南西40キロ)付近の自動車道路の
補修を命じられました。これが本格的な労役の始まりだった訳ですが(ただし、まだ
ジャブ程度)、この道路は遥か「広徳」(安徽省)へと通じていました。

広徳は1937年末の南京攻略戦の際に、第10軍主力が通過した要衝で、日本が敗戦した
現在は「紅軍」新四軍の有力な根拠地となっていました。ですので、この話を聞いた時
「すわ、国府軍の『広徳奪回』のための道普請か?」と直感しました。それにしては
工事をする自分たちを警備してくれる国府軍が姿を現しません。『放置プレイ』ですw。

南方にそびえる「広徳山地」がただただ不気味で、新四軍の襲撃があったら、こちらは
1個中隊に小銃2挺ですから処置なしです。どうしたものかと心配ばかりしていました。

308:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/11 23:49:05 X37T63jQ
また「道路工事」自体は構いませんが、部隊の住むところがありませんw。
近隣の住民に訳を話すと、親切にも同居させてくれました。そして肝心の
道路ですが特段壊れている訳でもなく、せいぜい凸凹を直していく程度
でした。それよりも「衣食住」の問題の方が深刻で、特に「副食の欠乏」が
酷かったです。見かねた住民が漬物を分けてくれまして、大事にボリボリ
食べていた次第ですw。

さらに工具も携行用の小円匙(えんぴ)ぐらいしかありませんでしたので、
凸凹を直す程度といっても大変な苦労をしました。「ついに苦力(クーリー)
になったね」と皆でボヤいていたのを思い出します。また灯火も無いので
日が沈むと寝るほかなく、日の出とともに作業を再開です―。

そうしている内に1945年が終わりまして、新しい正月を迎えました。正月の
挨拶に何を言ったかあまり覚えていませんが、大隊本部の連中に「これからが
本当の捕虜となり忍苦の時であろう。とにかく生きて還ろう。軍医は足まめに
巡回して兵が病気になる前に休ませてくれ。主計は油物を手に入れてくれ。
自分の私物は何に使っても構わない。副官は復員情報の入手を頼む」と言った
ような覚えはあります―。

309:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/12 00:39:27 cX9/ae3q
1946年1月中旬に「道路修理」の工事を終えることに決心しました。転圧する
ローラーも何もありませんので、見栄えは良くないですが、これ以上は出来かねます。
工事完了を上に報告しますと、前の駐屯地の采石鎮に引き揚げの命令がやって来ました。

しかし検査官がチェックしに来る訳でもなく、国府軍の姿も全く見かけないまま―。
そもそも自動車道路にも関わらず、この1ヶ月の工事期間中、トラック一台通った覚えも
ありません。今もって何のための道路修理だったか不思議でなりませんが、とにかく
丸腰の状態のまま、「新四軍」に襲われずに済んだのが何よりの幸いでした。

また付近の住民も特別親切だった訳ではないですが、「粟水」付近は日本軍の作戦の
発進地でありました。支那事変中の8年間には、何度もトラブルがあった事でしょう。
にも関わらず、戦力を失った敗軍の捕虜に対して報復的な行為は何一つ行なわれず、
むしろ気の毒がってさえくれたのは非常に有難いことでした。

采石鎮に戻りますと、ついに部隊の南京移駐の命令が待っています―。ちょうど
支那では「旧正月」の時期にあたりまして、住民はその準備に慌しい最中でした。

310:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/12 01:33:39 cX9/ae3q
間借りさせて貰っていた采石鎮の「例の夫婦」は、自分の部隊の移転を聞くと
「豚を少しだけだが分けてあげる、元気で帰れ」と励ましてくれました。日本に
いつ帰れるか分かりませんでしたので、最悪数年はここに住むつもりで建てた
諸施設を丸ごと残していきますから、そのお礼の部分もあったのでしょう。

「久しぶりに肉が食べられる」と夕食が待ち遠しかったのですが、出てきた
豚汁は変な臭いがして味気もありません。当番兵にその理由を聞きますと、
「豚の腎臓や肺をくれたのですが、誰も料理法を知りません…」とのことw。

まあ、焼肉でしたら「豚のホルモン焼き」になる訳ですが、肺はナンコツに
近いですかね。腎臓はというと……、牛でも普通の店にはあまり置いていない
気がします。豚では尚さらです。焼肉では何人かが食ってシマイですから、
スープに煮込んだのでしょう。

311:非想非非想天の娘 比那名居 天子 ◆FU/OcfTlfM
08/10/12 01:46:10
>>306 >>なんか旧軍の亡霊がいると思ったらイナゾウじゃった よく帰ってき……た……

     ,. -‐-k'_
    ゞ((、)=-―ぐ
    彳(ノハノレイ)
    ノliハ、゚ ヮ゚ノi,   私は帰ってきた!(核藁)
    (ハi(_,).(ハ)と)   
     ,(ンメ,x,ェ_ハ
    .`^r_ァ^t_ァ''

312:名無し三等兵
08/10/12 05:59:03
>307
>工事をする自分たちを警備してくれる国府軍が姿を現しません。『放置プレイ』ですw。
監視もいないってことじゃんよw
なぁに真面目に工事やってっかねw
これだから旧軍士官は・・・w

313:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/13 11:12:10
>>312 >>監視もいないってことじゃんよw なぁに真面目に工事やってっかねw
>>これだから旧軍士官は・・・w

支那人ではあるまいし、こちらは日本に無事帰れるかどうかの瀬戸際です。国民政府の
心証を悪くしたら…と思うと、とても不真面目には出来ません。「一体どの程度の工事を
要求されているのか?」が分からないとのは、非常に始末が悪い―w。

今回は「検査もない」という滅茶苦茶な工事でしたが、次の本番ともいえる南京城外の
道路修理では、自分たちの完成申告後に綿密なチェックを受けました。

314:名無し三等兵
08/10/13 11:55:34
内臓料理
URLリンク(kodawari.lin.go.jp)

腎臓はていねいに下ごしらえしないと小便臭くて喰えないよ

315:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/13 13:01:03
>>310 の続き。1946年2月上旬、ついに南京城の中央門外にあるレンガ工場に移駐する
ことになりました。広東から南昌に向かう途中に敗戦を迎え、さらに九江を経て、ようやく
南京まで辿りついた訳です。

しかし、この時の行軍ほど辛い行軍はなく、沿道の住民の嫌がらせは想像していた以上の
ものがありました。まるで屠殺場に引かれる羊の群れような心境で、南京に近づくにつれ
住民の悪罵が激増します。言葉はあまり分かりませんでしたが、身振りや語調、たまに
聞こえる『マカラピー』で、必死で自分たちを罵っているのは明らかでした。

敗戦を迎えて約半年、これが初めての経験なだけに「やはり南京は空気が違うなあ。
今度こそ苛められるぞ。いよいよ『耐え難きを耐え、忍び難きを忍』ばなければ
ならない時がやってきた」と覚悟した次第です。

316:大慈悲国朝鮮
08/10/13 23:39:27
>>316
マカラピー!!!!!WWwwwWWWwWWwwWWw


317:shao日本国人
08/10/14 01:24:48
>>316
あなたの言葉の真実を信ずりぞ!!!!!!
この島を貴大国に差し上げん!!!!!!!!


318:名無し三等兵
08/10/14 01:43:02
>313
下士官と兵だけだったら絶対手抜きこいてただろw
反論は受け付けませんw

319:名無し三等兵
08/10/14 02:24:52
>>318
実際に現場を仕切るのは下士官なんだが。

320:名無し三等兵
08/10/14 22:32:51
>>318
サボったら古参兵殿に殴られそう…
支那事変の方だったら内務班とかあったんでしょ?

321:自宅保衛教導師
08/10/17 13:36:14
     /::::::::::::::::::::::::::::::;;::ノ ヽ;::\
    /::::::::;;;;;;;;;,,,;;...-‐''"~    ヽ:;::l
     |:::::::::::|            |ミ|
     |:::::::/     ,,,  ヽ,、   '|ミ|
     '|:::::::l    '''""   ゙゙゙゙`   |ミ|
       |:::::|.  ,,r ‐、   ,, - 、  |/
     ,/⌒|  ノ ・ _), (. ・ `つ|
     | (   "''''"    |"'''''"  |
      ヽ,,.        ヽ    | はぃ~ん
       |       ^-^_,, -、   |
         |    _,, --‐''~    ) |
         'ヽ  (   ,r''''''‐-‐′ /
         \,,,`― ''′   ,,,/


322:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/18 00:28:35
遅めの夏休みを1日取りまして、帰省先から戻ってきたと思ったらO※Nが
「アクセス規制」されておりましたw。避難所のあるシベリア超速報にいる
間に少し書き溜めましたので……。

323:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/18 00:32:34 aq5MMb1r
>>314 >>どおりで変な味がしたはずです……。ひょっとして腎臓に「豚の小便」も
混じっていたのかもw。

>>315 >>たまに聞こえる『マラカピー』で、必死で自分たちを罵っているのは明らか

漢字表記が上手く画面に出るか分かりませんが、『マラカピー』は「媽拉个巴子」で、
「母親と姦淫する子供」といった意味合いです。英語の「マザーファッカー」と同じと
覚えれば手っ取り早いでしょう。ただし、儒教的な考え方から支那人にとっては最大級の
罵りとなります。米語のスラングで、親しい友人に「Hey! Motherfucker」(おい、君)と
呼び掛ける事がありますが、「ヌオ、マカラピー」と間違っても声をかけてはいけませんw。

また近親相姦ネタは罵倒の常套句ですが、日本語ではあまり聞きません。更に近親相姦で
一番多いのは「父親×娘:80%」で、以下「父親×息子:9%」「母親×娘:8・5%」
「母親×息子:3・5%」と続きますから、実際とイメージはかなりギャップがあります。
「父親×娘」の場合は、数が多いのとシャレにならなさ過ぎるのがあるかもしれません。
むしろ「Daughterfucker」という言葉でも創りましょうかw。

324:蓬莱の人の形 藤原妹紅 ◆FU/OcfTlfM
08/10/18 00:42:07
>>323 >>更に近親相姦で一番多いのは「父親×娘:80%」で、

     _
    ,:´:::::::::ヽ
   i:::ノノリ)))〉
   !:::l !゚ -゚ノ!  ……。
   `/リ _ソ_il
   <_/===ヽ>
    `l.フl.フ´

325:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/18 00:45:36 aq5MMb1r
>>318 >>下士官と兵だけだったら絶対手抜きこいてただろw

このテーマの冒頭でも少し述べましたが、軍隊としての『建制』を崩されたら、
「手抜き」云々とは関係なく何も出来ないでしょう。将校は将校だけ、下士官は
下士官だけ、兵は兵だけと分けられると最悪です。効率的な組織としては崩壊
します。あなたの職場でも係長職以上が全ていなくなり、それ以下で今までの
仕事を続けろと言われても、齟齬が生じるでしょう(意思決定や裁量で特に)。

>>315 の続き。>>「やはり南京は空気が違うなあ。今度こそ苛められるぞ」

のちの「紅衛兵」ではありませんが、やはり子供~10代前後の罵詈雑言や悪戯が
酷かった次第です。自分の隊列では悔し涙を流している者もいましたが、歯を食い
縛って耐えるほかありません。石を投げられた同僚の大尉が子供に大声で怒鳴って
いました。しかし夜が近づきますと、さすがの悪童も家路に着きますから、人心地
つけた訳です。唯一の救いは、大人がそれほど罵倒に加わらなかった事でしょうか。

326:JY
08/10/18 00:50:52 KBPn+TSB
なぜに、モコたんがこの話の流れで(´・ω・`)・・・・・・。
断固として異議を申し立てます。

327:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/18 00:52:27 aq5MMb1r
>>325 >>唯一の救いは、大人がそれほど罵倒に加わらなかった事でしょうか。

大人の多くが自分たちの隊列を「見て見ぬふり」をし、なかには悪戯する
子供を嗜めてくれる人もいました。もちろん、腹の中でどう思っていたかは
分かりません。戦争に負けたとはいえ、日本軍に対する『潜在的な恐怖』は
あるでしょうし、万が一の報復やヤブヘビを怖れただけかもしれません。しかし、
罵倒に加わらなかっただけでも、その時の自分たちには有り難いことでした。

さて、捕虜収容所となる南京城近くの「レンガ工場」にたどり着きましたが、
窯と作業場があるだけのダダっ広い空間です。自分の大隊が丸ごと入ります。

やれやれと思ったのもつかの間、南京への移動の目的が●「日本軍が8年間駐留
したせいで首都南京は荒れ果てた。だから清掃して返せ」という支那側の要求で、
自分たちの第40師団がその作業を命じられたことを知り、憂鬱になります―。

328:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/18 00:58:37 aq5MMb1r
>>327 >>日本軍が8年間駐留したせいで首都・南京は荒れ果てた。
>>だから清掃して返せ。

支那側の要求する『清掃作業』が何なのか、全く見当がつかない不安もさること
ながら、なぜ南京とは縁もゆかりもない自分たち「鯨兵団」(40D)が清掃を
命じられなければならないのか?―怒りが沸々と湧いてきました。

「南京の付近に駐留して『汚した部隊』に担当させるのが筋ではないか? 何も
 湖南・広西・広東・江西と、数々の戦場を駆け巡り疲れ切った将兵をこのうえ
 懲罰的な匂いのする『尻拭い役』に使うとは、あまりに残酷ではないか?」と
 自分の兵たちが可哀相で仕方がありません。

329:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/18 01:04:26 aq5MMb1r
ですから当時のCGA(支那派遣軍総司令部)作戦主任だった宮崎舜市中佐(参謀)が
陸自の第1師団長だったころ、指揮下の大隊長だった自分は、酒席でこの話が出た際に
●「なぜ鯨(40D)を南京のドブ浚いや道路人夫に使ったのですか? あまりに非情
ではありませんか?」と恨みがましく聞いたことがあります。

330:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/18 01:12:48 aq5MMb1r
>>329 >>当時のCGA(支那派遣軍総司令部)作戦主任だった宮崎舜市中佐

宮崎舜市中佐は、何年か前の映画『蟻の兵隊』(山西省の日本兵残留問題を扱った
ドキュメンタリー)にも登場されます。自分もこの映画を見まして批評した覚えが
ありますが、ue少将閣下の過去スレを検索すればどこかにあるでしょう。

宮崎中佐は敗戦後、満州からの引き揚げ業務も担当しておりまして、山西省に残留
した日本軍のことを聞くと、現地に赴いて『帰国を迫った』という逸話があります。

映画では、戦後60年経って余命いくばくもない宮崎中佐の病床を、主人公の奥村
和一(山西省残留兵)が真相究明のために訪れる、という冒頭のシーンから始まり
ます。宮崎中佐は2006年11月に99歳で大往生されていますが、いやはや
話が脱線しましたね。自分の記憶があやふやですが、映画では宮崎中佐が戦後は
陸自の北部方面総監で陸将まで務められたことは『微妙な扱い』だったような気が
しますw。何にせよ脳梗塞を患ってからは、寝たきり状態が10年続いたそうです。

331:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/18 01:22:46 aq5MMb1r
>>330 >>「なぜ鯨(第40師団)を南京のドブ浚いや道路人夫に使ったのですか?」

宮崎中佐が、陸自の第1師団長を務めていたのは1960年頃だったと思います。
自分が当時のことを恨みがましく聞きますと、手振り身振りで「談論風発型」の
師団長は一瞬絶句され、やがて不快感を露にしながら、

●「手元には『鯨』しかいなかった。気の毒であることは百も承知していたが、
 南京とゆかりの無かった部隊の方が、南京市民とのトラブルも少なかろうと
 考えたのも一因である。ご苦労をかけた―」と言葉少なめでした。

敗戦時の第40師団長・宮川清三中将の前職は、支那派遣軍の兵器部長でしたから
同じ司令部勤務だった宮崎中佐が頼みやすかった、というのも理由にあるでしょう。

それはさて置き、肝心の「清掃作業」の内容が心配でなりません。南京攻略戦で
壊れた城壁を直せと言われるのでしょうか? それとも焼けた家々を建て直せ?
壁一杯の広告を消せ? 荒れた道路の凸凹を修理しろ? 公衆便所を綺麗にせよ?
下水道やドブをさらえ? 自分や将兵が惨めでなりません。貴方ならどれがいい?

332:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/18 01:44:48 aq5MMb1r
翌朝、自分は「第3作業隊長となって連隊主力を指揮し、南京清掃事務所長の
指揮下に入り、清掃に従事すべし」と命令を受けました。不思議なことに隣の
大隊長だったA少佐(自分より階級が上)は、わざわざT大尉と交代します。

のちに支那側が「事務所長は中佐だから、日本の大佐や中佐を指揮する訳には
いかない。また佐官に作業をさせるのも忍びない。清掃作業隊は、尉官以下で
編成して欲しい」と要望した結果と聞いて、予想外に配慮されていると感じて
ホッとしていいものやら、思わず戸惑った次第です。

また支那側が日本軍の『建制』をいじらなかったのも助かりました。もし米軍がした
ように、将官・佐官・尉官・下士官・兵の集団に「部隊を解散」させられていたら
収拾が全くつかなくなり、清掃作業にも非常な苦労が加わったに違いないからです。

333:名無し三等兵
08/10/18 04:35:23
>>325
>>軍隊としての『建制』を崩されたら、
>>「手抜き」云々とは関係なく何も出来ないでしょう。

アメリカに捕虜となった日本兵は軍隊組織を継続させるのではなく、将校と
下士官兵と分離されてしまった為に、組織の体を成さず、殆ど何も出来ない
状況になってしまったようで。営内はぐだぐだ。作業もぐだぐだ。
アメリカ側は自発的に自由主義的な形になるのではと思っていたようだが、
そうは成らなかったと。ニューカレドニア、布哇、アメリカ本土と渡り歩い
た帝国軍人将校の苦難が忍ばれる。下士官兵は人によって(博打に強いとか)
はある種自由だったようだけど。

334:名無し三等兵
08/10/18 04:40:14
>>332
で書いていたのか。アメリカ事例。
スマヌ。

335:ぼぼばん♭ ◆gdH1Km1a0U
08/10/18 07:58:48
》 父親×娘

70~80年代のアメリカのSFで、核戦争後のアメリカで戦禍を逃れて娘と共に山にこもって自給自足していたお父さんが娘との間に子供を作り、その娘に子供を置き去りにされて逃げられて、って話があったなぁ。
娘がいなくなったことに気が付いたお父さんはひげが伸びていたことに気が付いて、「ああ、石鹸作らなきゃ……」とか言い出すヤツ。

336:永遠と須臾の罪人 蓬莱山輝夜 ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 04:12:54
>>326 >>なぜに、モコたんがこの話の流れで(´・ω・`)・・・・・・。
>>断固として異議を申し立てます。

        _......_ 
      .,:´:::::::  ヽ
      iノll ll ハ ll))
      |::::!|.゚ ヮ゚ノ!|    父親の愛に飢えていたモコたんとしては、
      |.,´リ`仝j リ    その数字の比率を聞いて複雑な気持ち……
     ノ〈_ノ -^-i_〉    なんて妄想ではダメかしら? ああ、そうですか
     ソ/、ノ、 ヘヽ、    逝ってきますw。
      ` ̄ ̄  ̄´

337:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 04:29:41 1Nv45xKF
>>319 >>実際に現場を仕切るのは下士官なんだが。
>>320 >>サボったら古参兵殿に殴られそう…
>>333 >>組織の体を成さず、殆ど何も出来ない 状況になってしまったようで。

ただ『建制』が残っていれば全部ハッピーかと云えば決してそうではありません。
このスレでもよく引き合いに出す『日中戦争一兵士の証言―生存率1,000分の3
からの生還』は独立歩兵517大隊の話ですが、敗戦後の捕虜収容所の劣悪な環境で
1200人中850人の死者(3分の2強!)を出します。

死者の比率が階級の低い『初年兵~2年兵クラス』(徴兵時期によるもので年齢は
あまり関係ない)に集中していたのは、捕虜収容所でも『建制』が下手に保たれて
いたため、毎日の炊飯の薪を集めるなど、体力を消耗する重い労働作業は彼らに
集中したからです。給養が最悪な状況で、これは致命的です。下士官や古参兵は
チンチロリンで、体力を温存していた訳ですw。

338:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 04:46:05 1Nv45xKF
>>337 >>体力を消耗する重い労働作業は彼らに集中したからです。

例えば、これだけ多くの死者が出ますと、その「遺体処理」だけでも大変な
重作業です。とても全身を火葬するだけの燃料(薪)を集めるのは不可能です
から、せめて小指だけでも切り取って「遺骨」を作りたいところです。しかし、
同僚の死体の指を切り取るのは「精神的に来る」ものです。こっちを見るな。

また、火葬しないならしないで「遺体を埋葬する穴」を掘らなければなりません。
これが同様に大変な重労働です。いまいちピンと来ない人は、これから自分の庭に
人間が入れるような穴を掘ってみてくださいw。

結局「ミイラ取りがミイラ」な訳でして、体力を消耗した彼らはその後を追う
可能性がひどく高まる事になります。こんな状況ならアメリカの事例のように
将校・下士官・兵を分離して「フリーダム」にしてもらった方が、組織の体を
なさず無秩序としても、よほど死の確率から『平等』でしたでしょう。

339:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 05:01:05 1Nv45xKF
>>337 >>独立歩兵517大隊の話ですが、

ただし、この話は『寄せ集め』の独立歩兵大隊の話ですから、これが
今話を続けている第40師団(歩兵235連隊:徳島)のような郷土連隊
だったら話は違っていたかもしれません。

いずれにせよ『建制』が保たれていた方が良かったかは、一概には言えず
部隊の状況やTPO(時・場所・場合)による、と云ういい加減な答えに
なりますw。

340:永遠に幼き紅い月 レミリア・スカーレット ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 05:09:37
>>339 >>部隊の状況やTPO(時・場所・場合)による

    ,ヘ/L─- 、
    Lニ)r_」=== イ
   ,ヘ、i ノノλノハノヘ
   ,'  `(ハリ ゚ ヮ゚ノi) ',   人はそれを『運命』と呼ぶわ。
  .i   >〈(つ,i!と)  i
   vヘγk´_/___i,ゝヘノ
      `゙r_,ィ_ァ゙´

341:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 05:36:01 1Nv45xKF
>>335 >>その娘に子供を置き去りにされて逃げられて
時代を感じさせる、なかなか凄まじい設定ですね。実の娘に産ませても、
それは孫になるのか混乱してきますw。

>>332 の続き。>>南京清掃事務所長の指揮下に入り、清掃に従事すべし

清掃作業隊長の1人を命じられた自分は翌朝、南京市内の清掃事務所へと
出頭します。途中、城門を通ろうとすると15歳前後の少年兵が憲兵の
襟章を付けて「偉そうに」立哨しておりました。

敗軍とはいえ大尉の自分に敬礼を要求し、しつこく股間をまさぐるなど
身体検査をして「時計をないか、万年筆を持っているだろう?」と金品を
かすめ取ろうとしてきます。当然、用心して持ってきませんでしたので
「もう支那軍に取られてしまった。是々云々の要件があるから早く通せ」
と言っても馬耳東風です。埒が開かないので、CGAから貰ったばかりの
『旭光』(煙草)を献上すると、ようやくその少年兵は通してくれましたw。

342:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 06:13:59 1Nv45xKF
後で「どうして、こんな子供に憲兵の真似事をさせているのか?」と
聞きますと、「大人に憲兵の権限を持たせるとロクな事をしないので、
『純真な少年』に軍紀を取り締まらせている」と聞き、支那軍の上層部は
大変だな、そこまで腐敗しているのか?と驚いた覚えがあります。

「純真な少年」に変えても結局やることは同じで、多少あしらい方が楽になる
だけですw。なので清掃事務所に行ったら、どんな無理難題を吹っかけられる
やら、さぞかし支那事変8年間の仕返しをされるのだろうなあ、と気が重く
なった次第です。

ところが奇跡が起きたのでしょうか。国府軍の清掃事務所長の「戴根法工兵
中佐」はまことに出来た人物で、尊大な言動は微塵もなく、むしろこちらの
状況を気の毒がってくれている様子でした。

343:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 07:05:36 1Nv45xKF
>>342 >>国府軍の清掃事務所長の「戴根法工兵中佐」はまことに出来た人物で、

小柄で笑みを絶やさない国府軍らしからぬインテリな人物で、向こうから握手を
求め、「Can you speak English?」(英語が話せるか?)と聞いてきます。

「I can't speak English」(いや話せない)と自分が答えると、「It is
possible to do, aren't you?」(話せるじゃないか?)と返って来ますw。

「No, English I can speak is only this」(いや、英語で知っているのは
これだけだ)と念押ししますと、中佐は笑って支那語で要件に入りました。
英語が出来ないからといって、別段こちらを見下ろすような素振りも無く
正直ホッとした次第です。

結局、自分の連隊に割り当てられた『清掃作業』は道路の修復で、南京の
揚子江に面した外港である下関から、そのまま揚子江沿いに燕子磯(別荘地)に
至り、幕府山を回って南京城の中央門に戻る「環状道路」の修復と増幅でした。

344:名無し三等兵
08/10/19 12:15:28
>>341
>時代を感じさせる、なかなか凄まじい設定ですね。
現代のエロゲには姉、娘、孫、曾孫、玄孫と直系の娘犯しまくった伝説の最低男が…

345:名無し三等兵
08/10/19 16:42:03
>341
>しつこく股間をまさぐる
アツいメッセージを察してやれよw
ウホッ

346:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 22:53:14
>>344 >>現代のエロゲには姉、娘、孫、曾孫、玄孫と直系の娘犯しまくった
>>伝説の最低男が…

え、ラディッシュ・バケーション?(藁)

>>345 >>アツいメッセージを察してやれよw ウホッ

貴重品は「パンツの中」に隠すのが基本です。尻の穴の中まで見せろ
と言われなくて良かったですw。

347:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 23:21:25 YQKxKlDE
>>343 の続き。>>自分の連隊に割り当てられた『清掃作業』は道路の修復で、

便所掃除やドブ浚いなど「汚い仕事」では無いのでホッとした訳ですが、とりあえず
●「日本軍の占領8年間の汚れを落とすため、と聞いている。だから道路の修復は
その趣旨に沿うが、増幅まではおかしいのではないか? それに作業する道路の半分は
産業道路だが、(揚子)江岸沿いは観光道路のようだ。国共内戦が再燃したというのに、
そんな悠長なことでいいのか?」と感じた疑問をぶつけてみました。

すると戴根法中佐は急に困った顔をして「もっともな質問だ。作業計画の立案には
自分たちも苦労した。最初の計画には入っていなかったが、米軍の要望でこうなった。
我慢して、こちらの設計図どおりにやってくれ。頼む」と頭を下げたのには驚きです。

突然、隣にいた清掃事務所の副所長(同じく中佐)が英語で怒鳴りましたが、何を
喋っているかまでは分かりません。所長から必要な器材と資材を早急に申請するよう
言われましたので、「明後日までに計画を作成して申請する」と了解して帰りました。

348:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/19 23:52:47 YQKxKlDE
>>347 >>突然、隣にいた清掃事務所の副所長が英語で怒鳴りましたが、

戴中佐は、大きな判子を押した通行証を交付してくれるとともに、門まで
見送ってくれました。捕虜に対してここまで配慮してくれる人は稀です。

門を出ますと、英語が少し分かる自分の副官が「あの副所長は、『In captive's
position, do not complain. Do as it is an instruction of the victorious
country!』(捕虜の分際でつべこべ言うな。戦勝国の命令どおりやれ!)と
言ったのです。あれには注意しましょう」とコソッと教えてくれましたw。

所長の戴中佐も副所長も英語の達者なインテリですが、副所長の方は尊大で
「戦勝国」を振りかざすタイプで全く対照的でした。まあ、戴中佐の方が
稀有な存在と云うか、変なのかもしれませんが。

帰路に作業予定の道路を一巡しまして、熟知の工兵中尉や各大隊の専門家と
ともに翌朝、ふたたび偵察しました―。

349:名無し三等兵
08/10/20 00:20:04
なんだかんだといっても、飛行機ももたずに敵の機動部隊と戦う。
おまけに陸上とも戦う。昔から砲台と戦争したら
海上部隊は負けると言われている。それをやるというんだから
戦略も、戦術もない。軍艦がいれば軍艦とやる。商船がいれば商船とやる。

350:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/20 00:27:18 nk7V0Eum
工事予定道路の長さは22キロ。作業量を公平に分担しまして、第2・第3大隊は
それぞれ約10キロ。自分が直接指揮する第1大隊は、水田を通る高さ2メートル
ほどの道路を2倍に増幅する必要から、約2キロの担当としました。

必要な器材は、石塊や砂利、土砂を運搬するためのトラック10数両、山から採石
するための爆薬や資材もろもろ、大円匙、モッコ、大型土管、セメントなど膨大な
量となります。

南京市内の清掃事務所に出頭しまして、所長の戴根法中佐に必要リストを提出すると、
こちらが約束の日を守ったのが嬉しかったのか、機嫌は上々でした。「器材は明日中に
準備する。明後日取りに来てくれ。ところで何時までに出来そうか?」と聞いてきます。

工事内容に「米軍の要望」も入っているせいか、膨大な必要リストをあっ気なく「2つ
返事」で了解するとは少し驚きましたが、「天候や食糧の質量にも関係があり、いつまで
とは断言できない。問題は道路の増幅だ。水田を掘っていいなら3ヵ月弱で5月初旬には
できる。だが他所から必要な土砂を運ばなければならないとなれば、大変だ。見当が
付かない。運搬用のトロッコのレールを敷くだけでも……」

351:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/20 00:36:09 nk7V0Eum
と自分が言いかけますと、戴中佐はそれを手で遮って「水田を掘ってよい。
私も今の仕事から早く解放されたい」と、あっさり認めてくれました。

戴中佐が非常に協力的なのは自身の都合もあるのだな、と思いつつ「分かった。
ならば水田の持ち主の了解を得て欲しい」と念押しすると、「OK、OK。話は
付けたはずだ」とトントン拍子で話が進みました―。

352:名無し三等兵
08/10/20 00:38:44

旧陸軍の縦肩章はなくなってしまったのでしょうか?
絶対やめて欲しくない!
強い陸軍の証だもの。
あの肩章、日本だけでしたよね!
カッコ良かったよw!


353:JY
08/10/20 02:23:35
>>336
いやてっきりエロ同人誌の話とかにいくのかなぁと
ダメなほうに早とちりしただけです(´・ω・`) サーセン
モコたんはいい子ですよぅ(´・ω・`)。

354:名無し三等兵
08/10/20 07:07:01
>351
>OK、OK。話は付けたはずだ
これトラブルの伏線ねw

355:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/21 00:34:48
>>353 自分も悪ふざけが過ぎたようでスマンス。自分は「マリみて」から
足を踏み外しましたので、エロ同人誌はほとんど買いませんですw。

356:蓬莱の人の形 藤原妹紅 ◆FU/OcfTlfM
08/10/21 00:42:29

      __,、 
      \ii ,- 、 _
     、 ,'´ ‐ `<´_|i
    ´ ((((( ((! i
     ハi、ー ゚ハ i |     11月の京都・紅楼夢で遭いましょうw。
     〈_i_:`i^>| |<i
     〈`::Y:: ゝ'ヾi<i
      `i_ブヽ.)i)),)

357:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/21 00:48:56 dmWgb1x5
さて >>250 で以下のように述べて、日下節を「ウサン臭い」と述べた訳ですが…。

>日下公人の『日本軍の教訓』(PHP文庫)にはこうあります。

>「南京という街には、千年来の歴史を持つ運河が多数あり、そこにはそれこそ
> 千年分の泥が溜まっている。中国は厚顔にもこの掃除を(敗戦後)引き上げる
> 日本軍に依頼した。幕長(ママ)たちは、その申し出を断るべきかどうか、
> 侃々諤々の議論を交わしたが、某師団長は『中国人にはさんざん迷惑をかけた
> のだから、わが師団は罪ほろぼしに掃除して帰ろうと思う。どうか、わが師団
> 将兵諸君、ひとつやってくれないか」といった。そこで『師団長の命令なら
> やります』ということになった。

358:雑草 ◆FU/OcfTlfM
08/10/21 01:07:29 dmWgb1x5
やはり自分も「道路工事」の作業を各員に割り当てする際、

「これが支那における『最後の作戦』だと思う。どんな心構えで作業するかは
 色々考え方があるが、支那にとんでもない迷惑をかけたのは事実だし、これ
 からは信頼される隣人として付き合っていかなければならない。また蒋総統の
『以徳報怨』の恩返しもしなければならないと思う。

 だから『やはり日本人は違う。負けても立派だ』と思われる仕事をして帰り
 たいと思うがどうだろう? 支那人に笑われないよう、軽蔑されないよう、
 設計通り手を抜かずに作業しようじゃないか。辛いだろうが、それが日本に
 早く帰れる近道でもあると思う―」

と所信を述べた訳ですが、聞いてくれた皆も「もとから、そのつもりだ」と
賛同してくれたのを有り難く思っています。


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