08/12/05 22:25:04
>>393別の時には、ファルサロスの戦い(紀元前197年)の史跡で、マケドニアのフィリッポス5世の
軍勢を一掃するローマ軍らしい軍隊を目の当たりにしたが、そのあまりの残虐さに思わず
目をそむけたという。一段の馬にまたがった男たちが戦場から遁走するのも見えたが、何
者だったかまったくわからなかった。一瞬には、その光景は跡形もなく消えてしまった。
トインビーがタイムポケット(もしタイプスリップという言葉を知っていれば、そう叫んでいたかもしれな
い)という言葉で何を表したかが明らかになるのは、「歴史の研究」執筆のきっかけとなっ
た出来事を述べているくだりである。1912年5月、トインビーはスパルタの谷を見下ろす要塞
後に腰を下ろしていた。600年以上のわたってこの地は、フランク人、ビザンチン人、トル
コ人、ヴェネチア人と、さまざまな所有者の手に渡ってきた。だが1821年、野蛮なスコッ
トランド高地人が市の城壁を破ってなだれ込み、逃げ惑う住民を虐殺した。その日以来、
ミストラは打ち捨てられ、廃墟と化したままになっていた。この破局をひしひしと肌身に感
じ、人類の犯罪と愚考の残酷な謎に圧倒されたトインビーは、そこで大作「歴史の研究」の着
想を得て、人類の歴史に何がしかの意味と目的をかいま見ようと試みたのだ。
何が起きたのだろうか。突然過去が息を吹き返したのである。過去が現在と同じ現実感を
獲得したのだ。ブルースの小説「失われたときを求めて」もまた同様に、マルセルという語り手(プ
ルースト自身)のたった一つの体験から芽生えた。ある晩のこと、寒さに震えながら着か
れきって帰宅したマルセルは、マドレーヌ菓子を食べようとハーブティーに浸した。すると奇妙な事
に純粋な喜びの感覚に満たされたのである。「5巻にこの上ない喜びが広がった、、、、私はも
う自分を凡庸とも、偶然の産物とも、死ぬべき運命の存在とも感じなくなり、、、」。もう一
口貸しを食べたとき、マルセルは何が起きたかを悟る。紅茶に浸した菓子が子供時代をよみが
えらせたのだ。日曜に長い散歩からマルセルが帰ると、リオーニ叔母がマドレーヌ菓子をハーブティ
ーに浸してくれた。その味で過去がよみがえり、息を吹き返し、現在と子供時代の間に横
たわる年月が夢のごとく消えて慕ったように思えたのだ。プルーストのこの大冊の小説は、
その休暇を再現しようとする試みだったのである。