08/10/31 14:09:57
、、、 10万年前の高度な知性 、、、、、
そこで気の滅入るような結論を出さねばならない。つまり、現代人は、左脳を高度に発達
させることによって、自らの精神能力の最も重要な部分を失ってしまったのだ。
とはいうものの、これを結論とするのは早計かも知れない。確かに左脳の意識とは「ペンと
紙」のメンタリティだ。だが、それは紙の上に膨大な知識を蓄え、ペンによって巨大な計算を行う
ことが出来る。ペンと紙を駆使することによって、現代人は地球史上、最も複雑な文明を作
り上げた。脳は瞬間的に計算する能力を失ったが、現代人はコンピュータを使ってこれを補うこ
とが出来る。
これにはきわめて大きな短所がある―現代人の生活には、ほとんど脅迫的ともいえる、
狭く固定した集中力が必要だ―右脳の「鳥瞰」に対して、左脳の「虫瞰」といってもい
いだろう。われわれは遮眼帯をつけた馬のようなものであり、鼻先より遠いところは見る
ことができないのだ。
そしてわれわれは「クローズアップ」に囚われすぎているために、現代文明は空前といえる自殺
率、精神不安定にさらされている―なぜなら「クローズアップ」はわれわれから意味を奪うか
らだ。それこそが精神の健康には最も欠かせないものなのに、、、。
一言で言えば、現代人は右脳人間にとっては当然の自由の感覚を喪失した。人間を一つの
ロボットに格下げしてしまう世界に囚われ、鳥瞰する目を失ってしまったのだ。
217:、
08/10/31 14:14:04
この問題は、ジャン・ジャック・ルソー以来の西洋の思想家たちの中心的課題となっていた。ルソーは
その答を、文明に背を向け「自然に帰る」ことだと説いた。それと同じ精神によって、哲
学者ハイデガーは、哲学者としての人生をテクノロジーの拒否の唱道によって自らの革命を開始し
した。そして1980年代、自らユナボマーを名乗り、企業に郵便爆弾を送りつけることによ
ってみずからの革命を開始ようと試みた男が、複雑さに対する反応は危険なまでの単純さ
であることを万人に知らしめた。
URLリンク(ja.wikipedia.org)ルソー
URLリンク(ja.wikipedia.org)ハイデガー
URLリンク(ja.wikipedia.org)ユナ・ボマー
私は常々、「虫瞰」の問題に対するもう一つの解決策を考えてきた。それこそ私の処女作で
ある「アウトサイダー」(1956)の真の主題だった。
1849年12月22日、27歳だった小説家フョードル・ドストエフスキーは、牢獄からサンクストペテルブルクの
セミョーノフスキー広場に引き出され、銃殺刑を宣告された。罪状は「禁書」とされる文学の出版だ
った。彼と同志である革命家たちはざらざらの亜麻布のシャツを着せられ、兵士
の前に一列に並ばされた。それから、将校が発砲を命じたとき、馬に乗った男が広場に現れ、彼等の死
刑はシベリアでの終身刑に減刑された、と告げられた。ドストエフスキーは縄を解かれ、牢獄に戻さ
れた。同志の一人は発狂した。
これより前、ドストエフスキーはしばしば妄想と自己憐憫に囚われていた。だが銃殺隊と直面する
ことによって、彼は執着を越え大作家となった。
URLリンク(ja.wikipedia.org)ドストエフスキー
218:、
08/10/31 14:18:50
ここで起こったのは、つまり彼が単に自分が自由であることに気づいたということだ。生
きることは、たとえそれがシベリアでも自由であることなのだ。「遮眼帯」は取り去られ、彼
はその背景にあるリアリティに気づいた。この新たな洞察は減刑の直後に書かれた手紙に現れて
いる。
「、、、、どんな苦境に襲われようとも、絶望せぬこと、倒れぬこと―それが人生の目的な
のです」(「罪と罰」)。それが、死に直面することによって強められたリアリティの感覚だった―心理
学者ピエール・ジャネはこれを彼の「現実機能」と呼んだ。
選択と自由意志の認識は―奇妙なことだが、左脳的メンタリティの真髄だ。両断脳の研究家は、
左脳は右脳よりも楽観的であることに気づいている。ほとんどの古代人―生まれついて
の「右脳人」―は、自らを「被造物」と見なし、その目的は神々もしくは神を喜ばせる
ことだと考えていた。西洋人が左脳人となり、神々との接触を失うと、彼は自らの足で立
つことを学ばねばならなかった。これは困難な事だ。なぜなら彼はしばしば、自分が意味
を失った世界で沈滞しているのと感じるからだ。人生が、ただ生きることだけを目的とす
る終わり無き苦闘と感じられるのだ。
だが、この感覚を相殺するのは、典型的な左脳の機能である目的の感覚の体験、どんなこ
とも可能に見える「春の朝のような感覚」の純然たる楽観だ。このようなとき、彼は答を
垣間見たような気になる。自然との調和に基づく、要求の少ない意識に帰るのではなく、
新たな生命支配の感覚を手に入れて、左脳意識を超越するのだ。人間の進化の次の段階は、
意識の圧力を高めることを可能とする「バルブ」を開発する方法の獲得だろう。
我々の意識と呼ぶものが、その圧力だ。進化の現段階では、これは理解困難だ。「虫瞰」の
おかげで、われわれは敗北主義に陥っているからだ。だが、ある哲学者の言う「力の源泉
である意味と目的」を体験すれば、これこそが進むべき唯一の道であり、好むと好まざると
にかかわらず、その道を選ばねばならないということをはっきり認識する。
219:、
08/10/31 14:30:03
とはいうものの、かつてのような右脳意識への回帰は可能でもなければ望ましくも無い。
だが一方、この過去の知識の重要性はいくら強調してもし足りない。それによって、われ
われがいかに遠くまで来たかということを認識すると共に―さらに重要なことだが―
次に行くべき場所を認識することにもなるからだ。
スレリンク(archeology板:43番) 超Oパーツと言うべきか、、、
これは、完全にシュタイナーのアーカーシャ記録も破綻している、、。私なりの見解も無い訳ではないが、、、
この見方によれば、最初の人間の祖先であるホモ・エレクトゥスの出現は200万年前から150万年
前だ。本章の冒頭で述べた、研磨された厚板は、彼等が通常考えられているよりも遥かにチ
的だったことを示す証拠かもしれない。
前章と本章で述べてきた主要な仮設は、一般に言われているよりも遥かに昔から人間は高
い知性を獲得しており、そのような知性の現れのひとつが巨大数を扱う能力だ、というも
のだ、というものだ。この革命的な進歩がいつ到来したのかはまったく分からない。だが
もしもホモ・エレクトゥスが高度な言語と筏を組む能力を持っていたのなら、彼等こそが最初の「計
算者」だったのかもしれない。
スタン・グーチによれば、ネアンデルタール人はこの能力を所有しており、クロマニオン人は何らかの方法で
彼等からこれを獲得したという。ここでもまた、われわれには知る術はない―ただ、度
量衡の示す証拠に寄れば、「宇宙的カノン」の知識は遥かな過去にまで遡る、ということだけ
は確かなことだ。
220:、
08/10/31 14:39:06
つまり、今から10万年以上前に、高度な知性を持つ人類の祖先が存在したという可能性が
ますます強くなっているというわけだ。
だが、彼らはその知的達成の痕跡をほとんど残さなかった。なぜなら彼らは「右脳人」で
あり、そのテクノロジーは原始的なものだったからだ。にもかかわらず彼等の宇宙認識は、平均
的な現代人を遥かに凌ぐものだった。
そのうちに、クロマニオン人が出現した―実用的な目的を持って、今から4万年ほど前に。残
された証拠から推測すれば、彼らは原始的な「穴居人」だった。実際には、彼等のチ的レベル
は多分我々と同等だっただろう。だからこそ、最後の氷河期の終わりに、彼らは最初の実
際的な(すなわち技術的な)文明を作る準備ができていたのだ。
彼等もまた、太陽系を包含する「宇宙的カノン」の存在を学んでいた。そんなわけで、1万2000
年前の文明と、太陽系を抱合する数と調和と比例のシステムとはまったく別のものだ。ここま
で書いた時点で、私は1908年に書かれたとある本の中に、次のような一説を見つけた。
「古代から我々に伝えられた伝説や信仰の一部は、あまりにも普遍的であり、かつ深く根
付いているので、われわれはそれを人類そのものと同様に古いと考えている。人は、これ
らの信仰や言い伝えの思いがけない正しさのうちの、、、、どの程度までが単なる偶然の産物
であり、どの程度までが痕跡ものこさずに消滅してしまったまったく未知の古代文明の証
拠であるのか、探求したいという誘惑に駆られるであろう」
これを書いた人物は、マダム・ブラヴァッキーやルドルフ・シュタイナーの信奉者ではない。物理学者フレディ
ック・ソディ(1877-1956)だ。彼はアーネスト・ラザフォードの同僚で、1913年の同位元素の
発見で知られている。
221:、
08/10/31 14:53:11
問い合わせ: "フレディック・ソディ" (全ページ/リンク元)
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URLリンク(ja.wikipedia.org)ラザフォード
URLリンク(ja.wikipedia.org) ブラヴァッキー
URLリンク(ja.wikipedia.org)シュタイナー
シュタイナーよりブラヴァッキー夫人の方が大物に見えるが、、、。
222:、
08/10/31 14:57:44
「ラジウムの解釈」の中で、ソディの記述は賢者の石に及び、「それは金属を変容させるのみな
らず、生命のエリクシリルとしても作用するとされている」としている。そして彼は問う、「では、
この古くからいわれる変容の力と生命のエリクシリルの繋がりは、はたして偶然なのだろうか?
むしろ私は、それは世の記されざる歴史の多くの出来事のこだまであると考える。その歴
史とは、我々が現在歩む道をかつて歩んだ人々の時代であり、あまりにも遠い過去である
がゆえに、その膨大な時間のうちに、その時代の文明の原子までもがすでに文字通り崩壊
してしまっているのである」。
奇妙なことに、1908年の時点では、ソディほどの傑出した科学者が、このような考えを芳名
するのに何の躊躇も無かったのだ。だが現在では、このようなことを言う科学者はただの
一人も居ないだろう。だが彼の生きていたのは、科学と創造力の間に超えられぬ深遠が出
来る前の世界なのだ。今の世の中でこんなことをいえるのは、それによって失ってしまう
学会での名声など何も持たない人物だけだ。
その一人がジョン・ミッチェルである。彼はカノンに関する論文の締めくくりとして―それは本書
の締めくくりにもふさわしいものだが―次のような言葉を記している。「これは単なる曖
昧な処方ではない。あなたは自分自身で、数学的な証拠を研究することが出来るのだ。さ
おしてそうすればするほど、プラトンの次の言葉の正しさが明らかになるだろう―「ものご
とというものは、我々が創造し得るよりも、遥かにうまく出来て居るものだ」」
URLリンク(ja.wikipedia.org)(%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%80%85) ジョン・ミッチェル
223:、
08/10/31 15:00:08
>>221
ヤミ系にとっては、ブラヴァッキーは体験において対等でないらしかったようだが、、、。
ブラヴァッキーとしても、状況には、凍りついた事と思われる、、さぞかし、、、、。