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「一九四三年一月、私は支那派遣軍参謀に補せられ、南京の総司令部に
赴任しました。そして一年間在勤しましたが、その間に私は日本軍の
残虐行為を知らされました。……ある青年将校―私の陸士時代の
同期生だったからショックも大きかったのです―から、兵隊の肝力を
養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。
また、中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、
毒ガスの生体実験をしている映画も見せられました。その実験に
参加したある高級軍医はかつて満州事変を調査するために国際連盟から
派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが
成功しなかった。と語っていました。『聖戦』のかげに、じつは
こんなことがあったのでした」
(三笠宮崇仁『古代オリエント史と私』学生社 1984年刊より)
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石井四郎の横に座らされて、記念撮影なんて、三笠宮さまもお嫌だった
だろうね。この記述にある、リットン卿の一行にコレラ菌を盛った
「ある高級軍医」って、石井四郎のことじゃね?