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2017年01月29日
中川 寛子 :東京情報堂代表
(写真)
もみじ通り以外にももともとカプセルホテルだったビルをシェアハウスに改装したり、大谷石でできた倉庫群を商業施設に変えたりと地元でさまざまな活動を行っている塩田氏(筆者撮影)
宇都宮市にある「もみじ通り」をご存じだろうか。東武宇都宮線・東武宇都宮駅から300メートルほどの場所にある、国道119号(日光街道)と交差する細い通りがそれだ。
通りに立派なもみじの木があったためこう呼ばれてきた。周辺は江戸時代の武家屋敷にルーツをもつ高級住宅街で、通りは日用品を商う店を中心とした
生活商店街として繁栄してきた。だが、店主の高齢化や後継者不足などから商店街は衰退。2007年には商店会が解散している。
そのもみじ通りが近年、アツくなってきている。日光街道から入ってからシャッター商店街を通り過ぎると、その一角に突如、
青山の路地にありそうなカフェやレコード店、美容室、花屋、雑貨店などが現れる。若いカップルや子ども連れがゆったりとした通りを行き交う。
閑古鳥が鳴いていた地域の突然の活性化に飛びついたのは地元メディアだけではない。全国メディアでの露出も増えており、
かつての谷根千、最近でいえば松陰神社前のような、街が大きく変わる前兆が見られるのである。
なぜもみじ通りに目を付けたのか
そのきっかけになったのは、2010年にもみじ通りにオフィスを移転した建築家であり、不動産業も営む塩田大成氏だ。大学卒業後、海外留学や、
複数の建築設計事務所勤務を経て、塩田氏が独立したのは2006年。その後、4年ほど、もみじ通りから徒歩圏、市内でも繁華なユニオン通りという商店街に
事務所を構えていた。しかし、手狭になったことに加え、人通りが多いうるささを嫌い、移転先に選んだのがもみじ通りだった。
市街地の中心にあって幹線道路に近いわりには静かで、周辺には昭和30~40年代築という適度な古さの建物が残っていた。
加えて、当時の宇都宮の賃料相場が中心部で坪1万円以上だったのに対して、もみじ通りは2000円ほどと安いのも魅力的だった。後背地に高級住宅街があるため、
購買力のある人たちが住んでいることも想定されたし、商店会が解散しているのなら部外者に寛容かもしれないとも考えた。
早速、数年空いていた元ガス店の店舗を借りた塩田氏。DIYでオフィスを作りながら、「近くに美味しいものが食べられる店が欲しい」
「仲間が欲しい」と考えた。そこで、知人にもみじ通りで、カフェやレストランを始めたい人はいないか聞きまくったところ、
数カ月後西那須野で店をやっている人が宇都宮に移転したがっているという情報が入ってきた。
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URLリンク(toyokeizai.net)
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