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>>580の続き
2011年にオリックスに所属した元メジャーリーガーのパク・チャンホが
NPBで先発登板した7試合のうち、5試合が鈴木とのバッテリーだった。
また2012年にオリックス入りしたイ・デホが試合終盤に出塁した際、
俊足を誇った鈴木はイ・デホの代走として出場したこともあった。
そしてイ・スンヨプとはチームメイトとなる11年前、
大舞台で対戦相手として顔を合わせていた。
「メダル獲得を目指し被った日本代表のマスク」
「忘れたいくらい、しんどかった思い出です」
かつてそう語り、20年経った今でも「やっぱり一緒かな。変わらないです」と
鈴木が振り返るのは、2000年9月のシドニーオリンピック(五輪)での経験だ。
20年前のシドニー五輪の野球日本代表は現在の侍ジャパンのような
プロ選手の集まりではなく、プロとアマチュアの混成チームで臨んだ。
前年に行われたアジア選手権(五輪予選)では、球界を代表する捕手・古田敦也(ヤクルト)が
日本代表のマスクを被り五輪出場権を獲得。しかし古田は本選で代表入りに至らず、
プロ3年目25歳の鈴木が派遣された。「古田の代役」と「メダル獲得」、
鈴木はこの2つの重圧とともに日の丸を背負った。