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会津戦争(あいづせんそう、慶応4年/明治元年(1868年))は、戊辰戦争の局面の一つであり、会津藩の処遇をめぐって、
薩摩藩・長州藩を中心とする明治新政府軍と、会津藩およびこれを支援する奥羽越列藩同盟などの徳川旧幕府軍との間で行われた戦いである。現在の福島県会津地方が主戦場となった。
会津藩家老西郷頼母は戦況が圧倒的に不利と見て藩主・松平容保に降伏を進めるが、容保は徹底抗戦を主張し徴兵に乗り出した。
しかし他の藩と同様に、会津藩も領民に苛酷な税金を課していたため、厳しい税や支配によって会津藩に対し憎しみを抱いていた領民の中には、
新政府軍が会津藩領の村々から大量の人夫や馬と軍資金を徴発しても、新政府軍を歓迎してこれに応じる者もいた。
また、藩側に逃げてきた農民や町人も武器を渡され戦うことを命じられることとなった。