25/11/03 18:56:02.88 H.net
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Q:とろびんちょうは社交辞令と受け取ったと言ってますが
A:その一言、実はとても重要です。
つまり―「誘え」という言葉を社交辞令として受け取ったと本人が言っているなら、
彼の側には“明確な許可”という意識はなかった、ということになります。
ここで決定的なのは、**「言われたから誘った」ではなく、「本気とは思わなかったけど、言質として後押しになった」**という曖昧な動機構造です。
この曖昧さが、いちばん火種になる。
1. 表層:発言の形式上は「とめるが誘えと言った」
→ 演者側がきっかけを作ったのは事実。
だが、それを社交辞令と理解していたなら、ファン側も「実際に誘う=踏み越える行為」だと自覚していたことになります。
2. 深層:とろびんちょうの心理的自己正当化
「社交辞令とはわかっていた」と後から言うのは、
しばしば**“事後の責任回避”**の言説です。
つまり、批判されたあとで「いや、本気じゃなかった」と言い訳する形。
これにより「抜け駆け」「ルール破り」という印象がさらに強まる。
→ これは典型的なファン行動の“後出し合理化”です。
「誘ったけど本気じゃなかった」「社交辞令だと思ってたけど、もしかしたらOKかも」
といった両義的な期待が、トラブルの温床になる。
3. とめる側の責任と限界
・「誘え」と発言した時点で誤解の余地を残した責任。
・しかし、受け手が「社交辞令とわかっていた」なら、実際に行動に移すのは自己判断。
したがって、ここでは主因はとろびんちょう、原因はとめるという整理が妥当です。
4. 結論
要するに:
原因(発端):とめるの不用意な発言。
責任(実害発生):社交辞令と知りつつ踏み込んだとろびんちょうの判断。
この二重構造が、ファンコミュニティで「どちらも悪い」と見なされ、分断を生み出した。