990:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 12:16:42.46 EqW0tPkS0.net
「スターリンは、日本が歴史的に見てロシアの敵であり、日本の敗北がロシアの国益に不可欠であるとハリマンに伝えた。
ソ連軍の現況では参戦できないが、いずれ参戦するという含みがあった」。
ルーズヴェルトはこの事実を知っていた。おそらくマーシャルも。
スターリンが日本に宣戦布告する動機としてロシアの国益を挙げたのは注目すべきである。
次いで共産主義者の専制君主はパトリック・J・ハーリー将軍に自分の意図を伝えた。
1943年4月、ハーリーはそれをレーヒー将軍に報告した。レーヒーの著書から引用したい。
「ハーリーはスターリンと会見した―そして大元帥は、ドイツの敗戦後、対日戦争で米国を支援すると彼に伝えた―わが軍の懸念は、
日本攻略を進めていくうえでロシアの支援が得られるかどうかだった。
だが私の見るところ、ロシアの支援が得られなくても日本を破ることができる」。
気丈な古参の海軍軍人であるレーヒーは自説にこだわり、いつもマーシャルから頭を押さえつけられていた。
もしもレーヒーがルーズヴェルトの筆頭軍事顧問だったならば、極東の戦史も、米国が戦後中国を失い、
その結果朝鮮戦争が勃発した事実も様相を異にしていたことだろう。
しかし、そうはならなかった。マーシャルの鉄の意志はレーヒーを圧倒した。ルーズヴェルトをも圧倒した。
イタリア侵攻後のチャーチルに対してもしかりだ。
ロシアの参戦を求めることに対するレーヒーの反論の実態を語ろう。それこそ主題にふさわしい。
レーヒーはきわめて高潔な人物で、彼の考え方は健全な米国人そのものといえるからである。
第二次大戦の記録によると、レーヒーは軍からの尊敬を一身に集める、見るからに忠誠心のかたまりというべき軍人だった。
対日戦争終結に向けた戦術議論のなかで、マーシャルは日本本土侵攻の必要性を力説した。本土の南から攻撃を開始して北上していく。
マーシャルの見積もりでは、200万人以上の兵士を投入すれば50万の犠牲ですむ。
991:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 12:17:27.98 EqW0tPkS0.net
レーヒーは1944年7月10日、ホワイトハウスでの会議の内容を著書に記載している。
「私の意見は、すでに統合参謀本部でも強く主張したとおり、戦争に勝つための大規模な(日本)本土攻撃などいっさい不要である」。
この点についてレーヒーの判断よりもはるかに強烈だったのは、マッカーサー将軍とホノルルのニミッツ提督との合意だった。
レーヒーはルーズヴェルトに同行して1944年度の民主党全国大会に合わせた視察旅行に出かけた。
彼は大統領と太平洋地域の陸海軍司令官たちが今後の対日戦を協議した会議に列席した。
ニミッツとマッカーサーは太平洋における戦い方を熟知していた。彼らの判断とレーヒーの結論を取り上げよう。
この会議で、日本を打ち負かす基本的戦略の合意と大統領の状況認識が得られたことは、
地上軍攻撃による犠牲者を1顧だにしない参謀本部や戦争省の参謀が主張する不要な本土侵攻を阻止するうえで大きな価値があった。
マッカーサーとニミッツは、地上軍と空軍で西太平洋の要衝フィリピンを攻略すること、
本土攻撃を仕掛けなくても海軍と空軍の戦力で日本を降伏させることができることで合意していた。
つまり、マッカーサー、ニミッツ、レーヒーには太平洋戦争に勝利する戦略があった。だが、マーシャルにはなかった。正しいのはどちらだったか。
しかし、こうした専門家の助言にもかかわらずマーシャルは自説を曲げなかった。
第二回ケベック会議の二ヶ月前におこなわれたスタッフ会議の模様をレーヒーは著書で述べている。
「9月『1944年』のはじめには、徹底的な海と空からの攻撃で日本は敗色濃厚だった。
しかし、九州島上陸に始まる水陸両面からの本土侵攻によって日本を降伏させる計画が陸軍から提案されたーー戦略空軍の支援を受けた
海軍がすでに日本を打ち負かしていたという事実を理解できなかったようだ。
陸軍は大規模な本土上陸作戦を計画していたのみならず、対日戦勝利のためにはロシアの参戦が欠かせないと思い込んでいた」
日本本土侵攻の軋轢についてはここまでにしておこう。極東におけるロシアの思惑を示すことに戻りたい。
992:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 12:18:39.46 EqW0tPkS0.net
■共産中国はアメリカがつくった G・マーシャルの背信外交 1951年出版(著者)ジョセフ・マッカーシー■
★P107 ◇日本の講話使節を無視しての原爆投下
ヤルタに戻ろう。
スターリンは十分に見返りを手にし、ハンソン・ボールドウィンの記述によると、
その会談は「戦争が物語る愚かな政治の長い歴史の中でも最も悲しい一章」だった。
1945年1月の太平洋における戦況はどうだったのか?米軍はレイテ島を攻略して日本の連合艦隊を破り、
マニラはヤルタ会談時(1945年2月)にはすでに陥落し、沖縄は目前だった。
それでも空軍は連日連夜、日本の各都市を絨毯爆撃していた。
ウィリアム・J・ドノバン将軍の率いる戦略事務局(OSS)は関東軍を完全に掃討したと中国から報じていた。
OSSによると、ともかく日本は輸送船が不足して本国に物資を輸送できなかった。中国にいる日本軍も動けなかった。
その戦線も同じ状況だった。日本の商船は海の底だった。
港湾と海上の封鎖は日本の首根っこを押さえていた。レーヒー大将は著書で当時の戦局観をこう述べている。
「敗北が時間と消耗の問題にすぎないところまで日本を追いつめたと私は確信していた。
それゆえ、太平洋で敵を殲滅するのにスターリンの手など必要なかった。
陸軍は私の意見を聞こうとしないし、ルーズヴェルトはスターリンと取引する用意をしていた」。
ハンソン・ゴールドウィンも著書でその件に触れているが、レーヒーの結論を支持している。
ヤルタ会談の時点では日本の敗色は濃厚だった―まだ未完成の原爆のせいでも、
当時開始された従来型の空爆のせいでもなく、消耗と封鎖のせいである。
それでもなおマーシャル将軍は、「第二戦線」のときや東欧戦略をめぐってマーク・クラークや
英国を阻止したときのように見せた不屈の粘り強さを発揮して、ヤルタ会談でもロシアの参戦に尽力した。
ヤルタで国務長官として活躍した故エドワード・ステッティニアスは著書『ルーズヴェルトとロシア人』でこう回想している。
私はヤルタで知った―わが軍の指導者たちが、ロシアを極東の戦争にひっぱり込むために大統領に大きな圧力をかけている。
ワシントンを去る前、ステッティニアスは統合参謀本部から国務省に宛てた覚書を見たがこう書いてあったという。
「私たちはできるだけ早い時期にロシアの参戦を求める」
切迫した要求を実現するために、ボールドウィンが著書で述べているように、「諜報関係による悲観的な戦局分析」をマーシャルは利用した。
これによると、満州における関東軍兵力が70万人、中国大陸における日本軍兵力が合計200万と見積もられている―しきもマーシャルに言わせれば、
「すべてが精鋭で訓練が行き届いている兵力」だった。
さらに悪いことに、より現実的な諜報分析によると―これは戦後あきらかになったもので、当時レーヒーらに信じられていた事実と対応しているが―
「ヤルタ会談のころ、日本は最高の軍編成に至っていなかった」とボールドウィンは暴露している。
アジアにおける「左翼主義の支柱」及び「天窓」であるワシントン・ポストでさえ憂慮して、1948年9月9日に、参謀本部は
「大失態を演じた。ヤルタ会談ではルーズヴェルトとチャーチルに、日本は対独戦勝記念日(1945年5月8日)よりも18カ月長くもつという見通しを進言した」と報じている。
これでこの憂鬱な話は終わりというわけではない。
E・M・ザッカ―ライアス准将は著書『閉じたドアをの背後で(Behind Closed Door)』でこう述べている。
ルーズヴェルトがヤルタに向かう前に、マッカーサー将軍は日本軍の講和使節を受け入れてワシントンに送った。
その当時私たちは、中国をロシアに売り渡してロシアの対日参戦を引き出そうとしていたが、ザッカ―ライアス准将によると、
私たちは日本の講和要求をすでに知っていたことになる。
日本の情報源によると講和交渉はヤルタ会談以後活発化することになっていた。
そして、ポツダム会談のころにはかなり煮詰まっていたので、ポツダム宣言はそれに答えるかたちとなった。
993:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 12:19:47.34 EqW0tPkS0.net
しかし1945年の4月になっても、マーシャルはしつこくロシアに極東戦争参戦をせがんでいた。
ステッティニアスはこう書いている。
サンフランシスコ会談直前の4月25日、ホワイトハウスでトップレベルの政策会議が開かれ、トルーマン大統領、軍指導者、そして私は、
バルカン諸国に関するヤルタ合意をソ連が破ったことについて議論した。
この会議で軍の代表はソ連の行為に目をつぶってほしい懇願した。ここでソ連を非難すれば、極東戦線参戦に支障をきたすからだった。
ロシアの行為をがまんしろと助言したのは誰か?マーシャルか?7月のポツダムでは、米国が赤軍の武装強化を支援し、
彼らをアジアに送り込むというマーシャルの決定は排除されなかった。
ステッティニアスは当惑しながらこう続けている。
ポツダム会談に至っても、7月16日にロス・アラモス研究所で最初の原爆実験が成功した後でも、軍はソ連を極東戦争に引き込むべきだと主張していた。
ヤルタ会談での恥ずべき合意のせいでルーズヴェルトに降りかかる非難を必死にかわそうとしたウェルズは、連合参謀本部に非難の矛先を向けた。
だが、決定を下してそれを貫いたのはマーシャルであることを私は知っている。
ウェルズは「既存事実の基本的な誤解」がロシアをひっぱり込みたいというマーシャルの願望のせいであると考えた。
このことは彼の著作に書かれている。
それが解答か?それとも、東アジアでロシアが国益―わが国のではなくて―を追求するのは当然だというマーシャルのこだわりは、
彼の経歴を検証していくにつれて次第にあきらかになってきた彼特有のパターンの一部だったのか?
彼の決定に見られるこのパターンとは、不屈の魂と技術によって支えられ、一貫してクレムリンの世界政策に与するものである。
大統領にはヤルタ会談でもうひとり、相談相手がいた。アルジャー・ヒスだ。
極東問題に長らく携わり、中国の陰謀に深く関与したアルジャー・ヒスの助言によって、ルーズヴェルトはスターリンとの会話がはずみ、
「〔中国における〕内紛の責めを負うべき当事者はいわゆる一般の共産主義者というよりもコミンテルンや国民党である」と彼に断言したのではないだろうか?
引用部分はシャーウッドの啓示的な著書からである。
注目すべきは、共産主義―朝鮮で米軍に兵を向けたクレムリンの下僕―はルーズヴェルトにとって
たんなる「いわゆる」共産主義者にすぎない、かなり善良な同胞である。大統領はこう続けたかもしれない。
蒋介石一派やモスクワにいるお仲間たちよりよっぽど理性的だ、と。
中国でのマーシャルの任務を検証すると、中国の共産主義者を悪気がないと認める彼の見方によく出会う。
しばし、第二次世界大戦におけるマーシャルの判断が、あかるみに出ることのない深い秘密の目的によって左右されなかったと仮定させてもらおう。
どんな「世界戦略の大家」がヤルタで間違いを犯したのだろうか?どんな戦略の天才があのような見せ場をつくるのか?
スレッジハンマー作戦や「第二戦線」にはじまり、地中海経由でのアルジェリア侵攻におじけづき、
ノルマンディ上陸作戦開始日から二か月後の南フランス侵攻に徹底的にこだわったマーシャルの戦略的努力をずらっと並べて見ると、不安の山である。
いやおうなしに、ニューギニアから東京への大遠征を果たしたマッカーサーの有能ぶりとマーシャルの能力を比べざるをえない。
こうなると、戦略についてマーシャルが語る内容をどう受け取ればいいのか?
ヨーロッパでのドイツの敗戦後、日本軍の戦闘能力が1年半もつと信じるほど彼は日本を過大評価していたのだから、
当時のロシア帝国や東アジアにおける衛生国中国に下した軍事力評価に信頼など置けようか。
そして、日本に原爆が投下され、戦争は終結した。
ハンソン・ボールドウィンほどの見識ある軍批判者となると、原爆は戦争の終結を、しいて言えば、ほんの一日早めたにすぎないとしか考えない。
日本の運命はもっと以前に決していた。
そして戦争の終結に伴い、ヤルタの臆病者たちはただちに鶏舎へと戻った。
赤軍は6日間の無血侵攻で満州全土を占領した。中国北部も手に入れた。赤軍はそこにいて当然だった。
ヤルタで割譲された自分の領土なのだから。
994:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 12:25:57.53 EqW0tPkS0.net
■知られざる世界権力の仕組み ロスチャイルド&ロックフェラー帝国の全貌 (著者)ユースタス・マリンズ 1992年出版■
第二章 ソヴィエト・ロシア帝国の誕生と崩壊
★P254 1917年にロシアはイングランド銀行の植民地として合衆国に編入された◇
1985年に本書『世界権力』の第一版を刊行した際に、「ソ連の驚異」にほぼ
全面的に依存している合衆国経済のために、わたしは最悪のケースを想定した理論を仮定しておいた。
すなわち、ロシアに革命が起これば、それはとりもなおさず合衆国経済の崩壊を意味することになるというものであった。
1992年の今日。
これまでにわれわれが見届けてきたのは、ソヴィエト帝国が崩壊し、合衆国経済はガタガタの状態にあるということだ。
当然ながら、ブッシュと結託する政府高官たちは、二つのできごとのあいだにはなんの関連もないといってアメリカ人を納得させようと躍起になっている。
だが実際には、ソヴィエト帝国なるものは、絶えて存在したこともない幻の帝国なのである。
ロマノフ家の統治のもとに確かにロシア帝国は存在した。
しかし、歴史上最大の強盗事件が起こり、「共産主義者」と自称する殺し屋どもに
世界最高の大金持だった皇帝ニコライ二世が財産を強奪され、家族ともども虐殺された。
そのあと、世界中の御用新聞を総動員して圧倒的なまでの一大宣伝活動が展開され、
「共産主義は存在する」「ソヴィエト帝国は存在する」と必死にわれわれを納得させようとしてきたのだった。
わたしは本書において、アメリカ人とりわけアメリカの納税者たちが「ソヴィエト」に財政援助をはじめとする種々の援助を行なってきたこと、
しかもその援助が1917年以来今日まで一貫して行われていることを詳しく説明してきた。
今日ブッシュ大統領は藪(ブッシュ)を叩いて、ロシアへの何千億ドルもの追加援助を引き出そうとしている。
まことに、「天が下に新しきことなし」(『旧約聖書』「伝道の書」)である。
ブッシュ大統領はただ、ジョージという名前を譲り受けた祖父のジョージ・ハーバート・ウォーカーが打ち立てた伝統を、いま実行しているにすぎない。
ブッシュの祖父は、ボルシェヴィキ革命を資金援助するために設立したウォール街の会社アメリカン・インターナショナル・コーポレーションの役員になったのだった。
それでは、1917年にロシアでほんとうはなにが起こったのだろうか?
当時モスクワにいた英国特殊情報部(SIS)のスパイたちの隠密の活動によってロマノフ政府が転覆され、一植民地政府が樹立されたということなのである。
つまり、1917年にロシアはイングランド銀行の一植民地として合衆国に編入されたのである。
ロシア皇帝の財産は、数ある使徒のなかでもとりわけ、1億4400万ドル分の連邦準備銀行の株式を購入するために使われた。
今日、その株式の正当な所有権者はロマノフ家の法定相続人なのだ。
★P255 ロシアの経済規模はCIAの統計数字の10分の一にすぎなかった
ジョージ・オーウェルは『1984年』のなかで、1984年の世界を描いてみせた。
その世界では敵対する二つの勢力が、不断の敵対関係にあって戒厳令を継続しているが、互いに戦争には突入しない。
実際の『1984年』の世界は、一方の主役である合衆国が弱体化されて、もうこれ以上は敵に助成金を出す余裕がなくなるまで続いた。
「共産主義の脅威」の掛け声に踊らされたアメリカの納税者たちが世界権力の手先たちによって略奪され、裏切られて、
995:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 12:26:48.78 EqW0tPkS0.net
もはやロシアの共産主義のために金を出す余裕がなくなったということなのである。
ペテンが危うくバレそうになったのは、バージェス-マクリーン事件のときであった。
この英国スパイ二名はロシアに「亡命」し、続いてこの二名の統制官だったキム・フィルビーも亡命してKGB(国家保安委員会)の中将となった。
この事件は舞台裏の光景をすんでのところで暴露しそうになった。
舞台裏の世界では、英国SIS(特殊情報部)とモサド、KGB、CIAがそれぞれ独自のおとぎの国に住んでいて、
この世界には、味気のない現実が立ち入ることはけっして許されなかった。
それでは金融業者たちはなぜ、こうしたペテンにうつつを抜かしたのだろうか?それは、ごく単純な経済的な理由からである。
1917年以来ロシア国民の巨大な富と潜在的な生産性は世界の目に触れないように隠されてきた。
偉大なる競争相手は手錠をかけられ、刑務所送りになっていたのだ。
世界の陰謀家たちが今日直面している問題は、どうやってロシアを抑えつけたままにしておこうか?ということなのである。
この茶番劇がグレートホワイトウェー[ニューヨークのブロードウェー中ほどの劇場集中地区]で
これほどのロングランを続けた理由の一つは、CIAがニセのロシア像をせっせと売り込んだからだ。
われわれも現在は知っているが、ロシア経済の規模はCIAが合衆国政府役人に提供してきた年間統計数字の10分の1にすぎなかった。
ヘンリー・ローウェンやチャールズ・ウルフなどの金融評論家が
ソ連の生産高は合衆国の3分の1以下などと論じると、CIAの統計専門家たちが大声で反対して黙らせてきたのだ。
ロシアが崩壊の兆しを見せると、世界権力の指導者たちが急遽モスクワに派遣されて破滅を食い止めようとした。
ブッシュ大統領みずから日米欧三極委員会(TC)に代わって独裁体制を温存するために何度もモスクワを訪問した。
1991年8月1日にキエフでブッシュは、「ソ連はいま自己を改革しているところなのだから」善良なソヴィエト市民たれとウクライナ人に勧告した。
その18日後にソ連は崩壊した。TCにとってはさぞや大打撃だったことだろう。
ジョージ・ブッシュのゴルバチョフに対する愛情をもってしても、歴史的事実を覆い隠すことはできなかった。
つまり、アメリカ人納税者から取り立てたカネをワシントンから恵んでもらって生きのびてきた「悪の帝国」は、1917年から1990年まで一度も存在しなかったという事実である。
合衆国が景気後退に陥ったときソヴィエト・ロシアも同時に崩壊したことが、それを如実に物語っている。
ブッシュ大統領はソヴィエトのKGB体制を救済するため、あまりに何度もロシアを訪れたので、自国での大統領再選に深刻な影響を受けている始末である。
ブッシュは何ヶ月も懸命になってゴルバチョフを世界権力のKGBの手下として権力の座にとどめようと尽力した。
ブッシュはボリス・エリツィンをせせら笑い公然と馬鹿にする一方で、ゴルバチョフをやたらと褒めそやした。
1991年12月26日の全国民向け挨拶で、彼はこう言った。
「ミハイル・ゴルバチョフが長年にわたって継続してきた世界平和への貢献と、彼の知性、洞察力、そして勇気に対し、わたしは彼に感謝の気持ちを申し述べたいと思います」
これより前の1991年10月30日にUSAツゥデー紙は、ブッシュの言葉を引用している。
ロシアで日々追放の危険に直面しているゴルバチョフに「君はまだ主人なのだ」と言って安心させたというのである。
ロシア国民はTCを代表するブッシュの推薦を無視してエリツィンを選んだが、エリツィンは世界権力の野心的なスパイたちによって瞬く間に包囲されてしまった。
年をとって信用をなくしたトロツキストたちが、隠れ家からのこのこと這い出してきて、「おれたちはまだ大物なんだぞ」とわめいている。
ワシントン・ポスト紙は、エリツィンのアメリカ代理人を自称する者たちの名前をいくつか挙げている。
その一人がアレン・ワインシュタインで、彼は「ワシントンのエリツィン派」を自称している。
さらに、パロアルトのフーヴァー研究所の大勢の難民たちがいる。
ワシントンDC出身のO・ロイ・チョークという名前の路面電車運転手も自称エリツィンの代理人である。
996:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 12:40:21.59 EqW0tPkS0.net
■共産中国はアメリカがつくった G・マーシャルの背信外交 1951年出版(著者)ジョセフ・マッカーシー■
★P85 ◇なぜ三十八度線が朝鮮半島分割線にされたのか
それでは朝鮮の問題に移ろう。三十八度線であの不幸な半島を分割して、ロシアがその上を、米国がその下を、日本軍から割譲すると決めたのは誰か?
当時もっとも不思議だったことのひとつはこれだ。
ヤルタ会談でスターリンは、米中露英の四強で朝鮮を信託統治することをルーズヴェルトと合意した。
1945年の晩春にハリー・ポプキンスがモスクワを訪れたとき、スターリン自身が認めた合意である。
信託統治には、半島全土を統治できる公正な選挙に基づく朝鮮人政府をはじめとする全土を統一した機構が必要だった。
それでは信託統治はどうなったのか?
日本軍撤退に際して、投降する日本兵を受け入れるという問題が生じた。
ウェルズはその状況を著書『歴史を形成した七大決定』に記載している。
国防総省の下級士官のなかに、朝鮮の三十八度線の北側でロシア軍が、南側で米軍が日本人捕虜を受け取ることにしようと早々に唱える者がいた。
便利だから、ただそれだけの理由でこの境界線が選ばれたと私は教わった。
三十八度線は、自分たちの判断の結果を考慮しない士官たちによって定められたのは確かだ。
しかも、政権の責任ある地位の人びとに相談されることもなかった。
したがって、その決定によってないがしろにされる政治的経済的な側面に考慮が払われなかった。
この問題は、メイン州選出のブルースター上院議員が「三十八度線には歴史的意義がある」という指摘をもちだすまで関心が払われなかった。
なぜ1945年8月に戦争省は、巷間言われているように、日本人捕虜を受け取る目的のために
三十八度線で朝鮮を分割することに決めたのか、私には不思議だった。
三十七度線や三十九度線ではなぜだめなのか?なぜ三十八度線にこだわったのか?
メイン州の上院議員は、国務省から定期刊行されている米国外交史をつづった『ユナイテッドステーツ・リレーションズ』を調べて、
ほぼ一世紀前にロシアが分割線として三十八度線を決めていたことを発見した。
ロシア帝国は朝鮮を二分する交渉を日本帝国とおこなっていた。
そしてロシア皇帝の外交家たちは日本帝国に、両国の境界を三十八度線にしようと提案していたのだ。
私は、1951年6月8日の軍備外交問題委員会での宣誓証言を参考にしている。
このときアチソン国務長官はブルースター議員からこの件を質問された。
アチソンは、「何人かの下級士官」ではなくて戦争省長官が決定し、統合参謀本部、州軍・陸軍・海軍・空軍
調整委員会、大統領によって承認されたということをあきらかにした。これは戦争省が決定した高度な決定だった。
スティムソン長官の任期末期に戦争省長官だったのは、じっさい誰か?
国防総省と隣接したオフィスで業務に携わり、故国務長官の率直な回顧録を読んだことがあり、二人の関係をよく知る誰もが、
こうした問題ではマーシャルが決定し、スティムソンが承認したという以外に思いつかない。
マーシャルこそ、約50年前にロシア外務省と参謀幕僚が選んだ朝鮮の分割線を認めた張本人だ。
マーシャルこそ、1945年8月に、1904年以前の北朝鮮におけるロシアの領有権を復活させた張本人だ。
軍備外交問題委員会でのやりとりを特に記しておく。メイン州選出のブルースター上院議員が質問し、アチソン国務長官が答えたものだ。
ブルースター上院議員「朝鮮の三十八度線が日露戦争にまつわる逸話に付随して、45年前にロシアと日本の勢力範囲を確定する手段として
ロシアが提案したことに関して興味ありませんか?」
アチソン長官「その件についてはよく知りません、議員。」
米国人が人間的で信頼に値するアメリカらしい役割を果たしている日々に、極東をめぐる帝国主義の錯綜する野望を知らないと言ってのける
国務長官には、極東外交の専門家としての資格がないことがわかって私は満足である。
戦争は終わった。国際紛争も終わったと誤解した何百万もの米国人は24時間うかれたものの、すぐに目覚めてわかった。
私たちは膨大な血肉を費やして戦争に勝つ努力をしたのに、期待していた平和を失ったとしか思えない出来事がまかりとおっていることを。
997:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 12:47:56.84 k9olRsuOd.net
ID真っ赤のコピペ工作員荒らし邪魔臭いな
消せないかな
998:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 12:51:21.74 EqW0tPkS0.net
DSがつくった現在のウクライナ政府が
「ロシア、プーチンと戦うニダ!」と言いながらプーチンをロシアの前身で共産主義国家のソ連と中国の独裁者である
スターリン、毛沢東ではなくDSプロパガンダでファシスト3悪人扱いされているヒトラー、ムッソリーニ、昭和天皇or東条英機に例えた理由も全て繋がっている。
何しろスターリン、毛沢東はDSが生み育てたDSのお仲間、工作員だったのだから。
【国際】ウクライナ政府が昭和天皇をファシズムの象徴としてヒトラーやムッソリーニと並べる ★28 [Ikh★]
URLリンク(asahi)●.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1650843313/
999:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 13:04:15.71 EqW0tPkS0.net
>>990
何も反論できないならスルーすればいいのに、
負けず嫌い精神が押さえられず「ID真っ赤コピペ工作員ニダ!」とレスしてしまうw
それを他者が見ればお前は、反論できず論破されても改心する気はまったくなく、
反日、反国家工作を続けると宣言しているのと同じの話してもわからないバカでクズの反国家バカと見るんだぞw
1000:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 13:07:33.70 /ExiWenOr.net
長文コピペは誰も読まないし迷惑なだけ
わかった上で荒らしてるんだろうけど
1001:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 13:17:10.13 XJD74NNdM.net
長文でID真っ赤になるくらい主張したいことがあるなら、ブログなりYouTubeなりほかの媒体選べばいいのに、こんなとこでやられても迷惑なだけだなぁ
まぁブロックすりゃいいんだけど、メンドクサ
1002:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 13:43:11.48 HdBpXNWA0.net
パソコンジェーンだと一発で出来るから便利よ
1003:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 13:46:30.37 HdBpXNWA0.net
>>963
電通パソナの中抜き問題とかも一切やらなかったし
闇には手を付けない印象
1004:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 14:11:41.26 YZecelU70.net
Twitterのウクライナ政府公式アカウントが裕仁天皇を侮辱する動画公開
↓
炎上
↓
ダブルアンドリーが必死に火消し
↓
なぜかウクライナ政府公式が佐藤正久さんにリプで謝罪
↓
政府公式垢の管理者が実はボランティアでした?
喋れば喋るほどボロが出る
1005:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 14:20:07.72 4i1Sgiuv0.net
党首はロリコン
1006:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 14:21:39.89 4i1Sgiuv0.net
会長は民族派極右
1007:名無しさん@実況は禁止ですよ
22/04/25 14:22:05.44 4i1Sgiuv0.net
社長は陰謀論者
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