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- 暇つぶし2ch198:Xパイ」と見なし、殺害する事件が相次いだ。 背景には、軍事機密の漏えいを防ぐ法律があったが、被害者のほとんどは正当な理由もなく、口封じのために殺された。加害者側の日本兵も飢えや恐怖に追い詰められていた。 そんな中で起きた残虐な行為が、戦争の陰惨さを浮き彫りにする。 (安藤恭子) 七十年前、全身に飛び散った手りゅう弾の破片が、今も体をむしばむ。「私は、四歳で『スパイ』として処刑された」。 沖縄県読谷村(よみたんそん)出身の仲本政子さん(74)=大阪市=は、悲しげに笑う。日本兵が住民を虐殺した「渡野喜屋(とのきや)事件」で生き残った。 一九四五年五月、米軍に捕らえられた仲本さん一家は、県北部の渡野喜屋(大宜味村(おおぎみそん))の集落に収容された。 村議だった父が、米兵にもらった食料をほかの人に配るのを、山に隠れた日本兵がじっと見ていた。 「おまえたちは、こんないい物を食っているのか」。兵隊たちは夜中、一家が休む民家に踏み込んだ。 仲本さんは母と兄、妹の四人で、砂浜に連行された。数十人いた周りも年配者や女性、子どもばかりだった。 「アメリカの捕虜になって、恥ずかしくないのか!」。兵隊が怒鳴り、「一、二、三」の合図で手りゅう弾を何発か投げ込んだ。二歳の妹は死んだ。 日本兵が引き揚げた後、米兵が倒れていた仲本さんを箱に入れ、テントに運んだ。 父は別の場所で、首に短刀を突き刺されて殺された。両ひざは丸くくりぬかれ、「日の丸だ。勲章だ」と日本兵が持ち帰ったという。 血の海に浮かぶ遺体を見つけた母と兄は、あまりのむごさに気絶した-。 これが、仲本さんが二十歳の時、兄から打ち明けられた話だ。三カ月後、兄は心を患い、入院した。 渡野喜屋はスパイ集落」という密告が事件のきっかけだった。 「私たちがスパイだなんて殺す言い訳だ。戦争は悪魔を生む。人間を信じられない私は、今も暗闇の中にいる」。仲本さんは苦しみを明かす。 http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015062202000122.html




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