20/12/30 23:27:29.58 uK+pCejc0.net
これほどの劣等感を感じたのは生まれて初めてでした。私は何もかもが嫌になり、
気分転換も兼ね、休暇を取って、実家のある沼津へ帰省することにしました。
帰省には毎回車を使っていましたが、無性に電車で帰ってみたくなり、
列車が長い長い丹那トンネルを抜けて函南に停車した瞬間、私の目からは大粒の涙が流れ出し、
思わず「オレ、せめて丹那の東側の熱海に生まれたかったよ、お母さん」と叫んでしまいました。
周囲の乗客は私の奇声に驚いていましたが、山地の壁を自覚せずにはいられなかったのです。
その日から、私は「東海人」として生きていくことを誓い、職場を変え、現在実家から静岡市の零細会社に勤務しています。