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前者がレヴィーのマルクスヘの手紙の骨子となっているものである。つまり、私有財産の奪取という思想はここから来ているのである。
さらにもう1つの後者の解釈はマルクスの大作「資本論」の根本思想をなしているものなのである。
つまり、「ユダヤ人の財産は故なく非ユダヤ人に奪われたものである」からかの有名な剰余価値説が生まれているわけであり、「搾取」とマルクスが強調するものである。
★P166 宗教的呪縛力こそマルクス主義の本質
短絡的なマルクス主義の論理的飛躍は、本来なら日本のインテリ層が見ぬけないはずはないと思う。
しかるに何故、そのような論理的飛躍があるにも拘らず、これだけの信者を集められるのかという問題である。
これは宗教的呪縛力としか説明できない性質のものである。マルクス主義の真の素顔は宗教ということである。日本共産党の態度を見ればこのことはすぐわかると思う。
科学といいながら、実際は決して経験科学の実証を受け入れようとしない態度がしばしば見受けられよう。
さてここで、共産主義者のいう、科学的社会主義の「科学」という形容詞がどこから出たかということである。
以上説明した如きマルクス主義が何故「科学」といわれるのか、この答もこの際明らかにしておこう。
これは、レヴィーらの熱烈な民族主義グループが宣伝のため吹聴したものである。唯物史観のいう「社会の必然的な発展法則」ということを強調するためである。
人間の意識から独立した物質的、客観的条件により歴史は動かされる。
しかも一定の法則に従って一定の方向性をもって動くと、これを弁証法的唯物論を社会へ応用した唯物史観であると宣伝しているわけである。
虚構の大きさ故に、かえって多くの人々は自己陶酔に陥るのであろう。アカデミックな真摯な態度と宗教的呪縛力の奇妙な混合といえよう。
以上のようなことから、日本で行われているマルクス主義論争は不毛の論争といわねばならない。
もっとも、日本のインテリ層は恐らくマルクス主義の成立過程をご存知なかったのだろうから、無理もないことかも知れない。
完全な虚構論理であれば、共産主義の矛盾を衝くのは易しい。虚構を現実に無理にあてはめようとするのであるから、すべてその矛盾は露見する。