21/04/17 16:08:10.50 zmWC7itV0.net
>>582
ミクロに拘るというが、思想や価値において何がミクロで何がマクロかなんて、それこそ究極的に言えば価値観の相違であり人それぞれというもの。
例えば反緊縮、反グローバリズム、反新自由主義という思想は現在に至るまでマイノリティーであり、空気や常識に対して明らかに反している。
そしてミクロとマクロの境目が価値観の相違であったならば、極論であるが上記の三つの思想はミクロ的とも言えてしまい、ミクロに拘っているとも言えてしまう。
「マジョリティが正しい、空気や常識に逆らうな、マクロのためにミクロを拘るな」
これらが正しいとなってしまうと、それは結局のところ現状維持であり“経路依存性”のなにものでもない。
もっと言えば、マジョリティや空気や常識といったものに対峙をし、言わば挑戦し続けるのが使命ともいえる、“言論家”や“思想家”それ自体が不要という事になってしまう。
まぁ言葉尻を捉えた極論を使っての反論というか、言葉遊びみたいなものだがね。