20/08/20 13:17:32 NzOYe4u/0.net
>>644
>何やっても芽が出ない自分自身の終わりなき日常に風穴開けてくれるカタストロフィを求めてた
組長のほうは組長のほうで自分らの提言する政策が広く社会に浸透していないわけで
どうして主流になれないのかを研究したら”空気のせい”でしたってことなんだけど
その空気を作り出しているマスコミや専門家を攻撃すれば風穴が開くと考えている時点で、カタストロフィーを求める精神的構造と大して変わらないと思う
なぜなら大衆とは空気によって動くものだし、それ故間違いを犯すものだし、自分の都合や恐怖などを優先させて調子に乗ったり委縮したりするものであって
そうだからこそ大衆は大衆をやっているのだから、”空気のせい”といってみたところでそれはある種自明のことを再々確認したに過ぎない
そもそも専門家がメディアに出て恐怖を煽って空気を作ったということで、死者42万人の試算を出した西浦さんを番組内のみならず何度も批判しているが
組長だって南海トラフで経済損失1400兆円とやっているわけで、自分らの試算はきちんと計算したものだから煽りではないというのかも知れんが
試算なんてのはある前提を置いてその前提に則って計算を積み上げていくものだから、どちらもやっていることは同じであって
しかも南海トラフの件も半自粛についても地上波で報道されているのだし
単なる報道ではなく空気製造装置たるワイドショウできちんと時間をとって自分や仲間が専門家として出演して解説するという扱いで
同じようなことをしながら一方は広く浸透し空気となり、もう一方は浸透せず消えていった、その原因についても一段考察を深めるべきときに
空気のせいにしてメディア批判してそれでおわり
実践主義だということでライブを成功させてみたけど変わらないので、やっぱりこれも空気のせいではしょうがないだろう
来るはずの無いカタストロフィーを求めることも、変わるはずの無い大衆の変化を求めることも、無いものねだりという点でまったく同一であると思う
空気について研究するなら、どうすれば空気を利用できるか、空気を否定するのでななく利用するほうに軸を移したほうが遥かにマシだと考える