20/12/06 13:58:26.47 bSBlqGM90.net
今日の記事です
ところが明治以降の文明開化運動のなかで、江戸時代までの深い解釈は、単に「つまらないもの」とされ、さらに万葉集や百人一首などに掲載された和歌は、ただの男女の恋物語にされてしまいました。
戦後はそれがさらに、同じ方向で深堀りされ、結果、万葉集も百人一首も、解説書を読めば読むほど、その和歌がただの恋愛慕情不倫演歌のようなものにされています。
ねずきちさん、百人一首の古典的な解説書を読んだことがあるのでしょうか。
宗祇の解説書 百人一首宗祇抄 とか、尾崎 雅嘉の百人一首一夕話など。
ねずきちさんは恋愛経験に乏しいのでしょうか。恋愛を相聞歌の贈答のようなプロトコルに規定するまで文化的に洗練されていた平安時代の文化を、自分の浅薄な政治的なこじつけのために否定しています。
彼の安っぽいこじつけにメカラウロコと同調するのは、文化的な経験の乏しい人たちばかりです。そういう人たちも、ある程度の期間が過ぎると杜松吉の低俗性に辟易して去って行っていしまいます。