ねずさん(=小名木善行)ってどうよ Part.8at SISOU
ねずさん(=小名木善行)ってどうよ Part.8 - 暇つぶし2ch410:右や左の名無し様
20/09/18 17:09:39.99 HYmedhyr0.net
摂政右大臣の時の家の歌合、が何を意味するのか考えましょう。
ここで摂政といわれているのは、藤原兼実です。1189年に摂政になる前、兼実は1166年から1189年の間右大臣を務めています。
この詞書の意味は"摂政兼実が右大臣であったときの右大臣家の歌合で、旅宿逢恋という題で詠んだ"ということです。
千載集の成立は1188年ですので、この詞書はもともと右大臣の家の歌合となっていたものを後の書写のときに訂正されたのかもしれませんがなんともいえませんし、ここではそれは重要ではありません。
兼実の家の歌合で有名なものは1175と1180の記録がありますが、別当の歌はそれらの歌合の記録には入っていません。
大切なのは、この歌合なるものが、兼実が右大臣であった1166-1189の間に開催されたものであることです。
崇徳上皇 (天皇在位は1123-1141) の配流は1156年、崩御は1164年です。この歌が歌合せに出されたのは崇徳上皇が崩御されてからということになります。
これでは氏のお説のように別当が崇徳院ために立ち上がれという意味がありません。
また、崇徳天皇の退位で、近衛天皇 (1141-1155) が即位されます。皇嘉門院は近衛天皇の准母になっておられたので崇徳天皇が退位された時点で皇太后になり、この歌会の時点でも皇太后です。
更に、右大臣である (そして後に摂政となる) 兼実は皇嘉門院と腹違いの姉弟である上に皇嘉門院は兼実を猶子としていたので、皇嘉門院は右大臣と天皇の庇護を受けることが出来る立場です。
彼女はその後没落せずに宮廷での生活を全うしています。もともと皇嘉門院は経済的、社会的に恵まれず崇徳上皇の権力への回帰と庇護を必要とするような立場にはありませんでした。
別当の歌は"身を尽くしてや恋渡るべき"の係り結びを反語と解釈して、まだ崇徳上皇に未練を残している皇嘉門院に、すでに切れている相手をずっと思い続けるのは無駄ですよ、もうあきらめなさい、といっているようにも読み取れます。
これはもちろん皇嘉門院に対してかなり失礼なことになります。皇嘉門院と別当の関係にもよりますが、ここはただの恋の歌と受け取るべきでしょう。


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