20/03/03 20:41:27 mvOcGZpU00303.net
他大学から学歴ロンダリングしてきた40歳近いセンター長が、明るい未来のある若者を呪ってる
一橋大学のリベラルな教員の方々は、2017年百田尚樹講演会事件など忘れているに違いない。
3月に卒業する学生におめでとうと言うだけだろう。
加害学生が一切の責任を取らず、大企業や官庁に就職することの重大性は不問に付されたまま、卒業それ自体を祝うのが教員の責務だとも考えているのだろう。
2017年の百田尚樹講演会事件で加害学生の責任は問われないままだし、2015年アウティング事件の加害学生もたとえ遺族と和解したとしても一橋大学学生としての社会的責任は問われないままだ。
加害者の社会的責任を問わないまま、被害者に寄り添うフリをするのが日本型反差別である。
2017年百田尚樹講演会事件も、2015年アウティング自死事件も、30年近くマンキューソ准教授が差別とハラスメントを繰り返してきてそれを大学も教職員も見て見ぬフリしてきたことも全て同じ問題。
加害者責任を問わないこと。
加害者の差別する自由への社会的規制を避けて被害者に寄り添うフリすること。