18/11/10 05:17:27.56 TDPBr+X50.net
人間は不完全なものだし理性には限界があるし、だから悉く不完全な議論を疑った先に、
いったい何を選択すればいいのか、選択するべきなのか。
ある理屈には一定の理があり、別の理屈にも一定の理がある。
どれを取っても何かしらの利益と弊害があり、そのジレンマを理性で超えることはできない。
懐疑を超えた先に何かを選択する、その規準をどこに見出せばいいのか。
それは歴史の解釈において伝統の精神において他にないであろう。
無限の懐疑をどこかで断ち切る覚悟は自らの実存を賭けた精神の勇躍である。
不完全なるものを「ただ」不完全であると言うだけではあまりにも無力だ。