18/11/10 02:20:49.43 Y8uR/XY50.net
>>480
西部が、自らを保守の文脈で位置づけ、他人からも保守主義者として認識されたことが、
このスレの中、あるいは論壇全体における一種の思想的なネジレを産んでいる可能性もある
このような記事もある
URLリンク(www.jmrlsi.co.jp)
筆者は、西部をいくらかポジティブな文脈で評価しつつも、保守というよりニヒリストであるとしている
左翼の吉本隆明との相対化、保守の西尾幹二との比較は、たしかになるほどと思わせるところがある
宮台真司は、西部の死に際して「保守というロールプレイをやり切った」と(いささか感情的に)評したが、
これになんとなく同意できるのは、ある種のアウトローである西部が、革新一辺倒の世論への反発心から、
保守という役割を引き受けることによって闘争し、また自らの懐疑主義を試そうとしたのではないか、という感覚があるからだ
また、弟子筋の中野剛志は、自らを保守と定義することを、極めて慎重に避けている
「強いて言うなら保守見習いです」というレトリックを用いたこともある
歴史的な保守主義者の文脈から多くを学び、それを用いながらも、それに依存はしないという反骨心、または自主性があるのではなかろうか