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新風スレから
0244 右や左の名無し様 2017/07/21 16:14:28
昨年末から今年にかけて勃発した新風分裂騒動についてネット上を駆け巡っているのは鈴木信行サイド(東京新風)の方ばかりで、魚谷哲央サイド(京都新風)の立場は意外と知られていない。
比較的、新風京都は高齢でネットに疎いので仕方がないこととも言える。
鈴木や瀬戸のイメージが強すぎて知らない人の方が多いかもしれないが、魚谷哲央は新風の創設者で1995年から2005年、2009年から2010年、そして2016年から現在と殆どの期間を代表として務めてきた。
民族派としてのキャリアは40年にもなる。日本学生同盟の委員長を務め、若い時には関西では知る人ぞ知る重鎮新右翼の中山嶺雄(一日会)らと共に北方領土上陸を試みた経験がある。
しかし、いわゆる右翼や新右翼の活動形式ではパフォーマンスだけで社会を変えることは出来ないと考え、芸能人なども多数巻き込んだ野村秋介先生の「風の会」には与せず、純粋な政党活動を志向するようになった。
1998年・2001年・2004年・2007年と4回連続で参議院議員通常選挙に確認団体として10名の公認候補を擁立した。その資金は殆ど魚谷が奔走して集めたものである。
2010年はとうとう資金難で出馬を断念した。
鈴木ブログの
「京都は高級な政党活動を行なっていると自認しているようだが、
実際には会議を繰り返すだけの、選挙を戦わない政党活動だ。」という文は誤りだ。
「平成19年の参議院選挙以降、東京では国政から地方選挙まで合わせると、公認推薦支持を含めて10年間で11回選挙戦を戦っている。
京都は0回かお手伝いを1回くらいである。」
とも書いているが、魚谷は98年・01年・04年・07年の四回出馬している。しかも20年以上、京都本部を引っ張っているのだ。
何故、Wikipediaに書いてある程度の嘘を書けるのか理解できない。
この頃から瀬戸や鈴木が台頭するようになる。
また、「行動保守」と共闘し出した時期でもある。
魚谷は当初から在特会の差別言論と攻撃的なパフォーマンスを問題視していて「カルデロン」事件の後に、明確に「行動保守」と共闘しない旨を宣言したが、鈴木・有門・金友や行動系の新風党員の猛反発に合い撤回、代表も鈴木に交代するに至る。
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