17/03/23 15:35:00.33 4N70EVtf.net
こちらもやってみます。
十一にいわく。
功過(こうか)を明らかに察して、賞罰を必ず当てよ。
このごろ、賞は功においてせず、罰は罪においてせず。
事(こと)を執(と)る群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし。
現代語
功績と過失を明確に見て、必ず賞罰を与えなさい。
このごろは功績と賞は関係が薄く、罰も罪によって与えられることがありません。
責任者の皆さんが賞罰を明確にする必要があります
引用
※ポイント
ここでのポイントは、論功行賞について、その結果に対して賞罰せよと言っているのではなく、「察して賞罰せよ」と述べていることです。
とかく昨今では、結果のみにスポットライトが当てられがちですが、結果が出る前に、褒めるべきものは褒め、罰するものは先に罰せよと言っています。
昨今の日本社会は、この点反省すべきところがあるのではないでしょうか。
引用終わり
ぜんぜん違いますね。
功績、過失に対する賞罰が (多分) 縁故や、もしかすると賄賂などによってなされるようになっていたのではないでしょうか。
それをただすべき、と言っているのです。
小名木大先生は察という文字を推察の意味と取っているのですが、これは現代用語の意味を元に考える人の冒す間違いです。
元々察という文字には隅々まで調べ上げるという意味がありますがねずきち男爵のおっしゃるように先に云々という意味はありません。
ただし、賞罰が縁故によりがちになるという、聖徳太子のご指摘は現在でも正しいように思いますので、ねずきちさんはこちらをネタにされたほうが良いと思うのですが。
でもいまさら取り下げは恥ずかしくて出来ませんね。