17/02/01 07:57:05.52 qfMszJhM.net
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>さて、日本では、太古の昔から正統な国の主として、天子様がおいでになりますから、あえて王朝の正統性など記す必要がありません。
>その意味で、日本における史書は、支那の、いわゆる「政治的他人のせい史」とは異なります。
果たしてそうでしょうか。
なぜ天皇の祖先が高天原を起源に持つのか。
なぜ物部氏や大伴氏など、古代朝廷の幹部を担った氏族の起源が神話の神々にあるのか。
小名木氏の言葉を借ります。
>そこから先は、おもてむきの歴史には書かれていません。
>だから察することになります。
>これを「行間を読む」といいます。
もちろん「行間を読む」と、支配の正当性を示すために神話に起源を求め、わざわざ
記紀に書き残している、ということになります。
また、武烈天皇の事績はことさらに悪く書かれていますが、それは次代の継体天皇との
血縁が離れている(あるいは存在しない)からと言われていることを付記しておきます。
記紀も中国の歴史書と大差ないわけです。あからさまな王朝交代表向き存在しないというだけのことです。