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【豚と橋下大阪市長(当時)の対談】
橋下「オマエ何かもう勘違いしてるんじゃないのか?」 デブ「何を?」
橋下「自分で世の中変えられる力があると思って」 ブタ「それはアンタだろうよ!」
ブタ「たかが一地方の首長如きでふざけた事言うなよ」 橋下「じゃあオマエ立候補して当選してみろよ」
ブタ「政治に全く興味ないんでね」 ブタ「政治家ってのはね、この世で最も醜悪な人種だと思ってるんでね」
橋下「当選してから言え」 ブタ「政治を信じてない人間が政治に出るのはね、何よりも冒涜行為だろ?違うか?」
【在日特権とは?】
「在特会が主張する歴史の「すべてが完全に誤っている」と言うつもりはない。戦後長らく、在日コリアンは日本社会の
一部で〝犠牲者〟〝弱者〟〝被害者〟として位置づけられてきた。朝鮮半島を植民地化し、戦争に巻き込んだことへの
贖罪意識から、ときには日本人の間で彼らに対する過剰な遠慮が働いたことも事実だろう。そこにある種の〝在日タブー〟が
生まれたことも私は否定しない。 まさに在特会は、その点を衝いた。在日が必要以上に「守られている」と喧伝し、日本人が
「貶められている」と訴えた。やがてそれが、「外国人のくせに福祉にタダ乗りしている」「税金を食い物にしている」といった、
いわゆる「フリーライド」論を形成するに至った。旧宗主国の責任としてわが国が在日に対して設けた補完的な権利が、
いつのまにか特権だとして槍玉にあげられたのである。 閉塞感に満ちた今日にあって、こうした「特権」というコンセプトは、
声を大にして打倒すべき対象としては実に魅力的だ。なかでも「自分は社会から守られていない」と感じる層にとって、
在日コリアンに与えられた補完的な権利が「手厚い庇護」に見えたこともあったかもしれない。彼らにとって在日とは、既得権益に
守られた特別な存在に映ったのだろうか。しかし、繰り返すが、調べれば調べるほど、彼らが「特権」だと非難するような権利は、
少なくとも、私たち日本人が当たり前のように行使しているものであり、日本人が羨むほどの内容ではないのだ。」
『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』(安田浩一 著)より (大宅壮一ノンフィクション賞受賞作)