16/11/23 23:35:42.12 .net
桜井誠みたいな知恵遅れのバカは日本の歴史をもっと勉強してから出てこいバカ
横浜大空襲の生き証人
女性は現在88歳。横浜大空襲があった1945(昭和20)年は20歳。川崎で働いていたそうだ。
当時は「警防団(防空や消防に従事する地域団体)」から一家のうち“1人は(避難せず)
消火のため家に残らなくてはいけない”と言われていた。
5月29日、横浜大空襲の朝。父は東京の会社へ行っており不在。
女性は5月23日の空襲でやけどを負った母と妹を避難させるため、
自分が家に残った。空襲に使われる焼夷弾には油が詰めてあり、
「やけどするとケロイド状になるのよ」と女性。
空襲当初、女性は近所の人と火を消していた。
だが、「ザーッ」という音とともに大量の焼夷弾が投下。
「皆チリジリになって逃げた」という。
「神奈川県の戦争遺跡(神奈川県歴史教育者協議会編)」によると、
空襲は9時22分開始。B29は517機、P51戦闘機は101機、計618機が横浜を襲撃した。
わずか1時間8分の間に投下された焼夷弾の量は2570t。
3月10日の東京大空襲と比べて約1.5倍という量だった。