16/11/06 09:04:57.87 X3NVXohI.net
今日のブログも問題だらけ。
・『宗史倭人伝』と言う書物はありません。『宋史』に書かれた「日本伝」が正しい。すでに「日本」という名称が記載されています。
・ねずきち氏は引用してある記述をそのまま日本エライの証拠にしていますが、書いてあることだけを信じるのは、目にウロコの嵌った「ゆいぶつろんじゃ」ではなかったのですか?
鈴木哲雄 2002、「北宋期の知識人の禅宗志向タイプ」、『印度學佛教學研究』 51(1), pp. 44-50. によれば、北宋時代は皇帝を頂点とした専制君主国家であるが、科挙出身の高級官僚の権力闘争がすごかったとあります。
そのために、野に下った官僚たちが仏教に傾倒して、禅宗の展開に寄与したそうです。ウェブで見つけた「日本伝」をざっと読むと、武内宿禰が307歳だったり、日本に象や犀が多かったりします。
日本の歴史を代々天皇の名前と朝貢の過程ともに記しており、僧の奝然が、中国に仏教の典籍を求めてど根性で来たことを綿々と訴えております。
ねずブログがわざとはずしている部分では、奝然が「国王が一つの姓を名乗り、臣民も官位を世襲している」と述べたことに答えてたとと、その答えの冒頭に「これは島夷にすぎない」と、日本を遅れた小さな島国ではあるが、という前置きをしています。
そもそも自国の目指すところが記されていて、それが日本だいうわけではありません。
「解釈」すれば、これは朝貢をし続けた発展途上国に、先進国が科挙による官僚組織の複雑化による問題に悩んでいた皇帝が「世襲で良かったな」と嘆息しながら「外交辞令」を述べたと言えます。
取り急ぎ、わかった分です。どこかからか、まるっきりコピペしたのでしょう。あいかわらず通洲事件に結び付けてかなりの部分がグダグダです。こんなわかりにくい文章では、信者をますます失いますよ。
ねず氏はテレビの時代劇と「宇宙戦艦ヤマト」と、日本人エライ!という番組しか見ていないのでしょうが、Eテレの高校歴史講座か、放送大学の授業を見たらいいのに・・・私は時々見ます。目からウロコのことも多々!。